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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

2004年
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■2004/08/01 Sun■  放浪癖 [長年日記]

今年の夏は悲しいくらいに予定がない。ないことはないけれど、一人でぷらっと放浪する予定がないのだ。が、よく考えてみると、ほんとにひとりでぷらっと、あてもなく、今晩どこで寝るのかも考えずにさまよっていたのが懐かしい。ちょっと日記などから拾ってみると、

95/07/31-08/2021日初北海道
96/08/07-08/2115日北海道巡礼
97/08/02-08/2423日日本縦断ツアー
98/07/31-08/1516日おくの奥の細道(東北)
99/08/14-08/229日このみちはいつかきたみち(九州)
00/07/28-08/0710日まごっと版・逃亡者2000

をー、この6年ほどは過激だねぇ。01年の夏は某所に潜伏して^_^; 02年はヤモと東京徘徊しただけ。去年はキャサリンとヨーロッパを歩き回ったから、ちょっとは派手だけれど、何だか21世紀になってからしみちょびれとるね。とにかく「ひとりで」というのがないのが辛いワ。ひとりじゃなくてもひとりで動き回ってたのに。ひとりになったら、ひとりで動き回れなくなった。わけのわからんこと書いてるなぁ^_^;
あのですね、基本的に「ひとり」というのが好き。でも....でもなんなんだよ、と言いましたね。

というわけで、きょうから8月。先週1週間はテニス漬けでくたばったせいで、きょう久々のオフは、ちょっと昼にタバコを買いに出たら、あまりにジリジリと照りつける太陽におそれをなして、家でくたーっとしながら、金本701試合フルイニング出場を祝ってたのだ。
まぁ、こういう夏もある。友だちん家に遊びに行ってもいなくて、暑い中をとぼとぼ歩いてた高校生だった夏を思い出す。




■2004/08/02 Mon■  どらいブゥ〜 [長年日記]

■西脇・岡之山美術館 予定していた行き先が急遽立杭に変わったので、それならついでに岡之山美術館に寄って行くことに。が、月曜休館だよ。ばぁ〜ろ、ちゃんと、調べとけ。悔しいので、美術館前にある横尾の壁画?の前でセルフ記念写真。

■立杭 陶の郷入園料1人200円というのは何なんでしょ。観光物産センターで陶器を買うだけならタダでいいのに。陶器の安売りもなかったしさ。でも2枚で1万円の皿、気に入ったんだけど、さすがに手が出ず。帰ってから思い切って買えば良かったかなと思う。まる八窯でもう少し庶民的な皿を3枚買う。

■山崎 昼飯食ってたら、いきなりサントリーの山崎工場でしか売られていないウィスキーを買いに行きたいと言い出す。あのぉー、方角、反対なんですけど。が、篠山から亀岡抜けたら早いと、ボクのナビははじき出すのであった。かくしてデカンショ街道ひた走り。亀岡からは400円の高速も使って、長岡京を抜け、サントリー山崎工場に着いたのが5時5分前。が、工場見学は4時半まで。肝心のウィスキーも買えず。どっと疲れが。誰じゃ、5時までなどと言うてたのは。
受付のコンパニオンお姉さんが「パンフレットだけでもお持ち帰りください」と言うのに、「パンフレットで酔えるかいな」と飲みもせんのに言うてるボクちゃん。でもよぉ、役所じゃないんだからぁ。たかが、酒屋でしょ。「鳥居はぁーん、鳥居はん、酒売ってくれへんかいなぁ」
「こら、サントリー、火ぃ点けたろか。よう燃えるやろな」と騒げど、どっと疲れた。

■橋本 まっすぐ帰るにもちょっと早いので、山崎のちょうど対岸の橋本遊廓跡を見に行く。しゃかしゃかと写真するもいまいち気合いが入らない。橋本の駅のすぐ前の元遊廓の廃屋はすでにとり壊されていた。こうして消え去るのは残念だけど仕方がない。洋食の店=やをりきは営業していたので、中をのぞくと、カウンターにひとり座っていたおっちゃんがこちらを訝しげに見る。まだ全然おなかが空いてきてないのでやをりきは断念。
家に戻れば7時過ぎ。一日家でごろごろしているよりずっと心地よい疲れが。




■2004/08/03 Tue■  初恋の女の屈折? [長年日記]

美知子(仮名)というのは、ボクの初恋の女というわけでもなくて、ずっとずっと多情であったボクにとっては何番目かの女。でもまともに好きだと言ってつきあったのは彼女が最初だった。その美知子(仮名)はボクが屈折する以前につきあっていて、というより彼女と別れて屈折したというほうが正しいかもしれない。正直なところ、美知子(仮名)と別れたそのショックのあまり、彼女とは正反対の女とばかりつきあってた。つまり、美知子(仮名)というのは、世間的にかなりまっとうな女、彼女を知る誰もが良識的だと認める女だったわけ。
だから数年前に会ったときも、ボクに対して、まだアホばっかりやってんの、いい加減に落ち着きなさいよ、とははっきり言いはしなかったけれど、そういうふうにボクを見ておって、あるいはそうボクが感じていて、ああ、やっぱりこの女とは合わなかったよなぁ、別れていて(実際はほとんどボクがふられたのだが)正解とつくづく思ったのだった。だって、ごく普通の服装だったしね。マダムってわけでもないし、ハデハデでもなかったし、服装の好みからして合わないやってね。ということは逆説的に、いまのボクをつくり出したのも美知子(仮名)だったかもしれない。だいたいボクって男は、一度好きになった女はずっと好きなままで、どこかにまだ恋愛感情に似たものを持っているのだけれど(このことは別の意味も持つかもしれないが、いまはそのことは、おいといて)、その数年前に会ったときに、嫌いになったわけでもなくて、しっかりボクの中から外してしまったのだった。
さて、なんでこういうことを急に書き出したかというと、少し前にも美知子(仮名)と会う機会があって、そのときはちらっと顔を合わせただけで、会釈ぐらいはしたか、別にことばを交わすこともなく、ボクはボクで他の人たち(主に女)としゃべってた。そしてそのときはいろいろと忙しかったし、いまいち乗り気ではなかったから、さっさと帰ってしまった。そのときに集まっていたかなりの人たちはまだ残って二次会、三次会と続けたらしい。で、その誰もが良識的だと認める美知子(仮名)なんだが、数年前の時には、さっさと帰ってしまったのだが、こないだのときは居残っていて、そして、なんとそこに参加していたとある男がとっていたホテルの部屋で朝までいたという。
このことをボクにチクってくれた奴だけでなくて、その事実は何人も知っていて、みな、一様にあの美知子(仮名)が....とびっくりしたという。ボクは知らされたからといって、いまさら嫉妬に燃え狂うわけもなく、いや、ほんとだよ。ふーん、あの美知子(仮名)も、表には見せないところがあったんだなと思った。大学を卒業して、ごく早い時期に結婚して、結婚してからもずっと仕事はしていたけれど、誰もが認めるような良識的な生活をしていたにもかかわらず、五十を越えて、彼女も彼女なりに屈折したのか、いろんなことから放たれて余裕ができて自分を見つめ直しての行動なのか、すべて憶測だけれど、それはそれでいい。だけど、歳とってからの遊びなら怖いぞぉ。いや、美知子(仮名)のことだ、遊びですじゃ済みそうにないな。そうすると、なおさらだね。



■2004/08/04 Wed■  アンタの200円はボクの2000円 [長年日記]

どうでもいいことだけど、倒産して差し押さえを逃れるのに資産隠しやったらイカンわなぁ。これまで「順風満帆」に生きてきたんでしょうが、アンタの200円はボクの2000円というような、ん?反対か?ボクの200円はアンタの2000円?いや、やっぱり前者だな、そういう生活をしたはったから。ボクだって順風満帆に生きてきてるけれど、そのレベルが違うわな。これからはボクの2000円はアンタの2万円って生活してみなはれ。アンタにそういう生活をさせてきたアンタの周囲の人間どもがきっとサポートしてくれるでしょ。先日もそんな連中に囲まれて、だいぶもちなおしてきてたそうだから。「そうだ」というのは、ボクも同じところに居合わせたけれど、そんな連中にはまったく興味がないので近寄らなかったのさ。だからアンタがいたことも、アンタにとっての災難もまったく知らんかった。引き続き、ボクはシカトしてます。友だちだったってわけじゃないから。

全然、話は変わりますが、今年上半期の暴言はどれだ?とラジオで電話投票してた。エントリーされてたのが、
 ナベツネの「たかが選手が」
 コイズミの「人生いろいろ」
 布袋の「火遊びが過ぎました」
の3つ。堂々、過半数の票を集めて、ナベツネが第1位に。コイズミが40%ほどで第2位。意外と布袋は少なかったな。上位2つはかつーんと来るわな。それに比べて、布袋は元々アホだから、アホぬかしても、またアホ言うとるわで済んだってとこでしょうか。その分でいうと、コイズミもたいがいドアホだし、ナベツネなんかボケが入った自己中爺いだが、とにかくどれにも共通するのは、

    祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
    沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
    驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
    猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。



■2004/08/06 Fri■  君がいて僕がいた [長年日記]

きょうのうらまごにも書いたけれど、熊本県の高校の先生の携帯にまいこんだ一通のメール。そのメールは偶然まいこんできたのじゃなくて、そこに何らかの偶然でないもの、作為的なものを感じ取っていたら、赤っ恥かかずに済んだだろうに。人と人の出会いなんてすべて偶然の産物だということがわかっていれば。
キミがそこにいたのも、そして同じときにボクがそこにいたのも、全くの偶然でしかない。君がいて僕がいた。舟木一夫ですな、なんて言うてもわからんか^_^; 正確には「君たちがいて僕がいた」ですが(笑) 確かに同じ時空間で出会うというのは偶然でない、何らかの共通した要素があるかもしれない。それでも偶然を見つけ出すことは稀にしか起こらないだろう。だから見つけた偶然はだいじにしよう。だいじにすることができたら、偶然は必然になりうる。そうすると、偶然がさし出す悪戯さえ受け入れられる。 Que sera, sera....

だいたいあらかじめ人に仕組まれる、あてがわれるなんてつまらない。

ボクは、ずっと「すれ違い」ということばが好きで、人生なんて「出会い」より「すれ違い」なんじゃないか、なんて思ってる。もしあのとき、出会ってしまってすれ違わなければ、いま、こんなふうになってなかった、と思っている。そして、あらゆることがすれ違いの上に成り立っていると思ってる。君がいて僕がいたのも、すれ違いでしかない。そのすれ違いの瞬間をどれだけ大切にできるか、できたか、それだけのこと。




■2004/08/08 Sun■  ガーリー [長年日記]

ガーリー御三家というのは、長島有里枝, Hiromix, 蜷川実花。その蜷川実花の写真展《over the rainbow》を見に行った。あのてかてかの極彩色、出したくても出せないなぁ。
《男性カメラマンはプロ、アマチュアを問わず、「あの色は出そうと思えば簡単に出来る」と言って、蜷川の仕事を貶したいひとが多いようだが》(真・写真時評)、出そうという発想ができないのが男でしょ。ライカだのニコンだのもってピカピカに磨きかけて、そういうカメラを持つことで満足してる。ボクはってうと、ライカなんて猫に小判。コンタックスのT VSを手に入れても、かのチタンボディー早くも擦り傷だらけ。こないだ修理に出したCannonのデジカメだって、Cannonに持ち込んだら、「これだけ傷んでいたら...」と言われる始末。モノを大事にしないと言うんじゃなくて、ご丁寧にカメラバックに入れて歩いてたら撮れるものも撮れないから、こんなになった。あ、本題からずれてきた。
お決まりのベスト着たおっさん写真家のことなんてどうでもいいんです。赤瀬川先生もライカ同盟だなんて言うてるようじゃな。原平先生がライカで写した猫の写真、見たことあるけど、そりゃあ、ライカですもの、くっきりすっきり。ををーっと思いはしたけど、それっきり。あ、だから本題からずれてんだって。

うらまごにも書いたのだが、この蜷川実花の写真展にやってくるのが、ほとんどが20代の女の子。行ったときがたまたまそうだったのかもしれないのだが、いや、たまたまじゃないだろう、おじさんなんてボクひとり。これってね、きっと世の男どもは、あの写真をバカにしてるのだろう。自分の範疇に収めきることができない、あるいははなからシャットダウンしているのだ。あたかもセックスにおいて、いわゆる変態と言われてきたものを拒絶するのと同様に。開けてみれば、花もあれば実もあるのにね。
ラストのコーナー(写真上)はいったい何だろう。この写真展の基調となる真っ赤、展示されている写真の壁も真っ赤、に塗りこめられた一角で、女の子たちがノートらしきものを書き込んだり、読んでいたりしている。そして壁には何だか額がかけられている。そのスペースは靴を脱いで入って行かねばならず、さすがにボクといえど踏み込んで行けなかった。向こうから拒絶してくるものを感じてしまったのだ。
会場のHEPを出た後、ぶらぶらと茶屋町を歩きながら、テアトル梅田にたどりつく。『dot the i』という映画をやっていたのでふっと入ってしまう。《2人の男、1人の女。・・・もうひとつの視点》《狂い続ける愛の結末》と謳うポスターを見て、ふつう50過ぎの男が一人では入らない映画だな。案の定、10人ほどの観客のうち、男はボク以外に1人だけ(その男は彼女と)。2人の男と、8人の女。・・・
《狂い続ける愛の結末》というコピーで、蜷川実花と同様に、はなからシャットダウンしてしまってんのか。考えてみれば、きょう一日、目の前を通りすぎた人間の70%は女だ。いったい男たちはどこに消えたのだ。家の中でパンツいっちょでオナニーしてるにちがいない。これほど女たちが飛び跳ねているというのに、ライカを磨いているだけなのか。
《狂い続ける愛の結末》は、女は怖いだったさ。



■2004/08/09 Mon■  追悼 リック・ジェームス [長年日記]

8月6日 9:20AM
 リック・ジェームスが逝ってしまった。

せめてもの救いはロジャーや2パックのような悲惨な死に様でなく、既往症による穏やかな死だったことか。それでも介護士が死んでいるのを発見したという。介護士の世話にならなければならないほどの状態だったのか。クラックやって暴行事件で逮捕されてから、リックがひどく肥りだしたのが気になっていた。数年前にはついに日本にもやってくると言われたのに、クスリの前科のせいか、日本に入国できないことが判明、キャンセルになった。最近のリックの写真はかつてのSuperFreakの見るかげもなくぶくぶく肥って、体調があまり良くはないとうかがわせるものだった。それがクスリの後遺症なのか、キックオフするための反動だったのか。
夜になってキャサリンと二人で "Ebony Eyes" を聞いていると目がうるんでくる。キャサリンが「やっぱりアメリカにまで見に行けばよかった。」と言う。その昔、リック・ジェームスが日本に来たら、リックの部屋でお泊まりしてもいいぞ、なんて冗談言ってた。それくらいに、ボク以上に、何倍も何倍も、リック・ジェームス・フリークの彼女だから、行かせてやったらよかったなぁって、でもビヨンセならいざ知らず、リック・ジェームスならボクも絶対に行きたかった。キャサリン一人で行かせるわけにいかないか(笑)
リックのオフィシャルにはこの前までライブの日程などもアップされていたのに、いまは、お葬式の日程がアップされている。そして
《 LEGENDARY MOTOWN ARTIST》・・・伝説のモータウン・アーティスト
リックのレーベルがゴールディ(モータウン)であったことが、幸だったのか不幸だったのか。まさに「伝説としてのモータウン」にあって、唯一無二のファンカーだったよ。「伝説のモータウン」が「看板としてだけのモータウン」になりはて、時代の流れがリックを埋もれさせ、押し流し、溺れさせたという気がしてならない。それでもリックには自分のファンクが絶対だという自信があったんだね。そしてリックがそう言うのなら納得できた。あの逆向きの流れの中でファンクを生きてきたんだから。きっと不器用だったんだね。オヤジ(クリントン)のようにしばし逼塞してればよかったのに。もがけばもがくほどに、流れから取り残されて行った。されどファンクだったんだね。

リック・・・ファンクをいっぱいありがとう。安らかに。














■2004/08/10 Tue■  ミュージッシャンの死 [長年日記]

人が死ぬのは、こればっかりはどうしようもない。つい最近ではアンリ・カルティエ・ブレッソンが、半年も前だけど、ヘルムート・ニュートンが死んだ。
写真家や作家が死んだところで、確かにもう新しい作品に触れることができないという理由で惜しいという気がする。ブレッソンの場合はもう撮ってなかっただろうから、そんな気も起らなかったのだが。ところがミュージッシャンや役者が死んでしまうとどこか辛い。役者といっても映画俳優なんてのは写真家や作家と同じにただ惜しいってだけなんだが。役者て言ってパッと頭に浮かぶのは唐十郎くらいか-_-; 唐さんはまだまだ元気だけど。それで、その違いはミュージッシャンや役者は生身で自分の前に現れるから、キザった言い方をすると、もう彼らと空間を共有することができなくなったからってことでしょ。
一番、ショッキングだったのは、ジョン・レノン。レノンなんてはるか雲の上の人であっただろうけれど、ミックにしたってディランにしたって生きているからこそボクの目の前に現れた。そのことは決して忘れない。だからいつの日にか、レノンが殺されてさえいなければ、何がなんでもレノンは一目見たかった。
ジミ・ヘンもジャニスもそう。とくにジャニスの場合はジミ・ヘンからたったの2週間だったから、なんでなん?どいつもこいつもどんどん消えて逝きやがって、とジャニスの死でジミ・ヘンのショックが増幅されたのだった。そして時間の流れからすると三島由紀夫。あまりの凄惨な死であっただけに。三島のこと書くと長くなるからおいとく。ミュージッシャンでいくと、ジャニスから半年でジム・モリソンかぁ。もうわけわかんねぇ〜って、どいつもこいつもクスリ漬けになりやがって。くぅ〜、その筋ではエディ・ヘイゼル。エディの場合はP-FUNKの脈絡だから、世代的なショックなんてのはないんですけど。世代的なショックっていうと、シド・ビシャスですか。それと尾崎。でもここらはボクの世代じゃないからショックなんて感じなかった。
マービン、ロジャー、2パック、ビギーの4人。4人とも殺されたから。マービンは伝わってくるのに時間がかかったから、自分的にはそんなショックってわけでもなかった。ブラックの間では「なんでマービンなんだ?」とかなりのショッキングなニュースだったと詠美が書いてた。ボク自身でいうとロジャー。殺ったのが兄貴だったし、その兄貴も直後に自殺してしまうなんてひどい話だったもん。それに3度も間近でライブ見ていて、そんなふうに間近に接していたのが突然殺されたと聞くとつらい。

結局、簡単に言うと、レノンもジミ・ヘンもジャニスもモリソンも、そしてリック・ジェームスも見たかったなぁ、もう見れないんだなぁって心残りってわけ。と、それだけのことだ。だけど、いまここにあげたミュージッシャンはそれだけで済まないものをボクに残してってくれたのだ。

ついでの話。さすがレノンというべきか、リック・ジェームスの場合は彼の死からボクのアンテナにかかるまで2日以上かかったのに、レノンはたった数時間だった。昼にFMをたれ流してたら、突然ジョッキーがしゃべりだした。あれ、ジョン・レノンがどうしたとか言うてへんかったと、それからテレビをかけてみたら、しばらくして大騒ぎになってた。そして夜には、ロックなんてというような奴までテレビに出てきて、ビートルズだけはちがったなどとほざきやがって、じゃっかましわいとブチッ。そうして『ダブル・ファンタジー』を回してたら、レノンのたたりか、プレーヤーの回転が急に速くなったり遅くなったりおかしくなった。ちなみにうちの『ダブル・ファンタジー』はほんとにたたられていて、これに限ってプレーヤーがおかしくなったのだった。結局、それはプレーヤーを買い替えるまで続いたのだった。




■2004/08/15 Sun■  anonymousな背中 [長年日記]

ここ数日、淡路島でテニスの特練。毎日毎日がカンカン照りだったから、もう堪忍してくれよぉ〜というくらい、雲ひとつないお天気だったから、いっぱい練習できてようござんした。お疲れさん。おかげ様でテニスの腕もめきめきと、真っ黒になって、どうするよ。いまいに皮膚ガンになるぞ。

さて、それはそれとして、ここ最近まご日記のサイドにアップしている写真が、以前の使い回しが目立つよな。別に謝る必要はないのだが、またこれかいなでは厭きるでしょ。というか、ボクの気分でピックアップしてるんだけれど、自分で気に入ってる写真ってそこそこ決まってくるんだよねぇ。
それと、ストリートキャメラに並べてみて一目瞭然になって愕然としたことだけれど、背中の写真が多いなぁ。あえてあまりに露骨に誰だかわかるようなのは避けているとこもあるのだけれど、やっぱり背中、顔がない。そんな気分なんだなぁ。
知った人間をアップしてあとからごちゃごちゃ言われるのも(言うやつがいるんだよなぁ)うざいし、街でanonymousな誰かさんを写しても、「あんた、勝手に人を写さないでよ」などと、文句言われたらどうしようって、いつもびくびくしてんだよ。案外、そんな小心者です(苦笑) それに、最近アホが携帯とかでバチバチと法律に触れるよな写真撮ってはパクられとるでしょ>早稲田の教授。こないだもね、ノーファインダーで自分で何写してんのかわからんままに歩きながらシャッター押したら、道端に座っていた女の子のスカートのけっこう奥まで写ってやがんの。全然うれしくないって^_^; で、脚のきれいな女や、夏だから露出部分多いっしょ、だから背中のきれいな女(ボクけっこう肩甲骨フェチです)をつい写したくなるんだけど、困ったなぁ。

というわけで、また顔のない背中の写真ですか。




■2004/08/16 Mon■  ブルータス、お前もか! [長年日記]

1週間ほど前のことだが、パーマ行って、その間にこれでも見とけやと渡された雑誌の1冊が「monoマガジン」、もう1冊が「ブルータス」。
それにしても「monoマガジン」のくだらないこと。内容なんてなんも無いよー(すんませんm(__)m) パラっと見ただけ。エスプレッソマシンどうのこうの書いてましたな。エスプレッソを一定に抽出するためにパックができたとか。それってコンビニで売ってるドリップコーヒーのエスプレッソ版にしか思えないんですけど。なんでこういうカタログ雑誌が売れるんだろうね。

一方、「ブルータス」のほうは特集は『BOYS' LIFE』 うらまごにも少し書いたけど、HIROMIXらのガーリーフォトに対して、男の写真はどうだらこうたら。あ〜、写真撮んのに、男も女もないと思うんですがね。
確かにエロ撮るのに、男には恥じらいというかテレがあって、それが逆に男の性感帯を刺激するみたい。それに対して女が撮るとなると、ハダカをオブジェとしてみてしまってんだから、エロでもなんでもない。どこぞのサイトでは『ちんかめ』で抜けるの抜けないだのという話で一瞬盛り上がってたけど、メイプルソープの『リサ・ライオン』で抜けるものなら抜いてみな。
メイプルソープも内藤啓介も女じゃないけど、そういうふうに考えてみたら、オブジェとして、いわゆるガーリーなんてのはメイプルソープのラインの上にある。そして、あら、そんな風に撮れるんだったら、ボクちゃんもボクちゃんなりに撮ったろやないけってのが『ちんかめ』なわけで(ちゃうか? w)、その逆手をとり続けているのがアラーキー、そうしたらアラーキーだってガーリーってことになんの、ははははは(←荒木経惟風に) だからぁ、ガーリーなんてのはないんだって。だからBOY'S PHOTOなんてのもなくて、ホンマタカシまで引っ張り出して来て、なにトチ狂ってんだ「ブルータス」。
というかね、いわゆるガーリーなんてのは、椎名林檎、赤坂真理、小野塚カホリという誰かによって仕組まれたラインだとボクは解釈してるんですけどね。仕組まれたのでないなら、バブル崩壊によって、男どもはすべてポシャリ、元来生命力が強い女の現れる条件がぴたっとそろった。ボクはまんまとそれに嵌められましたけどね。好きです、このライン。

そして揚げ句の果てに、BOY'S PHOTO撮るならこのカメラだとデジカメずらっと並べて、

お薦めのカメラがコンパクトばかりだったりするのには脱力させられる。
  (中略)
一部の婦女子たちは今やケータイカメラもビッグミニもロモも卒業してマニュアルの一眼レフを使いこなしているのだから、広告を出しているソニーに気を使ってコンパクトデジタル(サイバーショットは2台も)にまでページを割いている場合ではない。
ブルータス、お前もか!

ついででからね、赤瀬川先生よ、きょう見た「文藝春秋」だったかな、その中で「私の選ぶイチオシ」とかいう記事で、10何人かのユーメー人が、それぞれのmonoを推薦してんの。そこで原平先生のmonoはペンタックスの*ist D(デジカメ)だぁ。あぁた、ライカ同盟だったのじゃないの?! レンズも銀鉛のペンタックスレンズも使えていいですだとか、今度はコレ持って路上観察だってサ。原平、お前もか!!




■2004/08/17 Tue■  田園に死す [長年日記]

夜中に寺山の『田園に死す』をケーブルで見て、やっぱりかっこいい。かっこいいという言い方は変だけれど、かっこいいとしか言い様がないので、かっこいい。
『田園に死す』の中で、私は20年前の少年に会いに出かける。20年前の私は、私が作り出しただけの私でしかない。実際の私は、20年前にすでにしっかりと腕時計をしていたのだった。この映画を撮った当時、寺山修司は40歳になるちょっと手前だったから、その20年間という時間は妥当な時間であったのだろう。

さて、きょうはボク自身の誕生日。いまのボク自身にとって、20年間という時間ではもう間に合わなくなって、さらに10年間をプラスしないと始まらなくなっている。30年前の自分に会いに行かねばならない、というところまで来てしまったのだ。
どこだったか、原体験はどうであるとか書かれているのを、つい最近読んだ。現在の自分にとって原体験のもつ意味はどうであると書かれていたのかさえすぐに忘れてしまうようになったいまのボクにとって、30年前、さらに遡って50年近く前の原体験などというのが意味をもつのだろうか。そうして、その日のボクは、『田園に死す』の私と同じように、いまのボクが作りだしただけのボクなのかもしれないじゃないか。

夜明けごろから久々に降り出した雨は、一日断続的に降り続き、今年の誕生日を祝った。



■2004/08/22 Sun■  世界遺産・熊野古道 [長年日記]

19〜21の3日間、アカレコのメンバーと一緒に熊野に行った。元々は古座にあるトレーラーハウス借りたから、一緒に行かへんというお誘いにのっただけなんだが、熊野というとここ10数年行きまくっているので、言ってみればボクの庭みたいなところがあって、ここにこんなところがあるというのはむちゃくちゃよく知っている。だから、「かいちょー、どこ行ってもよう知ってるなぁ」となってしまうのだが、はたしてボクが彼ら20代のころに、これだけ知っていたかというと、そうでもない。やっぱり亀の甲より年の功にすぎない。ただ同じ年の人より遊び歩いてるのは確かだけど。
もうひとつは、どこかへ行くにしても、世間様はポイントからポイントへの移動、つまりクルマで行くなら高速をつっ走ってポイントに到着するとか、新幹線や飛行機でびゃーっと空間移動を済ませてしまうけれど、時間をかけてポイントからポイントまでのラインをたどるというボクのスタイルのせいかもしれない。
ひとつにはヒマなんですよ。時間を金に換算できるのならボクはとても裕福なんだと思う。もうひとつは、人間ケチなんですよ。例えば、大阪から東京まで行くのに、せっかく行くんだから、名古屋も蒲郡も沼津も厚木も楽しんじゃえって、わざわざ名古屋に行くこともあるのに、せっかく名古屋を通ってんのに素通りしてしまうのはもったいない、そういうケチ根性が身にしみている。だからって東海道五十三次を歩いて行こうなんて気にはならないんだけど。もちろん、東京行くのに名古屋でわざわざ途中下車したことなどもないです。

ところでつい最近、熊野が世界遺産などという得体のしれないものに登録された。登録されたことで紀伊半島のとんでもない森林伐採に歯止めがかかってくれるのならいざ知らず、登録されたからどうなんだとボク自身は冷ややかに眺めていた。確かにこれまで、熊野?それどこ?って人までかつて熊野詣という歴史事実を知るようになり、これまで開発によって寸断された熊野古道が保存されるようになるというのはいいことだ。だけどもそれはあくまで保存であっていい。保存するための開発などはいらない。例えば、伏拝王子に、世界遺産にかこつけてなのか、それともド腐れNHKの『ほんまもん』の中に出てきたかで、ひどく立派な休憩所ができている。伏拝王子など、世界遺産であろうが『ほんまもん』であろうが、何がきっかけでもよい、熊野古道に興味を持った人が静かに訪れればいいわけで、王子に至る伏拝の集落と《『ほんまもん』ロケ地》と大書された休憩所のアンバランスさに奇異なものを感じてしまった。あと何年か経って、その休憩所が朽ち果てるべく朽ち果ててしまう姿が見える。そのとき何を思うのか。和泉式部は供養塔のもとで眉を顰めてくすくす笑ってるような気がする。






■2004/08/24 Tue■  夏休み [長年日記]

    ♪〜 線香花火は もう消えた
       きれいな先生 もういない
あー、しかしなんでJASRACなんてうっせんだろねぇ。上の1行引用しただけで金払えって、おまえはNHKか。払いませんけどね。Lyricsなんてサイトじゃ、ばっちり歌詞あんのにねぇ。だから日本の音楽業界はバカだってぇーの。今度はCCCDってか。どんだけ受け手をバカにすりゃいいんだろ。
あ、話はそんなほうに進むつもりじゃなくて、もうそろそろ夏休みもおしまいだねぇ、小学生のお坊ちゃま、お嬢ちゃま。宿題やったかぁ〜(←いかりや長介風に)……じゃあなくてぇ、大阪の辺りじゃ7/21〜8/31の6週間ぶっちぎりで夏休みだったでしょ。8/10でちょうど半分終了。だいたい夏のイベントってのはそのあたりまででおさまってしまってる。次の1週間は盆でどこ行っても人いっぱいで、そしたらボクの誕生日がやってきて、ここで夏休みの2/3終了。残り2週間かぁと思うとちょっとさみしくなってきて、そして8/24、とうとうあと1週間。ちょうどそのときに、これって関西だけらしいんだが、地蔵盆で、おばちゃんたちは澄ました顔で盆踊り。子どもには地蔵さんのお下がりが配られて、別にもらっても好きなんはあんまりなくてうれしくなかったんだけど、ほんまに夏ももうおしまいやねぇって。今年の夏もなんもなかったなぁ、夏になる前はドキドキしてたのにって。誰?これ入れたん。あ、ボク、ボク

    ♪〜 波音が騒げば 雨雲が近づく
       二人で思いきり 遊ぶはずの
       オン・ザ・ビーチ
ふーっ、そんなふうにさみしい記憶ばっかりだったような気がするけど、ようく思い出してみたら、あのときふっと一目惚れしてしまったのも夏だったなってね。でももっとようく考えてみたら、年がら年中サカリついてたような、すなわち恋愛過多症候群みたいなもんだから、惚れるってことには季節は関係ないのだった。
んで、いまこれを書きながら、一生を夏休みの6週間になぞってみたら、ちょうど誕生日あたりなのかな、なんて気になってしまってる自分。今年は盆過ぎてから、クソ暑さもずっとましになったよな。



■2004/08/27 Fri■  世間の隅っこで足を咥える [長年日記]

をー、このページの左上のカレンダー見たら一目瞭然。今月8月の濡れた砂は木曜と土曜がすこーんと抜けとるねぇ。というか、水木金土の週後半は8/4と8/6だけ。それに対して日曜と火曜は皆勤賞。これってすごくない? とくに8月はあまり曜日とは関係ない生活をしておったにも関わらず、こんなに偏るもんか。
それはね、冬ソナにセカチュー……な、わけあるはずないやろぉぉぉーーー
えー、現にいまの今までセカチューがいつやってるか知りませんでした。わざわざ調べたんだよっ。でも『世界の中心で愛を叫ぶ』がセカチューと略すことだけ知っている。ついでに冬ソナもいま調べた。うううわぁーっ、NHKやんけぇー。見てるわけないもんねぇ。受信料払ってないから。今後も払う気なし! で、もう終わってしまってるやんけぇ。見たかったなぁウソ。冬ソナってのはヨン様、ユン様、ん?どっちだ? どっちでもエエですけど。
朝通勤途中のクルマのラジオに柔道でオリンピック3連覇した誰だったか忘れたが、とにかく男だ、そいつが出てた。8年前(どこだったか忘れた)、初めて金を取った日にちょうどやわらちゃんが銅メダルでスポーツ新聞の一面はやわらちゃんだった。シドニーのときも一面はやわらちゃんにさらわれた。そしてこのアテネでも、さすがに3連覇だからと思っていたら、田村亮子金メダル!その片隅に誰それ五輪柔道3連覇。ご免なさいね、ボクだって、田村亮子が金とったの知ってても、誰それクンが3連覇したこと知らなかった。

世間からずれている。まっとうに世間を見ることができない。あ、でもいまこれを書いてる日記ソフトの後ろに、さっき調べたブラウザのページがそのまま残っていて、ユン様だかヨン様だかの茶髪がちらっと見えてんですけど、きもいぞ、コラっ。「冬のソナタ」というロゴも吐き気がする。いま、えいやっ!とそのページ閉じました。ちなみにハリポタも見てません。しっかしなんでこんな、ハリポタだのセカチューだの、省略して話すのだ?? こういうのに疑問をもつこと自体、世間からはみごになりつつあるオジンの証拠なんでしょう。
ほんと、世間を斜にしか見れなくなっちまって、困ったもんだ。もっと暗さをっ!
それでオリンピックはいつ終わるの?




■2004/08/28 Sat■  人妻へメール(これなら文字化けしないで読めるでしょ) [長年日記]

あわてて出たものだから、いま読みかけの本(『箱崎ジャンクション』)をもって出るのを忘れ、仕事場の別室のダンボールの箱の中から本を物色してたら、出てきたのが詠美の『AMY SHOWS』。これ一冊できょうの空き時間をつぶすには心もとないのだけれど仕方がない。別にこの『AMY SHOWS』がつまらない本だと言ってるわけでもなくて、きのう喋ってたように、元々エッセイ集というのはボクも好きじゃないから。エッセイというのはノンフィクションですよという顔をしてフィクションだからね、ホントのような顔をしてウソだから、まさにエッセイとは似非だとまで言う気はないけれど、とにかく作家の舞台裏を見せてくれなくてもいい、彼、彼女が作り出してくれる世界を味わっているだけでいい、そのような理由でエッセイというのはあまり読む気がしない。
それでぱらぱらと手当たり次第に目に付いたところだけ拾って読んでいたのだが、この『AMY SHOW』の後半は本に関わること、詠美がたとえば林真理子の『星に願いを』の解説のために書き下ろした文章などが集められている。
と、書いてちょっと自分で苦笑い。というのは

《今に見ていなさいよ。私は、そのうち、林真理子みたいに有名な作家になっちゃうんだから。(もちろん当時はただの読者なので敬称略である)と、心の中で叫んでいたのだ。》 (下線部まご)

うはは、永遠に読者です、ボク。
あ、また横道にそれた。元に戻して、ここに集められた作家は、もちろん敬称略で、林真理子、田辺聖子、森瑤子、辻井喬、村上龍、安部譲二、群ようこ、景山民夫、藤堂志津子、佐伯一麦、光野桃、原田宗典、森詠、黒木瞳、花村萬月、松野大介といったラインナップ。うぅん、このうちちょっとでも読んだことあるのは7人だけか。半分弱(范文雀という女優がいたな。好きだったのに)か。もちろん集合と集合のandなので、半分弱というのは多いのか少ないのか。こういう書評とかを集められたら、読んだことない作家、たとえば光野桃の『おしゃれの視線』の書評を読んでもつまらないんだよね。ときにはそれがきっかけになって、読み始める作家というのもいるけれど。それと、この『AMY SHOWS』に限らず、書評集を見ると、ずらっといろんな作家が並んでいて、よくこれだけ本を読む時間があるもんだと感心する。彼、彼女らは、読むだけじゃなくて書いてるわけで、本来の書く時間のほうに多くを割かれるはずなのに、そこはやっぱりプロなんかな。ボクなんか、まだ人に比べればよく本を読むほうだけれど、それだけの書評を書くためには、倍の時間をかけてじっくり読まないと書けないだろう。となると、ますますそのための時間はどこから盗み出してくるんだろうと思う。逆に僕自身はどこにスポイルされてしまってんだろうと思う。
というわけで、村上龍の『すべての男は消耗品である』についての「もしかしたら努力の人?」と題された文章を読む。たぶん前にもさっと読んだことあったはずなんだけど、ちょうど龍について喋ってたことだし、『消耗品』は龍の中でさいてーの部類の文章だと言ったからね、さて詠美がどう書いてるかと思って読み出した。同業者さんとして、けちょんけちょんに書くわけにもいかないだろうしね。

《私はこの本が大嫌いである。村上龍本人が嫌いなんじゃないよ。こういう本に拍手を贈る読者を作り上げたこの本が嫌いなのである。》

ホッとした。この本を詠美が褒め称えたら、ボクの持っている詠美はすべてドブに捨てないといけなくなる。そして『消耗品』から引用して

「芥川賞なんて、二十代で簡単にとって、億単位の金のかかった映画をサラっと撮って、スクーバダイビングとテニスをして、一年のうち六十日は南の島に行って、速いヨーロッパ車に乗り、無数の女とうんざりするほどいいセックスをしていないと、いい小説は書けない」

この一文はいいねぇ。ボクは『消耗品』は読みかけてムカムカしてきたから、びゅんびゅん読み飛ばして、最後まで読んだかどうかさえ忘れてる。こんな一文があったかなぁ。詠美も「ひとつだけ感動している」と書いてこの一文を引用してるのだが、ほんとこれは的を得ている。ハングリーで小汚い擦り切れたGパンを履いて、毎日コンビニのおにぎりで糊塗して暮らさないといい小説はかけないというのなんていまや幻想だよね。とにかくいいセックスをしないと。ああ、したい、したい、したい。




■2004/08/29 Sun■  女の又力と書いて努力 [長年日記]

キャサリンと初めて連れ立ってアカレコのライブに行く。ちょ、ちょっとキャサリンが注目の的になり、これは喜んでいいことなのか。たぶん喜んでいていいことなのでしょう。
こないだも熊野に行ったクルマでニャーと、キャサリンの話題になり、人間は努力が大切だということになった。いつもキャサリンの努力を間近に見ていると、ほんとあの人の努力は生半可なもんじゃないというのがよくわかる。あの人の口から、もうこの年だから、こんなのはパスなんて言うのは聞いたこともない。それがいいと思ったら、年齢なんて関係なく、それにふさわしい努力をする。ただそれだけのこと。ニャーってのも努力の女だから好きだなぁ。
別にそれが女に限ったことでもなく、男でも同じだと思う。なんかね、生身のオレを知ってる人は、よほど「努力」などとは対極にいる人間だと思っているだろうけれど、もう少し知ってる人間だと、こんな努力の人はいないと、わはははは、自分で言うといたった。「ヲタ」なだけですよーだ。が、しかし、それも見透かして、「こんな要領のいい人はいない」と評したヤツがいて、これには笑うた、笑うた、苦笑うた。座右銘は「努力」ですよ、「忍耐」ですよ、そして「要領」ですよ。
スポ根物語になっていかんのだが、柔道3連覇の野村忠弘(いつまでもなんとかいう選手では申し訳ないので調べました)って、これまで金メダルのたびに、もう柔道はやめると言って、やっぱりやるワと、その間のブランクをはねのけての3連覇だってね。こういうのっていいなぁ。すっかり忘れていた福原愛ね、これもいま調べたんだが、ベスト8に入れずか。小さいころから騒ぎ続けられて可哀想。マスコミがよってたかってって気がしないでもない。そのこと思えば、やわらちゃんというのもすごいんだ。ところでマラソンの女子選手には生理がないってね。
努力する人間の影にはそれをサポートする人間が必ずいるわけで、努力などしないで互いに傷を舐めあってるようじゃおしまいじゃん。でもやっぱり「努力」なんてのは人に見せるもんじゃないです。





■2004/08/30 Mon■  ラブホの空間を妄想してみる [長年日記]

藤沢周の『箱崎ジャンクション』読んでいて気になったこと。
何十階あるのか分からないが、こんな冷え込む朝を最上階で迎える住民が、トーストをくわえ、あるいは味噌汁を啜り、あるいは、便器に跨がっている姿を想像し、それだけで、人が勝手に生きている明朗さというのか、鈍さというのか、こっちが神妙な顔をしているのがおかしくなる。
この部分を読みながら、いつも高層のマンションなどが新しく建つのを見て思う。それまではその空間には何もなかったのに、鉄骨とコンクリートによっていきなり区切られてしまった。いま仮にその鉄骨とコンクリートを取っ払ってしまうと、空中でいろんな人たちが、トーストをくわえていたり、あるいは味噌汁を啜っていたり、あるいは、便器に跨がっていたり、そしてあるいはセックスの真っ最中だったりする。これって何だか可笑しくないか。
高層マンションだったらまだしも、それがラブホだったりすると、何組も何組もの男と女、ひょっとしたら男と男の場合もあるかもしれないけど、ハダカになっていろんな体位で絡まりあっている。たかが鉛直方向に数メートル離れた空中で腰を振りあっている。ラブホでなくて、ロイヤルホテルでであっても似たりよったりでしょ。まさに「こっちが神妙な顔をしているのがおかしくなる」。
これって考えすぎかい。そんなことを考えながら読んでるから遅々として進まない。けっこうおもしろいのに。だから、一度図書館に返却に行って、再度借り出さないといけない羽目に陥るのだった。
台風16号がやってきた。それでも飛行機は飛ぶ。飛行機のジュラルミンを取っ払って、人間だけを想像してみるのも悪くない。さすがにセックスはしてないだろうけれど、みなが同じ方向を向いて、ひきつった顔をしているのだろう。



■2004/08/31 Tue■  その答えは先送りです [長年日記]

その答えはいつも先送りです。と言ってるうちに8月もおしまい。
一度手に入れてしまった本はとりあえずは本棚の上に積み上げておきましょう。そしてまたよそから借りてきましょう。そのような生活にはそろそろ見切りをつけないといけないというのはわかっていても、つい。ごめんなさい。
でもそれで済むから、それでもいいです、どうでもいいです。と投げ出して、最後につじつまさえあえばいいんでしょ。そこでやきもきするのはあなたの勝手。そんなことさえ見透かせないようではね。

富岡の作品は、愛だの恋だのの幻想の一切がない、ただの欲望、動物と同じセックスを迫ってくる耳も聴こえず口もきけない男とのかかわりを書いている。
「なぜ、この男が明日もくるのか、どうしてこれからも、この男のいいなりになっていかなくてはならないのか」。
未来永劫男と女のくりかえす果て無きセックス。逃れられないそのことへのなぜ、なぜ、という問い。
もうめんどうなので、あした朝ポストに入れておこう。そのためにあしたは少しだけ早起きしよう。そして富岡多恵子の詩集を本棚の奥から探し出そう。



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まごアン