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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1999/08/02 Mon■  『暗い旅』

 猫はいいなぁ、甘えられるだけ甘えて。

 うだるくらい暑い、だから夏ってもんなんやけど、このくそ暑い中で仕事してる人もおるんやね。ボクっはていうと、こんな暑いときに外になんか出る気せえへんで、猫と一緒にぐたぁ〜っとしてる。さっきタバコ買いに外に出ただけ。この2, 3日の行動半径は異常に狭い(笑) あ、それで、外に出てみたらやっぱり暑くて、空をみたら夏雲が出てて、その夏雲見たら、いつも思い出すのが、倉橋由美子の一節で、たしか『暗い旅』やったかなぁ、夏の砂浜で少女が犯されたあとに夏雲がどったらこうたら、引用してみよかと捜したけど、どこにおいたんのかわからん。かわりに同じ倉橋の『わたしのなかのかれへ』というエッセイ集がでてきて、これやったかなぁ、とぺらぺらめくってたら、ぎゃははは、傍線引いたる。めちゃ気恥ずかしい。なに、なんで、ここに引いてんねんって、うは、そんな傍線引いたるとこな んか、引用でけへん、でけへん(笑) で、その倉橋の表現してた夏というのは、少女が犯されたあとに関らず、まぶしいくらいにきらきらに輝いていて、犯された少女の消えてしまいたいという心とはうらはらにさらに照りつけてくる。それくらいまぶしい夏。
 そう思うと、そんなまぶしい夏なんてのはこの先やってくるんだろうかってふっと思ってしまう。


■2001/08/02 Thu■ 

 
Tierney Sutton
Blue In Green
 昼間の空いてる時間に、手塚治虫記念館に行ったのです。あらあら、宝塚ファミリーランドにへばりつくようにあるんだね。何年もこの前を通っていたのに、ファミリーランドの一部だと思い込んで気がつかないはずだわ。きょうも前をさっさと通り過ぎてから気がつくんだから。気ぃつけよ、でっかい火の鳥がおることに>自分
 記念館そのものはとびきりすごいもんが展示されてるわけでもないのだけれど、それでも鉄腕アトムの誕生が1951年というから全くの同世代ってわけでしょ。アトムと一緒に大きくなったなんて言っても誰にも文句は言われないでしょ。ただし育って行った方向はずいぶん違いますが...

ね、こんなん表紙を眺めてるだけでうれしくなってくるやんねぇ。貸本屋さんがブリキの箱をバイクの荷台に積んでやってきたんだよね。ちょっと前ならデリビデオってところかな。そのあと少年探偵団手帳が欲しくて、『少年』の付録を貸本屋で買ってもらって、その手帳もって、尾行したりですね、いっぱしの小林少年よ。
 記念館の2階には、書棚があって、ほとんど揃ってるのかな、外に出ても暑いので、『人間昆虫記』を読んでたらこっくりこっくり寝てしまってた。疲れてるんです。
 さてぼちぼち帰ろうかと表に出ようとしたら、空は真っ黒になってごろごろごろ轟いている。うっ、こりゃやばいと、急いで外に出て、花なんとか通り?だか、屋根のあるところまで来たら、いよいよ本格的に降りだした。ずっとお天気続きだったので、あまりにみごとな雷雨に思わず見とれてしまう。どーんと低くなった真っ黒な雲の間でびかぁーっと光ったら、ごろごろごろと鳴って、いやぁすごかった。ほんとすごかったんだから。しばらく見とれてはおったけれど、ずっとそうしてるわけにもいかず、なんせ軟禁生活中だからね、戻らないとアカンのだよ。阪急の宝塚駅のあるビルの中は、きのうに続いての花火大会に来た人たちが雨宿り中。その中をRPGみたいに雨に濡れないところをさがしてあっち行ったりこっち行ったりして、ホテルの案内所までたどりついて、送迎バスで戻ったから、ほとんど濡れずにすみました。
 ところで軟禁の空いてる時間に宮部みゆきの『平成お徒歩日記』読んでた。おもしろかった。同じようなことを大阪でもやってみたいと、はてネタを繰ってみたら、やっぱり近松心中道行きコースが最高かね。誰か、ボクと白装束着て歩いてみりん(笑) 織田作コースってのは、自由軒のカレーはいまいちなので却下。思いきって、神戸に足を伸ばして、鵯越え奇襲コースを鉄馬つまりバイクで落ちてみるかい。冗談はさておきミヤベの市中引回しコースなんて最高でしょう。右のもの、不義密通により市中引き回しの上獄門磔なんてね、わくわくしてしまいます・・・アホカ

■2003/08/02 Sat■  行ってきます

 なんだか、ほっといたらいつの間にか8月で2週間からここもほっちっち。この間、何もなかったかというとそうでもなくて、何かあったかというと、またそうでもないという、どうでもいいような日々が続いていたのです。そしてたぶんあしたは書かないでしょうから、これから先、また2週間以上、ここはほっちっちにしてしまうわけで、人間ちゃんとキリだけは付けとかないときまりが悪い。先に書いておきますと、あさって月曜からまる2週間の予定で、ヨーロッパに行くのですが、ひょっとしたらサンドニ街の裏で死んでしまうかもしれず、そうなるとこれが絶筆になる可能性もあるのです。だからちゃんとキリよくしておかないといけません。というわけで、くだくだと書くわけですが

 先週の日曜、つまり7/27に京都に横尾忠則展《横尾by ヨコオ》を見に行った。ある意味でボクにとって横尾というのは30年からのアイドルだったんだけれど、そのくせ横尾の作品の熱心なファンというわけでもなかった。ボクにとっては横尾は『新宿泥棒日記』の横尾であり続けたし、良くも悪くも『腰巻きお仙』に始まって『腰巻きお仙』に終わってしまってた。ここ1年ほどボクに余裕ができて、横尾の作品集なんかを集めまくったりしてはいたけれど、その中で触れるか、あるいはあちこちで目に触れるポスターの中でしか横尾じゃなかったんよね。実際に現物を目にすると、これは当然といえば当然なんだけれど、とくに横尾の絵画の質感なんてのは印刷されたものとは比べ物にならない。あゝ、今までそんな中で充足してしまってたのかって痛く思い知らされてしまった。やっぱり現物に勝るものはないやね。そういう意味で、あと数日後に目にするであろうカラヴァッジオにひどく期待してる。
 話は横尾に戻しますが、火曜日にはキャサリンも京都に見に行って、(変な夫婦でしょ、一緒に見に行けばいいのに)で、きょうその横尾展の話を二人でしてたんだけど、《作家蔵》と記された作品が非常に多いのね。これって横尾というのはかなりのナルシストじゃないかと思うわけ。自分の作品が愛おしくて手放したくないんじゃないかな。それからキャサリンが見に行ったときには、田舎のおばさんたちが来ていて、「わたしはどこにあるんだろ。○○さんは何ヶ所にもあるらしいんだけど」とか、どうも横尾の西脇時代の同窓生らしくて、その当時の顔写真がコラージュされてちりばめられてる。それだけでなく、ルーベンスの模写があったりして、《レウキッポスの娘たちの略奪》 これルーブルで見れるかと思ってたのに、ミュンヘンにオリジナルがあるんだね。とにかくおもしろくて興奮してしまった。キャサリンなんかは3時間近くかかって見てたらしいよ。

 それからここしばらくしてたことはヨーロッパ、とくにパリの街区の下調べ。ネットでmappyという、日本で言うとマピオンとかの地図サイトを見つけて、ばんばんプリントアウトしては繋ぎあわせた地図を見て、勝手に想像してた。ひょんなことから、《rue de Eugene Aget》 なんていう通りを見つけたときには大喜び。ここは絶対に行かなければ。《rue de Eugene Aget》で検索かけたわけでもなくて、ほんとに偶然だから、たまたまそのあたりの地図をモニターに出して見ていて、もっとも細かい地図に切り換えたときに、《rue de Eugene Aget》って出てきたのだ。まさにAgetが手招きしているかのよう。そのあたりを歩き回っていてもひょっとすると行き当たって、驚喜してるかもしれないけれど、偶然ってすごいなぁと思うわけ。さらに引っ張れば、「地球の歩き方」なんかのガイドブックを見ているだけでは、まず行き着いてなくて、それもたまたま『パリの裏道』という本を図書館で見つけたことに端を発している。それから『ライカ同盟パリ開放』から、パリの『郊外へ』という本を見つけたり、《rue de Malcel Duchamps》なんかも見つけ出したのを考えてみると、偶然とはいえ、そこにはかなりの必然も入り込んでいるなぁとつくづく思う。

 というわけで、行ってきます。また帰ってきたら、いっぱいいっぱい書くことが必然的にあると確信して。

 


■2004/08/02 Mon■  どらいブゥ〜

■西脇・岡之山美術館 予定していた行き先が急遽立杭に変わったので、それならついでに岡之山美術館に寄って行くことに。が、月曜休館だよ。ばぁ〜ろ、ちゃんと、調べとけ。悔しいので、美術館前にある横尾の壁画?の前でセルフ記念写真。

■立杭 陶の郷入園料1人200円というのは何なんでしょ。観光物産センターで陶器を買うだけならタダでいいのに。陶器の安売りもなかったしさ。でも2枚で1万円の皿、気に入ったんだけど、さすがに手が出ず。帰ってから思い切って買えば良かったかなと思う。まる八窯でもう少し庶民的な皿を3枚買う。

■山崎 昼飯食ってたら、いきなりサントリーの山崎工場でしか売られていないウィスキーを買いに行きたいと言い出す。あのぉー、方角、反対なんですけど。が、篠山から亀岡抜けたら早いと、ボクのナビははじき出すのであった。かくしてデカンショ街道ひた走り。亀岡からは400円の高速も使って、長岡京を抜け、サントリー山崎工場に着いたのが5時5分前。が、工場見学は4時半まで。肝心のウィスキーも買えず。どっと疲れが。誰じゃ、5時までなどと言うてたのは。
受付のコンパニオンお姉さんが「パンフレットだけでもお持ち帰りください」と言うのに、「パンフレットで酔えるかいな」と飲みもせんのに言うてるボクちゃん。でもよぉ、役所じゃないんだからぁ。たかが、酒屋でしょ。「鳥居はぁーん、鳥居はん、酒売ってくれへんかいなぁ」
「こら、サントリー、火ぃ点けたろか。よう燃えるやろな」と騒げど、どっと疲れた。

■橋本 まっすぐ帰るにもちょっと早いので、山崎のちょうど対岸の橋本遊廓跡を見に行く。しゃかしゃかと写真するもいまいち気合いが入らない。橋本の駅のすぐ前の元遊廓の廃屋はすでにとり壊されていた。こうして消え去るのは残念だけど仕方がない。洋食の店=やをりきは営業していたので、中をのぞくと、カウンターにひとり座っていたおっちゃんがこちらを訝しげに見る。まだ全然おなかが空いてきてないのでやをりきは断念。
家に戻れば7時過ぎ。一日家でごろごろしているよりずっと心地よい疲れが。




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