さて、ボクがまだ30代で、今だにキカン坊なんだけど、ほんとキカン坊だった頃のこと、きのう亡くなったK先生はちょうどボクの父と同じ年でもあり、まるで父親に甘えるようにむちゃなことを言っては我が道を突っ走ってはK先生を困らせていた。K先生も反対にボクを息子のように可愛がってくれて、時としてオーバーランしてしまうのを制止するのでなく、ボクのやりたいようにやらせてくれて、黙って後始末だけしてくれていた。そんなのがボクだけではなくて「困った息子さん」は何人もいた。だからこそ、なのだという想いは強い。「困った息子さん」が何人もいたからこそやって来れたという自負がある。そしてその「困った息子さんたち」にやりたいようにやらせてくれたことがすごくうれしかったし、感謝している。 きっちりその「困った息子さんたち」がそろってきょうのお通夜に駆けつけて、口をそろえて「あのときはほんま困らせたよなぁ」と。その「困った息子さんたち」もみな一様に年を食った。 いまボクの周りの30代の人たちには、ボクらが持つことができたK先生のような「父親」となりうる人物がいない。ときに暴走もすることもあるだろうけれど、暴走されては困るとでも言わんばかりの逃げ腰な連中ばかり。それどころか恫喝までしかねない。そのことにとても気の毒な気がする。 もちろんボクのその当時だって、ボクに恫喝をかけてきたのもいる。が、それでも我が道を突っ走ることができたのはK先生という「父親」の存在があったからだとしみじみ思ってしまう。 最近、噂でもう歩くことができないでずっと家にいるという話を伝え聞いていたのに、結局一度たりと見舞いに行くこともせずに最期の最期まで「困った息子」だったなと、祭壇の先生の写真を見て思わず目頭が熱くなってしまってた。
ありがとうございました。ご冥福を