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■2007/07/16 Mon■ 行定勲『春の雪』 [長年日記]2年ほど前、かの職員室でおっさん3人で三島の話をしてたら、そこに若い女性の(元)同僚(いまはそのおっさんのうちの1人の嫁^_^;)が唐突に割り込んできて はい、前置きが長くなりすぎました(反省)。 観もせんと文句言うてても、アレなんでね、CATVでやってたから観ましたよ。結論から言うと
やっぱり観るんじゃなかった。 まずもって2時間半も長過ぎんだよっ。そして無理でしょ。『春の雪』を映画にしようなんて企画自体まちがいですね。 なんでも原作通りでないと許せんってわけちゃうけど、 清顕と聡子の接吻シーン、あれは人力車でないと許せません。二・二六の雪を連想しましょうよ。たとえ、そのシーンが昭和11年でなくても、むちゃくちゃに湿った雪を俥夫がじゃっじゃっと踏む音が聞こえてくるんですよ、原作では。馬車じゃダメです。そして
清顕は大きく腕をひろげて、前面の幌を外した。目の前の四角い、雪に充たされた断面が、倒れかかる白い襖のやうに、音もなく崩れてきた。 箱馬車の窓から雪が舞い込むだけでは、前半最大の一大スペクトルがしみちょびれてしまって、もう泣きそうです。正直、このシーン、もっぺんなかったかなぁなどと勘ぐってしまうくらいに、情けないったらありゃしないシーンにされちまってました。 《せをはやみ いわにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ》 この崇徳院の歌。冗談じゃない。きょう一日かかって調べてるんだけれど、確かに「幼い聡子と互みに書いた手習ひの百人一首をとりだして眺め」とはあるが、崇徳院の歌は原作のどこにも見当たらない。もし見落としなら、大恥なんだけど(^_^;。これがラストの「叉、あうふぜ。きつと會ふ。瀧の下で」という清顕のことばを『春の雪』の中にだけ矮小化させてしまってる。そして単に清顕と聡子のラブロマンスにおとしめてしまった。
彼は革の手袋をとつて、掌に雪を受けた。熱い掌に、雪は落ちると見る間に消えた。その美しい手は少しも汚れてゐず、肉刺一つ出来てゐなかつた。つひに自分は、生涯にわたつて、この優美な、決して土にも血にも汗にも汚れることのない手を護つた、と清顕は考へた。ただ感情のためにだけ用ひられた手。 これ、ラストで月修寺にあがっていくときなんですけど、このテキスト書くのに読み返していて、じ〜〜んと熱いものがこみあげてくるのです。清顕は天性の美少年なんですよ。たとえ松枝家が成り上がりだろうがどうであれ、そういうことなんかは超越した美少年でないといかんのです。妻夫木クンが男前でないというのでなくて、この清顕でいる俳優っていないでしょ。聡子もねぇ、可哀想です。本多...キャスティング以前にイメージのとらえ方がこんなにも違うものかと。そうして、このラスト、映画では紅葉してましたねぇ(^_^; 「小春の雪」ですか? なんかムキになるのもイヤになってきた。
※ たぶんセットなんだろうけど、平唐門の脇の勝手口から見える「四角い敷石が市松つなぎに内玄関まで敷かれてある。」が妙にリアル。円照寺(月修寺のモデルとなった寺、上の写真)で実際にロケしたのかと、エンドロール見てたけど、円照寺のクレジットなかった(と思う)。 |