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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2002/08/04 Sun■  天人五衰 [長年日記]

三島由紀夫
天人五衰
 『春の雪』で清顕がふらふらになりながら雪の門跡に続く道を聡子に会うために歩いたくだりを噛みしめながら、もう5年ほど前の冬、雪の降った次の日に歩いた。 maggot's favorites #2
 だから今回は『天人五衰』で本多が再度、門跡になった聡子に会いに行くくだり、「俗世の結びつきなら、さういふものでも解けませう。」と言われるくだり。
汗がワイシャツを拔けて、背廣の背にまでにじんでゐるのが感じられる。暑さの汗か油汗かわからなかつた。ともあれ年老いてからこんなに汗みづくになつたことはなかつた。

 というわけで、炎天下で汗だらだらで歩かないといけないのだ。だから前からきょうのような暑い真夏の一日をねらってたのだ。帯解までの列車の中で、あらためて『天人五衰』を読み返していると、行き詰まるような暑苦しさが伝わってくる。そしてまた『春の雪』のときと同じように胸が締めつけられるようななんとも言えない感覚にとらわれる。
 帯解の駅から、月修寺のモデルとなった円照寺の上がり口まで、いまではきれいに舗装された田圃の間の道はアスファルトの照り返しで暑かった。まさに「汗がワイシャツを拔けて」なのだ。
 
山門までの昇りの参道は遠く、車は山門まで入れるのに、老人の歩行は無理だと、運轉手は、雲が残りなく晴れて、日がいよいよ烈しくなつた空を見上げて、執拗に本多に勧めたが、本多はしたたかに断わつて、この門前で待つてゐるやうに命じた。どうしても六十年前の清顕の辛苦を、わが身に味ははねばならぬと思つてゐたのである。

 すでに八一歳になった本多がよろよろと昇った参道を歩き始める。同じように雲ひとつない晴れ上がった夏空ではあったが、木立の間を吹く風に救われたようにさきまでのような暑さはない。参道に小さな栗のいがが落ちている右手に
沼があった。沼邊の大きな栗の強い緑のかげにやすんだのであるが、風一つなくて、水すましの描く波紋ばかりの青黄いろい沼の一角に
 ばしゃっと水がはねる音がしたので見ると、大きな蛙がすいと体を伸ばして泳ぎだした。そしてげろげろと鳴いた。そうだな、本多が歩くところに蛙がげろげろと鳴いたのなら物語にならないなと苦笑い。急に杉木立に囲まれると、もはや下界とは遮断されたような静寂がやってくる。物語ではかなりの距離にも思われるが、それは本多の八一歳の脚でのこと。黒門を抜けるとすぐ平唐門、そしてその向こうに、清顕が崩折れた玄関の障子が白く光って見える。
注意深く平唐門の右の門柱を見ると
天下泰平
 奉轉讀大般若経全巻所収
皇基顰固
と刷った札が字もおぼろに貼られてゐた。
の通りの札がやはりあった。三島がここを訪れたであろうときから三十数年を経た今になっても変わらず同じ札が貼られているというのは少なからず感動してしまう。それにもまして
四角い敷石が市松つなぎに内玄関まで敷かれてある。本多が杖でひとつひとつこれを数へて、九十に達したとき、
 本多と同じようにひとつひとつ数えてみた、その九十という数はおおむね九十なんだろうと見たときには思われたのに、なんときっちり九十あったのだ。そして
ひたと閉め切った障子に、菊と雲の紋様の白い切紙細工の引き手のある、内玄関の前にその身は在った。
 さっき遠目にもくっきりと白く光って見えた、清顕と聡子を隔てた障子が目の前に在る。そしてやはり三島が記述したままに「菊と雲の紋様の白い切紙細工」があるのだ。
 あまりの三島の記述の克明さ、そして時を経ても変わらぬ凛としたたたずまいに気圧されてしまうのだった。
 
「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」

    

■2002/08/06 Tue■  夜中の電話 [長年日記]

Gonzalo Rubalcaba
Imagine
 夜中にビデオを返しに行く途中、この前もそうだけど、道の脇で携帯電話してる男がいる。きょうのはきっとボクよりは若いんだろう。胸腔全体を共鳴箱にしたような震え上がるばかりの低音で
  「言うてみぃよ」
 あの声を聞いたら女は絶対にちびり上がるだろうな。と、勝手に携帯の相手は女だと決めてかかってるけど、女に決まってます。それもよからぬ関係にある女。相手が同性だとか、よからぬことのない相手なら、なにも夜中に道端でこっそりと携帯でしゃべる必要ないじゃないかと、これは経験者が語るのだから確かよ。以前なら電話ボックスに夜中に適当な年の男が電話していたら、それはよからぬ相手との電話と決まっていたのだ。これも経験者が語るのだから確か。
 もう20年近くも前のこと、ご近所さんの旦那が夜中の12時頃に電話ボックスで電話してるのを目撃した。よからぬ関係に陥ることのないような見るからに謹厳実直というような人だったから、あれ、なんで?と、そのときはまさかよからぬ関係とは思いもしなかったんだけれど、それから半年と経たないうちにどこかに引っ越してしまって、噂では自殺したとか。その自殺の理由はなんだったか、ボクは知らないけれど、自殺したというのを聞いたとき、妙にそのときの電話ボックスの印象が残っていて、ひょっとすると、その人もよからぬ関係にあったのか、まじめな人のようだったから抜き差しならないことになってたのかと勝手な想像をめぐらしてみた。
 ボクもどっかで目撃されてんのかねぇ。きょうもビデオ屋行くのに携帯は持っては出たけれど使うことありませんでした。

■2002/08/09 Fri■  東京おのぼりさんお徒歩 [長年日記]

 ばっちり予定通りに朝の6時半に夜行バスは新宿到着
 コインロッカーに荷物を入れていざ出撃。まずは腹ごしらえに丸ノ内線で築地へ。目指すは築地場外市場。やっぱり市場はいいねぇ。このごちゃごちゃと人の生活臭ぷんぷんとしているのがお徒歩には必須。
 まずは築地の第一の目的、大とろのにぎり食いてぇ、と勇んでみたのはいいけれど、どうも、これはという寿司屋が見つからない。あっちうろうろこっちうろうろ、しまいに面倒臭くなって、とりあえず入ってみた。瞬間にやばいっ!と感じてしまう。ほんとにヤバいのだ、カウンターの中に威勢のエエ大将がおらん、おるのはめんどくさそうなバイト丸出しのおばはん。ん〜、何も食わずに出てしまうわけにもいかない。ええいままよと、予定通り、大とろ注文。するとめんどくさそにぎゅっと握った 寿司飯の上に、すでに切り分けた、カルビーのような大とろをぺろんと乗せたのが差し出された。不安はばっちり的中、何が築地の大とろじゃいっ! だいたい常日ごろテレビの情報はアテにしたらアカンというのがわかっていたはずなのに、まんまと観光客相手の商売に引っ掛かったのであった。
 これでは腹のプライドに関わるのだ、食いなおさねば! と、なおも物色して歩くと、路地のさらに入り込んだところに、まぐろ丼専門のカウンターの店が、そしてカウンターで食している人間を見ると、どう見ても観光客=おのぼりさんではない。丼に乗ったマグロに目をやると、ピンクの色つやがいい。ここは一番、マスコミ情報などアテにせず自分の勘を信じるに限る。自分で選んだ道ならたとえそれがイバラの道だろうと納得が行くというもの。
 ほら、これが《たねいち》の海鮮丼900円だ。まぐろ丼700円と、う〜ん、ヤモもボクも思案の結果、うに、いくらの魅力に唾液たらぁー。これにしじみ汁をつけてのジャスト100円の魅力に勝てなかったのだ。食す。さきほどのカルピのような縞々の大トロとは雲泥の差。見かけすっとしたピンクであるのにしっかり美味なる脂がのって、これぞマグロ。うっ、美味いいいい! こんなことならもっともっとマグロ食いたい。でもウニも捨てがたいのだった。次、行ったときは迷うよなぁ。
 やっと腹のプライドが納まって、しっかり今回の第一の目的、物見遊山もやってんだよ。ほれ、
築地場外の中にあってひときわ目立つ寺。アカを貼りめぐらして何層にも重なった作りが威風を感じる。それに、何にもましてその寺のすぐ脇に市場露地が連なっている。
この写真を撮っていたら、市場のおっちゃんが「何を写してんだい」と思っくその東京弁で聞いてくる。「これは表一枚だけだよ」とおっちゃんも看板建築であることはわかっておられる様子、「看板建築」というタームは知っちゃいねえよ。

 露地を歩き回ってコーヒー休憩もして、表通りの新大橋通りに沿って歩く。瞬間にしまった!と二人で思う。ついいつものくせで中の方へ中の方へと入って行ったが、この表通りに連なる食いもん屋はあなどれない。小さいホルモン屋、そば屋と軒を連ね、地の人間が朝からホルモンにビールだ、小腹を満たす冷やしそばが美味そうでたまらない。返す返すもあの大トロ握りが悔しい。できることなら吐きだしてしまいたかった。


 さてと、いよいよぽくぽくお徒歩の開始。暑い。真夏のギラギラ太陽は大阪も東京も同じ。そうそう大阪出るときに、都内23区とかいう文庫サイズの東京の地図帳をわざわざ本棚から捜しだしてもってきたはずなのに、ない。しかたがないので新宿のキオスクで《でか字まっぷ 東京23区》という新書サイズを買ったのだ。1200円、高っ。でもしかし「でか字まっぷ」と称するだけに老眼入りつつある目にとても優しい。以後、首っぴきよ。
「へぇ、新橋演舞場はこんなとこにあるのか」
「をっ、歌舞伎座かぁ」
 どういうわけだか銀座にはとんと縁がない。大学時代に銀座はアイビーがうじょうじょとか言われていて、一度、菊池雅章のライブがサテンドール(だったか?)であるというので銀座までやってきたけど、ほんとにアイビーきりっとした兄ちゃんばっかりでどうも肌に合わなかったから。新宿の雑多な空気の方が馴染めた。ピットインはよく行ったな。をい、過去の話ばかり書いてどうすんじゃい(^_^ゞ
「をっ、これが三愛か、いつもよく出てくるとこやね」
などと、すっかり気分はおのぼりさん。写真ばしゃ。
「ここちゃうん、日本一地価の高いとこは」
 しかし意外と三愛の丸いビルは思ったより小さかった。これができた頃には、ガラス貼りで丸いというので目を惹いたもんだけど、今となってはごく普通っぽく見える。

「ン?それでこっちのビルが三越か、ライオン。。。」
だけど、1階の表玄関は工事中。
「あれ、こっちにも三越あんで」
「別館ちゃうか」
と、今の今まで間違っていたのだ。おのぼりさん2人が三越と思っていたのは銀座和光だったのさ。和光も知らんとはほんとになんとも。まだ午前中だったので人通りもさほど多くはなかった。けどもやっぱり銀座はどうもいまいちボクにはしっくり来ない。
 たらたら歩いて、有楽町。♪〜あなたを待てば雨が降る、濡れて来ぬかと気にかかる・・・・もう、エエって(^◇^;)
 有楽町のガード下で早速トマソン発見。かつての山の手線のガードの上に新しくガードを敷設した二重ガード。このあたりは昔ながらのガード下の小さくごちゃごちゃした雰囲気があって、すぐ近くの銀座のでーんと構えた雰囲気との落差がよろし。ガード下は、昔からレンガ貼りになっていて、できた当時はきっと小瀟洒たとこだったんだろうな、フランク永井がデートの待ち合わせにしたような。そこで円窓を塗りこめたトマソン発見。と、思うてたら、その塗りこめ円窓がずらっと並ぶのだ。ひょっとしてこれはぬりこめ窓なんかでなくて外壁の装飾なのか。

 いかにも当世の空間にグリーンをとりこみましたというスペースのベンチに腰かけて休憩。でか字まっぷで調べると、国際フォーラム。かなりの広さである。以前はここに何があったのか気になる。しかし東京はホームレスおらへんえぇ。大阪でこんなスペースあったらホームレスのおっちゃんがあっちこっちにおるもんなんだけど、いたとしてもホームレス風でナリがどことなくさっぱりしている。
 やっとのことで東京駅赤レンガ。信号待ちの間、中央郵便局の玄関口に入って涼む。それくらい太陽がぎらぎらと照りつけて暑い。見ると、この炎天下に長蛇の列ができている。その列は信号を越えて、道路を隔ててまだ続いている。さっきの銀座でも宝くじの売り出しに長蛇の列ができていて、なんで東京の人間はこんなに並ぶのが好きなんだと不思議に思う。


■2002/08/15 Thu■  鼻水って似てるでしょ [長年日記]

Ice Cube
Lethal Injection
 終戦記念日ったってねぇ、ふぅーんと気がついたのは高校野球で急にサイレンが鳴って黙祷始めたから。平成に変わって、つまりは昭和天皇が逝ってしまってから、急にもはや戦争が風化したってええかぁという気になってしまってる。ええんだか(-.-;)

 で、きれいに風化してしまうようなネタを一発しこしことひねり出してみると
 だいたいボクは鼻を刺激すると、くしゃみが出まくる。鼻毛を無理に抜いたとき、どういう状態でかはおいといて、鼻をどこかにぶつけたとき、そうするとくしゃみが出まくって、鼻水たらぁーっと。これは困ったもんだ。それと温度差アレルギーなもんだから、スーパーの冷凍食品の前とか、それとか風呂入ってるとき、ちょっと寒いと感じたりしたら、鼻水たらぁーっと。はぁ、やっと本論に近づいてきた。風呂の中でくしゃみが出始めて、こりゃやばいと思ってると、つぎに鼻水がたらぁーっと出てきて、ふんっ、ふんっで済めばいいんだけど、風呂だから、流せばいいやと、手鼻をかんでしまうわけ。そうすると、その鼻水を流すときに、シャワーで洗い桶に流れ込んで鼻水が洗い桶の湯の中で泳いでるわけです。さてここから本論なんですが、洗い桶の湯の中で泳いでる鼻水って似てるでしょ。
 もうずいぶん昔のことですが、30年ほど前までは男なんてシャンプーで頭を洗ってもリンスなんぞしなかったころです。その頃、エメロンクリームリンスというのがあって、それをキャップ一杯とって、湯の中でしゅわしゅわと溶かして、白濁した湯を頭にじょろじょろとかけるというリンスだったのです。そのキャップ一杯のエメロンクリームリンスを、湯の中に入れたのって似てるでしょ。あ、これはボクだけの感想ではなくて、「ね、ね、リンスお湯にいれたとき似てない?」と曰うた女の子もおりました。
 それでなんでこんな話になるかというと、鼻に入ったことあるって言うんですね。キミ、何ちゅうセックスをやっとんのじゃい、はなざーさんよ。
 文字でしゃべるとアホ言い放題。

■2002/08/17 Sat■  きっと町の中で死んで行く [長年日記]

Parliament
Up for the Down Stroke
 誕生日・・・・だからって、特別、何かがあったりするわけでなし、別にこれと言った抱負があるわけでもない。そんなイベントデーなんてのは二十歳台で終わってしまったよ。それでも毎年しっぽり彼女と二人で飲めないワインなんぞをしっぽり飲んで、くんずほぐれつで過ごしたいものだと思いはするけど、とんと縁がない。テントの中、シュラフの中で一人ろうそくの火がゆらめくのを見てたこともあったけどなぁ。なんかそれが自分に一番お似合いだと、思ってたときもあったなぁ。それはそれで自分自身ですごく楽しくて、そのときのことはよく覚えている。
 自分で自分にプレゼントとアラーキの写真集、そういや、去年もアラーキの写真集だったな、猥雑。『獅子座』の中でもピエールに「(パリは)なんて猥雑な街なのだ」と言わせてたな。
 猥雑なのって好き。疲れるといえばとても疲れるのだけれど、こないだも東京の最後に歌舞伎町をぐるり一回りして、なんと暑苦しいのかと思ったけれど、東京行ったからには、風俗で抜かないにしても、歌舞伎町を一度は目にしておかないと落ち着かないというのも困ったもんだ。ヤモには迷惑なことだったろうけれど。
 だからきのう天王寺村あたりを一人で徘徊していて取り壊された空地なんかにも猥雑なものを感じてしまって、妙な郷愁のような、これじゃ到底、町から出れそうにないな。きっと町の中で死んで行くんだろうな。
 ま、そのうち赤いチャンチャンコでも買うてくれや。

■2002/08/18 Sun■  異常者から日曜の朝にくだらん電話が [長年日記]

The Jam
Setting Sons
 日曜の朝にくだらん電話で起こされることほど不愉快なことはない。それもいまはもうどうでもいい相手、というか、キミ、ウザいんだよ、ウザいから意識的に距離をとってんのにやね、
ただいまよりアラスカはアニアックに向けて出発いたします。 皆様方におかれましては、お体に気を付けて蒸し暑い夏を日本でお楽しみください。
などとふざけた気に障るメールを6月の末に送りつけてきやがって、グリズリーにでも食われてしまえばええものを、アラスカから帰ってきたら帰ってきたで1Mを越えるメールよこして、即、削除したからわからんけれど、どうせ、をら、アラスカはこんなんだったぞと自慢たらたらの写真を添付してんだろ。以前からそうだったんだ、このボケは。50cmのイワナあげたとか自慢げに写真見せつけて、ウザいのなんの。それを聞いてくれるような女もおらんしね、できるわけないわい(-_-) か、と思うてたら、今度はアラスカ行ったときのホームページ作ったから見ろだと、誰がそんなもん見るかい。黙殺っ! だいたいキミはボクを何や思うとんねん。少なくとも今世紀になって、実際には1998年の10月以降、会うたこともなければ、ボクからオマエにメール出したこともないぞ。
 言うてみると、ボクからすれば他人様ですわ、そんなおっさんから、日曜の朝7時半に電話で起こされたら。当然、ボクは寝とったから、最初に電話に出たのはB
「いたはる?」
 何が「いたはる?」やねん、このクソ朝早うから。Bはひょっとしたら仕事の関係で急遽連絡かと、例えばテニスの試合で急に行かれへんようになったから代わりに行ってくれというのだったら困るし、それにしても、仕事の関係だったら「いつもお世話になってます」の社交辞令のひとつもはさまれるのにいきなり「いたはる?」ってこいつ何やねんと思うたらしい。それでも仕方なく、ボクを起こす。
 ボクは完璧に寝ぼけてて、実際もう9時過ぎてるのかと思うてたんだが、電話に出たら、寝ぼけた声、こいつの声ははっきり起きてるときでも寝ぼけた声なのだが、
「寝てた?」 (オマエに「寝てた?」と聞かれたないわい)
「ホームページ作ってんけど、見てくれた?」 (見るわけないやろが)
「1ページのが多なって、別にしたいんやけどどないしたらヱエ?」
 この時点で、ボク自身は寝ぼけてもう9時過ぎてるとばかり思うてたから、何、寝ぼけた声でごちゃごちゃ言うとんねんと思いながらも、何をそんな簡単なことわかりもせずにホームページ? 何がグッドデザイン? ボケも休み休み言えよなと思いながらも、
「そんなもん、新しいページ作ってリンクさせたらええやろが」と教えてやったのよ。
「何でホームページ書いてるん?」
「じかにhtml打ち込んでんのよ」
「ホームページビルダーで作ってんけどな、インデックス変えてもヱエんか?」
は? おっさん、おっさん、何寝ぼけたことぬかしとんねん。index.htmlの特別性も知らんとホームページ作っとんのかい。あぁ、あと何じゃかんじゃ言うとったな。
「やっぱり、じかにhtml書いてんねんやったら、(自分がなんでわからんようになってるのか)わからんかぁ?」
やっと電話切れた。
 そのときになって、時計を見て初めて7時半というのがわかった。がぁ〜〜〜〜(-"-) めらめらと燃え始める怒り(・`∩´・;) ベッドに戻るとBも怒ってる。
「なんやのん、あの人。。。(-"-)」

 あのね、キミとボクとは無縁! 
 常識があれば、日曜の朝の7時半に電話してエエ内容というのが、わかるはず。
 もし仮にキミがこれを読むようなことがあれば、ヨソでボクのことをどう言おうがお好きにしなさい。ただし今後、いっさいキミとは会いません。メールも送ってくるな。電話もしてくんなっ!


■2002/08/19 Mon■  ラストVステップ [長年日記]

Sweat Band
Sweat Band
 6月にぎっくり腰やらかして、そのあと家庭の事情なんかで、ちょっとエアロビクスから足が遠退いてた。おまけにテニスの方がエアロとは逆にはっちゃきになってしまったしね、それに月1万ナンボも払ってるのもどうだかなぁと思いだして、すぱっとエアロやめることにした。やめると決めてすぐにオアシスに電話入れたら、「10日締めなので、きょうだと退会は8月末になります」と。なんとその日は7月11日だったのだ(^_^ゞ  結局、退会届は出したけれど、約2か月ほど1回もエアロしないまま。その間、テニスは死ぬくらいやったし、お徒歩も東京まで行ったりしてあっちこっち歩き回ってたしね。

 おおかた3年、よく続いたね。しっかりその間で体重も10数キロ落とすことできたし、今こうしてテニスだ、お徒歩だと動き回れるのは、きっちりシェープアップできたからだし、何と言っても腹筋、とうとう6つ割れになんかならなかったけれど、がある程度ついたおかげだと思ってる。
 それに1年ほど前、Bとこのエアロビクスもいつまで続くだろうねって話てたことあった。エアロビクスに来てるメンツを見てたら、いつもいつも同じ顔触れが並んでいて、他にすることないんかいとちょっと自分とはそぐわないものを感じてしまう。テニスなんかのゲームとの違いかな。エアロビクス行って、ナンパしたいなんて気はさらさらないし(笑) エアロビクスは手段ではあっても目的にはなりえないなと思う。

 と、いうわけで、ちょうどいつもレギュラーで入ってたT部チャンのクラスがあったから、きょうが最後かなと思いながら2か月ぶりに毒抜き。
T部チャンに「やめるねん」ったら、「さみしなるなぁ」
 3年だからね、最近は3年も続いた彼女ってのもおらんし、なんでそういうことと比較するんだい、このおじさんは。あ、T部ちゃんが彼女じゃないです、間違わないように(笑) 3年間ったら、やっぱり長くて、そう思いながらVステップやら、2サイドとかやってたら、ちょっとさびしくなってきたのだった。
 ゆっくり風呂にも入ってきていまはすっきりよ。さ、今度はまたテニス頑張ろ!


■2002/08/23 Fri■  たまにはマジメに公共事業について [長年日記]

Jackson Browne
Runnning On Empty
 宝塚ファミリーランドや阪神パークといった電鉄会社の遊園地があいついで閉園するという。さやま遊園なんかもうとうに閉園したらしい。今度は阪急百貨店の大食堂も閉店するという。かつてのファミリーのあり方が変わってきたということか。
 その一方でフェスティバルゲートが瀕死の状態だと。しかしあれは当たり前といえば当たり前のこと。オヤジの町にファミリーを誘導することでオヤジを締め出そうとしたってダメ、ダメ。もう5年近くも前に、歴史的(笑)大阪オフのときにみんなでジェットコースター乗りに行ったけどそれっきり。そのあとジンジンとお茶したくらいで、表はよく通るけれど入ったことすらない。あそこに入ったテナントもたまったもんじゃないだろな。入ってないんだからその後どうなってるかわからないけれど、あっちこっちの店が閉店してしまってんじゃないか。そうしたらほんと悪循環でますます閑古鳥だけが繁殖してるんだろ。土台、オヤジの町をファミリーにしようなんて、どこのアホが考えるねん。おかげで新世界弓道場もなくなってしまったやないか。
 阿倍野ベルタにしてもそう。だいたい1階の角っこの一等地に仏壇屋が納まってるファッションビルなんか聞いたことない。こないだなんか冷房を求めて逃げ込んだとき、半分以上の店がシャッターを下ろして、なかばゴーストタウンみたい。ある意味では大阪的で過激だけど、それで商売成り立てへんかったらどうにもならんでしょ。ほんま大阪市、再開発とかでぬかして死に金使うとるだけやんけ。
 なんかきょうはマジな話ばっかりだなぁ。きょう義父の家に行ったとき、30年ほど前の鉄道路線地図なんてのがあって、ぱらぱらと見ておったら、白抜きの線が描かれていて「計画線」と記されていた。五条-新宮の五新線もしっかり描き込まれてた。よく見りゃ、さらにその支線で瀞八丁にまで鉄道を引く計画があったらしい。結局、国鉄の破綻でそれらは全部ぽしゃった。
 道路公団民営化だとかで「凍結」させるとか、なんじゃかんじゃと論議しとるようだけど、高速道路にしたって国鉄と同じ。例えば三遠信自動車道なんてのが長野県下伊那郡南信濃村(なんて書いてもどこだかほとんど知らんだろ)のあたりで工事してたのって知ってるか。東名の三ケ日から中央道にショートカットして三州遠州信州をつなぐ自動車道らしいが、いま道路公団のHP調べたら影も形もなかった。あぁぽしゃってよかった、よかった。南アルプスの山麓の木々をなぎ倒した高速道路なんか要らない。ツーリングに行ったときに地元のおっちゃんとしゃべってたら「あれは政治家のための道路だよ」と吐いて捨ててたのが印象的。
 いい加減に政治家のあり方というのも変わってきてることに気付けよ。

■2002/08/26 Mon■  飲み会体質 [長年日記]

Eric Benet
A Day In The Life
 うらまごのほうにもちょっと書いたけれど、大学のサークルの飲み会で先輩には酒をついで回らないとアカンという話ね。くっだんねぇ〜。大学生の間からそういうことに馴れてしまうとロクったらな人間にはならんよ。つぐほうも、つがせるほうも。
 だいたいボク自身は飲み会というのが好きでなくて、酒そのものは嫌いではないけれど、酒飲みちゃうしね、酒の場のもつ一種へりくだった雰囲気がたまらなく嫌い。生理的に受け付けない。当然、酒をつがれるの嫌いだし、自ら冗談以外でついで回るなんてことはしない。ボクに酒ついだろかなんて言われたら十中八九その相手を小ばかにしてるのです。酒飲みたきゃ自分で勝手に飲めよ。
 こないだどこだったか、企業の合併とかで、元の両社の融和を図るために酒の席を設けることで促進できたなどと、バカが出てきて自慢げにしゃべっとったけれど、ばぁぁぁかぁ、ぶぉけぇ。こういうおっさんは女口説くのにも酒飲ませて酔わせてなどと考えとんのだな。逆にそういうオヤジに口説かれる女も女で酒飲まされて酔わされた状態でないと踏みきれない。たかがオメコ一発するくらいで、なんで酒の勢いを借りないとできないのだい。あのときは酔ってましたからと言い訳用意して口説き口説かれるなんてアンダーアンダーザロウエスト、下の下の下。同じことが仕事する関係でも言えるでしょ。たかが仕事やんけ。わがのためにもならん仕事でなんで、好きでもない相手と酒なんぞ飲まなアカンのだ? 憎悪の刃を背中にしてなんでとっくり傾けれるのだ? それが腹割って話しよってことかい? けっ、笑わせるな。少なくともボクのとこに、あーだこーだというときは白面で来い。
 と、話はそれて行くばかりなんだけれど、1年生の女子学生に安物の酒つがせてヤニ下がってるような男、当然だなどと上下の関係でしか考えれない人間、そういうことしか大学で学んできとらん奴にロクなのはおらん。

 飲むならすでにできた関係の上でしっぽりとね。それならテキーラ一気でつぶれてあげる。


■2002/08/29 Thu■  こだわり=眉唾 [長年日記]

JB's
Food For Funk
 最近、ゆっくり喫茶店でおいしいコーヒーを飲んだことないなとBと話す。そういえば、スタバとかばっかりで、かつてのコーヒー屋というのに入ったことないなぁと、よく考えたら、丸福とか、ついこないだも名前忘れたけど新世界のコーヒー屋でゆっくりコーヒー飲んだりしてるのだった。Bが言うのには、コーヒー一杯をていねいに淹れてくれる店でゆっくり飲みたいと。どこだったか、「こだわりのコーヒー」と称して、豆も厳選して仕入れて、だからそれなりい高いんだけれど、そういう喫茶店があるとテレビでやってたという。
 あー、パスパス。そのテレビでやってたというのが気に入らんし、だいたい「こだわって豆はどこそこの」というのが気に入らん。だいたいほんとにこだわってるなら、どこそこの食材とか、口に出して言わんよ。ましてテレビなんかを通して。
 と、そんなことを思っていたら、
人気ラーメン店の元祖、スープなど偽表示  グルメ向けの本などで人気の高いラーメン店「石川家」は、スープの原材料に「鹿児島産豚骨」「秋田比内鶏」、焼き豚に「霧島産黒豚」など、全国的に知られた食材を使っていることを表示していた。
 しかし、「食材が表示と違うのでは」という通報を受けた県が、食材の仕入れ先などを調べた結果、焼き豚には霧島産以外の国内や輸入肉が使われ、豚骨や鶏は、表示産地以外の物を使っていたことが分かった。
 同店の話では、1996年に同県岩槻市に第1号店を開店した当初は、店内の表示通りの食材を使っていたが、98年以降は店舗が増えて仕入れが難しくなり、徐々に表示と違う産地のものに切り替えたという。
 石川雅之社長は「表示した物と同じ味の出る物を探して使用していた。表示を変えなかったのは不注意だった」と話している。
 同店は、ラーメンブームに火をつけた「横浜家系」と呼ばれるラーメン店の一つ。岩槻市のほか、さいたま市や宇都宮市などに系列店13店舗がある。グルメ向けガイドブックの人気投票で埼玉県1位になったこともある。(読売新聞)
 な、こんなんばっかり。「表示を変えなかったのは不注意だった」なんて客をバカにしとらんか(-"-) 和歌山ラーメンの井出なんか、客の残したスープを濾して戻してたなどと鬼畜商売やっとったしね。まぁごちゃごちゃ言わんけどなんか間違うとるよ。
 話をコーヒーに戻すと、今まだあるのか知らないけれど、西田辺の裏にいわゆるコーヒー屋があって、それはそれは丁寧にコーヒーを一杯ずつ淹れてくれる店で、確かに美味しいことは美味しかったけれど、20年前の当時で1杯が700円もした。それと、あまりのこだわった淹れ方を見ていると、こだわりをおしつけられているようで、どうも居心地が悪くてさっさと飲んで出てしまいたかった。そこへ連れていってくれた友人の手前、おまけに700円も出してもらったし、我慢してたけれどどうもなぁ。たかがコーヒーやんか。
 こだわりを振りかざすのは思いっきりかっこが悪い。こだわりが見え見えなのも窮屈でイヤだ。さりげなく出されるのがいい。

■2002/08/30 Fri■  ご冥福を [長年日記]

Curtis Mayfield
Roots
 お葬式とかお通夜とか義理で参列することもあるのです。そのときに義理を通すべき当人が亡くなったのと、その当人の近親が亡くなったときではどうかと。
 つまり当人が亡くなったとき、その当人には参列したかどうかわからないし、その当人の配偶者や縁者などには面識がないのであまり参列をしても意味がないというわけ。逆に当人の縁故者が亡くなったとき、その当人とは面識があるので、当人を慰めてやれると、むしろ後者の方が意味があるだろうという。
 そんなもん、ボクに言わせれば、どっちも同じや。義理は義理。義理だけで参列するわけだから、ボクが仮にその当人になったとしても義理で参列してくれた人には義理以上のものなど感じないね。だから義理で参列するのはできるだけ控えてしまう、できるかぎり冠婚葬祭は参列しないようにしてる。それでも村二分のうちの一分なのである程度は参列するようにはしてるけれど。。。。

 さて、ボクがまだ30代で、今だにキカン坊なんだけど、ほんとキカン坊だった頃のこと、きのう亡くなったK先生はちょうどボクの父と同じ年でもあり、まるで父親に甘えるようにむちゃなことを言っては我が道を突っ走ってはK先生を困らせていた。K先生も反対にボクを息子のように可愛がってくれて、時としてオーバーランしてしまうのを制止するのでなく、ボクのやりたいようにやらせてくれて、黙って後始末だけしてくれていた。そんなのがボクだけではなくて「困った息子さん」は何人もいた。だからこそ、なのだという想いは強い。
「困った息子さん」が何人もいたからこそやって来れたという自負がある。そしてその「困った息子さんたち」にやりたいようにやらせてくれたことがすごくうれしかったし、感謝している。
 きっちりその「困った息子さんたち」がそろってきょうのお通夜に駆けつけて、口をそろえて「あのときはほんま困らせたよなぁ」と。その「困った息子さんたち」もみな一様に年を食った。
 いまボクの周りの30代の人たちには、ボクらが持つことができたK先生のような「父親」となりうる人物がいない。ときに暴走もすることもあるだろうけれど、暴走されては困るとでも言わんばかりの逃げ腰な連中ばかり。それどころか恫喝までしかねない。そのことにとても気の毒な気がする。
 もちろんボクのその当時だって、ボクに恫喝をかけてきたのもいる。が、それでも我が道を突っ走ることができたのはK先生という「父親」の存在があったからだとしみじみ思ってしまう。
 最近、噂でもう歩くことができないでずっと家にいるという話を伝え聞いていたのに、結局一度たりと見舞いに行くこともせずに最期の最期まで「困った息子」だったなと、祭壇の先生の写真を見て思わず目頭が熱くなってしまってた。

 ありがとうございました。ご冥福を


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