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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/07/03 Sat■  手の淫 [長年日記]

いくら暑かろうが、暑いと喚いたり、ことばにしてみたところで涼しくはならないのだが...
7月....暑いワ。暑い、暑い、と喚いてるのは、たいていこの時期で、あと3週間ほどすると、いまのこんな暑さなんて屁みたいな、天井知らずの暑さがやってきて、その中にいてるんだろ。それはそれなりに好きだけどな。
そうして暑い、暑いと言ってるうちに、どんどん無為に日々は過ぎていく。それもそれなりにそれでいい。毎日、毎日、あれやこれやあると疲れるだろ。
ぼぉーっと沢木耕太郎の『天涯 第二』の写真を眺める。とくに好きな写真だというわけでないのだが、終わりのほうに天使の石像の写真が並んでいた。その手が美しい。手が美しいと思った。そこで済めば、それでいいのだが、あの手を思い出し、思わず卑猥な想いに耽っていく。それもそれでいい。それはそれとして、やっぱり、天使であれ、誰であれ、手の表情は美しい。
このくそ暑いときに、FrankZappaもなかろに。
そうそう、しばらく連絡が途絶えていたエミリーからメール。それはそれでうれしい。


 


■2004/07/05 Mon■  愛を割る [長年日記]

うちのマンションのすぐ下にあったスーパーがなくなったというのは、わが家にとっては一大事なんですね。
きょうもうとうと夕寝をしていて、きょうは風が吹き込んできていて、きのうとは大違い、快適な夕寝でした。きのうはもう最悪に暑くて、身体の折れ曲がって肉がくっつくところ、例えば膝の裏側だとか、俯いたときの喉頚のあたりだとか、ちんこの裏側だとか、じっとしてても汗ばんでくるくらいだったよ。
その快適な夕寝から覚めて、さて、ここで玉子丼ネタがあって書きかけてたんだけど、それは割礼して、あ、いや、割愛して、ん? 割礼に割愛か、なんか変だな。なんで愛を割ることが割愛なんだ? HDに積んである大辞林だと
    かつあい【割愛】惜しいと思いながら省略すること
う〜ん、なるほどな惜しいと思わないといけないのか、愛を割るには。じゃ、かの新明解はどうなんだって、出してくんの邪魔臭い。どこにあるかわからん。というわけで早速HD版の新明解を購入。なんと短絡的な(^_^;)
そんなことをしていて、はっと気がつけば、11時5分前。た、たばこがぁー。大慌てで買いに行こうとすると、財布を車の中に置きわすれてるの発覚。ついでのゴミ捨ても行かなアカン。ゴミ、駐車場と回って、自販機の前に到着したら、真っ赤なランプがいくつも点いてやがる。これも下のスーパーがなくなったことに起因してるのだ。
全くもって、とほほにツキのない日だよ。昼飯の食いそびれに始まって、晩飯もまともじゃなくて、揚げ句にたばこは買いそびれ。この程度のことで済んでよかったと思うとかなしゃあないわ。


 


■2004/07/08 Thu■  《妄想》というページ [長年日記]

さて噂のLiveDoorにBlogを借りて、そんなところで意味もなく写真日記なんてことを始めたものだから、またまたこのまごまご日記の存在が危うくなってきた。なんてちっとも思っていません。あっちはあっちでこっちはこっち。ま、適当にあちらには掃きだめることにして、掃きだめに鶴の期待がないわけでもないのだが、こっちはやっぱり、それなりの思い入れがあったり、自分でこれいいねぇって写真をアップしようと思ってる。
それでいつもは先にテキストを書いて、そのテキストに見合った写真をさがしてみたり、だから時には写真なしの日もある。ところが、きょうはBlog版写日記まごぶろのせいもあって、先に写真を探してから書き出した。なんか変な感じ。

写日記まごぶろは、いやほんとにお気楽にそこらにある写真、しかもほんとはその日に写した写真で勝負すべきかもしれないけど、そうもいかないので、ごく最近のところからアップする。写真だけぽっとアップするつもりだったのに、どうもテキストを入れないとアップできないようで、仕方がないのでその写真を写したときの状況を書いてみたりしたんだけど、どうもおもしろくない。
そこで思い出したのが、もう6-7年も前のこと、インターネットが一般に普及し始めたころに《妄想》というページがあった。おんなおんなしく(「めめしく」ではなくて)女のするなり妄想を書き綴ってあった。ボクはきっちりはめられて、その作者は女だとばっかり思って、メールまで送っちゃった^_^; 送った瞬間に、そのページは男が書いてることが判明。大慌てで「ははは、間違いましたァ〜(^_^;)」と訂正メールを入れたら、ちゃんとレスも送ってきてくれたんだよ。
その《妄想》の真似でもしてみようかと、だーっと書き直した。どつかれそうなテキストだワ(^_^;)
次、生まれてくるなら、絶対女がいいと思ってることだし、いまからその練習をしておくのもいいな。

 ※ 写日記まごぶろへは上の右から2つめのボタン《PhotoB》から



 


■2004/07/10 Sat■  とこりさんのBlog《四方田犬彦『ハイスクール1968』》へのtrack back [長年日記]

とこりさんの四方田犬彦『ハイスクール1968』のBlogから
驚かされるのが映画・演劇・音楽・読書、そのすべてにおける広大な知識の蓄積量だ。高校生でこのレベルのモノを見聞きしてたの? 私が17歳の頃なんて聴いてた音楽はアルフィーで、一番好きだった小説は「ノルウェイの森」だったもんなあ。当時の若者のレベルが高いのか、現在の若者のレベルが低すぎるのか。それとも向かう方向が違うだけで、情熱の有り様は同じなのか。そもそもおつむの出来が違うのか。
四方田犬彦なんて知らないよぉー。たぶん、今後も読まないだろうけれど(苦笑)
あんまりねぇ、自分の高校生時代なんて恥ずかしくって人に言えたもんじゃないよ。倉橋由美子が青春なんてのは恥のかたまりとか書いているのを大学時代に読んだ。なるほどと思った。でもちょっと真似して書いてみると、
    「ボクが17歳の頃なんて聴いてた音楽はストーンズで、一番好きだった小説はジュネの『泥棒日記』だったもんなあ。」
ってなるけれど、『泥棒日記』なんてわかって読んでたんじゃないもん。反抗のアクセサリーだよ。ストーンズもしかり。まわりのお利口さん達は誰も彼もがビートルズっていうから、じゃ、ストーンズってくらいで、クリスマスのダンパーでアンと"Touch Me"で踊ってたのが一番の思い出。それと学校から帰ってくるとまず、カーテンを閉めきって"We Love You"を爆音でかけて、タバコをすぱぁ〜-y(^。^)!o0○ アホです。口じゃ造反有理なんて言いながら、考えてることは、どないしたら童貞捨てられるやろと、オナニーに明け暮れる日々。
でもな、ビートルズという絶対的なものがあったから、ストーンズだ、ディランだ、ツェッペリンだ、クリームだと言うてられた。今の高校生は可哀想。いや、高校生でなくても、20代の半ばでも、これだ!と思える音がなかったという。今、バンドやってるのが、そういうのだからそうなんだろ。音楽について言うと、高校時代に、そんなふうに、これだ!ってのをもてたことは幸せだったと思ってる。それから、どんどこ変わってFunkになり、HipHopになりして、いつだって、これだって思えるものを追いかけてられる。追いかけてるだけじゃないかと言われるかもしれないな。
『泥棒日記』にしてもね、そのあと大学になって『裸のランチ』になったりしても、わかってない、わかってない。カッコばっかり。でもそのおかげでいろんな本に出会うことができたって思う。そして、カッコつけてるばかりだったのが悔しくて、いや、せっかくそういう本に出会えるところにいたのにもったいないなぁって、だから今になって必死に読み返そうって思う。
いまの高校生? 決しておつむの出来が悪いんじゃない。予備校が高校生に配付しているパンフレットに、どこそこの大学では誰それのこれこれが出題されたというリストが掲載されている。くだらない。「朝日新聞の論説はもっとも多くの大学で出題されました」。くだらない。レンタルビデオ屋に行けば、ハウツーセックスは木偶の人形じゃなくて生身の人間が実演してくれる。
自分で歩いてぶちあたれや。犬も歩かなければ棒にはあたらん。だいたい四方田犬彦なんてのが、恥ずかしげもなく書け、それが売れてしまう時代になったってこと。つまり、おつむの出来が悪いのじゃなくて、時代に去勢されてるだけなのだ。
それはいまの高校生だけじゃなくて、いまの自分自身、いまのあなたにも言えることだ。


 


■2004/07/12 Mon■  ブログ流行りとcss [長年日記]

最近はブログ流行りで、猫も杓子もブログ、ブログってね。4-5年前、BBSとか、日記とかセットになったレンタルスペースが流行ったのと同じか。かくいうボクもちゃっかりライブドアに借りてしまったんだが。まぁこのtDiaryもブログといえばいえんこともない。でもブログとしての機能は排除してしまってるもんねぇ。
それでですねぇ、その流行にのってあちこちのブログを覗くんだけれど、なんと高機能なこと。ところがだ、どこもここもそこもあっこもフォントのサイズが小さいっ! 一時、フォントサイズを小さくしたほうがオシャレっぽく見えるってこともあったけど、それもどうかと思うのね。とくにボクみたいなオジンの場合は老眼かかってきてるから(でもそうひどくないぞっ)、極小フォントはつらいんやっ!ネットの中心の世代が20〜30代ってところだから、あの小ささでもいいんだろうけど、しかしねぇ〜。ボクは毎度、毎度、フォントサイズを2つほど大きく変更してる。
でね、ライブドアも、あ、このtDiaryもそうだけど、基本になるデザインを選んで、あと細かい設定はあなたまかせ。その細かい設定はcssを書き直すってことでするんだけれど、あのですねぇ、いまブログをぽっと借りて、ホームページ作りましたぁ〜なんていうのって、ネット初心者でしょ。htmlさえわからんっていう人がほとんどじゃないの。たとえばライブドアのデフォルトのデザインでは
.blogbody{
 font-family:;
 font-size:small;
 line-height:135%;
 margin:10px 15px 0px 15px;
}
てな具合。これがメインのテキスト部分のフォントの設定だけれど、100行以上もあるcssの中から、この部分を探すのって大変だよ。ボクでもたいがい往生したって。ね、ブログに極小フォントだらけって理由わかるでしょ。こんなもん、htmlすらわからない人にはいじれませんですよ。だからそこらはほっちっちで、やたらプラグインが並ぶ。世話ないもんねぇ。
と、きょうはオジンのボヤキに終始しました。うちのライブドアのブログはフォントサイズは10ptにしてますよ(笑)

ところで《はてな》はJavaScriptはぶちこめないの?



 


■2004/07/13 Tue■  祇園祭 [長年日記]

まずはどうでもいいことだけど、祇園祭に京都へ行こうっていうのに、どうして天満に集合して天満で解散なんすか? ようわからん^_^; ま、いちおうウッディー3のイベントだからして、天満というわけなんでしょが。3時、タイガースに集合ってことで15分ほど遅れて行ったら、タイガース昼休み。なんてこった。どうでもいい話はこれくらいにしといて

祇園祭っていうと、これまで、人いっぱい!くそ暑い!って印象しかなかったから、大阪にずっといながら一度も行ったことがなかった。とにかく夏の京都は暑いから。テレビなんかで、ちきちんちん、こんちきちんというのを見てただけ。ウッディー3,3人ともそうね。
阪急は烏丸四条で下りて、地上に出たら、いきなり長刀鉾がおわします。インパクト強すぎ。ををーっ、これがいつも祇園祭っていうと、シンボルとして登場する長刀鉾かぁ。ナマで見たことはなくても、祇園祭=長刀鉾というのはちゃんと脳に刻み込まれている。えっとですねぇ、祇園祭の山鉾巡行の順番は毎年抽選で決められるのだが、この長刀鉾だけは別格で、デフォルトで先頭と決まってるのです。つまりシード。
これもきょう初めて知ったことだけど、この山鉾の上に一般の人間も上がることができるのですね。が、さすが、京都であります。拝観料がわりにちまきを買ったら上がることができるわけです。しかもです、この山鉾に上がるのに山鉾の中に階段とか梯子とかついてるわけでなく、山鉾の置かれているすぐ横の建物の二階から、山鉾にブリッジが架けられていて、それを渡って、山鉾の上に上がるというわけです。もちろんちまきは買いませんでした。
それから情けないことに、これもきょう初めて知ったことだけど、そのちまきです。そのちまきは京都の家の軒先に正月の注連縄のように飾られているのですが、てっきりそのちまき食べれるんだと思ってました。一人で行ってたら、山鉾に上がってみたさに、ちまきを買うて、ほら、おみやげにちまき買うてきたでぇーと持って帰って食べようとしたでしょう。笹の葉をむいてびっくり、そのちまきの本体は藁なのです。出町の双葉のちまきは食べれるのにねぇ。
それから、ほんとナマで見てみて初めて知ったことだらけ。祇園祭ってのはいちおう、13日から17日までということになってるんだけど、きょう13日から山鉾を道路に出してもいいというだけで、きょうから表立った準備にかかるというわけです。メインになるでっかい鉾はすっかりでき上がった状態で並んでるのだけれど、その他もろもろの山になると、本体だけで飾り付けはまだの状態。そのすぐ横に格納庫のようなところがあって、そちらに飾りのタペストリーなどが展示されて見れるようになってるのであります。左甚五郎の一刀彫の鯉なんかもあったり、国宝の刀剣だったり、重要文化財に指定されてるのがごろごろ。それにひとつひとつの山鉾に中国の故事などからとったいわれみたいなのがあるんですね。函谷鉾なんてのは函谷関から来てるのでありんす。
それに山鉾がぼっと置いてあるのだとばっかり思ってたら、囲いっていうのか、たいそう立派な白木で囲ってあって、そうそう山鉾に上がるためのブリッジなんかもそうね、これを17日の本番の巡行が始まるときにばーーっと取り払うんだろね。
そう思うと、17日の巡行ってのも生きてるうちに一度は見てみたいと。なんちゅうても、こんちきちんって雅びやかだよね。どこぞの山車みたいに、でやーっと駆け回るんじゃなくて、どうもあの祭りは「これぞ男よ」とアホ丸出しで、近くにいながらも一生見たいって気にはならないね。
まぁなんちゅうか、見る人が見たら、祇園祭なんて京都の人間がお高く止まりやがってと思うんだろうけど、歴史に裏打ちされた京都人の誇りみたいなのが見えてくる。そら、国宝やら重文で祭やってんだからね。





 


■2004/07/15 Thu■  ヨーグルト3つも買う [長年日記]

マンションの下にあったスーパーが閉店してしまって....というのは前にも書いたか。ほんと不便なんだよねぇ。って、これも書いたか。ここ10日ばかりは冷蔵庫の掃除で、ご飯食べてられたんだけど、さすがにすっからかん。仕方がないので、夜遅くに大きいめのスーパーに買い出しに行った。
夜遅くのスーパーはさみしいねぇ。ぱらぱらっとしかいない人のどの顔もさみしげ。70過ぎの婆さんが仕事帰りなんだろか、一人で買い物をしてたりして、旦那はもう亡くなって一人暮らしなのか、明日の朝のも買うとかなあかんしねえと、勝手にキャサリンと二人で想像してみる。
とにかく食材を仕込まないといけないんだけど、下にあったスーパーではちょっとした品物がおいてあったけど、このスーパーはありきたりの品物しか置いてない。例えばジャムにしたって、アオハタとか、どっかのあまり美味しそうじゃない手づくりジャム。チーズもプロセスチーズばっかり。逆に、おかかのふりかけとか、これをぬくご飯にかけたら美味しいんだぁ、があって下のスーパーではわらびの里のちりめん山椒のようなちょと気取ったのはあるけど、そのような庶民的な食品はなかった。ときに無性に食いたくなるからうれしい。ま、何にせよ、コンビニよりはましだけど、ああいう大型スーパーってのはあまり食指が動かない。やっぱ市場がいい。
それからとくに冷凍食品の近辺は気温がぐっと低くて寒いのなんの。なんとかならんか。このクソ暑い夏にTシャツ短パンで行ったらたまらない。真っ昼間だと涼めていいんだけど、さすがに夜になると、身体が冷えてきてうんこがしたくなって困った。
全然イロっぽくもなんともない話ですいません(笑)

 


■2004/07/18 Sun■  この3連休は [長年日記]

世間様はきょうから3連休。ボクは世間様とは1日ずれて日曜からの3連休。この海の日の3連休は....まぁいっかぁ、ぽっかり空いた3連休ってのも。いちおうちょちょっと予定も入ったことだし、暑いから家で寝てよ、って、家も暑いのだ。冷房ないからね(爆死)

で、その唯一の予定もあっさり終わってしまっちゃったった。真夜中の大阪の街を徘徊。といってもクルマで3ヶ所ほどちゃっちゃっと巡って、バチバチバチと写真撮りまくって、夜が明けたらさっさと帰ってきただけ。はじめにボクが想定してたところやなしに、ニャーの引き回しで巡ったんだけれど、これがまたスリリング。はっと気がつけば、そこからもう少し行ったら、10年ほど前にボクがジテコで走り回って見つけた場所だった。その入り口にこんな摩訶不思議な場所があるとは。人には人の抽出ってものがあって、その抽出をちょいと見せてもらうとおもしろいな。また近いうちにあの場所へ太陽の光があるうちに行こう。
ゑ、それはどこだって? それはヒミツだろ。ボクの抽出にしまっておいたから、get closer(笑) 誰にでも見せられるってもんじゃなし。

さ、あと2日、何すっぺかな。一人でジテコでも乗ってますか(^_^;)






■2004/07/21 Wed■  京都白情 [長年日記]

ちょっと山積みになった本を整理しようと、結局なにも整理できずに元の状態となんら変わらず、ふっと手に取った荒木経惟の『京都白情』に見入ってしまう。
どぉーんと見開きになった鴨川の河原、たぶん明け方か、誰もいない中で、女が男の体にまたがった白い太ももに欲情する。なぜだかわからなく欲情し、いままた欲情し、オナニーしたくてたまらない。いや、その一枚だけではなくてひたすら欲情するのは裸の写真ではなく、形容しがたい女の視線。決して美人でもなく、ただすれ違う視線にとまどいながら、いままさにパンツを脱がんとせんとするM嬢イヴの視線にぶつかったとき屹立。この何も支えるものがないむずむず感は何なのだ。

《京都ホテルの窓から山鉾の巡行を眺めながらちょっとセンチメンタルになった。この部屋からの眺めは新婚旅行の時と同じ眺めだ。》

いまだ見ることのない山鉾巡行を京都ホテルのあの窓から眺めている自分を妄想し、アラーキー以上にセンチメンタルになる。ところで

それは当たり前のことだった。別れた男は罵る。おまえはうそつきだ、俺を騙してばかり、と罵る。そこでどう言い返してやろうと思ったけれど、そんなつまらないことで悩む暇があったら、わたしのようないい女にそんな口をきく男なんか無視しちゃって、甘く耳元で囁いてくれる男をさがそうと思った。わたしはいつだってそうしてきたんだから。バイバイ、それはあんたが言ったんだからね。わたしはあんたにとっては手に余る女だったのさ。だからそんな言葉でしか自分を保つことができないんだね。可哀想な男。わたしから言ってあげるよ、バイバイ。



 


■2004/07/28 Wed■  I Want You… 夏の雲 [長年日記]

少し前に見たウィンターボトムの映画『I Want You』、その中で使われていたコステロの"I Want You"、こんなもの夏の真っ昼間にクルマの中で一人で聞くようなもんじゃないな。じゃ、どのようなシチュエーションで聞けばいいのですか。夜に一人で走るクルマの中で流れているというのも、むちゃくちゃにつらいものがあるし、だいたいコステロのバラードは妙にはまってだめです。トム・ウェイツとはまた別に男の琴線をかき乱す声だな。
まごれびゅにも書いたように、映画の中で"I Want You"が使われるシーンに一番がつーんと来たのだけど、そしたらふっとヴェンダースの『パリ,テキサス』の例のシーンに想いがいたって、ナタキン萌えってか、ナタキンを置き換えしちゃって感情移入している自分がいる。『I Want You』にしたって、『パリ,テキサス』にしたって、う〜ん、共通項はアレなんだけど…つらいな、男って生き物は…(クライ…)←一部の人間にだけ通じるギャグ
ヴェンダースって、これしかないんちゃうというくらいの『パリ,テキサス』なんだけど、どんどん想いは進んで行って、映画の初めでトラヴィスが歩いているシーンに移って行って、そうしたら、はっと気がつけば夏真っ盛り。そしてね、夏真っ盛りというとギラギラに照りつける太陽…、じゃなくて澱んだ熱い空気のかたまりであったり…、いやいや、太陽と対になるとすれば、夏の雲、入道雲に、ボク自身の夏の想いは集約されて行ってしまうのだった。
夏の雲を意識してしまったのは、倉橋由美子の『わたしのなかのかれへ』という彼女の最初のエッセイ集にたしか「夏の雲」というエッセイだったか。そして『暗い旅』の主人公の女が処女喪失のシーンだった。それ以降、いくつもいくつも夏の雲を見てきてしまった。ときには見ることができなかった夏の雲もあったりして…。そしてあるときは夏の雲を写した。その夏の雲にどう感情移入してくれたのか、「まごちゃん、あの写真、デスクトップにしたよ」って…。

やっぱり今年も夏の雲に目の中に焼き付いてくる。だけど、その夏の雲への想いは現在につながることもなくセンチメンタルに流されて行く。するとその横でお嬢様が言うのだった。
「まだ夏は始まったばかり」



 


■2004/07/29 Thu■  少しでも誰かの思い出の中に生き続けてくれますように [長年日記]

》昭和49年7月29日、中島千鶴子という女の子が突然亡くなりました。
》ちょうど30年目の夏がやってきます。
》私がとやかく言うのは変なのですが、
》完全に忘れられたりするのも可哀想なので
》一度だけ皆さんに思い出してもらえればとメールします。
》覚えている方がおられましたら、
》そっと冥福を祈ってやっていただければ幸いです。
》少しでも誰かの思い出の中に生き続けてくれますように
突然、bccメールが河井から届く。真剣に中島千鶴子という名前を記憶の中から繰ってみる。千鶴子という女性-女の子が、30年前の自分のまわりにいた記憶がかすかに蘇ってくる。が、その千鶴子というのが、はたして中島千鶴子であったか、そうなると、記憶は曖昧にぼやけていく。「千鶴子」という名前だけで存在してたのじゃないか。
河井とも、この30年近く疎遠になっていたのだが、数年前に一度だけ会って、一緒に飲んだ。ボクはバイクで出向いたので、酒は飲んではいなかったが、その別れ際に「暴走族のようにブインブイいわせて走り去ってよ」と見送ってくれた。
河井と「千鶴子」が存在したであろう集団から、その昭和49年当時、ボクは一歩離れた位置にいたけれど、それにしても、その集団からいくばくかの情報-噂は流れてきていたはずだ。もちろん「千鶴子」が亡くなったということも伝え聞いていて不思議はないはずなのに、亡くなったというメールに記された事実は、ボクの記憶の中の「千鶴子」の存在をあやふやにしてしまう。
30年経ったいま、河井がこのようなメールを送ってくるということは、その当時、河井と「千鶴子」に、普通の友だちである以上の関係があったのだろう。確かに、ボクや河井がいた集団から少し離れたところに、河井に彼女がいるという話も聞いたことがあって、そしてその名前は「千鶴子」であるという記憶がぼんやりと沸き起こってくる。が、それは蘇ってきた記憶というよりも、この突然届いたメールにボク自身が合理性を見いだすためにつくり出したフィクションかもしれない。
いずれにしろ、河井は「千鶴子」という女が存在したことをあらためて心にとめておきたいのだろう。そうして誰とはなく、河井と「千鶴子」の関係も認めていてほしかったのかもしれない。

なんだか、せつない。



 


■2004/07/30 Fri■  あるコメント [長年日記]

もう20年以上も前のことだが、当時高校生だった女の子、ということはボクより一回りほど若い女の子、なぜか本題からそれて「若い女の子」にひっかかってるわけですが、つまり今ではもう40になるかならないかといった妙齢の女性になってる、そういう当時の女子高生の前で、いつものようにバカばっかりやってたのよ。何年経っても変わっとらんねぇ>自分。その頃にそういうスタイルも40までかな、40過ぎたら変わっていかないとダメだななどと思いながらも、いざ40になって変わるどころか、ますます拍車がかかってしまったという。なんてこったい。

閑話休題(←文化庁「国語に関する世論調査」参照)。あまりのバカばっかやってる加減からか、その女子高生に

「悩みないん?」

と聞かれたのです。このことはどういうわけだかよく覚えていて(その女子高生の名前すら忘れてしまってるというのに)、さて当時のボクは何と答えたと思う。

「悩んでいる余裕なんかない」

ウソです。
しっかり悩みはあったさ。でもそのような悩みを誰彼となくひけらかすほど趣味悪くないんだよっ。その女子高生の前で悩ましく見せるなんて、自分のポリシーに合わないんだよ。でもときには泣きを見せてしまうことだって。あ、いや、いまはそんな話じゃなかった。

《 私は人の幸せが嫌いだ。順風満帆に見えるヤツは、見ているとムカついてくる。》

この年齢にまでなると、順風満帆に生きてる奴ってのは必ずいるもんで、そいつらの顔を見ているとムカムカしてくんだよっ。やつらは社交辞令のごとくに

「やぁ、ひさしぶりだねぇ。どうしてるんだい?」

と聞いてくる。それは自分の順風満帆を開陳するための枕詞。をー、そうかい、そうかい。どうせ、あんたらから見たら、ボクなんて負け組でしょうが。だけども、オレから見たら、あんたみたいなヤツこそ負け組なんだよ。そうしてそういうヤツに限って、得意げに悩みを語って(騙って)聞かせるのだ。悪趣味だな。
うはっ、全然、コメントになっとらんか。支離滅裂なまま、いつかまた続く。




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