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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2003/10/05 Sun■  ばいばいRV [長年日記]

 一日がかりでクルマの掃除、というか、いまのクルマは物置状態になっているので、その物置の整理だ。クルマに積んであったのを家に持って上がって、「持って上がって」というのがミソで、「持って入って」じゃないのね。階段をえっこらさえっこらさと4階まで運びあげるのは大変なのだ。
 さて、いきなりこんなことを始めたかというと、実は今のクルマはすでに12年半。来年春に車検だけれど、その車検はクリアできても、その次の車検はディーゼル規制でアウト。それに182千キロも走っているので、そろそろ買い替えなければアカンのです。はい、ついに買い替えたのです。何に乗り換えるかは、ひ・み・つー
 2週間ほど前のうらまごに、《時代は変わる》のだと書いたのは実はこのことだったんですが、12年半も同じクルマに乗っていると、自分の中で確実に時代を築き上げていくもので、その前のビッグホーンから今のプラドーと18年もRVに乗っていたら、それはそれでひとつのライフスタイルになっても仕方ないしょ。
 18年前、ちょうどタイガースが優勝した、その直後に、シティーからプラドーに乗り換えた。当時はまだそんなにRVなんて走ってなかったもんね。ここ10年ほどは、RVの暴走車もどきまで走ってんだもん。もういい加減、RVは潮時です。 さてビッグホーンに乗ったことで、すっかりアウトドア人間になってしまって、あっちこっち行ったなぁ。ウィンドサーフィンのボードなんかも積んで走ってたし、いまや伝説となった《満月のせせらぎの湯》もビッグホーンの時代のこと。
 それから18年前というと、下のAzも幼稚園に入るか入らないかの頃で、ビッグホーンで家族4人でスキーに行ったり、もちろんプラドーになってからも、スキーはもちろん、北海道は2回行ったかな。もちろん青森まで陸送。難民のクルマのように荷物満載、ルーフにファルト2艇、リアのスペアタイヤには自転車を2台なんて想像できるか(笑)、それで真夜中の六本木走ったのもプラドー。上のTon2が東京に出るときに、 このときも家財道具をプラドーに詰め込んで2回も走ったな。ある意味ではRVに乗っていた18年間は子どもらの成長と同時代だったとも言えるんだろうな。
 子どもらがある程度大きくなってからはクルマで旅行するということもなくなった。それでもアウトドア、今となってはアウトドアやってますねん、なんていうのも気恥ずかしい時代になってしまったけれど、あるときは釣りざおがごちゃごちゃに常時積み込まれていて、クルマの中はいつもオキアミの臭いが充満していて、その頃からクルマの中は物置状態。バイクに乗り始めたというのもあるんだけれど、家にまでバイ クの装備を持って上がるのがしんどかったので、クルマをバイク装備の物置にもしてた。
 ビッグホーンは9.5万キロで終わったけれど、プラドーが10万キロキロを超えたときは今でも覚えてる。そのちょっと前からプラドーは別の側面をもつようになって、ははは、そのことは内緒、内緒。想像に任せるよ(笑) さっきプラドーを整理していて、出てくる、出てくる。あきれ返るくらい、出てくる。あっ、やばっ、あれは捨てるはずだったのに、ほかのに紛れて家に持って上がってしまったぞ。あとで捨てておこう。
 さて、新しいクルマはどんな時代を創りだしてくれるか。あした納車。
 


■2003/10/13 Mon■  十年ひと昔、または石の上にも三年 [長年日記]

 朝早い目に目が覚めて、ゆっくりコーヒーを淹れながら、うだうだとパンをかじる。そういうふうに時間を気にせずに朝食というのは至福の時間でもあるんだけれど、それから二度寝して、昼前にやおら温泉に入りに行って、また居眠り。そうして帰りには夜の食材を買って、そこから延々うだうだうだとグにもつかないことで笑って、しゃべって、そうすると一日の経つのがとても早い。これはきのうのテント場での一日。
 夜になって、ほんとに一日が経つのが速いなぁ、としみじみ思ったよ。一日の経つのが早ければ一年が経つのも速いわけで、奇しくも遥山泊が「三年なんて、ついこないだのことだよと言うと、三年前のことなんか昔のことだと、言いよるんよ」 誰が言いよったんか知りませんが(笑)、仮に高校生だとして、その三年前は中学生だったわけで、それは彼ら(彼女ら)にしてみると、ひとつ時代が前のことだと思えるんですね。三年の間に時代が変わっていく。周囲にいる人間もがらっと変わってしまう。
 ところが、三十代、四十代と年をとって行くにつれて、三年ではおいそれと周囲の人間が変わるわけがない。まだ二十代のころなら、三年も経ったら交際ってる相手が変わるなんてこともあって、そのたびにドラマなるものが生れたりもするんだろう。前から思ってることに、中森明菜の歌(作詞:竹内まりあ)に
  ♪〜 二年の時が変えたものは
     あなたのまなざしと わたしのこの髪
 あ、これいま気がついたんだけれど、別れてから二年じゃなくて、交際だしてから二年なんだね。別れて二年経ったら、わたしの髪も変わってしまった...って思ってた。二年も経ったら、あなたがわたしを見る目が変わってしまった、あんなに優しく見つめてくれたのに....て歌なんだ。そしていまふっと書いてしまった「二年」ですね。長いのですよ、二年という時間は。三年なんてもっともっと長い。
 話は変わるけれど、新しいビートルね、カセットテープなんですね。MDじゃないです。MDにもできたけれど、MDだとCDが使えないなんてことで、テープやCDはアホほど持っているので、カセットにしたわけ。そしてこの信州に行くのにぱっとつかんでいったのがGちゃんが作ってくれ三年前にたテープ。はい、ちゃんと話が戻ってきました。あらためてそのテープ流していると、いいねぇ、Gちゃんのセンスの良さを再確認してしまった。ヒップホップだけどな。ボクにとってヒップホップというと、がつーんと《The Low End Theory》だったわけで、Gちゃんにもさんざんすすめてた。ところがその《The Low End Theory》ってのは92年頃ので、Gちゃんにとっては昔も昔、大昔の音。あら、「昔」と「音」って漢字は似てるワ。いまから11〜2年前だから、その三年前だと、8〜9年前。やっぱり大昔だわ。いまの高校生からみると、Gちゃんのテープの音もずいぶん昔の音なんだろうな。彼らがまだヒップホップなんて知らんかった(だろう)ころの音なのだ。さすがに《The Low End Theory》ともなると、ボクにとっても懐かしかったりするのだけれど。そういうことをしみじみ思いながら、きょうは一日ビートルを走らせていたのだ。
 で、ORPの全国オフも今年で11回目。ボクは3回目からだから、それでも8年前のこと。つい、こないだです。でも、若かった連中もみんな老けた(笑)
 




■2003/10/19 Sun■  文士の時代 [長年日記]

 東京都写真美術館でかなり前に開催されていた林忠彦展のカタログ(『林忠彦の世界』)を手に入れた。林忠彦というと、かの銀座のバールパンでの大宰のポートレイトを撮った写真家といえばわかるでしょ。林忠彦は1950年頃を中心にして、当時の作家のポートレイトを写していて、それは『文士の時代』と言われる写真集にまとめらた。そのカタログにはそこからの抜粋が20ほど収められている。
 眼光鋭い川端康成だとか、谷崎潤一郎だとか、それはそうそうたるめんつが集められてる。そして『文士の時代』を編集されたときに林忠彦自身の一文がそえられていたらしく、それもそのカタログのほうに転載されている。
 例えば、かの大宰のルパンは、織田作を撮っていたら大宰が「おれも撮ってくれ」とからんできて、1つだけ残っていたフラッシュバルブでの一発撮りだったとか。あのバーカウンターの脚の長いイスも含めて全体像を撮るのにトイレのドアを開けて、便器にまたがって撮ったというふうに。
 はたまた『オリンポスの果実』の田中英光は、大宰に憧れて、自分も同じようにルパンで撮ってくれと林忠彦にせまってきた。あまりにしつこく言うので、しかたなく同じようなバーで撮ってやったら、自分も大宰と同じようになれたと、写真ができあがった直後に大宰の墓の前で自殺してしまった。このエピソードなんて強烈すぎて言葉にならない。
 ここで一人ひとり引用するわけにいかないから、『文士の時代』なりそのカタログなり探してきなさい(笑)
 安吾がいいなぁ。内田百間(※日→月)なんかもう最高。その『文士の時代』に収められている作家の人間性が写しこまれていて、というより、それらの作家が強烈な個性、オーラを発していたからこそ、そういう写真が撮られたといってもいいんじゃないか。まさに「作家」「小説家」じゃなくて「文士」だったんだ。その「文士」たちと比べれば、いまの作家たちは...なんてつい考えてしまうのは年寄りの繰り言なんでしょかね。
 一人で見ているのももったいないので、友だちに見せてやった。友だちといっても、田中英光って誰なんというようなのに見せても仕方がないので、写真を見てこれは志賀直哉と言えるような友だちね。『文士の時代』のパートは、そりゃちょっと文学なんてのをかじっていたらおもしろいわ。
 ところでそのカタログにはほかに『カストリ時代』や『ニューヨーク1955』といったところもいくつか収められている。その中でグリニッジビレッジのカフェらしきところにばあさんが一人座っているだけの写真があったんだけれど、その写真がすごく好きだな。言葉で説明するのは難しいんだけれど、難しいから写真があるわけですが、いわゆるブレのスナップで、ばあさんが写っているといっても顔の表情なんか全然わからない。とにかく煤けた壁が写真の2/3ほどを占めていて、壁にはわけのわからないフライヤーらしきものが貼られてあって、テーブルが整然と並んでいるだけで、ほかに客、人物は誰も写っていない。
 それで、その写真をさきの友だちに「これいいだろう」って見せたんだけれど、首をひねるばかり。背景の壁が何であるとか、フライヤーらしきものが具体的になんだかわからない。それに何より唯一写っている人間の表情が見えないでは、何がいいんだかわからないと言い出す。これには困った。まぁ仕方ないか。このブレ加減とかほんとたまらないし、何といっても写真全体からあふれるセンチメンタルな情景なんて、その種の写真やってないとわからないんでしょうね。
 






■2003/10/26 Sun■  ネカマ [長年日記]

 すっかり日記じゃなくて週記に成り果てておるわけですが、別に義務なんてものもなくて、まして毎日書くことでアクセスかせごうなんて気はさらさらないのです。女の日記なら毎日更新していたら結構アクセスかせげるみたいですけどね。と、ここで、女の日記と書いてから、ふと思いついた。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
ふむふむ紀貫之のように女のふりをして書けばいいのだ。要するに、ネカマになりゃいいのだよ。
 なんて書いてみて、そういや、ボクちゃん、ちゃんとネカマネーム持ってたのだ。かつて、とあるチャットに《まご》と、そのネカマネーム《けいこ》を使って二重ログインして、まんまと引っ掛かったアフォがおったな。《けいこ》をボクの彼女という設定にして、一人で二役。大アフォですが、しまいには「まごさんの彼女だからきっと美人」なんて言い出すから、ボクも調子こいてしまって、「写真、見せたろか」なんて、しっかり藤圭子の写真を探しだしてきて、「これじゃあ」とやってんだから、大アフォも大アフォ。それに「うわぁ〜美人!」なんて答えるバカァは死になさい。

 なんかさぁ、この一週間ほどの間にふっと考えたりしてたことと全然ちゃうことを書きだしてんだけど、それはそれでいいか。

 ずっと以前に《洋子》(仮名)というネカマがいて、本人は女ことばで文章を書こうとしていて、だからネットに現れるときも《洋子》で通していた。その事情をみんな知ってるから、別にネカマってわけでないけど、とにかくネットの中では「なりきり」になってたわけ。何度かオフ会などで会ったことがあって、《洋子》という名前とは全く違う風帯で、男前ってわけでもなかったな。それがニューハーフみたいだったら、ひょっとしてふらふらと行ってしまったかもしれないけど、どっちかというと中上健治体型だから、想像つくでしょ。これには困った。ネットの中では、男だとわかっていても、彼の「なりきり」に調子合わせるように、女として接してやってたのだが、いざ面と向かったときに、あらためて他の名前で呼ぶわけにいかないで、《洋子さん》と呼ばないと、誰にしゃべってるのかわからない。もっともその《洋子さん》のほうもしゃべりことばまで女ことばで通してるわけでなくて、ふつうに男のしゃべりをする。これ、女ことば使われたら、新世界のきちゃないオカマのようで逃げ出してたな(笑)
 ところが、そのオフ会の中で閉じられた世界では、《洋子さん》でみんな了解して通用するんだけれど、そこに第三者が存在するようになると、これはちょっと。オフ会が大阪であって、次の日に、「どこ連れてってほしい」と聞いたら、新大阪スカイビルとのご要望。ああいうところは地元の人間だとわざわざ上がってみようということもないので、それもいい機会だとつきあった。それが間違い。時は夕陽タイム。ちゃんと数えてみました。一番上の展望台には24組の二人連れ。もちろんすべて男と女の組み合わせであります。そんなところに、ボクと中上健治体型の男の《洋子さん》。さすがにそんなところで、「なぁなぁ、洋子さん」などと口に出せませんでした。

 大阪の天王寺はパリじゃん、なんて書いてるのを、古いスタジオボイスで見つけて、トイレでウンコしながらくっだんねぇ〜と思いながらも読んでいたんだけど、ふっと見たら、その一文を書いていたのはまだ『ミシン』でデビューするずっと以前の嶽本野ばらで、確かに『上方通信』だかのライターだったから、そういうのを書いていても不思議じゃない。『ミシン』や『鱗姫』ではきっちり騙されちゃって、はじめ女が書いたんだとばかり思っていたアフォです、嶽本野ばらっていうのは男だってわかると、途端につまらなくなって、底が浅いワ。あ、女が底が浅いというわけでなくて、嶽本野ばら自体の底が浅くて、《嶽本野ばら》っていうのが《嶽本野ばら》という記号にしかなってないんだよね。彼(女)の提示するものがぺらぺらの記号となって見えたところで、ジ・エンド。その意図があったかどうだか、わからんけれど、女のふりってのもしんどいワ。そう考えてみると、『斜陽』の大宰なんてのは天才だったんだなと思うのでありました。

 

 


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