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■2003/01/12 Sun■  困った徘徊老人日記 [長年日記]

Rick James
Street Songs
 鶴見緑地線で京橋まで行って、お徒歩開始。京橋はあいかわらず猥雑。駅前の広場などは自転車で埋め尽くされ、ターミナルの駅と呼ぶにはほど遠い。飲み屋ばっかりの商店街を抜ける。夜に見て憶えているよりずいぶん小さくてすぐに抜けてしまう。まずは最初の目的地の城東貨物線と片町線(いまは学園なんちゃら線とかになってるが、片町線であることに変わりはない)の分岐部。つまりお股のデルタ地帯をめざす。ふらふら横道に逸れながら歩いていると、夏に自転車で走ったところ(トマソン#232)に行き当たった。こないだトマソンページを整理したとき、てっきり寝屋川をはさんだ鴫野だと思っていたのに、人間の記憶なんて曖昧なもんだ。
 片町線に向かって行き止まりの奥に祠があって、それを見に入ろうとすると、家の外に出ていたおっちゃんにけったいな顔をされる。こればかりはどうしようもない。わざわざ路地の奥まで入ってくるヨソモノなんだから。
 デルタ地帯の核心部を目指して歩くのだが、行き止まりだったり、表通りに押しだされてしまって、クリに近づけない。片町線が寝屋川にかかるガードの下をくぐって小学校の外周を回ると、妙な高低差があって並行に走る道路があった。一方は貨物線の下をくぐり、一方は踏み切りになっている。高いほうはかつての土堤だったのかもしれない。この道路がもっとも高くなって、その両側が低くなっている。その踏み切りを渡っていよいよ陰毛部分に侵入。わしゃケジラミかい。が、しかし貞操帯のようなネットが張られ、クリ部分へは近づけない。小さな家が軒をつきあって密生する中でクリ部分への侵入は諦める。いくら怪しかろうが、無法者じゃないのだから。

 踏み切りにまで戻って、いよいよ貨物線にそって歩き始める。と、いきなり出た。トマソンというのでもなく、都市の歪みとでもいうべき代物が。つまりさきほどの踏み切りから線路脇にたらたらと下りていくと、なかば塞がれたようなガードがあったのだ。これだから路上観察はやめられない。ガード下がゴミ捨て場になっているでもなく、しっかり生活の場として存在する。試しにくぐり抜けて見ると、確かに低い。ボクがちょっと屈んで歩かなければ通れない低さである。まっすぐ立ってかろうじて頭がすれる高さだから170cmほどか。ちょっとした男なら確実に頭をガードの天井にぶつけてしまうだろう。おでこをしたたかに打ち付けた酔っ払いオヤジが確実にいるはず。そんなことを考えていると、ボクのすぐ横を自転車に乗ったオヤジが頭を低く下げて駆け抜けていった。

 そこからどんどん貨物線に沿って歩く。途中、いくつかのトマソン(#251〜256)を見つけながら、国道1号線を渡り、京阪を越える。それらはこれまでいく度も貨物線と交差して通っていたのに、逆にそれらと交差する立場が変わると、確かに別の世界を歩いているような気になる。と、同時に、知った場所でホッとするのも確かなのだった。  歩きだして1時間ちょい。昼飯を京橋でささっと食べようかと思っていたのに忘れてた。ちょど都島通りに沿って旭国道筋商店街に出た。見ると、持ち帰りのやきそばがむちゃ美味そうである。ちょうど1人分焼けておいてあったのでおばちゃんに注文すると、新しく鉄板に豚やイカを乗せて焼き始めたところ。ダイナミックに10玉ほどびゃーーっと焼き上げて、できあがったばかりの焼きそばを入れてくれた。しかも300円のふつうの方なのに盛りがすこぶるいい。横綱という店ね。
 さて、その焼きそばをどこで食うか。まさかたこ焼きのように歩きながら、そばずるずるというわけにも行かない。2軒となりの肉屋で買ったコロッケはさっさと信号待ちの間に食ってやった。腹が減ってたのだよ。仕方がないので、ぽっつら歩いていると、貨物線沿いに適当な公園があった。そのベンチに腰かけて、男一人で喰らう焼きそばの味。むちゃ美味っ。が、気分はほとんどホームレスすれすれヨ。やぁ、この焼きそばは到底持ち帰りとは思えないほどの美味さだったのだ。美味い、美味いと思いながら食っていると、高校生くらいだろうか、男の子と女の子が二人で自転車で公園にやってきてブランコ。美しいねぇ。

 腹もふくれて、さて出発とタバコに火をつけながら歩き始めると、
「火ぃやったらあるぞ。ライターやろか」
 と、ホンモノのホームレスのおっさんに声をかけられた。
「まぁ、ちょっとここ座っていけや。酒、飲むか」
公園の縁の段になったところに蒲団を敷いて、そこで日なたぼっこの真っ最中。ホームレスというても、ナリはけっこう小ぎれいで、どこか野田知佑そっくりである。これもなんかおもろいだろうと、おっさんの横に座ってタバコを喫う。
「まぁ、こうなったんも自業自得やけどな。わし、泥棒やっとったんよ。前科十何犯。」
おっさんはちょっと酔うとるので、言葉が聞きづらい。
「ルパンみたいやないけどな」
「そしたら次郎吉かいな」
「わし、本多次郎と言いますねん。寒うてな。旭署に保護してくれと110番したって。タバコ1本もらえるかな」
 おっさんの話は筋が通っているようでかなり支離滅裂だった。なんじゃかんじゃ言うとったが、書くのめんどくさいので省略。
「ほな、ぼちぼち行くわ」と立ち上がると、行ってくれなという目でじっと見てきよる。しゃあないので、握手でもしよかと手を出したら、ぎゅっと握り返してきて離そうとしない。

「わし、困ってんねん」

知るかい、そんなん言われたボクも困るわい。

 さらに歩く。阪神高速の下を潜り、城北通りを渡り、突然、淀川の土堤に行き当たった。いままでの徘徊は、土地勘だけたよりにうろついてたが、今回はしっかり昭文社の1万の地図を買うてきてた。さっと目を通していて、きょうのゴールは淀川の土堤までと考えてた。土堤に上がると、貨物線に沿って木製の赤川仮橋という歩行者専用の橋が架かっていた。地図には書いてないのだ。ちょうど折りからも夕陽タイム。きょうの締めくくりは淀川の上から眺める夕陽なのだった。


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