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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2003/03/21 Fri■  写真ノ方法

  荒木経惟の『写真ノ方法』をぱらっと見たら、まだまともには読んでへんのだよねぇ、だいたい夜はぎりぎりまで起きていて、ふとんに入った瞬間に、おやすみ3秒。だからクルマ運転中に信号に止まったときに、最初のページだけ読んだのよ。そうすると、写真は服装なのだということ書いてあって、うんうん、さすが天才は言うことがちがう。偉い! つまり、いかにもボクはカメラマンですぉーというような格好が良くない。チョッキを着て、写真は写せないね、ははははは(アラーキー風高笑い)てなことを書いてあった。いまその『写真ノ方法』はクルマの中に置き去りにしてきたから、正確に引用はできひんのだが、これには思わずにんまりしてしまった。
 ところがそのチョッキカメラマンがきょう一心寺にばっちりおったのだヨ。それも本堂の欄干に一眼レフをかまえてんの。あぁ、あれはほんとみったくないんだから。イヤだ、イヤだ。たぶんニコンでしょ(冷笑) あまりにアホだから、必死にかまえてるところをフォーカスしてやった。後ろに連れの女らしいのが退屈そうにあらぬ方を眺めております。あ、あのね、大道先生でなくても、スナップは歩き回ってナンボってことぐらいボクでもわかる。奴にこんな写真は写せんでしょ。
 かと思えばカメラ屋おやじ。どんなんかというと、背中にカメラバック背負って、一眼レフ、あ、これもくっきりすっきりニコンですあります。あまりにちんどん屋然としてたので思わず近づいて行って隠し撮りしといてやった。いまその写真を見ながら書いてるのでありますが、頭には何ていうの、クルマ運転中でも携帯とれるやつ、イヤホンにマイクのついたの、あんたねぇ、ジャネットジャクソンじゃないんだから。そして右の肩にはカメラバックが3つほどぶらさがって、たしかデジビデも持って歩いてたような。総額100万子かかってんじゃないの。奥さん、あきれてんだろね。こういうのいますね、使いもせんのにあれこれ買うのだけが趣味っていうオヤジ。ん〜。この写真見てるとかの人にそっくりだワ。ゑっ、かの人ってもしかしてあの人?って心当たりのある人、メールちょうだい。送ってあげます。一緒に弄うぜ(←悪趣味)
 それで話を元に戻すと、写真は服装だという天才アラーキーのおことばというのはさもありなんで、考えてみれば、そういうことはとうい実践してるわけで、だからボクは銀座なんてとこにはほとんど行ったことがない。だからきょうも四天王寺さんから一心寺のあとは、飛田、山王、新世界と違和感ないのネ。そこでカシャッカシャッカシャッカシャッ・・・と、おばちゃんの「兄ちゃん、兄ちゃん、エエ子おまっせ」の声に、愛想笑いをかえしつつ、カシャッカシャッ。あー、そのうち怖いお兄さんに捕まって肋骨ボキボキにされるかも(^_^ゞ 要はね、その世界の住人になれるかどうかってことなの。

 あらら、3日ほど前の貝塚近木のことも書くつもりだったのに、またそのうち。 

 





 


■2005/03/21 Mon■  くぎ煮のにおい

 きのうまた福岡で大きな地震があった。福岡はハイパやモッチャンたちとの思いがいっぱい詰まっているし、ついひと月前にも遊びに行ったところだけに身近に感じてしまう。半年前の新潟の場合はさほど感じなかったものを感じてしまう。それはそれでいいじゃないか。神戸、10年前、あれだけ自分を褒めてやりたいくらいに駆り立てたのはやっぱり神戸という、すぐ近くにあって、自分自身の思い入れの深さがあったからだ。それ以上のなにものでもない。

 それはさておいて、福岡の地震に触発されたわけでもなく、きょうはすごくのどかな一日だったので、つい足が神戸を向いていた。10年前の1月の下旬から続いた毎週の神戸行きも、そう3月の下旬ともなると、ポカポカ気分で顔なじみになったおっちゃんたちの顔を見てまわるだけ。自分では「ご機嫌伺い」などと言ってた。やっと重苦しい雰囲気からようやく春が見えてきて、みんな動き始めてた。そんなことを思いだし、あらためて、そのときの元気をいま吸いたかった。
 阪神の西灘で降りる。駅の南側を回るとすぐ岩屋公園がある。その公園で避難生活を送っていたおっちゃんに会いに行った。印刷屋のおっちゃん。「もう今さら立て直すわけにもいかんし、警備員でもやって暮すわ」と言っていたのに、1年後に訪ねたときは、元通り印刷屋を立て直していて、「あのときはおおきにな」と缶コーヒーをくれたのだった。
 公園のすぐ近くのおっちゃんの家はもうなかった。おっちゃんの家があったと思しきところは取り壊され、基礎のコンクリートだけが残っていた。
 だいたい神戸の町の写真を撮ろうなどとしても、そのあたりにはもう過去の姿なんてほとんど見当たらない。この10年の間にほとんどすべての家が建て替えられてしまっているのだ。岩屋公園のすぐ西側の家もほとんど全壊状態で、それをクレーンで引き倒すのを10年前に目撃した。その場所には新しく家が建てられている。写真にできるような町並みなんて見当たらないまま、JRの高架下を西向いて歩く。バイクで走るとすぐだったと思っていたのに、歩いてみると大安亭商店街まではずいぶんあった。
 生田川公園。いまは新神戸トンネルがこの下にできるようでもう公園はなくなっている。4月になって行ったときに、「神戸ではどこの家もくぎ煮を炊くんよ」とボランティアのお礼にもらった。地震でひっくり返っていても、春になるとくぎ煮をつくる。くぎ煮をつくれるまでその3ヶ月近くの間に戻ったのだ。その家ももう10年の間にどこに移ったのか、わからない。そしてあのはったりのおっさんもどこにいるのかわからない。

 きょうも葺合の露地を歩いていると、どこからかくぎ煮をつくるにおいがしてきた。大安亭商店街に戻って、くぎ煮を買った。


decade of Kobe


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