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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/10/01 Fri■  廃墟にて [長年日記]

 なぜか廃墟に向かう。
 だからといって積極的に廃墟ガイドだとかを見てまで廃墟に行き、忍び込もうなどという気はさらさらなくて、歩いているときに廃墟、あるいは廃れ果てたものに目が向いてしまい、思わずカメラを向けてしまっている。そしてまた図書館から借り出しているのは、宮本隆司『新・建築の黙示録』だったり、奈良原一高『無国籍地-1954』と、これまた廃墟を写した写真集というのも、廃墟に向かっているのか。決してボクの個人的な日乗は廃墟してないのだが。
 『無国籍地-1954』の奈良原一高自身によるあとがきから引くと
《「不毛」それ自体が生きてゆく手がかりとなりはじめた。廃墟にある文明の究極の静けさが未来に旅立ちとなった。
写真の素晴らしいところは、その表現が「究極の無」であることだ。「そこに何もない」その爽やかさが僕を飽きさせない。宇宙そのもののように。》
 そしてまた『新・建築の黙示録』にはあとがきにかえて、磯崎新の『廃墟の論理』という一文が記されている。こっちはいま手元にないので引けないけれど、すごく興味深い文章だった。
 この二つの文章に共通しているのは、戦争体験がトラウマとなっていること、そして戦争によって現れた廃墟を目の前にして、一瞬のうちに廃墟と化してしまった都市には、元々廃墟を内包しているという。

 バイクで走り回って、野宿を繰り返していたときに、朝になってテントを撤収する。そうすると、ついさっきまであった空間が消えてしまう。ポリエステルだか、なんだかの薄い布によって仕切られた空間の中でボク自身の非日常的な生活があったことなどもう忘れてしまったような、何もなくなった空間を見ていた。
 同じことが紅テントや黒テントでの芝居、もっと遡れば、寺山修司のあのサーカス小屋なども同様に、そこに仕切られていたはずの劇的空間に、いまはただ風が吹き抜けるだけ。その「無」を体験して、なおさらそこにあった空間が愛おしく思えてくる。匂いが脳の一部に刻み込まれる。
 不思議なことに、ボクが写真に撮ってきたものは、それからしばらく後には撮り壊されてしまう。やがてその同じ場所に新しくものが生まれる。
 こんなことをしみじみ考えてしまうのも秋のせいかもしれない。








■2004/10/04 Mon■  ヨーロッパ幻想の系譜展@姫路市立美術館 [長年日記]

少し前から重くなって不安定だったtDiaryがついに土曜日にダウン。土曜、日曜とまったくブラウザでは入れない状態が続いている。きょう月曜も、少し回復はしたものの相変わらず不安定な状態。どうなってんだろうと、tDiaryにつないでみたがダメ。タダで借りていることだし、気長に待つしか仕方がないか。

木曜からton2がオサルと連れ立って帰ってきていたので、それにつきあって、ここしばらく忙しかった。おまけに仕事のほうもびっしりだったから、ほんとくたばったよ。
NYA-SAMAに会わせるのにアカ組事務所に行ったり、かと思えばカラオケだし、きのう日曜は、二人を連れて、以前から行きたかった横尾忠則の岡之山美術館と、姫路市立美術館のヨーロッパ幻想の系譜展のはしご。そっからだあーっと大阪に戻ってアカチックのライブ。元気でしょ。
姫路の美術館ではたまたま「シュールレアリスム絵画の手法」と題したレクチャーがあって、半分居眠りながら受講。シュールって好きだけれど、まともに勉強したことなどなかった。だから、フロッタージュだとかデカルコマニーだとか、なるほどねっていうレクチャーで、ボクにはおもしろかったけれど、いちお勉強してる人には通りいっぺんの話だったんじゃないのかな。
しかし、レクチャー受けて、さっそく勉強してみようっていうこの向学心?どうよ。
それでね、ルネ・マグリットのポスターだったし、マックス・エルンスト、ポール・デルヴォーなどが出展されていると聞いてたから、てっきりシュールの美術展だと思ってたら、「幻想の系譜」というタイトル通りの幻想絵画をどっと一堂に集めてみました、という様相で、肝心のシュールは4分の1くらいしかないしね、せっかくレクチャー受けたのに、そんなところをもっと見たかったなぁ。幻想絵画といわれるあたり好きなんだけど、幻想絵画というのはこんなんですぅー、ひと通り、見てみましょうって感じで、ちょっと物足りなかった。やっぱり日本のあっちこっちの美術館の所蔵を集めてくるだけじゃなくて、ベルギーあたりからでも目玉になる作品を持ってきてほしかったな。




■2004/10/05 Tue■  18禁っす! [長年日記]

うらまごにアクセス解析で判明した8月、9月の検索キーワードランキングをアップした。要はヤフーだとか、Googleの検索エンジンでどんな検索語を入れて、うちのサイトに飛んできたかである。
以前からわかってたことだけどね、

みなさん、えっち大好きねぇ!!

ビデオの普及しかり、ネットもしかり、エロねたなしに、こんなに一般的に拡がることはなかったのだ。文化の発展の裏には必ずエロが存在する。そう歴史は夜つくられるのだ。朝が好きって人もいますが(爆)

どわぁ〜っ、9月断トツ第1位《唾液 まんこ》、な、ぬわぁんと、ヤフーでトップに上がっとるやないけぇ(^◇^;) 「まんこは唾液でぐちょぐちょに濡れ光っている...」なんて文脈じゃないですよ、ほんまに。バレンタインのチョコを作るのに唾液を混ぜ込むサックまんこ女というのもおるらしいなと書いたら、これだ。

ちょいといろいろ思うところを記しておくと、《五條楽園》ね、これ漢字間違うてるちゅうねん。京都の五条から下ったところにある遊廓だから、正しくは《五条楽園》でしょ。五條ゆうたら奈良県やんか。最初に間違うたんはボクやしー、おまけにそのまま放置したぁる。それにしてもだよ。
《ジープランニング》もしつこく迷惑な話やねぇ。まともなジープランニングさんに申し訳ない。
それから前から不思議なのは《うらびでお》で検索するのな、《裏ビデオ》とちゃんと変換して検索しろよ。《往復はがき 返信 切って》も同じかも。あれは「往復はがき来ますでしょ。 それに返信書いて差し出すときには、真ん中で切って返信の ... 」の文脈だから、ボク間違うとらんよねぇ。検索するの《往復はがき 返信 切って》やなしに《往復はがき 返信 切手》と違うんかい。《往復はがき 返信 切って》で検索する、そのココロ読めません。
《八月はエロスの匂い》にしたって、きっと藤田敏八の映画でやってきてんじゃないな。ちなみに9月は神代辰巳『鍵』がまごれびゅトップ。おかげさんで、9月なんかまごれびゅまともに更新してへんのに(4本だけ)、えんぴつの投票、映画のジャンルで3位だぜ。どうなっとんの。
あ、そうそう、テキ庵は、9月はまご日記、頻繁に更新したから4週続けてランキング入ったのはようございました。

20位以下には

    志摩いずみ、ラブホテル、パーラメント、やけぼっくり、熟々女、イレルンジャー、谷ナオミ、満足シティー、墨田ユキ、黒田笑、田園に死す、南美川洋子、デヴィッド・シューリス、南海飯店、浄閑寺、エロ女優
ずらーっと、やっぱりエロい系がほとんど。おもろいからこのまま放置プレーしとくけど。くれぐれも言うときます。

18禁っす!




■2004/10/06 Wed■  日記依存症(外部サーバー依存症) [長年日記]

いろいろ書きたいことがあったはずなのに、先週末のtDiaryサーバーダウンでふっ飛んでしまった。
それよりもここんところまめに日記アップしていると、tDiaryダウンしてアップできなくなると、モチベーションが急激に低下してしまった。そして復活すると、また上昇してくる。いったい、これは日記依存症なんじゃなかろうか。
だいたいアフォですよ。いったい何本もってんですか、外部に、ちょっと整理しないとダメだな。
  • うらまご(tDiary)
  • まごまごれびゅ(エンピツ) はじめはいろんな類のれびゅのつもりが映画専門に。ここはもう3年以上になるから止められない。でも最近、映画観るペースも落ちてきた。
  • まご本(はてな) 本のれびゅ。読書ペースも落ちて、月に2,3冊。
  • まごブロマイド(LiveDoor) 妄想写真帳ということになってるのだが、妄想を引き起こす写真を撮れてなくて、そのせいか妄想できなくなってしまってる。コンセプト倒れだな。写真を自分のサーバー(maggot-p.com)に置かなくてもいいんだけど、30Mの制約あるし、とにかくLiveDoorのサーバーの重さが気になる。
    でもLiveDoorには頑張ってほしい。裏でゴソゴソやってる気配ありありの楽天には負けて欲しくない。をっと、これは野球の話。
  • PholicBlog(LiveDoor) 世のblog流行に煽られた形で、自サーバーのCGIで動かしていたPholicをLiveDoorのblogに移行。路上観察用だな。そのうちLiveDoorもちとは軽くなるんちゃうかという期待こみでしぶとく残しておこう。素の写真もアップしたいしな。
  • 猫の時間(Cannon) PowerShot-A70買うたら50Mのスペースくれたんだけど、重くて使い物にならない。重いからヒット数も1年で500もいかない。よって放置プレーに処すこと決定。
と、これだけで、このまご日記を入れて7本ですか。ちょっとした売れっ子ライター並だな(苦笑) いや、とにかく今は写真したいから、ハテナなんてのは、吸出して自動的にサイズを小さくしてくれる、って、をい、あれじゃサムネイルだろ。役に立たないんですよ。あ、ヒミツのハテナのサーバーもうひとつ持ってたんだ。そっちのほうはサイズ小さくしてくれるのを逆手にとって、うらまご用の画像置き場に使ってる。う〜ん、ハテナの自動リンクがうざいんだよなぁ。というわけで、ひょっとしたら、まご本は切り捨てるかもな。
さて、ここに来て、2つ増えてしまったのだ。アフォだな。
  • キヌガサ という得体の知れないシステムに登録してしまった。一時、流行ったシムシティとか、宙のようなものだろうけれど、ほんとワケがわからん。最大の特徴はキヌガサに登録しないことには何ものぞき見られないのだ。そして登録するためには会員からの紹介がないと入れない会員制秘密クラブなのである。一種の出会い系ですか(爆死)
    ここは吸出しで画像アップできるのはいいのだが、640x640までが25枚の制限つき。ちょっと弄んでるのだが、1年後にはきっと飽きて抛りだしてるでしょ。
  • MAGGOT BRAIN(Fotolog) これはアメリカのサーバーで画像アップ無制限!ってのがいいやね。吸出してくれるのがいい。いくらロリポ200Mあるといったって、120Mあたりも使ってると残りが心配なんだよ。奥の手はあるんだけどな。
    それと、このまご日記やまごぶろまいどに画像アップするときにはいちおうテキストと整合性を考えてるの、これでも。そうしたら、出したくても出せない画像がある。そんなんもおかまいなしにアップできるしね。いちおうキャプションで日本語も入れられるようだけど、日本語だと表示がおかしくなる。だからテキスト書かなくてもいいというのがいいな。
    ここまでのだったら、なんだかんだで日本に限定されるでしょ。ボクが見る写真もある程度日本に限定してしまってたわけで、fotologのリンクたどったら、世界中の写真が見れていい。ちょっと、ここ数日はまってるのな。見に来い。





■2004/10/08 Fri■  倒錯の世界 [長年日記]

 遊園地などに昔よくあったマジックハウス。この頃あまり見かけないのだが、先日たまたま入る機会があった。
 むちゃくちゃ単純な構造で、内側にもうひとつ部屋をつくり、その部屋が水平から20度ほど傾けてある。だから入った瞬間に体は斜面の下側にずり落ちる。あわてて体勢を立て直そうとして、そのとき目は向こうに見えるドアや柱の鉛直線をとらえて、体をその鉛直線に沿わせる。つまり床に対して垂直に立とうとする。ところがその床が傾いているのだから、体も本来の鉛直線から傾いてしまい、ますます体は床に向かって傾いていくというわけだ。しかもそれを補完するように、室内には水が下から上へ流れ、ボールが逆向きに転がるといったおまけで、ますます混乱させられる。
 その仕掛けははじめからわかっていても、このトリックに捕まって平衡感覚を狂わされる。要は目から入ってきた偽の情報によって騙されているだけなのだ。だからその情報を遮断すれば、つまり目を閉じさえすれば、正しく体勢を立て直せるはずだ。というのは人間の平衡感覚は、目だけではなくて耳にある前庭によって知覚されているから。ところが一度目から入った偽の情報が脳にインプットされてしまうと、耳からの修正情報をなかなか受けつけない。それでも目からの偽情報を遮断し続けると、しばらくしてやっと本来の平衡感覚を取り戻す。
 目を塞がなくとも、やがて脳はその異常に気づき、本来の平衡感覚を取り戻す。それはその偽情報のままでは倒れてしまうという防衛本能による。すると今度は床に対して斜めになって立っている自分を見いだしておかしくて仕方がない。
 ふつうはここらあたりでやっとその仕組みを理解して、おおかたの人はその部屋から去ってしまうのだが、仮にその部屋に30分でもいると、自分が傾いているのでない、世間が傾いているだけなのだ、ということが当然のこととして受け入れるようになる。まさに倒錯の世界が現出するのだ。

 いったい傾いているのは誰なんだ。




■2004/10/09 Sat■  私写真(とある日記より) [長年日記]

 ある写真関係の若い女の人の日記を見ていた。女の人というよりも、うちの下の娘と誕生日が2日ちがいなだけだから、ほとんど娘みたいなもので女の子といってもいいかもしれない。
 その彼女のサイトは、偶然、あっちゃこっちゃのリンクをたどってたら見つけたのだけれど、ずばり、超かっこいい。蜷川実花ばりの、俗にいうガーリーな写真がいっぱいで、かっこいいなぁ、こういうのはとてもボクには真似できないよねぇと思っていた。写真関係の大学に行ってるのかな。サイトのつくりもかっこよくて、うちなんてね、ただやみくもにコンテンツが多いだけで、複雑怪奇なだけなのに、すごくシンプルなのに凝っている。いいな、いいなと思ってたの。それ、きのうの話。さっさっと通りいっぺんに見ただけで終わってしまったのだけれど、きょうになってもう一度、ゆっくり日記ページも見に行った。この日記ページも写真日記のようになっていて、その見せ方もかっこいいんだよ。それで一番新しいテキストのページを開いてみた。きのうも日記は開いているのに、どうしてだろ、一番新しいページは見ないで適当にクリックして、うーん、こういうふうに日記を書いて見せるのもいいなぁって思っていた。
 一番新しいページには中年の男の人の写真が貼り付けてあって、写真ページのとってもガーリーな雰囲気とは違う写真で、その写真がまたいい。その写真を見てから、テキストを読み始めると、その男の人は彼女のお父さんで、1か月ほど前に突然亡くなっていたのだった。ボクよりひとつ上なだけ。
 ついこないだ高校の同期生が亡くなった。6月にも同窓会で顔を合わせていての急死だったから驚きもしたけれど、いい加減、この歳になるとまわりで死んでいくというのも不思議じゃないなというくらいにしか思えなかった。悼みのことばなど出るわけでもなく、逆にほかの人間の悼みのことばを見聞きしても妙な空しさを感じていた。
 なのにほとんど全然知らない女の子、ましてそのお父さんは、歳が一つ上だというだけで全く知らないのに、彼女の書いたテキストを読み、そして彼女が最後に死を予想もせずに写した写真を見て、すごく生々しいものを感じてしまった。それは荒木経惟が再三、見せる陽子さんのポートレートと同じように、まさに荒木経惟がいうところの私写真として、見るものに彼女の心況を語りかけてきたのだ。
 その写真に比べれば、あっちにもこっちにもある写真、いくらきれいに撮れていようが、どんなにディティールをとらえていようが、どんないい機材で撮っていようが、全部嘘っぱちですよ。もちろん、ボクのも含めて。
 お父さんの思い出と一緒に、彼女には彼女自身が撮ったお父さんのその写真を大切にしてほしいと強く思ってしまった。



■2004/10/11 Mon■  アカシックレコード@松山シュガービレッジ [長年日記]

 日・月の連休でアカシックレコードのライブにくっついて松山まで行ってきた。
 前の日、ニャーから携帯に「11時集合」と入ったので、「11時だといつものことで出発12時になるから10時にしたほうがええよ」などとレスしたら、「忠告通り、10時集合」となった。が、目が覚めたら、10時半だぁぁ〜-_-; じきに携帯が鳴る。「いまどこ?」とノンカチン。寝る前に出ていく用意をして寝ろよ。オカンのしつけがアカンのだ。前の晩に次の日の時間割とランドセルの照合するから、大きくなったらこういうオトナになるのだ。もたもたとカバンにTシャツやらほりこんでたら、また携帯がなる。非情なニャーの声「おいていく」
 というわけで、この連休2日間は家で蟄居していました。おわり。

 うりゃ、いま松山です。お願いして頼み込んで脅しに耐えて、いま松山です。ダンテスというバーで、いまアカレコことアカシックレコードのライブの最中です。背中のほうには超べっぴんさん3人、あゝ気になるぅ。携番どないして聞いたろ、と気もそぞろにカシャカシャカシャとカメラマンするけなげなカイチョーまごちゃんの姿があった。
 松山市内のバーとかが何軒も集まって、シュガービレッジという同時多発ライブをやらかしてしまおうというイベントなんですね。アカレコの他にKajaさんやら、Ah-Do!とかいろいろ。2ステージの休憩の間にKajaさんのぞいたら『蘇州夜曲』やってしまうんだもんなぁ。まいった、まいった。アカレコ2ステージめが10時過ぎに終わって、またKajaさんところをのぞきに行ったらいっぱいで、道路まで聞こえてるから、お外で写真したりしてずっと遊んでた。そのあとのシュガービレッジ打ち上げパーティー?にも潜入して、あくまで付添だからおとなしくしてたよ。かくして松山の夜は更けて、ズボンプレッサーのすき間で眠る。

 とりあえず、一六タルトをお土産に買って、道後温泉へ。商店街の土産物屋でみんな遊んでるすきに、路地で写真して遊ぶ孤独なおっさん。道後温泉は今まで3回来てるけれど、ここらをうろうろしたことない。意外と猥雑じゃないのだ。でっかいソープが一軒あっただけ。旅館街のほうには行かなかったから、そっちのほうは温泉特有の猥雑感があるのかなぁ。
 さて飯も食って、温泉、温泉♪?と騒いでいたら、誰も入らんのよなぁ。松山まで来て道後温泉入らんと帰れんのかって。結局、入ったのはニャーだけ、あとの5人様はそこらをうらぶらするってさぁ、真一、真二られなぁ〜い。道後温泉の湯ってさぁ、癖がなくてあっさりしてんだけど、雰囲気が好きなんよ。温泉、温泉してないところがよろしい。いかにも「温泉だ、ありがたく入れ」というのに限って循環さしたりバスクリンぶちこみやがって。ボクがまだ高校生のころ初めて行ったとき、真夏なのに脱衣場に熱いお茶があって、湯上がりに熱いお茶飲んだら、また一気に汗が噴きだしてきて、それがむちゃくちゃ美味しかったのだ。
 いつもの長湯バージョンは百無理なので、超烏の行水バージョンでさっさと出たんだけど、ニャー様様は出てなくて、他の連中もどこ行ったか携帯つながらず。しばし日だまりの写真してたら、携帯が鳴ってニャー。「一六タルトの前行ってみ。そこで後ろ向いて上見てみ」と、3階にさっさと上がってやがんの。「カイチョーも上がっといでよ」と上がって行ったさ。をー、3回も来てたのに、3階になんか上がったん初めてや(ゴメン) 漱石の坊ちゃんの間というのがあって、ここはてっきり休憩料を払った人間だけが上に上がれるのだと思ってた。こういうとき、厚顔無恥じゃなくて、傍若無人でもなくて、百方美人かなぁ、まぁなんでもいいや、そういう人間と一緒だと非常にお得です。
 帰りは瀬戸大橋の与島SAでちょうど夕陽タイムに。まったりと暮れていく瀬戸内に海風が心地いい。今回のツアもおもろかったなぁ。
 おあと、渋滞運転よろしくと、が、ニャーの頭の中は焼肉に占領されていたようでつ。

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ニャーを見つめるヨソのおっさんの顔に注目



■2004/10/14 Thu■  社交的電網 [長年日記]

 ここ1週間ほどキヌガサで遊んでる。いやぁー最初わけがわからんかったけれど、ああいうのをソーシャル・ネットワークというんだねぇ。と、もっともソーシャル・ネットワークって何やねんと聞かれても、あんなんやとしか答えられませんが...
 ソーシャルネットワークって、はじめ聞いたときは「ソシアル」だと思った。うーん、社交ダンスかってね。つぎ聞いたときは「ソシアル」じゃなくて「ソーシャル」だと。じゃあ、「ソーシャル」ってなんなんだ?と調べたら、なんのことはない「ソシアル」をより英語らしく発音・表記しただけじゃんか。直訳したら「社交的電網」
 要は人脈なんですわ。考えようによっては出会い系と言えなくもないけれど、あれは目的はっきりしてるからねぇ(^_^;) そういうわけではなくて、なんだかんだって「出会い」というのが重要になってきてるんじゃないか。現実の社会の中で孤立してしまっていることの裏返しなのか。

 つらつらと自分のネットでの遍歴をたどってみると、ニフがあって、それからインターネットに移ってからはBBSで、ICQの時代で、あ、そうそう、ICQってのは《I seek you》だというのをついこないだアイポンに聞いたんだった。それくらい気がつけよ>自分 そのICQもいまはなぜか衰退してしまってmesseに移行してしまってんだね。いっときはずらーーっとICQに並んでいて、ひっきりなしにカッコーの鳴声がしたのだが。それからボクはHotLineに行ってしまったのだった。ちょっとBBSとかで拡がりすぎた反動なのか、HotLineのある程度、閉じられた世界が心地よかった。逆に閉じられているから、あまり拡がることもなくて、すぐにしぼんでしまったけどね。
 ここ何年かは、ネット上での不特定なつながりなんてのは必要と感じなくなって、ただ一方的に自分から発信するだけのテキスト(日記)主体の状態だった気がする。同時に特定のつながりが煩わしくもあって、BBSやMLといった相変わらずの世界にいまひとつ面白みも感じなかった。それはそれでよかったけれど、ここに来て、ブログだの、このソーシャルネットワークという、基本的にはなんら変りがないんだろうけれど、それぞれのBBSやテキスト(日記)などを連結してしまう機能に興味が湧いてきたってところかな。
 ま、この先、どうなるんや、ようわからんけれど、その時代、時代によってネット上で出会った人がやっぱりまわりにいるしね、何か起っていきそうな気がしないでもない。




■2004/10/16 Sat■  勝手に景色 [長年日記]

 今週1週間はいわゆる●●週間で比較的ヒマだったわりに、テニスやってるだけで、これといってなんもし。きょう土曜日も1日遊んでちょっと弛緩状態。
 メールの返事も書かなければと思いつつ、気が緩んでいるせいで気合いの入ったメールも書けない、もちろんこのまご日記も。本もさっぱり読んでないしねぇー、だらだらとキヌガサを弄んでただけ。しゃあないね、こんなときもある。
 そうそう、きのうは『勝手にしやがれ』を観たのだった。思うところ、いっぱいあるんだけれど、あ、『勝手にしやがれ』はまごれびゅにも書いてなかったんだ。『勝手にしやがれ』そのものにもいろいろあるし、映画ということについてもいろいろ思うところありなんだが、いま書く元気がないや。元気がないというより遊び過ぎで疲れて、その気になれない、眠いのだ。

 きょうは箱旦那に大川を毛馬から天神橋の間をボートに乗せてもらった。もちろんエンジン付きだから夕暮れ迫る水面をかっ飛ばして行く。水面近くからの景色はカヌーで知っているものの、スピードが違う。それにカヌーで大阪の街を水面から見たことなどない。自転車とバイクとどっちがいいというのと同じように、どっちがどうと言えない。でも風景でない自分の景色を見いだすにはやっぱりカヌーなのかもしれない。水上バスなんてのも乗ったことあるけれど、あれでは自分の景色を見つけられるはずもなかった。もっとも大川をカヌーで下ろうという気にはなれませんけどね。




■2004/10/17 Sun■  駅前再開発とは? 空疎な町 [長年日記]

 滋賀県の栗東まで唐組の芝居『眠りオルゴール』を観に行った。
 いつもの調子で整理券もらったら、どこか町を散歩して写真しよと思うてたのだが、駅前再開発が完ぺきに進んだ成果なのか、どうしようもなくつまらない。ありきたりの駅前ロータリーになって、JRの改札口からずーっと2階部分に歩道が続く。その光景たるや、例えば東京近辺で言うと厚木や立川ならいざ知らず、栗東ではあまりに寒々しい。このような一地方都市がどこもかも同じ光景にしか見えなくなってしまうのがいたたまれない。はたして、ここに住む人にとって誇れることなのか。利便性ばかりを追及するあまりとても空疎に見える。演劇のかきわり、またはUSJなどにあるはりぼての町並みにしか見えない。唐組の芝居の舞台のほうがどれだけリアリティーがあることか。
 開演までに十分すぎる時間があったので、腹ごしらえでもしておこうと歩いてみた。アルプラザのほうはさすがに1階に大きなスーパーがあるのでいくらか人はいるけれど、その向かいのウィングプラザなどはなかばゴーストタウンのようだった。この一角は確かに整備されていて随所にベンチなどあるにはあるのだが、きれいなだけで、どことなく寒々しい。
 この一角の周辺は少し前まではたぶん田畑だったのだろうか、新興住宅地が建ち並び始めている。そしてさきらのすぐ前には超高層マンションまでが建っている。はたして超が付くくらいの高層マンションが必要なのか。そりゃそうだ、京都駅まで30分。十分に京都への通勤圏内だから、これから先も京都のベッドタウン化していくのだろう。だから町としてもそれなりの身支度が必要なのかもしれない。だが、その町特有のにおいも感じられない町にはたして魅力はあるのだろうか。さきらとは駅をはさんで反対側は旧中山道も通っているので、もう少しはましなんだろうけれど、30分ほど歩いてみて疲れた。時間まで写真してようという目論見はとうに消えうせ、紅テントの見えるベンチで本を読んで時間を過ごした。
 都市開発のお決まりの箱モノ=栗東芸術文化会館さきら。きれいなことはきれいだけど(これまでの唐組のトイレでここがいちばんきれいだったw)、この芸術文化会館と名付けられたホールの維持にどれほど金がかかっているのか心配になる。キャパ1000の大ホールがありながら、その会館前の広場に現れた紅テントはさながらこの都市開発のアンチテーゼのように見える。それでもなお、唐組お約束のラストの背景落とし(注)では、栗東の町のつくられた白々としたものが見えてしまった。

(注) 唐組の芝居ではラストシーンはお決まりで、舞台の背景を倒してしまって、町の景色をとりこんでしまう。その町の景色の中に主人公は去っていく。




■2004/10/18 Mon■  リーラン=李礼仙と寝た夢 [長年日記]

 きのう唐組の物販で『ジャパン・アヴァンギャルド』という60年代後半から70年代の、いわゆるアングラ演劇と呼ばれた芝居のポスター集を買った。状況劇場、天井桟敷、68/71(黒テント)といったところを中心に集められているのだが、それらのポスターに関わっている人間のすごいこと。書き出したらきりがないので書かない。とにかくすごい。

 昔から言われてることに演劇は一回性だと。そのことは了解してるから、あまり舞台を撮ったビデオを観ようという気にはなれない。第一、視点をビデオを撮った人に押し付けられるのがイヤだ。あ、話が逸れるから元に戻す。唐組・状況劇場についてです。一回性ということで、悔しいなぁと思うのは、四谷シモンの芝居を観てないこと。それを言い出すときりがない。いま唐組を観に来る若い子たちは李麗仙も観たことないんだし。観たくても観れない。それを言い出すと、いまとなっては唐十郎を観ることはできても、昭和元禄美少年と言われたころの唐十郎は観たくても観れない。そのことなんだけど、着実に舞台の上の役者はいくら「特権的肉体」を持っていようが確実に老いていく。ここ数年、ふっくらとした丸顔だった唐の顔が痩せてくるのを見ると、しみじみそう思ってしまう。もちろんボク自身も、だけれど。
 そうして、いくら写真として残されようが、「そうしてあんたは俺からキスをしぼりとっていくがいい」とソフトを目深にかぶって現れた春日野=李礼仙は記憶のかなたにおぼろげになるだけ。が、それはそれでいい。
 それに対して映画は辛い。同じ芝居であっても、やり直しがきく。そしてまた編集によってどうとでも誤魔化してしまえる。辛いというのはそんなことではない。ほんとうに辛いのは、スクリーンに映し出された原節子はいつまでも原節子だ。本人がどう変ろうが、『東京物語』の原節子なのだということ。記憶の彼方でおぼろに微笑んでくれるのでなく、スクリーンの上でくっきりと微笑みかけてくる。何度も、何度も。
 が、それもそれでいい。そのことを認めた上にいまが存在するんだと、この頃、つくづく思う。

 目の前のスクリーンでくっきり映し出された目よりも、おぼろな彼方に過ぎ去った目にうなされて、いまも射精しそうになることだってある。
 答えになってますか。




■2004/10/19 Tue■  アクセスアップの秘訣 w [長年日記]

 うらまごのほうは自分自身の備忘録なんだけど、世の中には人が何食ってるか毎日チェックされてる御仁もいらっしゃるようでw ほっといて下さい。毎日、ロクなもの食ってません。とくにお昼は週の半分はいも膳とか、外食が多いように思われて、独身かと勘違いしてた人もおらっしゃる。ごめんねぇ〜。もうとうに銀婚式は済んでます。なぁ〜んもお祝いなどしなかったが。
 あのね、ほら、あれいつだった? いも膳でかきフライ食った日と違うた…なんてわりと食ったもんで覚えてるもんでしょ。それに、もうそろそろ、あら、かなえさん、わたしごはん食べましたかいなぁーってお歳ですし(蹴
 それに比べれば、こっちのまご日記は多少とも人様にも読んでいただきたいなんて気持ちもある。だからちっとは気の利いたことも書かなければと思う。そう思うとアクセス数も気になるところなのだが、今月に入って、tDiaryの絶不調が続いて、いまだにアップするときにもエラーが出たりするのよ。しかも絶不調のおかげで、アンテナでは拾ってくれなくなってしまってるし、ひょっとするとロボットもやってきてないかも知れない。チッ、せっかくエロ語をいっぱい撒き餌にしたのに。更新が頻繁に行われるほど検索エンジンのスコアが上がるらしいね。いまさらよそのサーバーに日記を移転する気にもなれない。  
    《わたしの経験では、ある程度効果があるのは、単純に、毎日更新する、ということだけどね。継続は力なり。》
 これがもっとも正攻法です。アンテナ系が多くできて、テキ庵経由で来るというのは減ったけれど、ボク自身がこのまご日記サボってたほうが大きい。現に9月からちょっとマジに更新すると、日に日に増えてきてたのに、先週などは遊び過ぎでほっといたら途端に減ってしまった。誰のために書いてるわけではないが、公開して書くからには少しでもアクセスアップしてくれたらうれしい。あ、この際だから、書いておくと、右側の写真ね、クリックしたらでかくなるよ。なかば写真日記の様相もあるんでつ。
 と、きょうは怜香さんの小判鮫のごとくに日記をまとめてみました。



■2004/10/20 Wed■  トカゲとクマ [長年日記]

 けなげにきょうも頑張りゅ。
 もういまの時間(夜11時過ぎ)には台風トカゲも甲府あたりまで行ってしまったようで、大阪はおさまりつつある。もっとも近づいたのが夕方の6時ちょっと前に泉佐野に再上陸したとか。そのあともついさっきまで台風の後ろ側の風の吹き込みでかなり強い風が吹いていた。いま気象庁のサイトを見ると暴風域も消滅したよう。今年はこれで10個目か、上陸したのは。.435…イチローの打率をはるかに上回っている。10月になって、それも下旬になってまでやってくるのってほんとに異常だ。
 大阪に警報が出たのも5回目くらいか。そのうち今度のがいちばん台風らしかった。それでも伊勢湾や第2室戸を知ってるからなぁ。あれに比べれば、このトカゲもたいしたことなかった。などとほざいていていいのか>自分。
 台風がでかいことを期待してるのって、誰にでもあるだろ。正直に言うてみ。さすがにもうずいぶんオトナになった分、あまりそう思わなくなった。が、テレビで強風の中にアナウンサーを立たせて原稿を読ませる意味がどこにある。な、な、すごいだろ、すごいだろと言ってるようにしか見えないね。
 さて今度の台風がやってくるというのを聞いて、最初に思ったのは、クマさん可哀想、だった。今年の夏の暑さで山の木の実の出来が悪くなり、そこへ台風がやってきてその木の実さえも吹き落としていく。落ちた木の実はクマのエサにはならずにネズミの類が異常に繁殖している。食べるものがなくなったクマは食べ物を求めて人里に下りてくる。夏の暑さと台風が今年のクマ出没の大きな原因になってはいるけれど、はたしてそれだけなのか。
 大阪の槇尾山にも現れたってことは、意外とクマは近いところに棲んでいる。仮にクマの領域に立ち入ったとしてもクマはその広い領域の中で人を避けて棲んでいるのだ。実際に京都と福井の県境の峠でクマと遭遇したこともあるが、クマは10メートルほどさきの繁みの中を横に走り抜けただけだった。
 クマにパニックを引き起こさせているのは何なのか、猟銃を手にする前に考えてみるといい。クマはこの台風の中、繁みの下で身を潜めて台風が行き過ぎるのをじっと耐えている。



■2004/10/21 Thu■  君はだぁれ? [長年日記]

 きのうあたりtDiaryちょっとサクサク動くようになっていたのに、きょうは完全にご臨終。全くつながらない。このmaggot-p.comのおいてあるレンタル・サーバー=ロリポップはruby使えるので、大急ぎでtDiary1.5.3をインストール。なんとか順調にインストールはできたのだが、update.rbの認証だけがどうしてもうまくいかないで四苦八苦する。ふーっ。

 きのう、きょうと李麗仙の本を2冊読む。すごい女性だワ。ある程度、垣間見たりして想像はしてはいたものの、舞台で見せる以上に、素の女性なのだ。読んでいて、ボク自身の青春を重ね合わせたりして、ドキドキしたり、せつなくなったり。




■2004/10/22 Fri■  ちーだいありー奮闘記 (きっと続く) [長年日記]

 このまご日記を、maggot-p.comで動かせるようにして、なんとか行けるようになったら、tDiary.netがまた動き出した。なんでやねん(^_^;) ヘッダーやフッターの設定とかもtdiary.netからコピペして、はいやっといつもの見慣れたページが復元できて(*゜▽゜ノノ゛☆パチパチ
 この隙にtDiary.netにあるデータを全部取り込んでおこうと、はい、またまたルーチンワークですよ。眠い...
 それでね、せっかくDLしてきたデータもぶちこんでとみたら、全然表示しないじゃないですか。あら、パーミッションかしらと、いじってみてもダメ。そこでハタとカップ、このデータはtDiary2.0.0で作られてるじゃないですか。1.5.3ではあきませんですよ。それで2.0.0をDLしてきて、ははは、そこの奥さん、きょうはわけわからん話でごめんなさいねぇ。やっつけ仕事で、1.5.3と変ってそうなところだけぶちこんだ。きっちりエラー出ました。わけわかりません。が、これで屁をたれる、いへ、へこたれてるようじゃ男の子やない。こういうのはね、パーミッションいじったらどうにかなるってね。をっををを〜っ、やりぶぅー。97年からばしっとね。
 さて、んじゃ、うらまごもやっちまうかと、あっちゃっちゃーと、ここはまご日記のほうでいっぺんやっちゃってるから楽ちん、楽天にきまりそうだな、ちっ。あ、そうそう、松井クンねぇ、運がないっていうかね、イチローとは対照的だわよ。ナニ、新山千春が結婚だって、チッ、あ、そんな話じゃない。
 ところがですよ、およそ2年半のデータぶちこんだわいいものの、うらまごのほうはあまりにテキトーにやったもんだから、一瞬、表示されたわいいものの、どこかをクリックしたら、20041020から一気に2年前の20020531にぶっ飛んでしまう。はちゃー、そして、ぶちこんだはずのデータまできえてしまってるじゃないでつか、お姉たん。ぐわぁぁぁ〜〜。ありゃまぁ温泉。そして、そしてですよ、まご日記も中抜き外出し状態。これでは欲求不満がつのるってもんで、眠いからもう寝る。きょうは写真なし。


■2004/10/23 Sat■  ちーだいありー奮闘記 (続いた) - ロマンチシズム [長年日記]

 はっきり言って向いてないです、プログラミング。だいたい、.cgiや.rbが何という言語で書かれてるのかわかっとらんもん。そういう言語の勉強はしとらんもんねぇ。はるか昔のBASICで止まってるもん。そういうお勉強するより、もっと他に遊ぶことが多すぎて(^_^;) htmlにしたって、ver3あたりで止まったきりとちゃう。そのくせいまだにテキストエディタ使っての手打ちですが、はい、もう開き直っております。
 してなんだかんだって言いながら、このまごまご日記とうらまごをtDiary.netからロリポップに移転させたので、ブックマーク(なんかしてるの、あんまりおらんだろうけど)とかアンテナ(ますますおらんねぇ。どうです、そこの奥さん、これを機会にアンテナに入れていただけませんか。)の変更よろしくね。

 さてさて、どういうわけか、最近、唐十郎づいてるわけです。立て続けに李麗仙『五つの名前』、鶴木遵『李麗仙という名の女優』』を読んだ。それから、山口猛(ギューちゃん)、彼は1972年の『二都物語』当時、状況劇場で助演出だとか、マネージメントをやってた人ですが、マネージメントは表向きは不破万作ってことになってたけど、実質やってたのはギューちゃんでしょ。そのギューちゃんの書いた『同時代人としての唐十郎』という本も少し前に手に入れた。がちっと書かれた演劇論なので、がつっと組み付いて読もうという元気などいまはない。ぱっと開いたページで目に入ってきたのは
    「徹底的に唐のエゴイズムに貫かれた集団であり、劇団員の自我はまた、唐の掌を出ることは許されなかった。(中略)麿赤児と四谷シモンが離れたのも畢竟これであった。が、そのために逆に組織そのものは強化され、」
 そうして『二都物語』、『風の又三郎』へと繋がり、そこでひとつの頂点を築き上げてしまう。が、そこから根津甚八が離れ、小林薫が離れ、さらに不破万作、十貫寺梅軒、ついには大久保鷹が離れていく。そんな中で唐十郎も変貌し、そうして最後に李麗仙までもが離れていく。
 いま、ボクが状況劇場論をぶちあげようというのでなくて(状況劇場という集団の中で、また唐十郎自身において、何がどうなってどうなったかを知りたかったら、上に挙げたような状況劇場関連の本がいくつかあるので読んでください)、まして唐十郎のとった方向を批判などできなくて、そりゃそうでしょ、ボク自身のあの時代にがつっと楔を打ち込んだのは唐十郎だから。それよりも、その集団、集団の時間の中での人間と人間のダイナミズム、とりわけ唐十郎と李麗仙の間のダイナミズムを感じとってしまった。ひとつにせつなくもある。
 数日前に、芝居という一回性の上で「(芝居は)記憶のかなたにおぼろげになるだけ」と書いたけれど、それはロマンチシズム以外のなにものでもない。そうして人と人の関わりも、「記憶のかなたにおぼろげになるだけ」なのだ。だからこそダイナミズムそのものだし、ロマンチシズムに縁どられるのだ。
 ただロマンチシズムで縁どるためには、「決着がついていないと事実も嘘くさく変貌してしまう」というのは正しい。じゃ、翻って、ボク自身の生きてきたこと、関わってきた人たちとの関係に決着を着けれたのか、それは「記憶のかなたにおぼろげになる」のを待つしかないのか。そんな秋です。





■2004/10/24 Sun■  ケイコという名前で出ています [長年日記]

 怜香さん*1のサジェスチョンのおかげで、テキ庵にもまたランク入り。ということは何かい?ずっと書き続けないとアカンのか(^_^;)
 うーん、だいたいね、こういうランキングとかになると女のほうがお得だね。何かあるんちゃうかと読みに行くもの。実際、ボクのはてなアンテナにもずらっと並んでいるのは、女の日記やブログばっかり。正直に言うておきますと、やっぱり何かあるんちゃうかという期待が占める割合が大きいです。ちょっと部分的にも写真をアップしただけでも、どわぁーっとハイエナのごとくに群がってくる。ボクもそのうちの一人です。

 それはそれなんだけど、昔っから、ボクは女のほうが好きなのね。それ、あたり前でんがなというわけですが、そうじゃなくて、女の生き方ってのも変か、女のやってることのほうが好き。例えばボーカルなんかね、男なんかより女のほうが好き。ズッポシはまってしまうのは、P-Funkのようになまら男くさぁーいんだけれど、女がいいねぇ。実際にカラオケ行ったら、女の歌ばっかし入れてるもん。どうも男の歌は気恥ずかしくて。
 本などもそう。谷崎、三島、大宰とこう並べてみても、男は男でも本質的に女でしょ。きやつら。大宰なんて「男の本質は優しさだよ。マザーシップ」と言ったそうです。あ、この話は大宰をいくらさがしても出てこないよ。吉本隆明が大宰に会いに行ったとき、そう言われたと『擬制の終焉』だったかに書かれてた話。見た目に男くさぁーてたまらん中上健次でも本質的に女でしょ。だから読んでられる。ほんと小説なんて類は女の書いたもんしか読まないね。倉橋由美子にはじまって、山田詠美だとか、赤坂真理だとか、どうも男はどこかで身構えてしまってるからつまらない。村上龍にしたってそうよ。ただヤツの場合は、その身構え方がマヌケだからね(笑)
 ま、何度も書いたことあるんだけど、次、生まれてくるなら絶対、女だね。エッチしても女のほうがキモチいいもん。



*1 「わたしの名前を漢字で表記したら、わかる人にしかわからないことよ。って、それが狙いかな。」とトラックバックもらってました。Thanks ☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ Thanks はい、それが狙いです。


■2004/10/25 Mon■  中越地震からまる2日 [長年日記]

平成16年10月23日18時07分 気象庁地震火山部 発表 23日17時56分頃地震がありました。震源地は新潟県中越地方 (北緯37.3度、東経138.8度) で震源の深さは約20km、地震の規模(マグニチュード)は6.8と推定されます。
 中越地震からまる2日経った。そして
 新潟県中越地震の被災地は25日夕、地震後初めての雨が降り始めた。新潟地方気象台は六日町、十日町、上越東頚城(くびき)地域に大雨洪水注意報を発令し、土砂崩れへの警戒を呼びかけている。余震も相次ぎ、約9万8000人が避難を続けている。死者は2人増えて26人となり、毎日新聞のまとめでは、けが人は3300人を超えた。全村が孤立していた山古志村の住民は、ほぼ全員が長岡市へ避難した。26日夜からはさらに寒くなる見込みで、被災者を取り巻く状況は厳しさを増している。
 テレビではかなりの時間、地震報道に割かれている。
 阪神のときは自宅から長田にあがる煙も見えたし、支援に現地に入るヘリコプターの音がブンブン聞こえた。だから、これは大変なことなんだという実感があった。あえて批判覚悟で、正直なところを書いておくと、どうもピンと来ない。東京では地震の揺れも感じたから、もう少しは実感としてあるかもしれないが。ほんとに、どうしてこれだけの報道になるんだと不思議な気がする。
 ボクは元々テレビを見ない人だから、地震報道にかじりついてるわけではないが、24時間体勢で報道されている。そんな中で「市役所に水を積んだトラックが到着するとダーッとカメラマンが近づいていく映像を見た」という話を読むと、いい加減うんざりしてくる。阪神のときには、水を積んだトラックが到着するとダーッとカメラマンが近づいていくなんて、それどころじゃなかったのだ、2日後には。
 阪神大震災と比較することはナンセンスなのはわかっている。現に被災した人たちがそこにいる。だけれど、家のさらなる倒壊を恐れて車の中で寝るのに延々とガソリンスタンドに車が並んでいるのは、なにか違うという気がするのだ。そんなふうに自分たちの生活は、車で寝泊まりしてでも自衛させているのは、何なんだろうか。
 こうした報道でしか知ることできないでいると、何かちがう、どこかにいたたまれなさを感じている。


■2004/10/26 Tue■  アンリ・カルチェ-ブレッソン展 [長年日記]

 どうも2chに書かれてしまってるようね(^_^;) アクセスアップご協力ありがとうございます。2chからのリンクは、逆探できないように、一旦http://ime.st/hogehoge.com/hoge/というサイトを経由してきやがる。ま、どうだってエエんですが。

 雨降りの中、大阪芸大までアンリ・カルチェ-ブレッソン展を見に行ってきた。芸大に所蔵されている400何点かのブレッソンを3期に分けて一気に展示してくれていて、しかも入場無料という、ほんとありがたいことです。芸大の学生でも全然見もしてないのっているんだろうな。「あたしはデザイン専攻ですから」なんて言って、たとえ専門分野が違おうが、ああいうのは見ておいて絶対に損はないのにね、もっいないことだ。そいうもったいない元学生約1名知ってますがw
 1期、2期とずっと見てきて、ほんとおもしろかった。ブレッソンの写真集でよく見かける、例えばサン・ラザール駅の水たまりピョンピョンなどは、やっぱりそれなりにインパクトがあるんだけれど、見たこともないのも展示されていて、そりゃ400数点というのはかなり膨大な量だからね。京都の阿必館でも同じ時期に追悼の意味をこめてブレッソン展が催されているようだけど、ここまで多くはないでしょ。
 きょう見たアジアのでは、体に巻いたサリーが右下に向かって曲線を描いているのを写し込まれていて、その造形的な曲線がすごくきれいで印象に残っている。ファッション・フォトじゃないのにね。他にね、モロッコだったかな、海岸で子どもが二人、なかばシルエットになっている写真ね、1933年だって。いまから70年前でしょ。この少年は、ひょっとするともう亡くなってるかもしれず、生きていたとしても80歳を越えたお爺ちゃんになってるんだと。そうしたら、いまぐるっと囲まれている写真の中の人物たちがみんな亡霊のようで、その亡霊たちがあまりに生き生きとしているのがすごいなぁと思った。これって写真の持つマジック・パワーだよね。たった1秒の何十分の1の瞬間がこうして何十年という時間に引き伸ばされるってのはすごくないか。
 宦官の写真、これは比較的有名でしょ、あの宦官の手の皺を見ていたら、きのう読んでたレンブラントの、とりわけMargaretha de Geerの肖像についてジャン・ジュネが書いてるのを思い出していた。

「彼がモデルを脱人格化し、事物から固定可能なあらゆる特徴を取り除いたときから、人にも物にも、彼は最大の重み、最大の実在性を与えることになった。」




■2004/10/28 Thu■  『私の絵日記』を書いた藤原マキ [長年日記]

 ブクオフでふっと、藤原マキ『私の絵日記』という文庫を見つけた。パッと手にとって、あら、作風が全然変ったなって思いながら、ページを開いてみると、つげ義春を可愛くしたような絵が並ぶ。そこで、佐々木マキと間違えてるのに気がついた。
 じゃっ、藤原マキって誰なんだ? なんか聞いたことあるぞと、あとがきを見ると、げっ、あの藤原マキじゃないか。状況劇場初期のヒロイン藤原マキだったのだ。初代腰巻お仙だったのだ。残念なことにこのごく初期(1960年代)の状況劇場というのは『新宿泥棒日記』の中でしか知らない。李礼仙にばかり目が行ってしまって藤原マキのことはすっかり忘れてた。
 な、なんと、つげ義春の奥さんになっていたのだ。うわーっ、びっくりだよぉ。つげの『貧困旅行記』─これはすごく好きで、一度読んだ後も何度も拾い読みしていたというのに、つげ義春の奥さんが藤原マキとつながってなかった。そう言えば、どこかで聞いたことがあった気もするけど。やっぱりそのつながりはきれいに抜け落ちている。
 ふぅーん、そうだったのか。腰巻お仙を李礼仙に替えられて、公演直前に無断で状況劇場を辞めたのだった。なるほどね。それはともかくとして、過去に話としてだけ知っていた人物が、別のところで、これも話の上だけれど、繋がってしまうのって妙なもんだよ。ところがその当の藤原マキは1999年、5年前に亡くなってしまっていたのだ。
 少し違うけれど、ある女性─Fさんがちょうど5年ほど前に亡くなった。『私の絵日記』を読んで(見て)いると、そのFさんと藤原マキとかぶってくる。Fさんのプライベートなところまでボクがよく知っていたわけじゃないのだが。つい最近、ある人とひょんなところから、お互い、Fさんのことを知っていることがわかって、しばらくFさんの話をしていたところだったのだ。
 こんなふうに、Fさんの話や、藤原マキの話が出てくると、ボク自身の20〜30年前をくすぐって妙にせつない。あのときに、藤原マキもFさんも、そしてFさんの話をしていた人も、ボクの一歩前を歩いていて、出会うこともなかったけれど、同じ時代の空気を吸ってきた。20〜30年と経ち、藤原マキもFさんもいまはもういない。そしてボクはもう50を越えた。ボク自身のルーツになったあの時代をもう一度見つめ直してみる。懐かしんでなんかいない。それをルーツにして何ができるかだ。



■2004/10/29 Fri■  サンシャイン・オブ・ヨ・ラブ [長年日記]

背中で呼ぶ声がする振り向くと

光り輝く圧倒的な肉で悩ましげ

に誘惑しますます赤く燃え上が

る肉は包み込み狂わせるとつぎ

の瞬間には急激に色褪せ冷たく

かたまりものいわぬものに戻る




■2004/10/31 Sun■  イラクの人質事件 [長年日記]

 イラクの人質事件は最悪の結果を迎えたわけだが、口を開けばロクなことがないんでね、黙ってようかと思ったけれど、胃の底に重く澱みそうなので吐いてしまおう。
 この前の3人の人質事件のときはあまりにラッキー、奇跡だったとしか思えない。最悪の結果は最悪の結果で、ボクとて無事生還してほしいと思っていて、それは当たり前だろ。だけど戦争状態であることが、あまりに希薄すぎるのだ。こうして安穏と日本で生活している人間にとってはなおさらのこと、誰も日本は戦争しているなんて思っていない。ボクも含めて。
 ボクがまだ小学生だった頃に『山河あり』だったか、親に連れられて見た映画がある。ミッキー・カーチスだったと思うが、戦争敵国である日本でアメリカ人だと虐待を受ける、そのような映画だったような。なんで覚えているのか不思議なんだけど。考えてみれば、1945年にアメリカ人が無装備で日本の国内を散歩などできただろうか。
 この間、唐組の芝居を栗東に観に行ったときに、ボクのすぐ後ろに並んだ人が、かつて20数年前にパレスチナでボランティアをしていた人だった。『風の又三郎』で状況劇場がパレスチナで公演したときに、ちょうどその公演地となった難民キャンプにいた看護婦かでボランティアをしていたという。その彼女が言うのに、「当然ですよ、戦争なんだから。あの『風の又三郎』をやったキャンプもそのあと爆撃を受けて消滅してしまった。2000人が死にました。」
 テロが卑劣で戦争がそうではないなどと聞いたことがない。少なくともnackの言葉を借りれば《ブッシュに尻尾を振ってご褒美を待つ無思想の馬鹿国家》の国民であることを自覚すべきだ。


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まごアン