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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2000/10/13 Fri■  13日の金曜日

 あら、もう13日、しかも金曜日(-.-;)
 10月になってずっと日記アップしてへんかってんねぇ。別にこれといってサボってたわけちゃうし、なぁ〜んもなかったわけでもなくて、いろいろとあったから、ついつい日記書いてなかったというだけ。ほんまはいろいろ忙しかったんね。当然、公私にわたってじゃなくて、私事で忙しかったんだけど。
 まず、10/4(水)についにG4が入った。これが日記アップでけへんかったという一番の原因。当然のことながら8500はまだまだ現役として使えるのでそれも使うわけで、とにかく8500とG4をつながないとダメなわけで、そのためにルーターをも買って、それをつなぐのは別に簡単で、と言いながら、適当にマニュアル読んで設定してたもんだから、ICQなんか二重ログインになって振り落とされてばっかり。これはきのうの夜にやっと解決。ちゃんとマニュアル読めよっちゅうねん。
 しかしやっぱりいまいちようわかってへん。ルーターのIPアドレス何なの(笑)
 G4のほうはハードディスクがなんと20G。20Gやで。8500が1.2G、その前のLCが160Mからすると腐るほどの容量で、8500に積んでるのを一気にG4にもってきたらええねんけど、ぼちぼち移してる。いちおサラということで、ちゃんと何はどこにおいてとか考えながらやってるのでヒマかかる。おまけにパスとか忘れてたり、どっかに消えたり、裏尻集にあるようなんはいいんだけど、そうでないのはめんどくさいから初期設定をまるまんま移したりして。
 そこへ10/7〜10のまる4日間は走りに行って、その分できのう、おとついは仕事が残ってて、そうそう、これは前からの持論だけど、酔狂なんて忙しい、忙しいとか言って、それで仕事あるから遊びに行かれへんとか言い出すんよ。先に遊びに行かんかい。遊んだら、仕事は仕事だからせなしゃあないようになって、どうせエエ加減でええんだから仕事なんてもんは、最終的に遊んで仕事もできる。ところが仕事がたまってて、遊ばれへんというのはいちばん情けない。かく言うボクでも、水曜にエアロビクス行くのは我慢して仕事しとってんけど、そんなんはどうでもええんよね。だるっでサボったらエエので、しかしその分、少し体重が気にもなってたりするんだけど。
 だいたい、酔狂なんて公のほうの顔が八方美人すぎよ。公の銭にもならんようなことはいつでもケツ割ったらええのに、それもようでけへんで、忙しい忙しいで遊ばれへんなんて、ボクには考えられんなぁ。遊ぶのに忙しい。しあわせ(^_^)
 ツーリング中の話ってのはまた今度(笑)

■2001/10/13 Sat■ 

Pieter Breughel the Younger
A Drunkard sitts astride a Big Empty Egg
 目論み通りきっちり午前中までの締め切りに間に合わせて、余裕ヂャン(笑)、昼からヤモと大津までフランドル派の絵画展へ。
 大津ったって、泉大津じゃなくて、滋賀県の大津だ。しかも大津まで昼からバイクで走ろうってわけで、ふぅー疲れた(^_^ゞ 
 まずはお薦めの真琴で豚骨ラーメンで腹ごしらえ。偶然にも25周年記念で全品200円引き。しかも帰りには記念のタオルまでくれちゃって、「また来てや」って言われたら、イヤでも宣伝しとかなアカンだろ。200円引きは火曜まで。誰かこれ読んで行くか? でも25周年と聞いて、思わず鹿児島おばちゃんたちの25年前を思い浮かべてみた。25年前からあの鹿児島おばちゃんたちのまま変ってないような気がする。彼女達に妙齢というのはなかったんかい(^_^ゞ
 外環から1号線に入るつもりが、走ってみるとウザイので阪奈で奈良に抜けて24号で宇治まで、さらに大津でも瀬田だから、天ケ瀬越えて、いっぱしのツーリングやんか。走ってみたら100km越えてるじゃないの。しかもすでに4時過ぎ。こんなことならずっと下道を走って来ないで、せめて阪神高速で守口まででも走るべきだったと思っても後の祭りというもの。どうもバイクだとケチ臭くなっていけない。高速走るのは時間を買っていると思え、というのを、しみじみ感じる。こういうときにこそ時間を買わないでどうするんだよ>自分 おかげでせっかく行ったのに小1時間ほどしか見れなかったのだ。
 それでもしっかりちゃんと見るものは見たのだ。ほれ

 ・同じ穴から二人一緒に糞をする
 ・悪魔のもとへ告解に行く
 ・牛からロバへ跳び移る
 ・火に小便をかけるのは健康だ
などなど、ピーテル・ブリュ−ゲル(子)の『ネーデルランドの諺』
 実物を見ていて、初めてわかったことだけど、ひとつひとつのラインがすごく精緻なんだね。このブリュ−ゲル一族だけじゃなくて、ごくわずかだけど、北方ルネッサンスだとか、ルーベンスだとか、ほんと見てて飽きないんだよ。どこか猥雑だったり、悪魔的だったり、なんかありそで。やっぱり時間は倍ほしかったな。


■2002/10/13 Sun■  うなぎ

Guy
Guy III
   きのうは住吉のいづもやに鰻を買いに行った。前の木曜の夜はじんじんと天五屋でうな丼450円食った。どっちも代替わりしてしまったのか、かつての混みようがなくて気が抜ける。
 とくに天五屋の変わりようは泣きたくなるくらい。前によく行ってたころは、爺ちゃんが鰻を焼いて、婆ちゃんが肝吸い入れて、おばはんがフロアを仕切って、「にいちゃん、なんぼの? 値段で言うてやぁ」と声を張り上げとったのに。しかも客席はだいたいいつも夜中だというのにぎゅうぎゅうだったのに。今は20代の兄ちゃん二人おっただけ。客もボクとじんじんを入れて10人ほどでがらぁーんとしてる。あの頃はうな丼の一番安いのなんぼやったやろ。250円?350円?とにかく吉牛の並より安くて、夜中にちょいと飲んでさぁこれからしけこんだろかというような飲み屋のねえちゃんを連れたおっさんとかもよう来てたのにな。
 450円のうな丼は申し訳程度の鰻が二切れぺっと乗っているだけで、お世辞にも美味いとはいえないシロモノ。これなら吉牛のほうが値打ちあんでというようなもの。つくづく代替わりの怖さを知ったよ。あれじゃ、コンビニばっかし食うてるようなんしか行かんぞ。
 一方、住吉のいづもやは、かつて鰻だけ買うて帰る人、店で食うて行く人で朝の11時から店の中は人がいっぱい。それでも鰻焼けるのにヒマかかってて、それに客がいっぱいやわで、ちょいと鈍そなおばはんが客に茶出すのも追いつかず、無愛想もええとこ。それでも鰻は美味かったから誰も文句言わんと、文句言うても始まらへん状態やったしね、おとなしくちんまりと待っていた。ボクも待っていた。それでもさすがにあんまりだったから、そのうち違うとこで鰻を買うようになってしまったけどね。その違うところもお年のせいで店をたたんでしもて、さぁおじいちゃんに食べさせたるのにどこがいいってことになって、やっぱりいづもやかなぁと覚悟を決めて買いに行ったら、店はがらぁーんとしていて奥から30過ぎのにいちゃんが出てきた。客が誰もおれへんから、すぐに鰻が出てくるのに、ささっとお茶が出てくるし、あ、ここも代替わりしてしもたんやなあとちょと淋しい。肝心の鰻の方は、天五屋みたいに泣けてくるようなシロモノではなくて、ちゃんとレベルだけは保っているものの、かつてのさっくり焼き上がった舌の上の感触がなくなってしまってた。
 中国産のバカほど安い鰻が入ってきてるからなぁ、きついものがあるんだろ。それ以上に、技やノウハウを受け継ぐのはやっぱり難しいのか。
 今年の3月にAzと食った中津川の鰻がほんまアホほど美味かったなぁと言うことしきり。

■2003/10/13 Mon■  十年ひと昔、または石の上にも三年

 朝早い目に目が覚めて、ゆっくりコーヒーを淹れながら、うだうだとパンをかじる。そういうふうに時間を気にせずに朝食というのは至福の時間でもあるんだけれど、それから二度寝して、昼前にやおら温泉に入りに行って、また居眠り。そうして帰りには夜の食材を買って、そこから延々うだうだうだとグにもつかないことで笑って、しゃべって、そうすると一日の経つのがとても早い。これはきのうのテント場での一日。
 夜になって、ほんとに一日が経つのが速いなぁ、としみじみ思ったよ。一日の経つのが早ければ一年が経つのも速いわけで、奇しくも遥山泊が「三年なんて、ついこないだのことだよと言うと、三年前のことなんか昔のことだと、言いよるんよ」 誰が言いよったんか知りませんが(笑)、仮に高校生だとして、その三年前は中学生だったわけで、それは彼ら(彼女ら)にしてみると、ひとつ時代が前のことだと思えるんですね。三年の間に時代が変わっていく。周囲にいる人間もがらっと変わってしまう。
 ところが、三十代、四十代と年をとって行くにつれて、三年ではおいそれと周囲の人間が変わるわけがない。まだ二十代のころなら、三年も経ったら交際ってる相手が変わるなんてこともあって、そのたびにドラマなるものが生れたりもするんだろう。前から思ってることに、中森明菜の歌(作詞:竹内まりあ)に
  ♪〜 二年の時が変えたものは
     あなたのまなざしと わたしのこの髪
 あ、これいま気がついたんだけれど、別れてから二年じゃなくて、交際だしてから二年なんだね。別れて二年経ったら、わたしの髪も変わってしまった...って思ってた。二年も経ったら、あなたがわたしを見る目が変わってしまった、あんなに優しく見つめてくれたのに....て歌なんだ。そしていまふっと書いてしまった「二年」ですね。長いのですよ、二年という時間は。三年なんてもっともっと長い。
 話は変わるけれど、新しいビートルね、カセットテープなんですね。MDじゃないです。MDにもできたけれど、MDだとCDが使えないなんてことで、テープやCDはアホほど持っているので、カセットにしたわけ。そしてこの信州に行くのにぱっとつかんでいったのがGちゃんが作ってくれ三年前にたテープ。はい、ちゃんと話が戻ってきました。あらためてそのテープ流していると、いいねぇ、Gちゃんのセンスの良さを再確認してしまった。ヒップホップだけどな。ボクにとってヒップホップというと、がつーんと《The Low End Theory》だったわけで、Gちゃんにもさんざんすすめてた。ところがその《The Low End Theory》ってのは92年頃ので、Gちゃんにとっては昔も昔、大昔の音。あら、「昔」と「音」って漢字は似てるワ。いまから11〜2年前だから、その三年前だと、8〜9年前。やっぱり大昔だわ。いまの高校生からみると、Gちゃんのテープの音もずいぶん昔の音なんだろうな。彼らがまだヒップホップなんて知らんかった(だろう)ころの音なのだ。さすがに《The Low End Theory》ともなると、ボクにとっても懐かしかったりするのだけれど。そういうことをしみじみ思いながら、きょうは一日ビートルを走らせていたのだ。
 で、ORPの全国オフも今年で11回目。ボクは3回目からだから、それでも8年前のこと。つい、こないだです。でも、若かった連中もみんな老けた(笑)
 




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