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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/05/01 Sat■  Dive to the sheets [長年日記]

  おお少女よ 少女よ、
  わたしはきみを愛する!
  きみの眼はかがやく!
  きみはわたしを愛する!

  そのように愛する、
  自由な雲雀は
  歌と高みを、
  朝の花は空の香りを、

  そしてわたしはきみを
  湧きたぎる血で。
  青春と喜びと
  勇気とを、

  新しい歌と舞踏とを、
  わたしにあたえてくれるきみ!
  永遠に幸福なれ、
  きみの愛とともに。

いきなり、すんまそん。五月なんもんでね、やっぱり華々しくギョエテの『五月の歌』……こんなんやったか? あら、『五月の歌』ってリルケやなかったか?と、ネットで検索かけたら出てきたのが、このゲーテのだから、たぶんそうだったんでしょ。
考えてみれば、『五月の歌』を贈るよ、なんて、まぁなんて気障な手紙を書いたもんだわ。手紙だぞ、手紙、メールとちゃうぞ。ゑゐ、へんかぁ〜ん、じゃなくて、机のそこらにほりだしてあったゲーテの詩集から、万年筆で、一字一句書き写したんだよ。そして君に贈った。
いつの頃からか、詩なんてのも読まなくなった。五月の光から逃げるように、ジャズ喫茶の暗がりでむさぼるようにことばをさがし続けていたのに

   5月に もう期待するのはよそう

と詠んだのは、白石かずこだった....
  Dive to the sheets




■2004/05/05 Wed■  迷いの窓 [長年日記]

おととい、京都へふらふらといつもの徘徊。
光悦寺はまだ高校生のときだから、もうかれこれ35年ほど前のこと、何で知ったんだろ。京都の北に閑静で、かの本阿弥光悦が庵からなる芸術村とでもいうべきコンミューンをつくっていたとか。当時の高校生って、ボクを含めて、マジメだったのです(笑) 休みとか、あるいはおデートなんかでも京都や奈良のお寺巡り。そいうや、亀井勝一楼の『古寺巡禮』なんて本もあったな。
つい最近、まごぽんに「蛇足ですが、ボクは、高校生のとき左大文字から金閣を眺めていた馬鹿者です。」と書いたんだけど、あれは光悦寺へ行ったときに、光悦寺の借景となっている鷹ヶ峯に登ってやろうとテクトコ歩いて上がった。鷹ヶ峯から尾根づたいに下って行ったら、10m幅ほどのはげ山になっていて、石を積み上げたトーチカのようなのが何基も並んでいて、あれ、なんやろ?と思うて、よく考えたら左大文字だったのね。その「大」の字の真ん中から下界を見ると、金閣が見えたんよ。そのころから猫も杓子も行くような観光地には通ぶって避けてたから、金閣はまともに拝んだことがなくて、それはいまだもってそうなんだけど、そんなとんでもないところから、タダで金閣を盗み見れたことにアホみたいな喜びを見いだしてた。まぁ、そのようなことを思い出しながら、光悦寺の中を見て歩いたというか、いわゆる「癒し」ですね。ぼおっと佇んでいる。ただそれだけの時間が流れるのが心地よいのでした。

光悦寺を出て、またぷらぷらと歩き始めたら、《血天井》などと書かれた立て札が目に入って、そのまま通り過ぎたんだけど、気になって引っ返してみた。血の天井、何かの血をベンガラ代わりにでもして塗り込めたのか? いや、怨念が籠もってんじゃないのか、なんて想像してみて、ふっと入ってみた。すると、本道脇の入り口の所に30足ほどの靴が脱がれていて、光悦寺なんかよりずっと商売繁盛しておる。と、言っても金閣、銀閣の比ではないけど。伏見城落城の際の血痕らしく、やっぱり怨念がらみか、どうもこの人気、とくに意外と若い子らが多いのは、ホラーだとか言って紹介されたんでしょ。その天井を眺めてみたけど、手形がついているというのもあんまり判然としないしねぇ、そういうホラーにはほとんど興味ないので、とりたてて一生懸命見ようとはしなかった。同じなら処刑した人間の血をベンガラ代わりに塗り込めたというほうがおどろおどろしくてよろしい。
それより、「迷いの窓」「悟りの窓」と称する、四角い窓と円い窓が並んでいて、その窓からお寺の庭が見えるほうが興味深かった。「血天井」を目当て(?)にやってきた人も、血天井にはほとんど目をやらず、その窓の前で記念写真。ピカッ! こりゃ、静かに瞑想しろ、瞑想。ほんまなみんながデジカメなんぞを持つようになって、またそのデジカメが《わたしにも写せます》的オートなもんだから、ところかまわずピカッ、ピカッてのは考えもんだわ。
ボクはね、迷いの窓に正対して、おのが煩悩への思いにはまってたのだよ。それでな、「悟りの窓」に向かうよりは「迷いの窓」に向かっている方が心落ち着くってのも、何かの因業なのか。悟りなどいらない。ずっとずっと迷いの中で生きていたいと。




■2004/05/08 Sat■  みだれてけさはGW明けの週末(恋人はスナイパー) [長年日記]

  ♪〜 あなたに抱かれて わたしは蝶になる

なんて歌がありました。森山加代子だよっ。へっ、森山加代子知らん? 森山加代子ってねぇ
いや、これってさほどの意味があるわけでもなくて、ただちょっと思い出しただけ。実際、GWの疲れか、身体の節々がだるくてね、とくに股関節脱臼かしらん。そうそう、GWの虚脱状態。その余韻にひたっているヒマもなく、びしばし仕事。そらあかんワ。人間だらだらとせな。
というわけで、ここまでは話の枕(作:清少納言)で、こっから話をどう展開させようかと、理解に苦しむ(むちゃくちゃな日本語)
あの「余韻」なんですけどね、朝起きますですね、ここで一首詠みます...

 長からむ 心もしらず 黒髪の
     みだれてけさは 物をこそ思へ

うむ、なかなかの出来だ。それでですねぇ、この余韻なんですね。ベッドに寝ころがったまま、ハイライトに火をつける。乱れたシーツにぼおーっと目をやっていると、そこにちぢれた陰毛が。そう、きのうの夜、キミはあんなに乱れたのだった、ここからは枕の話(作:素性法師)
「ねぇ、ずっと一緒にいてくれる? そんなことわかんないよねぇ、でもでも....あなたと一緒にいたらわたしは…」
と耳もとで囁くのを、事後のタバコをくゆらせながら、まだじっとりと濡れたまんこに指を遊ばせて…なんて余韻に浸っていられるってのは非常に大事なんですよ。
そいうえば、ボクの高校時代に沢たまきが「ベッドでタバコを喫わないで」などと歌っていたのですが、その歌を聞きながら、猛烈に「事後のタバコ」に憧れたものでした。
やぁ、それでですね、そのような余韻もいつかはきりをつけないといけないわけで、空になったハイライトのパッケージをぐしゃっと握りつぶして、この次、ここに帰って来るのはいつだろうか、そのときまでハイライトのパッケージはそのままなんだろうかなどと思いながら、部屋を出ていく。

GW明けの最初の週末、いかがお過ごしですか?




■2004/05/10 Mon■  さよなら、トマソン [長年日記]

サーバーの移転でリンクを張りかえるのが大変。よく考えたら、まごれびゅもエンピツにおいてあって、絶対アドレスを使ってたから、それも書き直さないとあかんね。ふーっ。と、同時に、階層を深くしすぎたから、せめてhttp://maggot-p.com/dddd/xxx.htmlで収めるようにしないとロボット入って来えへんもんな。
温泉とかグルメはもうどうでもいい。マスコミのお手軽ネタに成り下がってしまっておもしろくない。だから、これらはすっぱり削除。なんてことを考えてると、全体的なディレクトリーの構造を考え直さないと。とうことは、とりあえずは1つ目の階層に同列においておくしかないか。

それでトマソン、これはやっぱり外すわけにいかないのだな。でもURLが変わるので吉野さんにメールする。そのメールにも書いたのだけれど、ボク自身、いまはもうトマソン漁りの目になってなくて、トマソンがあればあったでよいというくらい。鬼海弘雄の『東京迷路』でもトマソンは写ってはいるけれど、単にひとつのオブジェになっているだけで、そこに移されているのは町そのもの。トマソンを切り取ってくるんじゃなくて、町を切り取る。トマソンの目で見ると、この写真の何がおもしろいの?と言い出すんだろうけれど、小理屈なんか必要としないおもしろさなんだよ。そうそう、きのう見に行った永原トミヒロの絵に描かれた影もそうなんだ。
去年の夏、ヨーロッパに旅行したとき、あっちはトマソンだらけで、例えばフィレンツェのウフィツィ美術館の壁面にまでトマソンがへばりついてるのを目にすると、トマソンってのはあっちの世界では当たり前のことじゃないかと思えてしまう。2年前に東京で吉野さんと会ったときに「トマソンが欧米でもっと受け入れられるかと思っていたのに」と言ってたけれど、トマソンなんてのは、日本だからこそ生息できたんじゃないか。日本の町の変遷と経済性との間の単なる歯ぎしりにすぎなかったんじゃないかと思い始めた。
もうひとつ、『野次馬画報』以来、これまでずっとボクにとってはアイドルであった赤瀬川原平が『老人力』あたりからつまらなくなった。「老人力」という一種の開き直り、人はみな齢をとる。それを「老人力」だと開き直ってどうなるってもんじゃない。原平先生がライカで撮ったトマソンを見せられても全然欲情させられないのだよ。逆にそれをとうとうと語られれば語られるだけ、「老人力」によるダンゴ理屈としか感じられなくなった。もはやトマソンに過激性を感じられなくなったんだよ。
かれこれ20年近くトマソンを探し続けてきたけれど、すっかり町を見るボクの目も変わってしまって、そろそろボクの中では潮時だな。が、これまで出会ったトマソン、とくに堺燈台などを目の前にすると、とても愛着が残っる。WEB上にボクが集めたトマソンたちはそのまま残しておくよ。たぶん よほどの物件に出会わない限り更新することもないかもしれないね。




■2004/05/11 Tue■  One More Cup of Coffee [長年日記]

彼女の部屋でね、コーヒーの豆を挽くのです。初めて入った部屋、さすがのボクでもちょっとは借りてきた猫のようにちんまりと座っていたらいきなり「まごちゃん、まごちゃん、コーヒーの豆、挽いてくれる?」とコーヒー豆を入れたミルを手渡された。
ボクは酒はあんまり飲まない人なので、気を遣ってコーヒーと考えてくれたのかもしれない。いい加減、オトナになってしまうと、挨拶がわりに「おビールでも?」(うおりゃああ、どこの奥様だぁ)、「なんか飲む?」って缶ビールしかないくせに、牛乳って答えたらどうすんだ、奥さんよぉ。あ、いけませぬ、話が変な方に走り去ろうとしている。きょうは純情小曲集のノリにするはずだったのに。強引に耳ひっぱって元に戻します。
オトナの世界ではいちおうアルコールというのが普通なんだろうけど、そうだから余計、コーヒーというのが妙に新鮮に感じられたし、なんだか高校生に戻ったような懐かしさを感じてしまう。いまはもうコーヒーはがぶ飲みするようになってしまって、面倒だからコーヒーメーカーでどっと落としてしまうんだけれど、かつてはコーヒーミル、それも手動で、とりとめもない話をしながら、ごりごりごりごりと豆を挽いて……というのは、ボクが高校生の頃に男友達と、彼女とこんなふうになれたらいいのになぁって話していたことだった。そんなふうにロマンチストだったのさ。

それがいま現実になっている。そのことだけでボクは充足している。それだけのことなのに。




■2004/05/12 Wed■  Deep Ill-usion [長年日記]

Hってふくちゃんのことじゃなかったんだ。ふくちゃんだとFなのになぁと思いながらも、てっきりふくちゃんのことだと思ってたから、道理で文脈が合わなかったはずだ。ヒロシって名前だったんだね、彼氏....。♪〜そんなヒロシに騙され〜のヒロシですか。けっ。それがどうしたって言われてもどうもしないんだが、あっ、と思ったときには自分でドツボにはまってやがんの。
考えてみれば、HがふくちゃんだったらOKで、ヒロシだったらNGだっていう考えは自分自身ではイヤなんだけど、そこんところは多少なりともヒロシに嫉妬してるんでしょ、多分。それと、ふくちゃんからボクに向けられる視線と、ヒロシからのそれとではほぼ逆向きというのも理由なのかもしれない。それもあくまで推測の域は出ないんだけれど。
もし仮にだぞ、ボクとヒロシが二人して人差し指と小指を突き出すようなったら、きっとキミは中指を突き立てるのかな。
さて携帯も機種変したことだし、バッテリー長持ちするようになったのをいいことに、戯れ言をまき散らしてやるか。



■2004/05/14 Fri■  栗の花 [長年日記]

最近どういうわけか、そのわけは百も承知で、眠たい(日本語むちゃくちゃ)。そのわけはなんか誰も聞きたくないんだろ。でも聞かせるのだ。そのわけはサーバーの移転なんですね。な、どうでもいいわけだろ。それとですね、
<h1><imag src="sucklogo.jpg" alt="ほげほげ"></h1>
これですね、なんでも<h1>で構造化して、そこにaltをぶちこんでしまうと、おおかたの人にはわからない、わかるヤツだけ、わかればいいと開き直って3年目。そろそろ栗の花も咲けばよい。

最近よく雨が降るのですが、このtDiaryには[長年日記]という機能があって、日付横に[長年日記]と表示されていれば、クリックすると、数年前の同じ日付の日記(あればの話ですが)を並べて表示する。そそ、かつてマックには「三年日記」なるものがあって、これ使ってたんだけど辛いものがある。あ、説明めんどくさいから、わかるやつだけわかれ、どう辛いのか。恋ひとつしない御仁には無縁だろうが。
あ、それでね、話の脈絡があったもんたよしのり、雨ですわ。この時期の雨は緑を育てるってね、そして雨のにおいですよ、ロマンチストですから、ボクは。そんな夢みるボクに

『雨が降ってきた 五月は栗の花のにおいでいっぱい 雨の匂いに混じって生温くいやらしい』

などと携帯にメールを送りつけてくるハニー。あ、あのですね、ボクはですね

『雨が降ってきた 五月は花のにおいでいっぱい 雨の匂いに混じって温くいじらしい』

などと勝手にボクのフィルターを通して読み間違えてたんだよ。このようなロマンチストのボクをいたぶるなんてキミはサディストか。
日頃ですね、「携帯で愛など語れない」などと嘯いてるわりに、あ、読めませんよねぇ、「嘯く」 ボクもはじめ読めませんでした。花村萬月に出てきたんだよ、やつはきっとワープロソフトで小説書いてるはずで、「うそぶく」などと書いて、たまたまスペースちょんとしたら「嘯く」って変換したんでしょ。あ、それはどうでもいい話ですが、急に携帯のメールで愛を語るようになったのかというと、ハニーのPCがぶっ飛んだのさ。まぁ、それまで毎晩毎晩チャットで、ボクをいたぶりまくった天罰だな。おかげでボクは慢性寝不足なんだって

ところで栗の花っていまごろ咲くのか? ボクは以前に栗の花が咲いてるのを嗅いだことあるが、それは真夏だった。そうか、夏は栗の花が充満するのだ(希望んぬ)。
栗林公園って栗だらけなんだろか?

う〜ん、これで果たしてノロケになったのだろうか。ちなみに「のろけ」で変換すると「惚気」




■2004/05/15 Sat■  5月15日は木曜日 [長年日記]

夜になってまた雨。甲子園じゃ延長12回、雨の中のサヨナラ勝ち。
なんであれ、いつかは、誰かが決着をつけないことには始まらない。次のゲームも始められない。
いつもこの時期の夜になると思い出すのは札幌にいた頃のある夜のこと。別に好きな女と一緒だったわけでもなくて、ジョー・パスが好きだという友だちの家にいて、ひょっとすると、彼のジョー・パスのレコードが回っていたかもしれない。何のためにそこにいて、何をしていたかも忘れ去っている。ただ夜風の気持ちよさだけが30年経っても残っている。ただそれだけ。ほんとに何でもない時間だったけれど、不思議な思い出になってしまっている。そしていま、開け放った窓からは雨のにおいと夜風。

 《空を見上げて、違う雲が見える昼があれば、同じ月を見る夜だってある》

キミはこの雨をどう感じるんだろう。




■2004/05/16 Sun■  ツッコミ [長年日記]

こういう日(どういう日なのかとツッコマないように)はルーチンワークに限る。なぁ〜んも考えないでひたすら、maggot-p.comに書き換える。
このまごまご日記はtDiarの売りのツッコミ、要するに読む側と書く側のコミュニケーションツールってわけで、これは標準仕様になってるのだが、自分勝手、自己中なボクのことですから、「ひとの日記にごちゃごちゃ抜かすな、なんで人の日記に横から落書きされなアカンのや」とこのツッコミを表示しないように設定していた。だからツッコミの表示はしないんだけれど、単日表示にすると、ツッコミ用のフォームが現れる。このフォームが外せないんだよねぇ。そうして書き込まれたツッコミは、表向き表示はされないんだけれど、adminとして編集ページに入ると、これこれのツッコミがございました、という仕組みになってるのだ。あんまり詳しいこと言うてもわかりませんよねぇ。
さて、ルーチンワークをしていると、《まごまご日記2003/04/18 Fri 「町と街、道と路」》に、中澤正信さんという全然知らない人から2004/03/11に
寺山修司の偉大なキャッチコピー「書を捨ててまちに出よ」の「まち」が町と街のどちらだったか分からなくて調べていたら、あなたのホームページに行き当たり、疑問が氷解しただけでなく、主張にも同感できて大笑いしてしまいました。私の感覚でも「町に出る」のは1960年代か70年代ぐらいに都会の喧噪にあこがれ、都会の生活を夢見ている「田舎青年」です。そうですか、寺山修司ともあろう人がねえ。しかし、考えてみたら、60年代や70年代前半あたりに「街」という言葉が市民権を得ていたのかどうか。ひょっとしたら、その後に定着して「町」から別れたのかもしれません。調べてみます。多謝。
というツッコミがあったのを発見。退屈なルーチンワークでもしていないと気づかないところだった。本文からツッコミまで1年近く経ってるしね。
なんにしろ、ありがたいことです。こういうツッコミって、書いていてうれしいもんだよ。しょもないツッコミもあるんだけど、をっしゃ、また書いたろやんけと奮い勃たせてくれる。(こりゃ、わざと漢字まちがうな)
いちおうツッコミがあったら、その内容がメールするように設定してあったんだけど、それもいつの間にかメール送信しないになってた。いちおうメールフォームつけてんだけど、ほとんど無いしな、ツッコミもほとんど無いしな。これを機にメールフォーム外したろかとも思うてんけど、本文末からヘッダー部分に移して残すことにした。

なんか書いてこいよ。いへ、何か書いてください。


 


■2004/05/17 Mon■  壊れていく、壊されていくモノどもへ [長年日記]

ちょっと寂しくなるのは、ボクが写してきたモノたちってのが、どんどん取り壊されている。そのようなモノどもばかりに、気が惹かれて(おびきよせられて)、シャッターを押してしまうのだから仕方がないといえば仕方がない。つい最近取り壊されたモノといえば、西長堀の倉庫。あら?いま探してみたけど、その写真全然アップしてへんねぇ。あの写真、好きなんだけどなぁ。きれいさっぱりなくなってしまってた。

きょうもアカ組事務所に遊びに行った帰りに、飛田のロータリー、このロータリーというのももうすでになくなって、阪堺線の踏切と連動の信号がついてしまって最悪よ。ちなみにこの踏切、『仁義なき闘い』でどこぞの親分が射殺されるシーンで登場。この踏切で現実にヤクザの抗争事件があってもおかしくない場所にある。あら?また話が脱線してるな。だいたい、話がストレートに進まないのは爺いの話の特徴でありますが、その踏切のすぐのところに「月光仮面」という名の中華屋があったのだが、これ、前から写そうと思ってたんだよ。中華屋に「月光仮面」というネーミングもたいがいなんだけど、そのようなVOW的、看板屋的興味以上になんともいえない雰囲気が漂っていた。ところがきょう通ったら、きれいに改装されて、同じく中華屋でありながら違う名前に変わってしまっていた。惜しいことしたなぁ。なくなってしまうと、なんとなく口惜しい。いつでも写せるとか思ってるのがいかんのよな。

きょうのうらまごにも書いた松本コウシさんという写真家のサイトを見ていると、

一見すると、旧き時代のものが壊れていく寂寞な感情が漂いそうだが、実際はひどく殺伐としたものだった。住民は喜んで「あべのベルタ」へと移り住んでいったし、街が壊されていくのを惜しむ人がいるようにも思えなかった。
期間限定でパスワード解除されたPrivacyのページに書かれていたので、引用するのもどうかと思ったけれど、ボクもそれらのモノを前にして同じように感じてしまうのであえて引用させてもらった。(都合悪ければ引用外します)

壊れていく、壊されていく、だから撮っておきたいじゃなく、なんて説明すればいいんだろ。とにかく衝動的にシャッターを押させるだけの欲望のようなものを感じる。だけれど、その瞬間ののちに非常な粉砕機が待っているのも現実なのだ。




■2004/05/19 Wed■  もぐちゃんの死 [長年日記]

きのうの朝、点滴してもらって、体温も上がって、家に連れて帰ったら、ちょっと元気になってた。元々、もぐは食いしんぼだから、ごはんも食べる気になって、ごはんのところまで、ふらふらした足どりで歩いて行ったけど、ごはんに顔つっこむように倒れてしまった。ごはんは食べたいという欲求はあるのに、もう身体が言うことを聞かなくなってた。Bにはもうわかってたのかな。「先生は何も言わなかったけど、たぶんもうダメだよ」
それから、あとはじっと寝たまま。身体さわってみたら、また冷たく固くなってて、ひょっとしたらもう死んでしまったんじゃないかとあせって、揺り起こすように撫でてやってたら、またもそもそと動いたのでホッとした。 だけれど、もうほとんど動かなくなってかすかにおなかが息するので動くのがわかるくらい。
夜になると、AzとBがつきっきり。ボクは何ができるわけでもなく、かといって何かほかのことをする気にもなれない。ただぼーーっとマックの前に座ってルーチンワークしてるしかなかった。
夜中の1時頃に二人が急に「もぐちゃん!」と大声で呼びかけるので、あわてて見に行くと、ちょっと苦しそうにもがいて、口から胃液なのか少しずつ戻している。二人が必死にもぐを撫でてやって、口のまわりを拭いてやっている。やっと落ち着きを取り戻したか、また静かに寝いった。だめだな、もうもがき苦しんだりするならこのまま逝かせてやりたいってふっと思ってしまう。
3時頃、自分で起きあがって、ちょっとだけ動いたらしい。「もぐちゃん、動いた!」とAzが叫んでた。それが最期なのかな。さすがにボクは4時前に寝てしまった。

朝7時前に目がさめたら、二人はもぐにつきっきりで、身体を撫でてやっている。ボクに目で、もうダメだ、ダメだったと答えていた。ごく弱く、たまにおなかのあたりがぴくっと動くようだけれど、もうすでに息もしなくなっていた。ずっと吐いてたのかな口を開けたまま逝ったようで、死後硬直が始まっていたのか、口が閉じなくなってしまってた。苦しまないで、静かに寝た状態のまま、逝ってしまったのがせめてもの救いかもしれない。

もぐは考えてみれば、もうええ加減おっちゃんだったんだ。でも一番甘えただったから、いつまでも子猫のように思ってた。
いつも頭をすりつけてきて、ほとんどごはんちょうだいのおねだりだったんだけど(笑) 猫エイズで歯抜けだったから、いつも顔はよだれだらけで、そんな頭をすりつけられたら、べちょべちょにされるので逃げまわってた。 ごはんやると、一番先にがっついて、他の子のために別の入れ物に入れてやると、自分が食べてたのはほっといて、そっちに頭をつっこんできた。
よだれだらけだから、いっつもきちゃない顔しててさ、とくにこの1年ほどは自分で体なめまわすから毛もかたまって汚い、汚い。
でも可愛かったな、よく遊んでほしがった。だからいつまでも子猫て感じだったのかな。うちでは「ミエ」っていうんだけど、猫のおもちゃが壊れてプラスチックの棒だけ残ったのに、金色のひもをくくりつけたのが好きで、 「ミエで遊んで」って自分でくわえてもってきた。
おとといの夜、なんでだろ、珍しくボクが寝てる枕の上で寝てたよ。つまりボクの頭の横で寝てた。もうそのときからやばかったんだね。
ほんと性格のいい子が先に逝っちゃうよ。このごろは新しく来たまめちゃんやミシマ君とばかり遊んで、もぐとあんまり遊んでやらなかったなぁ。もっとミエで遊んでやればよかった。


 


■2004/05/22 Sat■  同窓会?お気楽な恩師たち [長年日記]

夕方から同窓会。もう何回かしてるというのに、知らん顔だらけ(笑) 向こうがこっちを知っていても、こっちは向こうを知らん。その誰もがひとかどの社会人になっているが、それよりか興味ない。
クラスごとに一人一言ずつしゃべれって、
「この先生らを見ていると、非常に気楽に生きてられるように見える。気楽だからこそ、長生きされてる。きっとボクも長生きするでしょう」
とのたまってやった。あとで榎本としゃべってたら、そこに割り込んできた誰だろ、そう非難してるわけでもないのだろうが、恩師がずらっと居並んだ前で、よくあんな失礼なこと言えるなぁと言いにくる。非難されてるような顔つきでなかったのでむかっともしなかったのだが、あれはボクにとって先生たちへの最高の賛辞なんだけどなぁ。社会的にひとかどの位置におられる人にとっては、他人いや恩師ぬ向かって「気楽に生きてる」なんてのはよろしくないんだろうな。こういう場合、社交辞令上は「先生、いつまでもお若くて」と言うべきなんでしょ。でもなんか空疎に感じてしまう。
最近、教師に対して社会的に締め付けが厳しい。ろくでもない教師も多いことは多いが、ろくでもないのは教師に限ったことでなく、議員先生しかり、官僚なんてろくでもない巣窟じゃないか。教師なんてのは閉じられた世界にいるわけで、周囲から「先生、先生」と持ち上げられる(その割に給料少ないのはお気の毒。言うだけならタダだからな)。だけどな、ボクが賛辞を送るのは、「お代官さまぁ」のことばにふんぞり返るのでなくて、気楽に自分の人生を楽しんでおられる(をい、敬語だ)ことに対してなのだ。そいう自分の人生を楽しんでいることを見て子どもたちは育つのだよ。研修、研修とがんじがらめにされ、去勢されてしまった教師なんかに魅力のミの字もあろうはずがない。
前で「先生たちは気楽だ」とのたまったあと、ラッパとひとしきり話し込む。ラッパには教科をもってもらったことはないが、どういうわけか、ラッパにいろいろと蘊蓄を聞かされた。きょうもさんざん聞かされたのだが、そのラッパがボクのルーツの一つになってることは確かなのだ。
結局、いつも顔合わせているメンツとちょこっと世間話をしたくらい。それよりか、菅谷先生の生き方、ボクに言わせれば気楽な生き方に耳を傾けるのに終始してたな。菅谷先生をはじめ、先生らのその後(50歳以降)の生き方にすっかり魅力を感じてしまったのだ。
 


■2004/05/26 Wed■  ひきだしの石 [長年日記]

先週1週間は、突発イベントの目白押し(くわしくはうらまご参照)で、たいがいパニック状態。そこへもってきてうらまごにも書いてない裏うらまごアフェア(なんじゃ、そら? ♪〜うらのうらはただの表だったりして)も重なって、堪忍してくれよぉーって悲鳴あげてんだけどねぇ。疲れたぁー。これって大殺界なんすかねぇ、細木さん。
《もともと大殺界なる言葉は東洋占術の本場である中国には存在しない言葉ですし、我が国でも昭和57年になって突然現れたものです。六星占術という新商品を売り出すためにあえて大袈裟な呼称を考え出したのだろうと思われます。》
なるほどねぇ〜って、ほとんど興味なし。ちょっと検索かけたら「こんなん出ましたぁー」ってことで引用いたす。
大殺界だからどうだってことでもなくて、こりゃきっとカルマだね(坂本龍一だったか「それはカルマですよ」と何かで連発してたな)、表もうらも裏のうらもどれもこれも。そのカルマに逆らう気などさらさなくて、目の前に流れるカルマからまたひとつきらっと光る石をつかんでは、ころんとひきだしの中にしまう。
 


■2004/05/27 Thu■  『猫に未来はない』 [長年日記]

『猫に未来はない』と書いたのは長田弘だった…と書こうと10日ほど前に思った。それは猫の脳には未来を考える部分が欠落してるからだと、脳のどこなんだと調べてみようと検索したら、なんとこのまごまご日記がひっかかって、しかもつい1ヶ月ほど前(■2004/04/20 Tue■)に書いたところだった。前頭葉萎縮…たはっ。『猫に未来はない』はうちの書棚のどこかにあるはずなんだけれど、探し出そうという気力などとうていなくて、それならと図書館にあらあなと行ってみたけど、なんせ30年から前の本なので、図書館にもなかった。ちっ。
猫は1年、2年、ましてや10年先のことなど考えてなくて(考えられなくて)、いまを精いっぱいに生きてるのだとかそういうことが、そのあとがきだったかに記されていたはず。ずっとずっと、一緒にいようねなどとは考えられなくて、いまくっついて寝ていたら気持ちがいいからと、それだけでくっついて寝る。と、ふと目を上げると、視界に3匹、4匹、ばらばらに寝てた。

2年近く前に、マンションの駐輪場あたりに一匹の猫がいついて、妙になついてきてた。どこかからの迷い猫だったのか、たぶんどこかの家で飼われてたのかもしれない。ああいう猫というのは警戒心が強くて、男のボクが近寄るとさっと逃げ出してしまう。さすがに猫狂いのBが近づくと反対によってきてごろごろ気持ちよさげに寝転がった。そして、勝手にシロロンと名前をつけた。シロロンというからには当然白猫で、うっすらと猫の額に茶トラの縞が残っていた。
あまりになついてきて、性格もおとなしく可愛かったので、家に連れて帰ってきた。シロロンは何日かうちの家にいたけれど、他のうちの猫どもとはほとんどなじむことができなくて、じっと窓から外をうかがっていた。かつて飼われていた家のことでも考えていたのかもしれない。
仕方がないので外に戻してやった。外に戻してやってからも、Bが帰ってくる時間をしっかり学習して、じっと待っていた。Bを見つけると、大きな声で鳴きながら近づいてきた。そしてボクを見つけても近づいてくるようになった。でも撫でてやろうとすると、ふっと身をひるがえしてすすっと後ずさりしたんだけど。
そんな日々が1年ほど続いたんだったかな。ときには姿を見せない日もあったけれど、また次の日はしっかり同じ場所でシロロンは待っていた。
そしてぱったりといなくなってしまった。元いた家を見つけたのかもしれないね、とBと話した。

1年、2年先のことなどわからない。考えられないから考えない、考えたくない。まして約束なんかできない。それでも1月、2月先のことくらいなら、この萎縮した脳でも考えていた。




■2004/05/31 Mon■  海色月 [長年日記]

「5月に もう期待するのはよそう」(白石かずこ)
と思った。のに、いつか期待していた自分がいた。バカだな。

そして

海色月というのは五月の古名だが、さながらこの季節には、海はその青をつかの間の空に譲って、この音楽堂には、怒涛のような終曲が青一色にうねりあがり、絶え間なく落ちかかってくるように思われる。
中井英夫 『白い夕映え』
5月最後の日に、口約束も果たせないまま、まして海を見るでもなく、低く垂れ込めた雨雲に青一色に染めあげられることもなく、夜中に一人、雨だれの音だけが君といるはずだった時を刻むのを聞く。


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