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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2002/10/01 Tue■  Fuck Tha Police [長年日記]

N.W.A.
Straight Outta Compton
 夜遅くにちょっと考え事をしながら歩いていたら、信号が真っ赤っかだった。どうせほとんど車が通っていない通りではあるのだが、渡りきったところにポリが。
 「信号、守らないかんだろぉ」と高圧的な声。
なにをこんなところでこそこそと何を張ってんだ、ばぁ〜かと思いながらも、つい悲しい性で
 「すんません」と口をついてしまう。
 言ってしまってから、なんでこのポリに謝らなアカンのじゃいと悔やむ。しかし歩いてるときの信号見落としでよかった、良かった。これが車乗ってるときなら、うはうはと切符切りよるんだから、ドロボーめが。

 んで、その「すんません」と口をついてしまうのがどうにこうにも悔しいと、友だちに話してたら、その「すんません」というのは「おまえとはしゃべりたないわい」ということだろ。だからそれは謝ってるのでも何でもなくて拒絶の意志を表すのだと。なるほど、そうか、ものは考えようだ。

 う〜んとそうい言われて考えてみると、「また電話するわ」というのも、一種の拒絶のことばとして使ってたよな。


■2002/10/06 Sun■  『ツインズ』の記号 [長年日記]

Big Dipper
Heavens
   Azが野ばらの『ツインズ』をまともに買うてきて、をいをい、まともでない買い方てどんなんやねん。「読み終わったら、パパ貸したるわ」と殊勝なことをいう。できすぎた娘でしょ。そういうのも「これおもろいで」と『ミシン』をぽいとAzにやったのはボク。
 ところがその『ツインズ』を読みながら、「こういのって(『ミシン』が売れたから)書かされてるのかなぁ」と、ずいぶん不満な様子。案の定、さっさと最後まで読み終わって「終わってるなぁ」と。
 今度はジェーン・マープルだってさ、なんだかなぁ、ヴィヴィアンだとか、ラヴクラフトであるとか、安直にそのような乙女たち様ご用達の記号を並べたてればいいってもんじゃない。どういう記号を並べれば、ターゲットとなる乙女たちを射止めれるか、わかっててのことだもん。あざとい。「花形流行通信」なんかで培った技なんだろうけどね(苦笑) オヤジ相手に、渡辺淳一が鎌倉だ、京都だ、軽井沢だと並べまくったのと同じレベルだろが。まんまとその野ばらの仕掛けにひっかかったんだけどね、ボクも。
 『世界の終わり〜』の映画にオッケー出すくらいだもんよ、とうに終わってるわ、野ばら。

 と、「はいよぉ」と読み終わったばかりの『ツインズ』をボクのところにもってきよったサンデー・モーニングであった。


■2002/10/07 Mon■  脇坂幸之助 [長年日記]

Cream
Wheels of Fire
 上町線が松虫の駅を過ぎて阿倍野筋に入るところにマネキンの工場があったのを覚えてるかなぁ。そこのマネキン工場から壊れたマネキンをもらい下げてきて、陸上ボートの上に積み上げたのが脇坂幸之助だった。
 陸上ボートの準備の講堂で次第にでき上がっていく4組のマネキンボートにボクは少なからず、やられたぁー!と思っていた。その脇坂幸之助が、陸上ボートのリーダー会議の場でいきなり、ハンドマイクを使いたいと持ちだした。外周を卑猥に連想させるような蛮声を発して練り歩く。そこで客席によく聞こえるようにハンドマイクを使いたいと言うのだ。これには脇坂幸之助以外の9人のリーダーは猛烈に反対した。体育教官室で七尾先生を囲んでのリーダー会議は確か一日で終わらなかったと思う。夜の8時を過ぎて、休憩中に脇坂がボクのところにこっそり近寄ってきて「なぁ、もう堪忍してえや」と。結局、七尾先生預かりで、外周でのハンドマイクは禁止で、フィールドの中に入ってからは使わせてやれということになった。
 さて、この脇坂幸之助とは小学校、中学校、高校とずっと一緒だった。小学校1年の時に同じクラスだったのだが、その後、10年間、同じ学校に通いながらも、同じクラスにはとうとうなることはなかった。しかし小学校1年の時の彼との出会いはボクにとってはかなりの比重を占めた。べったりと行動を一緒にすることはなかったけれど、付かず離れずの距離を保って彼とつきあっていた。
 小学校1年の時、家もけっこう近かったのでよく脇坂幸之助の家に遊びに行った。ボクは中庭に張りだして増築された小さな部屋が好きだった。彼のお父さんの趣味だったのか、鉄道模型がたくさんあって、小学校1年でありながら、彼も精巧に型紙を切り抜いて色をつけているのには驚かされた。そして絵を描かせると、非常に細かい、確か桜の花びらを1枚ずつ描いていたような記憶がある。
 時代は高校紛争の真っ最中で、彼とぼろぼろのチューニングもまったくできていないギターを持ってでかけて行ったこともある。高3のとき反博(反戦のための万国博覧会)にも彼と出かけて行った。そこで『受験生のブルース』を歌っていた高石友也と会った。テントの間をふらふら歩いていた高石友也を捕まえて、脇坂幸之助は自分のギターを高石友也に渡して、弾き方を教えてもらっていた。「ボクのギターは打楽器だからね」と言う高石友也ににこにこしてた脇坂幸之助の顔が懐かしい。
 また脇坂幸之助は高校時代から毛沢東に心酔していて、文化大革命まっただ中で漢字の簡略化を進める簡字表というのをどこからか手にいれてきて、例えば積分の「積」は「禾只」と簡略化すればいいんだと教えられた。ボクはそれを数学の板書で使ってゴンボ(田中)先生にえらく叱れたものだった。それでもボクと脇坂幸之助のの合言葉は『造反有理』だった。糊口卒業後、彼は国交回復前の中国にも行き、意気揚々と人民服を着て戻ってきた。その脇坂幸之助の人民服姿はあまりい毛沢東にそっくりだったので大笑いをしたものだ。
 脇坂幸之助は京都市立芸大に進んだ。とうとうちがう学校に通うようになっても彼との距離は変わらなかった。ほとんど格好つけで読んでもわからない朝日ジャーナルを買うようにボクに仕向けたのも脇坂幸之助だった。と、いうのは赤瀬川原平の『櫻画報』が当時の朝日ジャーナルに連載されていたから。あるとき京都で開かれる赤瀬川原平の個展の案内葉書をボクのところに送ってよこした。ところがその葉書に不足料金を取られた。その葉書はすでに消印が押された使用済みのだという。よく見ると、その消印は彼が克明に似せて描いたものだったのだ。しかもわずかに切手を外して描いてあったのだ。

 脇坂幸之助が交通事故で亡くなったという知らせを聞いたのは1972年か73年か。レポートを提出するのに大学の友人の運転するオートバイの後ろに乗せてもらっていた。オートバイは河原町の市電の線路にタイヤをとられて転倒。投げ出された彼の頭をすぐ後ろから走っていたトラックが轢きつぶした。
 全く格好をつけるのでなく、ただ自分のやりたいように鈍くさく生きてきた脇坂幸之助。彼の死に方も彼らしく鈍くさかった、などと言ったところで、天国でぱんぱんに張った頬っぺたを揺らせて笑っているちがいない。彼が生きていたらボクの生き方ももっと変わったかもしれない。が、高校時代、いや小学校からの12年間にボクをひきずりまわしてくれ、好き勝手に生きればいいと教えてくれたのは、脇坂幸之助だった、と思う。


■2002/10/12 Sat■  七生報国 [長年日記]

Gerald LeVert
The G Spot
 ヤフーのオークションに出していた本、何冊かが、全部で4000円になった。ここでばらしてしまうのもアレだけど、その本は夏にBOOKOFFに売りに行ったら、「値段がつきません」と返されたものだ。んなアホな、なんでこの本に値段がつけへんのやと思うのもあったので、「どうされますか?(こちらで処分しましょか?)」というのに、きっぱりと「持って帰ります!」 そのとき売れたのが内田春菊とか、恥ずかしながら渡辺淳一『失楽園』だとか、わりとあったのに全部でたったの680円。後日、確かこれはボクが売った本だというのが100円の棚にあるのが可笑しかった。おかげで春菊とか渡辺淳一とかの売れ筋ばかり引き取ってるから、BOOKOFFにはそんな本ばかり並んでるのだというカラクリが見えてしまったよ。だから以降、BOOKOFFで以前ほど張りきらなくなって、それでもアラーキーの『愛しのチロ』なんかが100円で見つけたりもするんだけどね。『愛しのチロ』なんかばっちりきれいなのに100円だぞ、ほんとBOOKOFFて本の値打ちなんかお構いなし。そういうアヴァンギャルドなところがいいんだけどね。
 というわけで、もっぱら《うらまご》のフッター見てたらわかりと思うけど、ヤフオクで漁りまくってる。それだけで飽き足らずに楽天フリマまで覗くようになった始末(^_^;アハハ… 誰か、止めてくれい!(笑)
 それできょう着いたのが、スタジオボイスの「再考 三島由紀夫の檄」。これなんかヤフオクで30000も値段つけて出品してるバカがいたな。誰がその値で落札するんじゃい(^◇^;) スタジオボイスはこの雑誌はあなどれなくて、それでも最近のクソみたいな本屋においてるところがなくて困る。以前は出入りしてる本屋に毎月もってきてもらってたけど、きついんだよねぇ。前にもどこかで書いたけれど、2,3年先を行ってるからついて行けなくなって、最近は見かけたときに、おもしろそうな特集のときだけ買うたり、さもなければ古本屋で探す。古本となったころがボクにとっては旬になってるから、そのほうがいいかも。でも、この「再考 三島由紀夫の檄」とか「邦画のレジェンド」のようにプレミアついたら1000円以上したりするから。やっぱりコレはというときにはおさえとかないと。
 そのきょう着いた「再考 三島由紀夫の檄」だけれど、ほとんどサラ本のような状態がむちゃよろし。スタジオボイスっても雑誌だから、そこらで寝転がって見てるから、表紙はしっかり折れ目がついてるし、「邦画のレジェンド」なんかは、そこらに置いといたら、その上でうちのお猫様にゲロ吐かれて、表紙の真ん中が破れて無残よ('_;)  さっき「三島〜」をぱらぱらと見てたんだけれど、さすがに胸が詰まる。
ちょっと行っとく? ほれ、←クリック
前にかの11月25日のアサヒグラフ持っているのがいて、見せてもらったその衝撃性はないけど、どうよ。ぐっと来るだろ。プリントアウトして額に入れとけ。

■2002/10/13 Sun■  うなぎ [長年日記]

Guy
Guy III
   きのうは住吉のいづもやに鰻を買いに行った。前の木曜の夜はじんじんと天五屋でうな丼450円食った。どっちも代替わりしてしまったのか、かつての混みようがなくて気が抜ける。
 とくに天五屋の変わりようは泣きたくなるくらい。前によく行ってたころは、爺ちゃんが鰻を焼いて、婆ちゃんが肝吸い入れて、おばはんがフロアを仕切って、「にいちゃん、なんぼの? 値段で言うてやぁ」と声を張り上げとったのに。しかも客席はだいたいいつも夜中だというのにぎゅうぎゅうだったのに。今は20代の兄ちゃん二人おっただけ。客もボクとじんじんを入れて10人ほどでがらぁーんとしてる。あの頃はうな丼の一番安いのなんぼやったやろ。250円?350円?とにかく吉牛の並より安くて、夜中にちょいと飲んでさぁこれからしけこんだろかというような飲み屋のねえちゃんを連れたおっさんとかもよう来てたのにな。
 450円のうな丼は申し訳程度の鰻が二切れぺっと乗っているだけで、お世辞にも美味いとはいえないシロモノ。これなら吉牛のほうが値打ちあんでというようなもの。つくづく代替わりの怖さを知ったよ。あれじゃ、コンビニばっかし食うてるようなんしか行かんぞ。
 一方、住吉のいづもやは、かつて鰻だけ買うて帰る人、店で食うて行く人で朝の11時から店の中は人がいっぱい。それでも鰻焼けるのにヒマかかってて、それに客がいっぱいやわで、ちょいと鈍そなおばはんが客に茶出すのも追いつかず、無愛想もええとこ。それでも鰻は美味かったから誰も文句言わんと、文句言うても始まらへん状態やったしね、おとなしくちんまりと待っていた。ボクも待っていた。それでもさすがにあんまりだったから、そのうち違うとこで鰻を買うようになってしまったけどね。その違うところもお年のせいで店をたたんでしもて、さぁおじいちゃんに食べさせたるのにどこがいいってことになって、やっぱりいづもやかなぁと覚悟を決めて買いに行ったら、店はがらぁーんとしていて奥から30過ぎのにいちゃんが出てきた。客が誰もおれへんから、すぐに鰻が出てくるのに、ささっとお茶が出てくるし、あ、ここも代替わりしてしもたんやなあとちょと淋しい。肝心の鰻の方は、天五屋みたいに泣けてくるようなシロモノではなくて、ちゃんとレベルだけは保っているものの、かつてのさっくり焼き上がった舌の上の感触がなくなってしまってた。
 中国産のバカほど安い鰻が入ってきてるからなぁ、きついものがあるんだろ。それ以上に、技やノウハウを受け継ぐのはやっぱり難しいのか。
 今年の3月にAzと食った中津川の鰻がほんまアホほど美味かったなぁと言うことしきり。

■2002/10/14 Mon■  とてもかなしひぃわぁ〜 [長年日記]

Philly Devotions
I Just Can't Say Goodbye
 いま乗ってるクルマ、すでに14年越えてるからね、話によると、ディーゼル規制に関わらずまだもう1回は車検受けれるらしいけど、もういいや。でかいクルマはもう飽きた。それはそれとして、そのクルマのオーディオは前のビッグホーンのときに積んだやつだから、15年はとうに越えてしまってる。いまさら今のクルマ用にオーディオ積み替える気にもなれない。だからボロいまま、すでにCDのオートチェンジャーはいかれ、カセットもダメ、FMも雑音だらけともう瀕死の状態。かろうじてAMは入りはするものの、時々雑音がひどくなる。ちょっとほっといたらまた入るようになるから、最近はAMしか聞いてないんだよ('_;)
 さて、AMだとなぜだかナツメロがようかかるんだよねぇ。もう数年前のことだけれど、夜中の3時,4時頃にクラブからの帰りのクルマで昭和20年前後、いやアレは戦前のだな、そんなのが流れてきて、それまでビュンビュンのドラムンなんかの音とのギャップにこけそうになったことがあった。
 つい最近のこと、もうこれは立派な懐メロでございますが、大信田礼子の『同棲時代』だぁぁ。大信田礼子なんていうても誰?それ? となってしまってるだろうけれど、江夏豊と噂のあった大信田礼子だよ。

  ♪〜 傷つけあって暮らした ………………
         ……………愛の暮らし 同棲時代

なんてね、流れてきた日には、をーをー涙もん(T^~)クゥ- なわけないだろ。ただ最近上村一夫のを仕入れてるから、そうそう大信田礼子が歌うてたよなぁ、あ、間奏でナレーション入るのだったとちょっと懐かしかった。ただ上村一夫は時代もんは好きだったから、『同棲時代』、これも夢中になって読んではいたけのに、いまひとつ思い入れがない。暗いやね。
 次に流れたのが拓郎の『旅の宿』

  ♪〜 もう呑みすぎちまって 君を抱く気にもなれないみたい

 あ、はい、この歌には特別の思い入れがございます。で、ラジオのアナウンサーがリスナーから来た葉書を読んでるのだけれど、なんでもこの『旅の宿』の歌詞は情景が描けていてどうこうと高校の国語の時間にみんなで話しあったとか。ふむふむ。うんうん。
 また別な日のラジオでは平井堅の『おじいさんの古時計』が流れてきて、これには最近たいがい食傷気味だから、さっと他の局に変えたら

  ♪〜 どぉしゃ降りひぃの 雨のほ中で
     わたしは 泣はひいたぁ

 をーーー、こっちのほうがずっとずっと黒いやんけぇー。と、合唱してたら、次はマギーミネンコだぁ、むちゃフィリーなのだ、これが。なにがゴスペルやねん(^◇^;)てなもん。それも癒しですかい。そんなに比べりゃ、ミネンコ、むっちゃいいよぉ。乳揉め〜〜っ!  きょうはこれくらいにしとこ。


■2002/10/19 Sat■  あ〜あしたの今ごろは [長年日記]

Mary Hopkin
Those were the days
 今週1週間はどういうわけだかテニス三昧につき疲れ果てた。ネタとしてないわけでもないのに、いざ書こうという気力がもう残っていない。別に強要されて書いているわけでもないのに、ほったらかしにしておくのも気持ちが悪いもんだ。こうなると病気の世界。

 こないだからどうもAMラジオネタばっかりなんだが、きょうもクルマでかかってたのはチューリップ『心の旅』 はい、大合唱!

  ♪〜 あぁだから今夜だけは
     君を抱いていたい

 Bは「なんて素人っぽい歌い方なんだろう」と嘆く。その一方で「この頃って何でも熱かったよね」とも。「勉強もしてたし、よく遊んでもいたし、政治にも関心あったし」って、をいをい、それはそういうところにいたからだろう、あいつはどうだった? 誰もが熱かったわけじゃないけれど、とにかく今に比べて平均温度は高かった。たとえ、♪〜しらけ鳥、飛んでいく〜と歌っていても、逆説的に歌ってたからな。

 こないだから気になってることがある。ウロ覚えなんだけれど、「ボクらの道はアスファルトなんかじゃない」と、確かこんなふうな歌詞だった。なんでそんなにも稚拙な歌詞がまかり通るのかと情けなくなった。情景もへったくれもないなぁ。それを言うのは止めとこねという暗黙の了解がいつの頃からか破られてしまっている。安易な共感はやめとこね、というお約束が反故にされている。

 さっきのチューリップは、どうやらわたしの心に残る歌としてリスナーが自分の思い出を書きつづったのをアナウンサーが読み上げて『心の旅』となったようだ。『心の旅』が終わると続いて、一生懸命勉強して大学には入ったものの、何をしたもんだか、そんなときに活動家に誘われるまま、学生運動に参加し…云々かんぬん。そしてかかったのが『サークルゲーム』
 苦笑いするよりほかになかった。


■2002/10/21 Mon■  10・21 国際反戦デー [長年日記]

Sleepy John Estes
Brownsville Blues
 すきまの時間に、赤瀬川の『鵜の目鷹の目』を拾い読みしてる。ほんと原平先生ったら、ヲタクチックなんだから。きっと高校生の頃、けったいな奴だと、いぢめられたか無視られてたにちがいない。
 例えば、「百一体の微生物」ではアンドレ・ケルテスのエッフェル塔から地上を見下ろした写真をとりあげて、その写真に写った豆粒のような人間の数を数えて「百一体の微生物」だというのだから、まさかアンドレ・ケルテスはそのように見られることなど予想だにしてなかっただろう。揚げ句の果てにはルーペで写真に写っているマンホールのがらはこんなんだと、そうなるともうトマソン世界に没入してしまってるわけ。かと思えば、「信号のない交差点」では木村伊兵衛の昭和28年当時の本郷森川町の写真に写った11人の人間に、下世話にも勝手に会話を作り上げてしまって楽しんでる。
 友だちおらへんのか(^_^ゞ

 さて、きょうもぱっと開いた「岩手県のレンブラント」の一編を読んでいた。これは篠山紀信が遠野の民家の室内を撮ったのがネタになってるのだけれど、壁にカレンダーが7枚も貼ってあって、原平先生は例によってルーペを持ちだして、「この写真のシャッターの押し日は1971年4月2日」と解読してしまう。そこからつづいて、「この日、私は何をしていただろうか。」と、その私はかの櫻画報の「アカイアカイアサヒアサヒ」で朝日ジャーナルが回収された一連の騒ぎのまっただ中だったという。
 じゃ、その頃にボクは何をしてたんだろうと、うつうつと振返ってみると、『女殺し油地獄』の公演体制に入ったばかりの頃じゃないですか。ということはふつふつと萌え始めた恋心...と、をひ(^◇^;) (この一文読んで赤面する人間一名) んで、その公演資金稼ぎにかりだされたバイトが平岸(札幌の当時はまだ山の中)のほったて小屋で、パネルにへばりついたコンクリートのカスをヘラでこそぎ落とすなどという、実に非生産的なバイトをやらされていたのだよ。小屋のすき間からはもう四月だというのに、櫻が舞うどころか、雪が舞い、ヘラを持つ手は冷たさにかじかんで、なんでこんなことしてまで芝居なんぞやりたいのだと泣きが入っていた。と、確か、ちょうどその写真が撮られたところから、300キロか400キロ離れたところでの非常に個人的な体験を思いだしていたのだ。赤瀬川原平?東京(たぶん)、篠山紀信?遠野、若きまごちゃん?札幌と、こういうふうに並列してみるのも悪くないな。
 そんなことを考えながら、その短い一編を読むのも悪くないでしょ。それでね、もう一度、篠山紀信の写真を眺めてみてはっと気がついた。それまでは、その頃、つまり1971年4月頃と大まかな時間のとらえかたしかしてなかったのだけれど、真ん中に日めくりが大きく《2》とあるではないか。ん?4月2日、ああああ、ボクにとってそれは運命の日ではないか! とよくよく考えてみたら、その運命の日はその1年前、1970年4月2日。なんか1等の組違い賞みたいな気分。


■2002/10/24 Thu■  バーコードにむかつく [長年日記]

Rick James
Urban Rapsody
 最近の本やCDはすべてコンピューターで流通管理をするためなのか、裏表紙にISBNの番号とともに、バーコードが印刷されている。これって、買うほうにとっては何のメリットもないんだよね。むしろ邪魔。というのは装丁やジャケットで買うたりもするわけで、そのときに、この白抜きにされたバーコード部分はどう見てもいらない部分。そんなのどうでもよいという人には全く関係ない話だけれど。
 というのも実はきょうヤフオクで落とした赤瀬川の『猫の宇宙』という本が着いたのだけれど、出品してた人とも猫の話をメールでちょっとやりとりしたりして、その現物もとてもきれいな本で、赤瀬川にしては400円などという格安の値で落とすせて、むしろ出品した人には悪いなって思うくらいの本だった。逆にこういうのをラッキーというのですよ(^_^)
 ところが、この本は1994年の出版で、どうもバーコード導入の時期にあたっていたようで、裏表紙にはバーコードが印刷されていなくて、急遽、出版社がバーコードのシールをベッと貼り付けているのだ。そのシールのサイズがA4サイズの本に対して1/4程度の大きさで、しかも裏表紙の装丁の絵の部分にかかっている。版元がこのような無粋なことをやらかすなんて、あきれてモノが言えない。ちなみに表紙デザインは南伸坊。ボクが南伸坊なら絶対に出版社と喧嘩してるだろうな。なんてことをするんだ!と。
 もう一度言うけれど、バーコードは買うほうにとって何のメリットもないもの。そしてたとえ一部分にしろ、表紙を含めてこちらは買っているのだ。もっと自覚しろよ。
 前にもここに書いたかもしれないけど、BOOKOFFの?100シール。BOOKOFFなんかは本の値打ちなんてモノを全く理解してないから、許すというか、諦めているのだが、いちおう本の値打ちを知って値をつけている古本屋が、装丁のド真ん中に?1800なんて(?100じゃない!)シールを、しかもそれをそっとはがそうとすると、装丁そのものの紙がシールにくっついてくる、そのようなことを平気でやってのける神経は疑うね。
 幸いにも『猫の宇宙』はビニールコーティングされてるのでなんとか表紙に最小限のダメージで済みそうだけど、あまり気分の良いものではないことは確か。

■2002/10/28 Mon■  「つぎはいつだろ」 [長年日記]

Erick Sermon
Double or Nothing
 東京からTon2も帰ってきていたので、きのうの夜はめずらしくも一家4人揃って家での夕食。この前にみんなそろっていたのはいつだったか、たぶん正月か。お正月は特別だから、それを抜いたら、いつのことだったか、思い出せない。
 友人に、家族そろって晩ごはんを食べることは家族の基本だからと、その子どもたちに塾にも行かせなかったのがいるけれど、うちはそういうポリシーなんてもちあわせていなくて、一人ひとりが家族という枠に縛られてるより好きなことをしてるほうがいいという理由で、みんな揃って晩ごはんなどというのはとんとなかった。別にそれはそれでよかった。だからって家族の仲が悪かったというわけでないし、むしろ仲よかったと思ってる。きのうだって、ご飯を食べながら「みんな揃ってるのなんていつのことだぁ、つぎはいつだろ」なんて言い合っていた。

 さてこういうことは、ここで書くべきじゃないかもしれないが、きょうは別の親子4人がそろって晩ごはんをしていた。「つぎはいつだろ」とは誰も言えないで。たぶん親子4人揃った食事はこれが最後だということはわかっていても、絶対にそのことは口に出すことはしないで。それを第三者として近いところで見ているのは辛かった。


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