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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2001/08/06 Mon■ 

 
DELTRON 3030
DELTRON 3030
 灼熱地獄1日目。が、朝、曇っていて、けっこう涼しかったんだよなぁ。ところが二度寝のおかげで遅れて到着したらギンギンに照りつけだしてやっぱり灼熱地獄・・・というほどたいそうなもんでもなかったんだけど
 だから帰りにツタヤによって、くたぁーっとビデオ2本。月曜だったら残ってるだろうというねらい通り、『ザ・セル』と『狗神』 いまの売れ線ですねぇ
 まずは『ザ・セル』 頭の砂漠のシーンなんてのは非常に好きなんですね、『アポロンの地獄』だとかの荒漠としたシーンを思いだして、をっ、と思ったのもつかの間、売りのSFXが出てきたら、もうごちそうさんです。やっぱり一般大衆に売りのSFXというのはボクの口に合わん。別に見せてくれなくてもいいですって感じ。釣り上げたって痛そうーってだけで子供だましにしか思えないもん。それに腹にハサミを突き刺して切り開いて腸をつかみ出して、引っ張り出した腸を糸車のようにぐるぐる巻き上げて行くなんて、ほんとイヤなんだなぁ。もうやめてよの極致。一般大衆はあんなモン見たいのかねぇ。ゲロいっしょ。同じやるならSFXなんかでやらないでいっそ生本でやっちゃってくれ。それやったら、犯罪ですがね。現実シーンはっていうと、アメリカ映画ぁーーって感じでどうでもよい。脳内幻想シーンはまぁまぁなんだけど、たとえばサクラの臭さなんて臭い分好き。石岡瑛子のコスチュームもそれなりなんだけどねぇ。全体的に見せられすぎて食傷します。『ザ・セル』のオフィシャルページで「十五世紀のネーデルラントの画家、ヒエロニムス・ボスの描き出した奇怪な風景を彷彿とさせる」なんて書いてたけど、言い過ぎでしょう(笑) 比べるモンじゃないけど、映画として見たときの映像は81/2なんかのほうが格段に好きだな。
 なんだかなぁと思いながら『狗神』 ネタばれ覚悟で書いてしまいますが、きのう書いた冒頭の善光寺のシーンないじゃないですか。あ、真っ暗クラだと何も写りませんか(^_^ゞ 期待してたのに。たぶん日本的情念どろどろなん好きなんでしょうね、きっと根暗なんだ。会ったことある人なら、どこがやと思うかもだけど、ボク、根真っ暗です、ドロドロです。こっちのほうは渡部篤郎クンと天海祐希の濡れ場はけっこう欲情させてもらいました。ペロペロしてほし。。。。 でもこっちも単純。脚本の問題かね。もっとねっとり迫ってほしいぞ。原作ヒマなときに読んでみよ。
 結局ツタヤの売れ線は外したほうが、ボク的には当る可能性は大だということがよくわかったのでした。また暗ぁーくツタヤの隅っこのほう探そ。

■2002/08/06 Tue■  夜中の電話

Gonzalo Rubalcaba
Imagine
 夜中にビデオを返しに行く途中、この前もそうだけど、道の脇で携帯電話してる男がいる。きょうのはきっとボクよりは若いんだろう。胸腔全体を共鳴箱にしたような震え上がるばかりの低音で
  「言うてみぃよ」
 あの声を聞いたら女は絶対にちびり上がるだろうな。と、勝手に携帯の相手は女だと決めてかかってるけど、女に決まってます。それもよからぬ関係にある女。相手が同性だとか、よからぬことのない相手なら、なにも夜中に道端でこっそりと携帯でしゃべる必要ないじゃないかと、これは経験者が語るのだから確かよ。以前なら電話ボックスに夜中に適当な年の男が電話していたら、それはよからぬ相手との電話と決まっていたのだ。これも経験者が語るのだから確か。
 もう20年近くも前のこと、ご近所さんの旦那が夜中の12時頃に電話ボックスで電話してるのを目撃した。よからぬ関係に陥ることのないような見るからに謹厳実直というような人だったから、あれ、なんで?と、そのときはまさかよからぬ関係とは思いもしなかったんだけれど、それから半年と経たないうちにどこかに引っ越してしまって、噂では自殺したとか。その自殺の理由はなんだったか、ボクは知らないけれど、自殺したというのを聞いたとき、妙にそのときの電話ボックスの印象が残っていて、ひょっとすると、その人もよからぬ関係にあったのか、まじめな人のようだったから抜き差しならないことになってたのかと勝手な想像をめぐらしてみた。
 ボクもどっかで目撃されてんのかねぇ。きょうもビデオ屋行くのに携帯は持っては出たけれど使うことありませんでした。

■2004/08/06 Fri■  君がいて僕がいた

きょうのうらまごにも書いたけれど、熊本県の高校の先生の携帯にまいこんだ一通のメール。そのメールは偶然まいこんできたのじゃなくて、そこに何らかの偶然でないもの、作為的なものを感じ取っていたら、赤っ恥かかずに済んだだろうに。人と人の出会いなんてすべて偶然の産物だということがわかっていれば。
キミがそこにいたのも、そして同じときにボクがそこにいたのも、全くの偶然でしかない。君がいて僕がいた。舟木一夫ですな、なんて言うてもわからんか^_^; 正確には「君たちがいて僕がいた」ですが(笑) 確かに同じ時空間で出会うというのは偶然でない、何らかの共通した要素があるかもしれない。それでも偶然を見つけ出すことは稀にしか起こらないだろう。だから見つけた偶然はだいじにしよう。だいじにすることができたら、偶然は必然になりうる。そうすると、偶然がさし出す悪戯さえ受け入れられる。 Que sera, sera....

だいたいあらかじめ人に仕組まれる、あてがわれるなんてつまらない。

ボクは、ずっと「すれ違い」ということばが好きで、人生なんて「出会い」より「すれ違い」なんじゃないか、なんて思ってる。もしあのとき、出会ってしまってすれ違わなければ、いま、こんなふうになってなかった、と思っている。そして、あらゆることがすれ違いの上に成り立っていると思ってる。君がいて僕がいたのも、すれ違いでしかない。そのすれ違いの瞬間をどれだけ大切にできるか、できたか、それだけのこと。




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