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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/12/01 Wed■  当たるも八卦、当たらぬも八卦 [長年日記]

 12月になったことだし、ちょっとは気の利いた話でも書こうと思っても、きょうもまたリキが入らない。まぁ、そういう日もあらあな。

 こないだ、人妻(28歳 )から教えてもらった宿曜占星術にちょっとはまって、自分の室宿をもう少し詳しく調べてみると、

強引な性格の星で、自分中心だ。傍若無人で、他人がどう思おうと全く平気だ。
自信にあふれ、威張りたがり、何でも「俺が、俺が…」で、自分が中心になろうとするだろう。悪意はなくても相手の気持ち、立場、他人の迷惑などには無関心なので、人徳にかけると憎まれ者になる。
陽性の星で、どんなに苦労してもくよくよしない楽天的な星だ。
社交性があり、にぎやかなことが大好き。どんな時でも周囲を強引に自分のペースに巻き込んでしまうだろう。よくしゃべるほうでせかせかしている。おっちょこちょいのところもあり、気も短いほうだ。
あくも強いのだが、無邪気なところもあり、性格がさっぱりしているところが救いで、アクのあるわりには憎まれない。軽率なところがあるので、うっかりボロをだし他人の感情を害するところはあるかもしれない。
友人は多いのだが、心から話し合える真実の友人は持てないだろう。自分中心で相手の心が理解できず、理解しようともしないからだろう。人間としての味、深みは少ない方だ。
 なんなんですか、いちいちあたり過ぎてますやんか。揚げ句の果てに
男は女性を口説く名人だ。見え透いたお世辞も照れずに口に出すので、一見フェミニストだが、かなりのドンファンもいる。それも女の心を買うのではなく、モノとしてみる傾向があるだろう。
らしいぞ。むっ-_-; あのねぇ、気に入らなかったら、お世辞なんて絶対に言いませんよ。だから赤ちゃんが生まれたと言って見せられても、生まれたての赤ん坊なんてサルみたいで、お世辞にも「ママによく似て可愛いね」などとよう言わんよ。あ、ちょっと違うか。とにかく、女に限らず、好き嫌いはかなり激してますねぇ。
 んじゃ、四柱推命じゃどうなんだ?と、ググって行ってみたら、ランキングばっかりで、まるでエロサイトみたいやないですか。どこが入り口なのかさっぱりわからん。むかつく。ふー、やっと、見つかったと思って生年月日を入力したら、サイトが見つからないだとぉー、舐めとんのか(-"-) うりゃ、別のサイト
まじめで誠実な性格です。何事にも慎重できっちりしています。細々したところまで目が行き届きます。整理整頓も得意で乱雑な環境は好みません。仕事や待ち合わせににもまず遅れたりしません。計画的で理想的なのですが、遊び心が少ないためか相手に不満に思われることがあります。正直で嘘をついてもすぐ顔にでる人がいます。人柄も温厚で気もつく人ですから、人から嫌われることはまずありません。そんな性格が災いして嫌われることがあってもいわゆる逆恨みの場合が多いようです。 何事にも無駄を嫌います。節約とケチとは違うのだということを証明してくれる人です。欲しいものを買う時でも、ローンを組むよりは貯金して僅かでも利息を増やしてから、といった具合です。特に金銭的には相当細かく管理されています。資産運用にも興味があります。もちろんリスクのあるものには決して手を出しません。結果、こつこつと着実に財を成します。結婚相手としては理想的といえるでしょう。但し、恋愛期間中は現実主義が災いして期待外れになることがあります。
 全然あたっとりゃせんじゃないですか。クソほども当たっとらんぞ、こらっ
《整理整頓も得意で乱雑な環境は好みません》 いっぺん、ボクのマックの周辺とか仕事場の机、見に来いや。
《仕事や待ち合わせににもまず遅れたりしません》 すいません、今朝も1分遅刻しました。もう職員朝礼始まってました。
《欲しいものを買う時でも、ローンを組むよりは貯金して僅かでも利息を増やしてから、といった具合です》 衝動買い、アテモン買いはどう説明してくれるんだ、えっ!
《資産運用にも興味があります》 をーい、ジープランニング(爆) ←うらまご参照
これらの結果は(無料の)簡易版につき、あくまでも参考程度にお考え下さい。厳密な鑑定には命式からの総合的な判断が必要となります。
ほんとのことを知りたきゃ金出せってか。

  • 注:27歳とばっかり思っていたら28歳だった。なんでわかったかというと、本人は「房宿」だというので調べたら「房宿」ではなかった。おかしいと思って調べ直したところ28歳ということが判明。そういえば、28だと言ってたような。


■2004/12/02 Thu■  移転あいさつ [長年日記]

まごまご日記は

http://www.maggot-p.com/mago/

に移転しました。

 

ここの更新ストップします。

あんまりいないと思いますが
ブクマーク、アンテナ等に
登録してくださってる方は
変更よろしくお願いします。

引き続き、まごまご日記をよろしく。


■2004/12/03 Fri■  yesかnoかの状況 [長年日記]

 というわけで、『ねじまき鳥クロニクル』を読み始めてるんだが、例えば
十時前に雨が降りはじめた。たいした雨ではない。降っているのかいないのかよくわからない程度のかすかな雨だ。でも目を凝らして見ると、たしかに雨が降っていることがわかる。世界には雨が降っている状況と、雨が降っていない状況があり、その状況にはどこかで境界線が引かれなくてはならないのだ。僕はしばらくのあいだ、縁側に腰を下ろして、そのどこかにあるはずの境界線をじっと睨んでいた。
 たぶん、これはあとから、こっち側とあっち側の境界線というような意味をもつのかもしれないけれど(まだ第5章までしか読んでない)、これを読みながら、雨の降ってるところと降ってないところの境目というのは小さいころにすごく気になったことを思い出した。その境目はきっちりと線を引けるようなものでなく、かなり曖昧としているということに大きくなって気がついた。つまり、「降っているのかいないのかよくわからない程度のかすかな雨」の降るところが、線ではなく、帯のように連なっている。雨の降りはじめというのはまさにそのような帯が自分のところに動いてきている。
 そのことは誰もが体験しているのに、それが境目であるとほとんど誰もが思っていない。みんなもっと明確な境目、雨の激しさが連続的に変化する境界帯じゃなく、降っている降っていないの不連続な境界線を見たがる。そのようなかなり(激しさの変化が)不連続な境界線が存在しないこともないけれど、それとて変化があまりに急激なだけだ。そうすると、境界線などではなくて、境界帯でしかない。その帯の中での変化が急激であるか、緩慢かの差はあるにせよ。
 こう言うとまた、どこまでが帯なんだという人もいるんだろうな。物理の話にすると、雨粒が落下するときにはじめは重力だけでgの加速度で落下するが、雨粒の落下速度に比例して空気抵抗を受け、加速度は小さくなって、やがて一定速度(終端速度)で落下する。その現象でいつ終端速度になるのかを知りたがるのと同じようにナンセンスなんだよ。
 雨に限ったことでなく、さまざまな状況に人間は境界線を引きたがる。たとえば生死の境界線。脈拍で判断するのか、脳波で判断するとか。が、死に行く人は生から死への境界帯のなかにあるにすぎないんじゃないか。何をもって死と判定するか、それは何をもって雨が降っていると判断するのかと同じじゃないのか。

 そんなことを考えながら読んでいると、なかなか読み進まない。と、同時に作家ってのは大変だなぁと思う。日常的に感じたりしたことを膨らませて作品の中にとり込んでくるわけだから、そんなものはまめにメモでもしておかないと、さっさと忘却の彼方に追いやられてしまう。もっともそうして固定しようとすると「雨が降っている状況」なんてことばに変質してしまうんだろうな。そんな「雨が降っている状況」ということばにはとても違和感を感じてしまうのだった。




■2004/12/04 Sat■  ことこ《わたくしは文章が書きたいのです。読みたいのです。》へのトラックバック [長年日記]

ミクシ日記はもちろんのこと、このダイアリーに書かれていることどもも、まるで文章と呼んではならないものたちばかりでそろそろ嫌になってきました。きちんと長い文章を、センテンスのある文章を、パラグラフのある文章を、書きたい。中身なんて意味なんて内容なんてなくてもいいのだ。
 そう、ミクシとか流行のブログ見ていてうんざりするのは文章に巡り合わないこと。それらはそれでいいのかもしれない。他愛のないおしゃべりなんだから。いまの時代に、文章をしゃべるおしゃべりなんか存在していなくて、単語の羅列だけでおしゃべりが成立するのだから。ちょっとボクもミクにも日記は書いてはみたけれど、ボクもことこっつと同様に「文章が書きたいのです。読みたい」ので、続けて書こうという気がしなくて、もうやぁーめたと投げ出した。現実でも2〜3人程度の間でのおしゃべりならよくしてるけれど、それより多く集まってのおしゃべりは苦手だ。ましてや、不特定多数に文章にもならないおしゃべりはしたくない。みっちりとした文章がいい。
 あちこち回ってチェックしてみたけれど、結局またテキ庵に戻ってきてしまった。blog流行で、いまやテキストは影を潜めてしまっているのだが、いちおう最初の《「段落文体」のテキストに特化しています》というテキ庵のお約束のおかげで、そこからたどればある程度、文章を読むことはできる。
 blog流行ということで敢えて書いておくと、とこりさんの『しゃべりたがる私』はすごく好きでずっと読んでいたのだけれど、はてなに移ってから、つまり『しゃべりたがる私のINPUT★OUTPUT』になってからなんだかつまらない。とこりさんとて、blogの形式に惑わされたのか、文章がぐっと減ってしまってる。
 確かにblogの利便性はあるけれど、ボクに限って言えば、文章を書こう、読もうという雰囲気にさせてくれない。文章を書くための道具じゃないと思う。ずっと以前に「携帯メールで愛は語れない」と書いたけれど、blogに現れているのは携帯メールと同じじゃないのかという気がする。しっかり愛を語るのならせめてPCメールと思うのと同じで、しっかりとした文章に行き当たりたかったらblogではダメなのかもしれない。
 ついでだから書いておくと、はてなでむちゃくちゃに嫌いなのが、キーワードの自動リンク。あれ、ほっといたらとんでもない語までおせっかいにリンクつけてくれる。例えばとこりさんの12/03の記述(何度もひきあいに出してごめんなさい)
聞くところによるとディズニーランドミッキーたちは、「ミッキーは本物だ!」と信じている子供たちのために
とキーワードリンクが付いている。このアンダーラインうざくないですか? 文章というものを損ねているとボクは思うんだけれど。あの文脈でミッキーをクリックしてみようという人はいないはずだし、ミッキーに注意を向けたいはずもない。なのに二度もアンダーラインが入ってしまう。ボクのまご本では、cssをいじって、キーワードリンクにアンダーラインが入ることを回避したり、キーワードのチェックを極力はずしている。理央さんの『安田理央の恥ずかしいblog』もはてなに移った最初はおびただしい数のアンダーラインに蝕まれていた。最近はチェック入れてリンクを外してるようでホッとしている。
 ボクだって、うらまごはblog仕様にしてしまってるけれど、あっちはメモ、メモ。文章なんて書く気はない。アルツの彼方に消え去るのをなんとかしようとしてるだけ。最後にもう一度、ことこっつの名言を引用
文章を書いていないと、読んでいないと、文章との接し方がわからなくなる。



■2004/12/05 Sun■  じゃれあってるだけでも勃起はするが(とこりさんへのトラックバック) [長年日記]

 誰もがそうすべきってわけではないけれど。

 以前に書いた携帯のメールで愛なんか語れない、という話、あくまで「愛を語る」であって、じゃれついてる分には携帯メールというのは非常に便利でよろしい。PCのメールなんかでじゃれつけなかったもん。まして手紙なんかじゃとてもとても。ところが、逆にじっくり愛を語ることができた。携帯メールは、利便性のために語ることを失いつつあるんじゃないか。まるで人魚姫のように。
 そのことと同じなんだと思うんだね、いまのblogっていうのは。タグなんか知らなくても、ホームページ作成ソフトを使わなくても、フォームにタッタッタと打ち込むだけでホームページができる。ヘタなホームページよりずっとすっきりまとまったページができ上がる。しかもほとんどがタダで。まさかblogに書くのに、テキストエディターで下書きしてる人はいないでしょ。ちなみにボクはこのまご日記はクロバーダイアリーという日記ソフトに下書きして、<br>や<blockquote>などのタグをつけて、テンプレートに流し込んでから、フォームの窓にコピペしているのだが、うらまごになるとフォームの窓に直接書き込んでしまってる。
 これって、また携帯のメールと比較してしまうけれど、携帯の液晶の大きさと、PCメールを書くときのモニターの大きさの差に似ている。つまりその大きさの中で収束してしまっている。要するにblogじゃ、携帯メールのようにじゃれあうことしかできない。もちろん、じゃれあってるだけでも勃起はするもんですが。いまさらって話になるけれど、Pちゃんとも携帯を持つようになって、愛を語ることがどんどん希薄になって、という気が、今でもする。

 ついでなので書いておくと、例えばきょう12/5一日のページビュー数は678、ユニークユーザー数369で、一人当たりのページビューは1.89。リンク元サイトはhttp://search.yahoo.co.jp/が204でトップ。リピーター割合が9%。早い話が見に来てくれる人の大半が一回こっきりの一見さんだね。まぁ言うなればタチの悪い風俗店ってとこでしょか、うちのサイトは。ほらほら、扇情的なタイトルで気を引こうとしてるでしょ、きょうも。そういう一見さんを邪険にしてはいけないのだが、「うらびでお」で検索(どうして「裏ビデオ」でなく「うらびでお」なのか、訝しいったらありゃしない)してやってくる人なんか相手にしてられない。そんなのでアクセス数が増えたって少しもうれしくもない。うらまごなんて、「相手の気持ち、立場、他人の迷惑などには無関心」な室宿の星のボクが自分のためのメモにしてるだけのこと。あわよくば、そこから興味でももってくれたらいいというくらいにしか考えてない。

 なんだか、話が宙に浮いたままで着陸点が見つからない。うーんとですね、 文章を書きたい、文章を読みたいってことです。あっちこっちにケンカ売りまくっておくと、例えば花村萬月なんて、いまや文章書けなくなった人だね。すこすこ。もういっぺん初心に戻れや、と。をっと、変なところに不時着してしまったようで、おやすみなさい。






■2004/12/08 Wed■  雨の長居競技場 立命-関学プレーオフ [長年日記]

 とこりさんにケンカ売った(笑)とたんに自爆してしまった。というのはウソで、この2日ほど書ける環境にいなかったのです。というのもウソで、真実はキミだけが知っている。

 というわけで、何が「というわけ」なのかもわからないけれど、とにかく、先週の土曜日の夜の立命-関学のプレーオフをビデオに、をっと、HDDだった、録っておいたのを見たのですよ。何がすごいって、こんなにすごいのも、ボクのこれまでの生きてきた生涯で((c)最近ハダカになった水泳女子元金メダリスト)こんなにすごいのを見ることはもうないでしょう。

 簡単に書き残しておくと、!Qいきなり関学のランプレーでTD。そしてそのあとの立命の攻撃を完璧に止めて、すぐさまTD。これで関学の14-0。ここからゲームは膠着状態に入ったのだが、前半終了間際残り20数秒からのシリーズで立命が1TDを返して前半終了。そして後半開始直後に立命が1プレイでTD。これで14-14の同点。ここからのせめぎ合いがすさまじくて、長居競技場は土砂降りの雨。そのまま14-14で4Q終了。
 リーグ戦の場合はそのまま引き分けに終わるのだが、甲子園ボール出場がかかっているのでそのままタイブレーク。敵陣25ヤードからの攻撃。まずは立命。ランで少しずつヤードを稼ごうとするが、関学のディフェンスがこれまたすごい。数ヤードのゲインに留まってFGを狙うが折からの土砂降りの雨にピッチされたボールがすべってセットできず、関学に攻撃権が移る。そうなると、関学はFGの3点で十分なわけでランで少しずつヤードを稼ぐのだが、さっきの関学のディフェンス以上に立命のディフェンスもすごい。なんとかFGレンジにまでボールを運んだが、34ヤードのFGは無情にもわずかに右に切れてしまった。
 延長2回戦は関学の攻撃から。ここで関学がやっとのことでTDを奪うと、絶体絶命の立命もTDを奪い返す。このときは互いのリードブロッカーがすごいのな。もうこの一瞬しかないというもの。そして延長3回戦に突入。長居競技場は相変わらずのざんざん降りよ。ちなみにその時間にボクは長居競技場から数キロと離れていない家で,届いたばかりのiPodいじって呆けておったよ。プレーオフ日曜だと思ってたのっ。
 3回戦は立命がまず手堅く数ヤードゲイン。4thダウンで無理をせずにFGを決めてしまう。この試合で初めて追う立場になった関学は当然TDを狙いに行くが、またしても立命の強烈なディフェンスに阻まれて数ヤードロス。最後に40ヤードちょっとのFGを狙ったが、それまで。

 簡単に書き残そうと思ってたのについ長くなってしまった。ほんとこれはかの「涙の日生球場」以上に歴史に残る一戦だったよ。ボクはどっちを応援するでもなく、どっちかというと関学かな、勝負の決した瞬間の悔しさ以上に妙にさばさばした関学ファイターズの姿は、まさに敗者に美学あり。素直にこんなすごい試合を見せてくれてありがとう。



■2004/12/10 Fri■  夢の残像 [長年日記]

 こないだから夢の話をあるところである人としていたら急に夢を見るようになった。夢を見るというより、たぶんそれまでも見ていたのだろうが、起きた瞬間にきれいさっぱり消え去ってしまって、夢を見ていたのさえまったくわかっていない。なんでも起きてから夢の記憶は数分で消えてしまうそうな。そこでちょっと意識してやったら、少しは夢の残像も残るようになった。

 いつものように露地をのぞいている。ひょっとすると、廃屋と廃屋のあいだの隙間だったかもしれない。その露地に雑多なごみに混じってひどく立派なライフルがあった。突然、女が後ろからそのライフルを取り上げて、空に向かってズキューンと一発。ライフルにしてはロケット砲のようだった。
 そのライフルをもってクルマに乗って場所が変わる。開けた峠のようなところにやってきて、道の真ん中にはボクが以前に乗っていた臙脂のランクルが止まっていて、誰も乗っていない。その向こうに小さな古墳のような土盛りがあって、その土盛りの少し上をめがけて、ライフルをぶっぱなすと、バラバラと土盛りの上にだけ雨が降り、その土盛りは崖崩れを起こしたように崩れた。
 マスコミでは発砲事件として扱われボクは逃亡者になった。が、その現場に面したところに庵があり、そこへ一人でやってくる。どうもそこの庵主がその土盛りの守人らしい。その守人に謝ろうとやってきたはずなのに、庵主はいない。階段を下りていくと、真っ黒の板の間に上半分が真っ白な障子が貼られた黒い板戸にしきられた空間が冷え冷えとしている。その板戸を開けるとその向こうにくしゃおじさん(どういうわけか、顔は川谷拓三に似ていた)がいた。その男が庵主らしい。が、自分がやったことを切り出せないでいると、板戸の隙間から新聞が差込まれて、その新聞の一面には別の事件(殺人事件だったような)とともに自分が指名手配になっている。しかも所番地まで明記されている。

 男が死んだ。その葬式。火葬場へ向かう車には40ほどの女が乗っている。顔はまったく思い出せないというか、顔は見ていないのに美人だ。その美人の女がくしゃくしゃになるまで泣いている。どうも死んだ男の妻らしい。男の歳は56歳。70過ぎてたのじゃないかといぶかしく感じるが、56というのも若すぎる死だと一緒に悲しんでやる。
 その葬式の弔いの、いったい何なのかわからない、蝋を塗ったような厚紙があって、爪でその蝋をこすっている。すると女が「やっぱり精液をかけたところは蝋の乗りも悪いよね」と話している。




■2004/12/12 Sun■  浦島的思い入れ(何のことかようわからんタイトル) [長年日記]

 ちょっとここしばらく凹み気味。あんまり何やかやとする気がしない。
 その理由のひとつはiPod…というのも変な話だが、耳を塞ぐというのはいいもんですよ。うるさい声が聞こえない。とくに仕事場の机の前に座っていると、こやつらバカなんじゃないかと思うくらいくだらない話がいやでも耳に入ってきてたのが入ってこなくなる。これ精神衛生上、非常によろしい。仕事場だから仕事の話をしてるのは当然とはいえ、キミらほかに自分個人としての楽しみはないのか、といらだって別室に逃げていたのが逃げなくて済むようになった。そのかわりに、引き籠もりが高じて、あと10数年もこんなことをしてないといけないのかと思うとうんざりすることも凹みの原因。しかし何を見て、この仕事してるんだろうな、このクソみたいな連中は。

 話をiPodに戻しますが、iPodはこれで2台目で、前のは初代の5Gだったから、もうとうにパンパン。それ以前にMac本体の方のHDがパンパンだったから、持っているCDからiPodに移してくるということもままならない状態で、かといって、せっかくNapstarで落としたファイルを削除するわけにもいかず、その大半はどうでもいいようなJ-Popばっかりでいい加減うんざりしてた。そういうどうでもいいようなのはさっさと削除すればいいのに、そういうのは眠気ざましに便利なんだよ。クルマに乗って眠いときにカラオケしてればなんとかもちこたえられたから削除するわけにいかなかった。
 それと数年前の困窮生活wで、以前はバカみたいに買っていたCDもまったくといっていいほど買わなかった。だからひどい音離れ現象を引き起こしていて、いまかなり浦島さん状態。元からヘソ曲がりで流行ってるものはハナにもかけない。今でもエミネムなんて全く聞こうという気がしない。そのくせビヨンセだけどなw あー、でももっとごくフツーのもので満足できるんだったらブクオフでことたりるんだろうな。でもきのうはJoeの"And Then..."が250円だったのはラッキー
 だけど250円でラッキーなことはラッキーなんだけど、自分がすでに持っている、とくに好きなCDが250円で見つけたりするとすごく複雑な気持ちになる。すべてはなんの思い入れもないモノとして並べられているのだから。そういうときはその棚から救い出したい気にもなるんだけど、それより買ったまま忘れ去って油汚れしている音を掘り起こしてやらないと。



■2004/12/14 Tue■  ドーナツの味 [長年日記]

 天下茶屋商店街の角にあるドーナツ屋。おばちゃんは手に真っ白にして、まるめた粉を伸ばしくるっと輪にしてすぐ横の油に入れる。しだいに膨らみ、茶色くなっていくのをじっと見ていると、思わず
「昔は家でよくドーナツもつくってもろたわ」とおばちゃんい話しかけてしまう。
 サンドイッチも家でつくった。何枚も重ねた上にまな板をおもし代わりに乗せた。そのあと食パンの耳を包丁でばさっと落とす。その耳はもったいないから、捨てずに油であげてドーナツのように砂糖をまぶした。
 そんなおやつをいつからか家でつくらなくなって、それはもっと美味しいものが簡単に口にできるようになったからなのかなあと思ってみたりする。
 昔のものがなんでも美味しかったなどと言いませんよ。そんな懐古趣味は持ち合わせていない。近所のお菓子屋のガラスケースの中には甘ったるいケーキが入っていて、それはきっと今食べても美味しくないんだろうな。そういえば神戸の元高にそういう昔くさいケーキ屋があって、トントンと一度食べてみたけど、パサパサしていてお世辞にも美味いとは言えなかった。スパゲティにしたって、「本場の味」などと書かれていて、そのくせケチャップでどろどろになった太い茹ですぎの麺だった。いま思うと、あんなものどこが本場の味なんだと思えるしろものだった。
 そんなふうに口がこえたのか、どんどん味は洗練されて行ったのに、ことドーナツに関しては、ミスドなんかのドーナツじゃなくて、相も変わらず、昔ながらの固いドーナツが好きというのはどういうわけだろう。京都行ったら六曜のドーナツはデフォルトだしね。



■2004/12/18 Sat■  What's まご? [長年日記]

 Maggot Brainに《蛆脳》という漢字をはめてみて、はっと気がついた。《蛆脳》と《姐悩》とは似てますねぇ。だからー、どうなんだ。
 って何がなんだかわからない人に説明しておきますと、このハンドルネームの「まご」というのは、P-Funkの"Maggot Brain"から頂戴したのはプロフに書いてるんですが、そんなプロフどこにあるんじゃあとお嘆きのあなた、うちは極力お客様には不親切をモットーにしてるのでございますよ。これでおわかりいただけましたか?ミクシからお越しの方。
 ついでに字数稼ぎにもっと説明しておきますと、最初にネットに書き込んだときは、そのまんまmaggot brainで登場しました。でもね、オフ会とか行くと、「初めましてマゴットブレインです」なんていうのは気持ち悪い。どうも2語以上のハンドルネームなんてヲタっぽくて。試しに「さん」づけにしてみ。こしょばくなる。呼ぶほうも呼ばれるほうも。前にたまたま見た『名探偵コナン』で、ネット上で知り合った人間が集まって、そこで事件が起る。それに出てきたハンドルが「魔女の弟子」。それをネットの通例でさんづけにして「魔女の弟子さん」。な、きもいだろ。
 この際だから書いておきますと、某お姉さまが大阪にお越しの折、当時、そのお姉さまのサイトは人気サイトで、お姉さまの「あたし大阪遊びに行くから」の一声で10人ほど集まったのですが、その中にいたんだよなぁ。2語ハンドルのヤツ。呼びにくいったらありゃしない。それに「さん」までつけて呼ぼうなんて気はさらさらなくて、結局、無視してました。無視したもんだから、以後その2語ハンドル様とはつきあい絶無。そのときっきり。道で会ってもたぶんボクは気づかないでしょ。ボクから見てまったく興味のわかないヤツだったしね。自己中で興味ないのには極端なまでにそっけないのは室宿の星のせいでしょうか。
 あ、前振りがやたら長いねぇ。前振りだけで終わりそう。という理由で「マゴットブレインさん」は早々と「マゴットさん」に短縮。だがオフ会で人に会うにしたがって、2音節あるというのもウザイもんだというのに気づく。だいたい言いにくそうね。佐々木さんが「さーさん」や「さっさん」に縮められるごとくに、「まごさん」に。それにともなって「まご」に。いつのまにか「マゴット」とカタカナだったのが、「まご」とひらがなに。これはたぶん変換しなくていいから。
 「まごさんがおっしゃるように」などと敬語使うようなヤツはだいたい無視してかかる習性がございます。なんも敬語使われるほど偉くないです。たまたま先に生まれただけ。よりオジンなわけ。タメでしゃべるヤツにしか心は開けないのですね。そうなると、敬称の「さん」づけもなくなって、それでもさすがに「まご」と呼び捨てにはしにくいと見えて「まごP」そして「まご爺」と。はぁ、なんでこんなハンドルの変遷を一生懸命書いてるのか、わけがわからなくなってきてます。
 はい、戻しますと、maggot brainってのはウジ虫の頭脳のようにぐちゃぐちゃに腐りきった思考ってところになるんでしょ。はぁーやっと戻ってきた。だから、《蛆脳》になるわけで、《姐悩》う〜ん道理で御姐様たちに悩まされるはずだ。いや、逆に御姐様たちを悩ませているのかもしれません。そしてほとんど意味がないんですが、《French Window》を《Fresh Widow》としたのとおんなじじゃないですか。う〜む、シュールだ。

 あ、本題はシュールだねってことだけです。ざまあみろ。



■2004/12/19 Sun■  就活には3ボタンのグレーのスーツだぞ!! [長年日記]

 下の娘、大学生ですが、ゑっ、まごさん、そんな大きなお子さんいたはったん?なんてツッコミは入れないように。その娘が、こないだ「あしたの講義、教授が好きちゃうから、あんまり行く気がせん」と言う。「あの先生、学者としてはいいんだろうけど、先生としてはもひとつだ」「それは専門外のことだからと教えてくれよらへん(プンプン)」
 「それは違うでしょ。大学なんてところは教えてもらうところじゃなくて、自分で勉強するところでしょ。どういうところを勉強すればいいか示してくれるのが(大学での)いい先生ってことだろ。」てなことを言うと、
 「パパ(パパですよ、パパ)みたいに学校行かんでよかったような時代とちゃうんや」と。

 あちゃちゃーですわ。はいはい、そういう時代になり申したか。なんでも女子大なんぞでは、せっせとエクセルの使い方なんぞを教えてるらしいです。あ、うちの娘は女子大ではありませんが、聞いた話です。なんだかねぇ、即戦力になるような人間を企業が求めてるんでしょうけど、これも小中高と順送りに受験技術ばかり教え込む延長線上にあるといえばあるわけなんだろな。
 話は横道にそれるけれど、文部科学省なんてアホ官僚の集団は、ま、そこいらにいるのは去勢された良い子ちゃんばかりの集まりでしょうが、教員の質が落ちたとか(そう言われてもしゃあない事実が多いことは多いのだが)、子どもの学力が落ちたとかで、やれ研修を増やすだの、土曜日も授業しようなどとほざいてる。それってますますバカになるばかりじゃなかろか。教師も子どもも、より多くのものを見聞きして、自分の行動ができるようにすべきでしょうがと、きょうはイヤにまじめでしょ。そんなんだから、安易に情報ばかりを求めたがって、その情報通りに行列に並んでも平気な人間や、エクセルを教えてもらえるのがいい大学だなどと勘違いする人間ができるんですよ。そんな人間ばっかり作ってどうするよ。
 娘は3回生なのでご多分に漏れず就職活動。なんといまは就職活動を「就活」などというらしい。なんでもかんでも短縮してどうすんだと、そういうことばが歩き出すこと自体、ばからしい。女子高生が「コクる」だとか「カネモ」などというてる分には笑ってられても、就職活動の情報誌が堂々と「就活」なんて使ってるのは蹴飛ばしたろかと思うのだよ。そのようなくだらん情報誌がどっと家に送られてきて、そして、これまた全くイケてないイモねえちゃんをモデルにした写真を載せ、面接に行くのには3ボタンのグレーのスーツだとよ。
 こういう没個性な人間のほうが扱うのに楽なんでしょ、企業にとっても、お国にとっても。それが世の中のニーズなら、せめてもニーズに従わないで生きてやろうと思うのは、やっぱりへそ曲がりなんでしょね。



■2004/12/24 Fri■  イブちゃんの [長年日記]

 どうでもいいんですが、いや、隠遁してるわけでもなくて、ここに来てペースが血液がったがた落ちしておって、それはそれで、別に気にすることも('_;) 泣くなちゅうてるやろが、だからぁ、きょうはぁイブなんだからぁ、こんな遅くまで起きて、サンタのおっさんが街を走ってるのを見てやろうと、さっき愛車をころがしてたら、今年は雪がなくて摩擦係数が大きすぎてもうわやですわぁーという、何、回転だ?あ、45回転ですよ、それ。ア〜道理で。なんかあったはずだと思いながら、きれいさっぱり忘れ去って、21日は、京都にひとりで行って、さびしく一人歩きしようと、それがさびしいってんだったらちゃんと誘いなはれ、酒も飲みなはれ、女も抱きなはれ、うちは誘うてほしかったんよってあとから言われてもやねぇ、いやボクは一人が好きなんです、楽しいだけの友だちだったらいらないです。きっぱりフェイスマーク。それもこれも上限設定のパーキングが見つからなくて、時間軸を無視すると、結局、上限設定パーキングを見つけたのが7時前。いまごろ見つけても遅いわいと文句をたれながらも致し方なく、出すときになって1400円もふんだくられて、それなら上限1500円とでもふんだくられたほうがよけい悔しい。それで、21日は結論は言わなくても、うらまごのほうに書いたように、カジャのライブにアカレコがメンバーチェンジ後、初めてバンドで出るってから見に行って、きょうはイブだっていうのに、阪神電車、わたくし、タイガースのファンですから神戸に行くときは絶対に阪神電車なんですが、その阪神電車で澁澤読みながら居眠りしてしまって気がつけば姫路だったので、神戸に着いたときにはもう6時半回っていて、日陰人生を歩むわたくしは、ルミナリエなどという脚光を浴びることなどなく、JR高架下のとあるクラブでストリップショーやってるというので、そういや、もう半年以上まんこは見てなかったので、わくわくしてたら、その前座になんとまたしてもアカレコ=ニャーが立ちハダカりよって、お前の国は何してる?と言われてもですねぇ、コイズミはやっぱり靖国行くんでしょ。期待したまんこは糜爛しておって、なんですか、そいうクラブのくせしてからに、タッチショーまでやらかすっていうんだけど、あの糜爛糜爛はタッチしたくないなと思いながらも、こっちに来やがったら、気の弱いボクは「あ〜、ボク、非常に主観的ですが、女性は脱がないからいいと考えていますので、遠慮させていただきます」などとお断りできないもんですから、受信料は払わなくても、ついポケットに1000円を用意しておった次第です。ほかの男のところへ行って、なんだポラショーかいな、タッチショーちゃうんかいな、ポラロイドもって帰ってどうすんだよと思いながら、そういえば、東寺DXではかつて5000円払えばカメラ持ち込み可というのはどうなったんだろうと、とにかくぼくのところに来なくてよかった、よかった。ほんと恋する惑星だぜ。だから9時過ぎにはもう帰ってキミを待っている。


■2004/12/28 Tue■  それもこれもフォトンベルトなのか [長年日記]

 いつもの年末と同じように八方尾根。が、今年は雪不足で、黒菱も横の緩斜面しか滑れないとあって、別荘までやってきても滑りに出ようという気はまったくなし。到着した25日の夜にしんしんと雪が降って、うさぎ、国際の上部もやっと滑走可能になったようだけど、一度、今回はもう滑らないで、ひたすらうだうだしていようと決めてしまうと、それは覆らない。26、27両日ともに曇り空にときどき雪が舞って、八方尾根上部はガスの中とあってはなおさらのこと。
 今年の日本がおおむね暖冬傾向で、信州がこのように雪不足になっている一方で、アメリカは異常寒波だとかいう。そして、スマトラ沖でM9.0もの地震が起きて、その津波がインド洋を渡り、インドやスリランカに襲いかかった。
 きょう12月も28日になると、テレビではこの1年間をふりかえったニュース番組が並ぶ。そのどれもが、いくつもやってきた台風被害、中越地震の映像を流している。この1年間、とくに下半期は、いわゆる天変地異といわれるようなできごとが並ぶ。で、なければロクでもない事件ばかり。
 信じる、信じないはおいといて、それもこれもフォトンベルトの影響と言われても仕方がないかと。
 ボク自身はノストラダムスの大予言などは判じ物めいていて眉唾だとせせら笑ってた。同じように、ダ・ビンチ・コードってのも全くと言っていいほど興味はない。そして同様にフォトンベルトについても信じようとはしていない。

 2012年12月23日、太陽系がフォトンベルトに突入する。

 少し前にこのまご日記に、雨の境目なんかないということを書いた。ぽつぽつ雨が降り出したかな、なんて思えるときがある程度の幅をもった境目になると書いたのだけれど、そうすると、明確に「2012年12月23日、太陽系がフォトンベルトに突入する。」というノストラダムスの大予言のような予言には猛烈な違和感を感じてしまう。が、その明確な線引きは抜きにして、フォトンベルトというような存在(現象)があっても不思議じゃないとは思える。フォトンベルトが主張する異変が起るなら、それが12000年という周期なら、もうすでに「ある程度の幅をもった境目」にかかっていてもおかしくないんじゃないか。何時何分にきっちり雨が降り出したとは言えないまでも、おや、雨かなと思える瞬間があるのと同じように、おや、フォトンベルトかなと思える瞬間にさしかかっているんじゃないか。
 人妻(28歳独身)が言うように、信じる、信じないじゃなくて、「2012年12月23日」に、たぶん立ち合ってるでしょう(まだ生きてるだろう)から、ほんとに雨が降ってくるのか、どうかを確かめるのもいいもんじゃないかという気にはなってる。
 でもあとたったの8年だぞ。永い宇宙の歴史の中でのたったの8年だぞ。ノストラダムスのようにバカなマスコミが騒ぎ立てないのも気味が悪いし、こうも天変地異が続くとねぇー。どっちにしろ、それまでに、美味しいものいっぱい食って、思いきり恋していよう。




■2004/12/31 Fri■  ランプシェードの角質 [長年日記]

 たかが、正月とはいうけれど、単なるあしたはあしたなのに。でも人間ってどこかで区切りをつけてみるのも大事かと思う。区切りをつけられるようなドラスティックなことでもあると、それはそれで変わって行けるのだろうけれど、とりあえず年が変わるということをきっかけにでもしてみる。
 ということで、年末年始恒例の大掃除、というべきか、普段ほったらかしのところに手をかける。アルミのランプシェードの上には積年の怨みが降り積もってこってりと油汚れしている。それをくしゃみしながら、まずは猫毛や綿ぼこりをざっと落として、住まいの洗剤をぶしゅぶしゅ振りかけて、ざっと拭き取る。が、ここからが大変なのだ。わぁ、こんなに汚れていたんだと思えるくらい、住まいの洗剤でがさっと剥離したはいいけれど、そこは積年の怨み辛みが地層になっているところはその程度では解消しないで、逆にその差が紅燈の元に曝されてしまうからタチがわるい。
 足の裏をいくら高級な石鹸で洗ったところでその角質まで落とすことはできない。お湯にじっくりつけてごそごしごしこすっていると、その摩擦に耐えかねたようにやがて垢と同じようにまるまってぽろぽろと短い糸状の塊となって剥離してくる。それと同じようにランプシェードの積年の怨み辛みも何度もこすっているとそげ落ちてくるのだった。
 たまりにたまった確執も、こんなふうにいつかこそぎ落とすことも大切なんだと、そんなことを考えながら掃除していると、なかなか終わりそうにもない。そうしてまたきょうから少しずつ新しい確執も蓄積されて行く。

 一年間というスパンじゃなかったけれど、ともかく今年一年ありがとう。出会えてうれしかった。




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