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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/06/06 Sun■  風景の時間 [長年日記]

6月というと、雨。のはずだったんだけど、ここんとこ、お天気続き。でもきのうの夜中には一雨来たみたい。きょうの昼にもね、さーっと来て上がってしまった。
その雨上がりの中を実家まで歩いて行った。距離的にさほど遠いことはないのだけれど、その途中のまわりの風景の変わりように少なからずおどろく。かつてそこにあった家や店が建て替えられたり、歯が抜けたように空き地になって駐車場になっている。このあたり一帯を毎日うろうろしていたのは中学生の時までだから、もうすでに40年は経つ。その後も何度も通ったりしているので、少しずつ変化しているのはわかっていた。それでも、こんなにも変化していたのだろうかと驚く。しっかりとそれ以前の風景は思い出せるんだよな。ここに何があったと。それはボクにとっての生活の場でもあったのだから。
同じように10数年ぶりになのか、40年以上も前から知っている人を見かける。老朽化している。当然ボク自身も同じだけ齢をとってはいる。そしてまわりの人たちも風景と同じように変化してしまっている。もちろん歯が抜けたように空き地になった人の風景というのもありなんでしょ。
そうそう、途中にある私立の生徒募集のポスターが小ジャレていて、あら、コピーは何だったか、忘れた。それに使われている写真が50年、いやもっと以前かも知れない、ずいぶん昔の前髪ちょんちょんにした女子高生の写真だった。まさか、いまのモデルをメイクであのようにしたのでもあるまい。その写真の彼女たちはまだ生きてるのだろうか、とふと思った。

ところで写真を写して歩いていると、ボクがシャッターを切ったりしたものたちは次から次へと消滅していくのだった。



 


■2004/06/09 Wed■  ああ、齢とったよなぁ [長年日記]

気がつけば、ウッディー3、3人そろって50を越えていた。
半月ほど前の同窓会で「代替わり」などという耳慣れないことばを聞いた。よくよく考えてみると、ボク自身は25歳くらいで結婚をして、それから27歳で上の子どもが生まれて、そのとき父親は53だったか。つまり孫子の代に替わるということのようで、まぁボクがいつおじいちゃんになっても不思議じゃない齢になってしまってるというわけ。現にウッディー3の一人、酔狂はもうすでに二人のおじいちゃんだしな。
きのうのこと、お仕事で、ウッディー3そろって法隆寺、薬師寺へ。そのあと串カツを二度づけしながら、いつものようにああだこうだとしゃべくってた。これまで何度も法隆寺に出かけてはいるものの、まともに百済観音すら見たことがない。ゆっくり見ている余裕なぞなかったのだが、きのうもそうね、ああいうのをゆっくり見ていたいもんだと、しみじみしゃべりだした。ああ、齢とったよなぁ。
確かにね、かつて自転車でえっちらおっちら奈良まで走っていって、薬師寺の東塔を眺め、あれがフェノロサが賞した「凍れる音楽」なのだと、頭でっかちに知ってはいても、知識として入り込んでいたのにすぎなかったのかもしれない。かと思えば、アジャンタの壁画の身体の線の屈曲が、白鳳時代の仏像にとりこまれたなどと美術史を知って、なあるほど、ちゃんとそうなっとるわいなどと言ってても、その美しさにハッとすることなどなかったのだ。それはそれとして、薬師寺が三重塔ということくらい常識だろ-_-;
これは寺社仏閣などに限ったことでなく、例えば文学少年がいくら『雪国』を読んだところで「この指が憶えてゐた」などわかってたまるか、というのと同じことなんだね。ああ、齢とったよなぁ。
オクトはそれは老子の教え?だとか、今度一緒に漢文を読もうなどと、ああ、齢とったよなぁ。
で、まず計画の第一弾として、酔狂スクーターおニューツーリングで法隆寺へお参り(笑)


 


■2004/06/10 Thu■  性感帯を刺激する声 [長年日記]

「猫砂、もうないねんけど.....10キロかなぁ」とキャサリンが例のぼわぁ〜んとした声で言う。この甘ったるい声にいつも騙されてしまうんだよな。「クルマ出そか?」と言うてやると、「うん!」ゲンキンな女め。あぁ、こうして、きょうも夜中にスーパー玉出へ猫砂買いに行くはめに。

いったい声の質というのは、ボクにとっては大きなファクターをしめていて、はじめてキャサリンと万代池を歩いたときにも、あのころはいまよりもっと舌ったらずな声だったのだが、その声がボクの耳の中にダイレクトに飛び込んできて、そうでなくとも弱点である耳をくすぐり「思わず射精しそうでした」(c)横尾忠則というふうに、性感帯を刺激する声というのもあるのだが、逆にきんきんと脳髄を金槌でどつくような、耳障りな声というのもあって、これにはたいがいいらついておるのだが、iPodのおかげ様々だよ。その耳障りな声のことを書き出すとまたいらついてくるので、書かないのだ。あ、キミの声じゃないです^_^;

なんか町田康みたいなだらだら文であつた。


 


■2004/06/11 Fri■  雨ニモ負ケズ一人静カニ [長年日記]

だいだいにおいてボク自身は静寂が好きで、などと書いても、ほとんど誰も信じてはくれないだろうけれど(笑)
P-Funkフリークで、どこが静寂が好きやねん。ちなみに知らない人のために書いておきますが(ちゃんとプロフをチェックしろよ)maggtParasiteなどというサイトや、ボクのハンドル名の「まごっと」というのは "Maggt Brain"というファンカティアなら誰でも知っている名曲に由来するのだよ。しっかりリンクもつけといたから、見ろよな。
見たか? ぎゃははは、静寂が好きというのがわかんだろ。てか、ジャケ写見たら、ますますボクの静寂好きなんてのは眉唾もんだと思うただろ。正直に言うてみ、誰にも言わへんから。
あのですね、こうしてネットの上で何年もバン張ってると、「まごっと」あるいは「まご」という名前が一人歩きするわけですよ。オフ会などしてた日には、期待されちゃってるもんねぇ、なんかやらかしてくれると。期待されたらやっちゃわないと悪いなぁと思うのがA型の血がなせる因業なわけで、「まご」ちゃんを演じてしまってる。キス魔に\(\◇ ̄ )ヘン~(  ̄▽/)ゝシン!!! \(○ `O´ ○)/トゥーー!!ってなわけ。そういう悲しい性から逃れるためにも最近はオフ会なんぞにのこのこ出かけませんって。
ちょっと自白しておきますが、そのようなまごP全盛の頃につきあってた彼女がいて、この関係は知る人ぞ汁な、あ〜ちゃうがなちゃうがな、知る人ぞ知るなわけで、をりゃ誰や誰やといまさら詮索すんなよ。その彼女は全盛まごPを目の当たりにしてるわけね。それを知っていて密かにつきあってたんだけど、あるときボクとは関係ないことでブチ切れられて、ボクはっていうと逆切れよ。それでおしまいよ。
ところでその彼女から、もうずいぶん前になるけど、ふっとメールが来て「まだあんなことやってんですか?」
やってません(^^)キッパリ

まぁ、ええけどな。静寂が好きなんて言いながら、さっきから"SummerMadness"流れてんだけど、これバラードだから許せ。んで、やっぱり"まごぶれ"にして、そのあと"Never Gonna Tell It"行っとこかと。
だいたい考えてもみましょう。このようにまめに日記アップしたり、まごれびゅ書いてみたりしてるのってヲタでしょ。そしてたぶんに引き籠もり人生。バイクに乗るのも一人が好きだから。

てなことを書いても誰にも信じてもらえませんけど。濃ゆいというのは事実だし、協調性がないだけかも。雨ニモ負ケズ一人静カニおなツテヰル。



 


■2004/06/12 Sat■  融通のきかないばかちん [長年日記]

世の中には融通のきかないばかちんがいっぱいおって、ボクにとっては天敵みたいなもんですわ。困ったもんだ。

ヤマダのマックのHD増設してやんのにつきあってやった。それできょう行ったソフマップのヲタも融通のきかないばかちんで、ちょっとスペック調べてくれちゅうたら、うちはDOS-Vのパーツだから、Macで使うても保証できんとかぬかしやがって、誰も保証してくれとか言うとらんのだよ。頼りないヤマダにかわって、ちょっとウルトラATAか、シリアルATAだったか確認したいだけ。揚げ句の果てに「自己責任でやってもらわないと」などと(彼にとっては)流行語までもちだしやがる。アホくさ。だからぶぉけとはしゃべりたくないんだよ。
「前におった店員さんはちゃんと調べてくれたぞ。あんたとちゃうけどな」とすごんでやったら、
「ぼくじゃないですね」(ぼくはそんなことして、あとで文句言われたくないので、しません)
なおもしつこく「そこらにマシンあるやろ」(それでちょっと見るくらいなんやねん!)
しぶしぶマシンで、IO-DATAだったかのページを開いて、ほれ、ごらんなさい、メーカーのほうでも保証してないでしょと、×が並んでるのを見せつけやがった。
あのなぁ、こっちはちゃんとMacで機嫌よく動かしてんの。そんなもん、メーカーの方でチェックしとらんだけなんだよ。そりゃそうだろ、なんぼメーカーでもすべてのコンピューターについてチェックしてるわけないでしょ。こういうあふぉと関わってるのもイヤになって、あー、はいはい、ソフマップ違うてもビッグでもどこでも売ってますわ。

話は一気に夜中に飛ぶのだが、貧乏人の苦労話を聞くのはつまらないとニャーとしゃべっていた。だいたい自分がそれまでに尽くしてきたことを後生大事に抱え込んで、それをまたとくとくと話して聞かせたがる。自分が獲得したことを失いたくない。ぎゅーっと自分のうちにとっておきたいというふうに、ボクらには見えてしまうんでね。
そう言えるくらい、ボクにしてもニャーにしても金持ちのお坊ちゃまだったりお嬢様だったわけじゃないんだけれど、そのようなたわ言を口にするほどバカじゃないし、聞かされるのだけはご免こうもり。もっともボクは貧乏を他のネガティブ語に置き換えて一人にやついてた。



 


■2004/06/13 Sun■  眠らない風景 [長年日記]

森山大道『Complete 4』見てたら、ゴールデン街のサーヤ(?)の壁の絵が写ってた。アラーキーの『人町』見てたら、谷中の吉川錻力店の前にそこの主人(?)が立っていた。別にだからどうだってわけやないねんけど.... ゴールデン街はまだ寝ぼけてたし、谷中ではもう歩き疲れてたし(苦笑)
アカシックレコードの新しいCDのジャケの写真でね、夜中に急に思い立ってヤマダとロケハン。夜中にかしゃかしゃと写真写してるなんて、どう見ても怪しい。それもふつうじゃないところな(^_^;)
  ちょっと前に松本コウシという写真家の『眠らない風景』という写真集を見た。この写真集はタイトルの示す通り、真夜中でも「眠らない風景」なわけで、長時間露光で写し込んだ写真ばかりが並ぶ。
街は変貌することで進化しているようだ。稀にだが、過去に撮影した場所にたどり着いてしまうことがある。しかし、そこにはいつも記録した頃の面影を微塵も感じさせない風景が現れてしまう。その瞬間、かつてその場所で感じた記憶は、ふうっと消えてしまうのだ。上書きされてしまった記憶は、この地を再び訪れることでは決して蘇ることはないだろう。
ヤマダはまじにロケハンよろしく、ここでこういう角度でこんなふうに撮ったらと、ときにはボクをモデル(笑)にして試し撮りしてんだけど、ボクはっていうと、自分の趣味(笑)というかね、すぐに影響されるから、夜の街を長時間露光で撮ってみたくて、でも三脚なんか持ってってなかったので、長時間露光なんてほとんど無理。いちおうどこかにデジカメをおいて指一本カメラの下に差し入れて角度つけてみたりして固定。そして2秒。デジカメだから2秒でも十分だけど30秒くらい開けてたらもっとおもろいかもな。またそのうち写しに行こ。
なんてきょうの昼間はすごく天気が良かったのに家でじっとしてんの。写真はほんとは明るいときに撮るもんです。




 


■2004/06/14 Mon■  identification [長年日記]

神代辰巳監督の『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』を見ていたわけですよ。そこでおもろいのは、宇崎竜童は国籍がないという、つまり幽霊民族なわけ。そして原田美枝子の戸籍もむちゃくちゃで、捨て子だったらしく、どこかに入籍というか、戸籍として登録されたのが、実際に2,3年遅れてたという。だから、戸籍上の年齢より実際の年齢のほうが2つ3つ上だった。

原「わたし、アレとアレが人より早かったのよね」
宇「アレとアレって、何よ」
原「わたし、小学生の頃に高利貸と呼ばれてたの。もうがすごい」

二人とも、いわゆる「どこの馬の骨やらわからんもん」なわけです。あらかじめ社会的なidentification、いわゆるIDが失われてしまっている、また必要としてない。原田美枝子にとってのIDはじゃらじゃらとついた過去の男の家の鍵。IDなんてのは自分で証明すればいいんだよ。というより自分自身(の方法)で証明すべきことなんだよね。戸籍抄本やら住民票やら持ってこい言われて持っては行くけど、はたしてそれで自分であるということが証明されたなんて誰も思ってないのも事実であります。
とにかくくだらんidentificationが多すぎらぁな。名札ひとつにしたってそう。デパガが胸に《黒田笑》なんて名札つけてるのを見て、そのデパガにどっかで「エミさ〜ん」って声かけてくるやもしれず、「黒田笑の身内のものですが...」などと突然電話入れてコネつけようなんて男がいるかもしれず、そのほうがあぶないよなぁ。これって個人情報の一部流失だろうに。
誰に対してでも自分であることを証明する必要なんてなくて、ほれ、風俗の予約入れるのに自分の本名使うバカがいないのと同じで、ごく限られた特定の人間にだけ自分のidentificationを示せばいいでしょ。そう考えると、社会的なidentificationなんてのも風俗で使う偽名と同じレベルのものかと。



 


■2004/06/15 Tue■  やっぱり次生まれてくるときは [長年日記]

平日のお散歩、それも堂島近辺のオフィス街を徘徊してると、男どもはみな一様にネクタイ・スーツ。歩道では400円の弁当が売られている。そして入った北新地の天ぷら屋のとなりの小上がりからは女の笑い声。やっぱり次生まれてくるときは女だな。
そういった社会的なわずらわしさにとらわれないでいられる男は数%、それに入ることができれば男もまんざら悪くはないが、やっぱり女がいい。きっと女は女でわずらわしいというだろうけれど、妙ちきりんな社会的責任から解放されとるもんねぇ。女だから....なんて、一見女を小バカにしたようでそれがいいんだな。女だから、別に何だっていいわけでしょ。男だから、いっぱしの大学出て、いっぱしの企業に勤めて。いっぱしのスーツ着て、400円弁当食ってろ。

話はけろっと変わって、きのう図書館のギャラリーのようなところで、《埋もれた西区の川と橋》なる展覧会?が催されていた。そうしてきょうその一部を歩いていると、古地図なんぞが道に設置されていた。こういうのに興味を示すようになるのもたぶんに爺臭くなった証なんだけれど、それはそれでおもしろいのだよ。筋違橋なんて、橋のあったままにななめに道路がついていたりする。そんな古地図を見ていると、御堂筋にしたって、かなり後になってばしっと通されたってのがわかる。それ以上に陸運より水運のほうがより占めていたというのがよくわかる。なるほどなって。
して、紙屋治兵衛の家があったとされる天神橋から曽根崎新地までまっすぐ道一本で通えた。そうすると、心中のときに、治兵衛が新地まで小春を迎えに行って、網島までの道行はやっぱり自分の家は避けて通ったんだろうなと、下世話なことを考えてみた。



 


■2004/06/16 Wed■  浄閑寺 [長年日記]

路地裏猫日誌を見ていたら東京・三輪の浄閑寺のことが書かれてあった(04/06/03(Thu))。この路地裏猫日誌の作者のなるさんって人が、その浄閑寺の近くに住んでいるらしくて、浄閑寺の境内から猫を拾ってきたらしい。その浄閑寺の記事はもう10日以上も前のことで、そうそうボクも浄閑寺へ行ったときのことを書かなければと思いつつ、ほたらかし。書こうという気分にならなかったのも事実だったのだが。

路地裏猫日誌にも書かれているように、浄閑寺は吉原遊女の投込み寺で、ここには吉原総霊塔というその遊女の慰霊碑がある。その慰霊碑の向いに永井荷風の文学碑もある。そしてこの浄閑寺の正面に荒木経惟のにんべん屋下駄店があった。路地裏猫日誌によると、荒木経惟の名付け親はなんと浄閑寺の住職だったそうで、道理で経惟なんて抹香臭い名前だったわけだ。そんなことはたぶん荒木経惟自身がどこかに書いてんだろうけど、読んでない。ちなみに経惟なんて読めません。ボクはいまだに「ケイツイ」って読んでるし、中平卓馬はなんと「きょうかたびら」と読んでいた。
さて、去年あたりから、ボクはカメラ持って、旧赤線跡を歩き回っていて、去年の春に東京に行ったときは、吉原、玉ノ井、鳩の街、小岩井と歩いてた。吉原に行ったときは、ついでだからにんべん屋下駄店のあった跡も探したれなんて、三輪にまで車を走らせていたのに、ちゃんと調べてなかったから、どこかわからず。浄閑寺の存在も知ってはいたけど、駐車できる場所を探して走ってるうちに離れてしまった。そのかわり樋口一葉博物館に行った。
今年はアラーキーの写真を仔細に見て、あら、浄閑寺の真ん前じゃないのってことがわかっていたから、まっすぐ地下鉄の何線だかで三輪まで行って、さっさと見つけた。にんべん屋下駄店はもうとっくになくなって、ただの駐車場になっていて、近くの商店のトラックが駐まっていただけ。別にボクにとってなんてこともなかった。そりゃそうだな、荒木経惟にとっては私写真だけど、ボクにはそこまでの思い入れなんかないんだから。あ〜、あの写真はこのアングルだなと想像してにやついてただけ。
とは言っても、今年のテーマは唐十郎・荒木経惟だったから、それはそれでよかったの。唐十郎の下谷万年町も行ったし、見事にはずされたけどな。当たり前。だからある意味で、その時撮った写真はボクにとっての私写真となりうるんだよね。
それよりも

    われは明治の兒ならずや
    去りし明治の兒ならずや
と刻まれた文学碑に、ぐっと来てしまってね、ちょうどその日4月2日は朝から小雨が降ったりやんだりで、歩くのには困るほどの雨ではなかったけれど、その文学碑の御影石が濡れていて、ますます気分にさせられてしまったのだった。

 →浄閑寺と永井荷風



 


■2004/06/19 Sat■  予定調和 [長年日記]

    ♪〜あゝ、こんなにさびしいのは
      どうしてなんだろう
って、歌にしたらさまになるけれど、文章にすると、おさまり悪いよなぁなどということを、目の前で歌ってるのを聞きながらぼんやりと考えていた。
あはっ、別にその歌を聴いて、さびしいとかという感情をかきたてられたわけでなじゃない。どうもブルースになれないという予定調和として収まっていることに納得する。それはそれでいい。
山田詠美の『ひざまずいて足をお舐め』を読んでいて、忍と父の関係も真に迫るところがあったけれど、ちかが彼と別れようということになったあと、原稿用紙とペンを買いに行って、こっそり夜中に台所のテーブルで書き始めたというくだりだね。
以前ならそうした話を読んでせつなくなりもしたけれど、そうそうと首肯くことはあっても、そのような気持ちになっていかない。なっていかないことがなんでだとも思わないで、予定調和としておさまる。そうした予定調和のわけも『ひざまずいて〜』の中に見いだして、ひとつひとつ首肯いてしまっている。


 


■2004/06/21 Mon■  まごまご写真屋 [長年日記]

暴風警報なんか出てるの知らんかったって。台風来てるってのは知ってたけど、それできのうも雨だと思ってたらさっぱり降らなかったしね。どっかへ行ったとばかり思ってた。なんとものんきな話だ。
台風のおかげで早く帰ることができて、その時間できのうから始めた《まごまご写真屋》をほぼでき上がった。
このまご日記からアップした写真を拾ってく。日記としてアップした写真だから、自分でイマイチだなぁと思ってるのもあるけど、それはそれでいい。時間が経つと、好みも変わるしね。ちょっと叙情に流されとるよなぁってのもあるし。
いま気に入ってるのは、一番上のな。去年の春に神戸で撮った。それと次の新宿ゴールデン街のタイル。もうこのぶれ加減がたまらなく好きで、アルミ缶がぎらっと光ってるのがいいんだよ(自画自賛)
そんなの狙ってぶらしてるわけでないのだけど、いい加減だからぶれてしまうのね。ばしっとピントが合ってるのに越したことはないんだろうけど、だからってそこから何も読み取れないんだったら仕方がない。ばしっと写せるんだよって上で、ぶれも写せるってのが、本当かもしれないけど、それもわざとらしい。このぶれは写神がくれたものだと思ってる。
でも善かれあしかれ、こんなふうにほぼ写した順に並べてみるとおもしろいな。好きな写真は、その撮った瞬間のこともしっかり覚えている。あたかも、これまでに好きになった女のことは忘れられないのと同じように。そしてどういうわけだか、最近のは色が着いてるのだな。






 


■2004/06/25 Fri■  Les Comtes de Provence [長年日記]

今月中盤はばしばし機嫌よく毎日更新してたけど、ほれ、またぷっつり。別にこれといった書くべきネタがないくらいに平穏無事な無為な毎日を送ってるわけで、無理して書くこともないです。
とある事件もあるにはあったんだけど、それはその性格上ここでは書けないのだな。かといって極私的な日記に書いたわけでもなくて、書いたら書いたで、また一悶着が起こるのがうざいので、そんなことはさっさと忘れてしまえってわけです。言うてみれば、地雷踏んだようなもんなのですから。そんなもったいつけてんと教えてぇな、と言われても、こればっかりは書けませんです。あ、決してキミのことじゃないですから。

ところで、うちのすぐ近くの中型スーパーが本日にて閉店。成城イシイやイカリスーパーとまではいかないまでも、けっこう良質な商品が並んでいただけに痛いよ。"Les Comtes de Provence"なんていうフランスのジャムもそこで売っていたのに、スーパー玉出には到底売っとらんよなぁ。このようなジャムを食していると、アオハタごときではもはや満足できない体になってしまったのだ。閉店の売り尽くしで、イチジクジャムとイチゴジャム、これがまたほとんど甘くなくて超酸味が利いていてよかったのだ、を割引で買うてきたけどな。とにかくわが家の冷蔵庫として存在していただけに、う〜ん、困った、困った、バタ子さんでつ。
で、月曜は台風が来たでしょ。そのあと火曜日はすかっと秋みたいな乾いた天気だったけど、きのうきょうとすっかり梅雨らしくて、ざーっと、いわゆる驟雨が降って、それはそれで気持ちがいい。雨そのものはイヤだけど、ざーっと降っているのを眺めている分にはよろしい。

そうか、やっぱり高岡早紀と保坂尚輝は離婚か。


 


■2004/06/26 Sat■  キャメラストリート [長年日記]

まごまご写真屋ね、もうちょっと気の利いたタイトルないかね(笑)
とりあえず、日記にアップしたのを集めてみたけど、他にもプリントアウトしたのとかもアップしようかと物色してた。面倒くさいのでスライドショーにしてだーっと流してたら眠たくなってきた。
最近はすっかり色気づいてしまってるから、ほれ、きょうの一枚も。これは去年のパリ。なんで日本にくらべて、パリやローマは色がきれいなんだろ。たぶん、きっと日本もちがった色の美しさがあるのだろうけど気がついてないだけかもしれない。

ところで、うちのトップページ(http://maggot-p.com/)は、実はロリポップという超安値のレンタルサーバーにおいてあって、そこでドメインもとってしまったってわけ。それでどうでもいいんだけど、このロリポップにロリポヒルなんていうコミュニティーサイトがあるんだけど、そこに登録してみた。ジャンルが、テキスト系とかいろいろあったんだけど、テキスト系って多いもんな。だから、キャメラストリート(写真)に構えることにした。別にこんなの登録したって、アクセス増えるわけちゃうのに。アクセス増やすにはエロネタが手っ取り早い(笑)
そしてロリポヒルのご近所さんをちょこちょこ覗いてた。つまり写真がメインになってるサイト。それぞれにおもしろいなぁ。それにくっきりすっきりきれいだ(笑) それにくらべりゃ、ボクのはきっちゃないぞ(爆私)
ボクもがむばろーっと。でも、200Mあるんだけど、もうすでに120M近く使ってしまってるのだった。



 


■2004/06/27 Sun■  亀戸情婦の侮蔑は [長年日記]

古本屋で現代詩手帖の69年と70年の年鑑、つまり12月号を見つけてきた。70/12はもってるはずだが、実家の物置のどっかに眠ってしまってる。
信じられないだろうけれど、70年の現代詩手帖は1年間通して買ってたくらいに、ボクは詩的な人だったんですよ(笑) ユリイカもずっと買ってたかな。買ってただけな。その半分以上、いやその10%もわけわかんねぇ(爆) ついでに自白しておくと、ニフティ時代にはfPoemにも入ってたのだった。
とくに70年の1年間の詩手帖の表紙が林静一でかっこよかったもんねぇ。そういえば、何年?たぶん70年代だけど、ガロの表紙も1年通して林静一だった。1月号から12月号まで並べると、また1枚の林静一になって、数年前にまんだらけで見つけたときには、ひえ〜っと思わず声が出てしまったのだった。

寝転がってぱらぱらと詩手帖を見る。鈴木志郎康先生の『純粋処女魂、グングンちゃん!』なんか読みながら、にやにやにやと一人にやついて、な、な、ボクがかつて詩、好きだったなんて、この志郎康先生の詩の題を見るだけで納得できるだろ。志郎康先生の名誉のために断っておくけど、この『純粋処女魂、グングンちゃん!』、題から想像できるよりはるかに過激。

奔出する亀戸血液!
亀戸九丁目の工場廃液も及ばぬ美しさ
父亀吉の亀の太首切られたぞ
だって70年ですもの。
ちなみに「極私的」、ときどきボクは好んで使ってるけど、それも志郎康先生からだね。

その志郎康先生の日記《曲腰徒歩新聞》を読んでると、

「最近は脚が痛くて歩くのがままならないので、駅まで行くにも自転車を使い、行く先も駅で降りてから歩く距離があると適当にタクシーを使うということになって、」

まず足にくるからねぇ、老化。うちのすぐ下のおばちゃんも階段の上り下りがつらくなって引っ越して行ってしまった。もう10年以上も前のことだが、オヤジと釣りに行って、テトラポットの上をひょいひょいと飛んでいたら、オヤジは後ろからもたもたとおぼつかない足取りでやって来る。そのときかな、オヤジも歳とってしまったなぁって初めて思ったのは。さいわい、ボク自身はまだまだ足腰は大丈夫。
話は横にそれたけれど、「家から外出先へ往き還りする道筋がだいぶ変わっ」て、「いつの間にか風景が変わっている。ホームに立つ場所も変わって、そこでのわたしの視野も変わる。」
いろんな要因で視線が変わっていく。通勤の道筋しかり。感じられる彼女の風景も道筋と一緒に変わっていく。そして「ホームに立つ場所も変わ」るように、彼女に対して立つ場所も変わって、ボクの視野も変わる。
この世界のどこかで生きている、それだけでいい。



 


■2004/06/28 Mon■  クル・セ・ママ [長年日記]

詩手帖の話、つづき。
実はきのう書くつもりでいたのに、ついグングンちゃん!の話になってしまったから、あらためて、いさ。

70/12の'71年鑑をぱらぱらと見ていて、何が懐かしかったといって、金井美恵子の『春の画の館』。

見ずに転ぶは浮世の運命(さだめ)
身すぎ世すぎが浮世の規則(きまり)
嬉しく泣くのよあたしの深奥(あそこ)
なんてのを臆面もなく人に朗読して聞かせていたのだった。なんてこった。そいう時代だったのですっ。
そして白石かずこの『聖なる淫者の季節』。これはしっかりその詩集まで買ったのだった。白石かずこのケバさが好きで、たぶんいまだにケバいんでしょう。いま白石かずこっていくつなんだ? ちょいとチャラチャラしていて、コアな詩人連中からは疎ましがられてたようなところがあったな。でもジャズ喫茶でズージャをバックに詩を朗読してみせたり(その現場にはついぞ行くことがなかったけど)、ボクはそういうチャラチャラ加減が好きだったのだ。思えば、昔からチャラチャラしたケバい女が好きだったのだ。
「時はクル・セ・ママである」ということばに、ジャズ喫茶でクル・セ・ママを聞きまくってた。コルトレーンの真っ黒な額に流れる汗を想像して....。ふっ、青いな。なんだかこう書いていて気恥ずかしくなってくる。それでもいまだにラブ・シュープリームよりも、ブルー・トレインよりも、クル・セ・ママが好き。それは追いつめられたrestlessな落ち着きをもたらせてくれるからか。そして潮が引くように、やがてジャズを聴くことも、薄暗いところで詩集を読むこともなくなっていった。それは薄暗闇から現実に引き戻されていった、というボク自身の過程でもあったかもしれない。それでも
7年はたち 7年はめぐる
すべては
春でなければならない
人が死ぬのも
恋が
生きたまま埋められるのも
桜の木の
生あたたかい命の首のまわりで
すべては
春に はじまるのだ
という書き出しには、30年経ってもぞくっとクル・セ・ママ。


 


■2004/06/29 Tue■  モノマニア [長年日記]

この6月はぱたぱたと日が経つのが速かった。あっと気がつくと2週間なんか、さっさと過ぎてしまってる。どうして2週間かというと、図書館の貸し出しが2週間だから。返却、きのうだったのだ。全然、見てへん、読んでへん。
借りるときにはこれはおもろいと思うのだが、いざ借りてしまうと、それで目的を達成したような気になる。タダで借りてるからというのもあるかもしれないが、本を買うのも同じ。ヤフオクでどきどきしながら10円でも安く買って喜んでいても、いざ本が届いて封を切ってぱらぱらっと見たら、それで満足してしまってる。だからボクのまわりは年がら年中、山積み状態。
それだけ買った本があるのに、わざわざ借りに行くこともなかろうと思うのだが、こういう性癖ってのはもう一種の病気だな。

でんでんわかってねえ!コレクター的偏愛をわかってねえ!

とは以前《3P》のことこっちが書いていたので、ボクも書いてやったのだ。
 →2003/07/02 Wed (もっぺん読め)
図書館にまで借りに行くのは、コレクター的偏愛も通り越して、とにかく自分の目の前をブツが通りすぎていくのに満足する偏執狂=パラノイア、うっ、いま電子辞書で調べたらモノマニアmonomaniaってんだな、まんまじゃねえか。いえねぇ、MacにEgBridgeを入れたんでね、F4でさっと辞書が出るのさ。
ネットから図書館にアクセスして、延期をクリック。本は延期が効くけど、CDやビデオは延期できない。ビデオも借りただけで見てないや。と、言いながら、いまからSKIPにビデオ返しに行くのめんどうだなぁ。
レンタルビデオ屋でまで借りているという大バカものです。



 


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