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■2003/05/04 Sun■  寺山修司没後20年 [長年日記]

 きょう5月4日は寺山修司の命日。まる20年。享年47歳。

 20周年ということで、九条のシネヌーヴォでは寺山の特集を組んでいて、このGWは寺山漬けなんよね。意外と若い20代の観客が多くて、ほとんどは寺山修司がどうだったなんてことはまるっきり知らない。ボクなんかは寺山修司に人生ひっかき回されたくちだから(笑) で、ちょいとつらつらと書いてみます。
 きょうのまごれびゅにも書いた『初恋地獄篇』、これはボクにとっては記念碑的な映画で、この映画を見に連れて行かれるまでボクは「よい子」だったのですよ。この映画を境にどどどーっと坂を転がり落ちるようにダークサイドへの道を歩むようになった。これはひとえにこの『初恋地獄篇』に端を発するのであるます。
 思いだせば、今から33年前に映研をやっていたMに北野シネマになる怪しげな映画館に連れていかれた、そのときの映画がこの『初恋地獄篇』。もちろんというか当然というべきか、18歳未満お断りの映画だったわけで、当時17だったボクは学割なんてので入れないのです。ところがMは、ささっと事務所にボクを連れていき、さっさと北野シネマの会員にしてしまったのです。もちろん年齢の欄には18と嘘八百。さぁこれで北野シネマにかかる18歳未満はすっと見れるようになりました。ちなみに篠田+岩下志麻の『心中天網島』さえ18歳未満アウトだったんだから、なんて時代だ(^_^ゞ
 しつこく書きますが、それまで「よい子」だったボクには、この『初恋地獄篇』はほんとうにショッキングな映画で、それまでメジャーな加山雄三の『若大将シリーズ』とか、はたまた『サウンドオブミュージック』にいたく感動し、『ウエストサイド物語』に涙していたボクは、世の中にこんな映画があったのかぁぁと気絶寸前。もちろん『砂の上の植物群』だとか『砂の女』なんて存在は知ってたけれど18禁でしゅ。
 で、寺山修司ですが、ボクはこの映画は寺山修司の映画だという思い込みがあったのね。というのは、まだこの68年には天井桟敷という存在もマイナーで、この年に流行った『時には母のない子のように』を歌ってたカルメン・マキの当時の男が支那虎で、この『初恋地獄篇』にも与太男役で出演。その支那虎が天井桟敷に在籍してるとか、あるいはちらちらと入ってくる天井桟敷の情報はかなりキワモノ的なのばかり。この映画のキワモノ性、それまでボクが見ていた映画とはまるっきり違う手法、それらは寺山によるものだと思い込んでしまっててもしょうがないよな。この大いなる思い込みのおかげでボクの目は一挙にアングラと言われるものに向いてしまってたのだった。
 そして『初恋地獄篇』の次に北野シネマにかかったのが大島の『新宿泥棒日記』で、もうこれで完全にノックアウトだね。180度の転回よ。ただね、『新宿泥棒日記』で状況劇場(いまの唐組)で、芝居の質なんかが状況のほうがボクにははまってしまったので、大学に行くようになってからは唐十郎べったりになってしまってた。
 それでも唐と寺山の指しだすカードが渾然一体となってボクに入り込んできてた。いまボクがいかれポンチになってしまってる森山大道にしたって、しっかりその当時に目にして焼き付いてたのにね。まぁ言い訳しておくと、写真集ってのは案外高いじゃない。文学だとかいうのは読むのに何日もかかったりするのに、写真集ってのはささっと目を通してしまうのにたかだか数分。なのに文学よりはるかに高いんだから。そんなふうに、いま自分のまわりにあるものをたどっていくと寺山修司に行き当たってしまって、今さらながらに寺山修司の偉大さが身にしみてしまうきょうこのごろ。
 で、シネヌーヴォに通い詰める若い子たち、ロクなオトナにならんよ、苦労するよ(笑)

 ♪〜 わたしが娼婦になったなら
    小さな石鹸買っておく
        (浅川マキ 作詞:寺山修司)

 





 


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