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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2003/12/02 Tue■  死ぬまえにしたくない10のこと [長年日記]

 先週、わざわざレイトショーにまで行ってみた『死ぬまでにしたい10のこと』 ひじょーーにつまらんかった、金返せと思えるものではあったのだが、もうつまらん映画のことなどはいまさらさら書く気などしなくて、が、しかし、その「10のこと」のうちのひとつに、二人の幼い娘に、毎年の誕生日にメッセージを送りたい、あ、それだけなら、すっと字面にして読む文にはいいっすよ。しかも、もうすぐ死ぬのは23の若い母で、娘は2つと6つだったか。だからシチュエーションとして、理解しがたいものでもない。むしろ、お涙じゃぼじゃぼになる若い女性もいるだろう。これが50のおっちゃんやおばちゃんがやったらギャグになってしまう。ギャグになるからこそ、逆に映画としてはおもしろいものになるはずなんだけどな。
 さてここで、CinemaScapeの誰かさんのコメントの受け売りでもあるのだけれど、そのコメント読んでまったくそうだと思ったのだよ。つまり、そのメッセージを娘が18になるまで送り続けようと、何本も何本も、テープデッキに向かって一人でこっそり吹き込んでるのってこわくないか。そしてなによりも、ハイティーンになった娘が自分の誕生日が来るたびに、わたしのことは忘れんなよナとテープを送り続けられるのって、どうよ。
 葬式ってのは残された者のためにある、と、誰かが言っていた。死んだ人間は、いくら悲嘆にくれようが決して戻ってくることはない。霊魂となって葬式の場を見ているなんてのは、ボクは信じない。死んだ人間は死んだ人間で、もちろん意識などというのは持っていない。何も感じることはできない。感じるための脳波が停止しているのだから当たり前のことだろう。葬式なんて死んだ人間のためにあるのじゃない。残された者が、ひとつのピリオドをうつ、意識を切り換えるためにだけ存在する。
 死んでしまう人間が自分のことを忘れるなとメッセージを送り続けるのは、その死に行く人間の傲慢だろう。
 あと何年か先に、ボク自身も死ぬ。死んだらさっさと忘れてくれたらいい。

 と、こんなことを、たらふく蟹を喰らった頭で考えていた。

 


■2003/12/08 Mon■  鮟鱇唇<『唇のやわらかい女』<鱈子唇 [長年日記]

 人のサイトで褌とるな・・・ん?この元は何だった? 「人の褌で相撲とるな」だったか? 何か、語呂悪いな。「人の竹刀で褌とるな」などと言うた人物がおるってことは知っていますが。こういうときにネットって便利で、早速《人の褌で》で検索をかけたら、
人の褌で相撲とる(意味)
相撲をとるには褌はなくてはならぬものである。自分が褌をもっていなかったらやめればよいのに、人の物を使って相撲をとる。自分の物は使わないで、出すほうは人に出させてそれを使って仕事をし、自分だけうまいことをする。世の中には人に便乗して自分の目的を果たそうとするずるい者が多い。(集英社刊・ことわざ辞典から)
と、引用してくれてる人がおって、なるほど、元は「人の褌で相撲とる」から始まって、あまりにそういう輩が多いので、「取るな」となったんですね、だから語呂なんか関係ないのだ。
 で、元に戻って、人のサイトで褌とるななら、エエんだけど、人の家庭で褌とったら、これはヤバイってもんで、人の車でブラジャーとってくれたら、あとあと、これ誰んだぁ?と聞くわけにも行かず、実際、そいうことあったもんなぁ、もう10年以上も前のことだから時効ですが
 全然話が前に進みませんが、最近、管理まかされてる人のサイトをリニューアルしようっていうんでいじってた。うちもそうだけど、日記ページね、以前は掲示板cgiを、どうにか日記に使えるようにして自前でぶちこんでたのだけれど、これが意外と使い勝手がいいようで良くない。そのスクリプト自体が何年も前のだったから、書き込んだらあとで修正するのが非常にめんどくさくて、ちょっとしたミスならほったらかしにしてたし、画像をあとから追加しようなんてなると、修正したのを入れて、その元のを削除するという作業をせなあかんかった。
 ところが、tDiaryなんてperl使った便利なのがタダで使えるとなったら、これに飛びついて、おかげでアクセス数はバカ増えよ.....ほとんどがとんでもない検索語、例えば、M女オークションとか、脱糞とか(-.-;) まさか「脱糞したときの処置のしかた」など調べようとしてるわけでもなかろうに、たぶんスカトロ趣味なんしょ。なんぼなんでも、臭いのはイヤだ。浣腸プレイも脱糞寸前・・・をひ(-_-メ) もとい、どうも話が横にそれていかん。
 tDiaryが、なんだか非常に人気になって、そのせいで一時激重になてしまってた。そうしたら、tDiaryより機能の多いはてなダイアリーなんてのもできて、うちもまごぽんなんかを始めたりしてるんだけど、はてなダイアリー使ってる中でキーワードリンクなどというのがあって、そのキーワードをを選択できる。そのキーワードをたどってやってきたりするわけで、M女オークション・脱糞検索でやってくるより(またこう書くと、それで來のがいるんだろうな、ご苦労さん)、ずっとまともなアクセスが望めるってわけだ。
 それでですね、その某サイトの日記の過去ログも、つらつらとはてなダイアリーに引越しさせてたんだが、これが意外と簡単なようで、コピペコピペでまる2日。その間に、ちょちょっと本文を読んだりしてるから余計に時間がかかる。はぁ、やっと本論。
『唇のやわらかい女』って新創刊の雑誌の吊り下がり広告に書いてあった・・・。やわらかい唇ねえ・・・って、あんた、唇のかたい女っているかぁ?

 いるよぉ〜。キスは唇のやわらかい女に限る! もちろんごつんと音がするとか、そんな唇なんかあるわけないでしょ。たらこのような唇、あ、これはごつい唇か、いや、そうでなしに、生のたらこのかたさのようなってことですが、そのような唇ならいてるよなぁ。この唇の微妙なやわらかさって大事で、キスをするならやわらかい唇に限る。と、いっても限度があるがね、鮟鱇のようなやわらかさの唇もきもいな。思うにキスのときの感触で、そのキスがえっちくさければくさいほど、やわらかい唇だったって、男の脳下垂体には残っているものなんだよ。あゝ、とろけるようなキスがしたい。
 


■2003/12/15 Mon■  誇張と剽窃のあいだ [長年日記]

 思い立ったら、すぐ書かないとね、すぐ忘れる。すぐ忘れるというようなことはどうでもいいことだろう、とも考えられるのだけれど、いかんせん、老化というこわい劣化が始まっているので、どうでもいいことばかり覚えていて、肝心のことは忘れてしまう。
 うらまごにもリンクしたのだけれど、『欲望と理性のあいだ』という日記サイト。しっかり読んだわけじゃないけれど、かなりきわどいです。おもしろい。
 で、問題は12/12の日記なんだがね、わぁー、それまで毎日更新してあったのに、ぷつっと止まっている。うん、やっぱりかく言う問題発生なのか。ちょっと引用させてもらっとくと
言論の自由の最大の敵は身内である。見つけられるのが早いか、サイトが終了するのが早いか…。きっと最後は開き直るか見なかった事にしておくかだな。

 その種のネタの場合、これは深刻な問題で、何も書けなくなる。この点に関して、ボクはガードが甘くて、身内ばかりでなく、仕事関係にもけっこうなところバレまくっているのだ。だから、
《昨日はマンコにチンコ入れながらアナルに指入れてやったら、ヒィヒィよがって、最後には失禁してしまいよったんよねぇ》(かなり前述のサイトからパクってます(^_^ゞ)
なんてことを書けないでしょ。をー、さすがこいつ教えんでもやることやっとんのぉーとオヤジが読んで褒めてくれるか? だいたいです、ボクの仕事は毎日、何10人かを前にして、わけのわからんことをしゃべってるのですが、「このおっさん、ここじゃこんな意味不明なこと言うとるけど、きのうの晩、顔面射精やってそのままねじこんだ変態だぞ」なんてシャレにならんです。
 その分、作家っていいよなぁ、「この物語はフィクションで、実在の人物、団体とは一切関係ありません」の一文ですべて解消してしまえるんだからな。anonymousな関係を保ってる限りにおいて、をっ、ちょっとお堅い書きだしになったナ、何でも書ける。匿名の手紙なんてね。そこにかなりの誇張、剽窃が含まれるにしろ、それに比例した真実も含まれる。anonymousな関係が崩れると、ほんとうのところを書きたくても、剽窃部分をかなり大きくしていく必要がある。
 まぁ、本当のことなんて、誰にも、自分自身にもわかってないからな、好き勝手書くばかりよ。さて、それを楽しみたければ、ネットというフィルターを通したら、たとえ、身内、仕事関係といえども、anonymousな関係に陥ってしまってることに気づくべきだな。そのことが理解できないなら、楽しむ資格なんかないね。
 


■2003/12/22 Mon■  五番町夕霧楼は [長年日記]

 私、毎週月曜になったら、ここ《まごまご日記》を書いているように、月曜はレギュラーで休みであります。少し余裕ができるので、ついついここで駄話を繰りひろげてしまうのですが、責任やら義務なんてのは、当然のようにあるわけないし、まして、どこぞの編集がひょっとしてここを覗くことなどあって、文壇デビューのあかつきに念願の印税生活が送れるのじゃないかなんて期待はもうとうの昔に夢と消え去っているわけですから、あまり深く考えないでさらさらと書いてしまえばいいのですが、ここに《うらまご》などという裏だか表だかわからん日記ページまで繰りひろげたおかげで、いざ、この《まごまご日記》に向かうと身構えてしまうという妙な悪癖がついてしまって、余裕がないと書けない事態に陥って、いく久しう、日記ならぬ週記となって
 なっ、ほら、また身構えてしまってる。ついつい《うらまご》のほうがお気楽だから、毎日、本日の出来事をぱらぱらぱらと書いて終わってしまってる。だから、きょうはぐっと《うらまご》に書くのを我慢してんだよっ。別にどっちゃに書いたってどうでもええんだけどな。

 最初に書いたように、わたくし本日は休みで、あしたは天ちゃんのお誕生日で休みで、個人的に三連休なのだよ。ところが世間様も3連休だとばかり勘違いして、プロレタリアートのみなさん、お仕事ご苦労。を、いま気がついたが、プロレタリアートなんて横文字職業があったんだね。しかもアートじゃないの。なっ、このようなアホ書いてるから、話は長くなる。
 で、3連休の中日ということで、きのう日曜になんとか体力も回復させて、本日は京都まで藤原新也の写真展を見に繰り出したのですよ。もちろんひとりです。いちおうこっそり誘ったのですが、すげなくふられてしまったのですよ。ところがですねぇ、♪〜なのにあなたは京都へ行くの…って、先に言うといてくれよ。本日月曜は何必館きゅ〜〜くゎぁぁんんん。世間様は3連休じゃないのだ。そして世間様はクリスマス気分にインドでメメントモリもあったもんじゃない。をーダビデの星よ、クリスマスはメメントモリより強かった。
 と、いうわけで、すげなくわたしは飛びだして、カマラ片手に京の道、とぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼ(←四谷シモン風に) つまりです、閉まってるものは仕方がないので、かねてから腹案だった五番町夕霧楼再訪。あん、五番町って、どこにあるか知っとるけ? 千中だよ、千中、千本中立売。現在地が祇園八坂下だ。♪〜どうすりゃいいのさ思案橋って歌うてる場合じゃなくて、いちお、阪急と地下鉄と考えてみた。が、どちらも中途半端。四条河原町まで戻って阪急で大宮、そこからバス。はたまた三条まで上がって、東西線でどこまで行きゃいいのだ? ああ、めんどくせ、ようは歩きゃいいのだろ歩けば、とばかり歩き出した。とぼとぼとぼとぼかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼかしゃっかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼ。やっと《からすまるまるふとるまち》 をー、そうそう、ここまで来たら、日曜休みの入山とうふ買うて帰ろう。その前に麩嘉で麩饅頭も買おうと夢と希望と食欲に満ちあふれ、てくとこてくとこ。ところが麩嘉、月曜休みぃ〜。世の中、月曜休みは散髪屋だけじゃないのだ。麩嘉と何必館は月曜休みじゃ。メモっとけ。さすがに入山とうふは、昨日日曜に休んだばかりで開いておった。ひろうすがむちゃくちゃに美味そうなのだ。見ただけで、生唾液ごっくんものよ。無事、豆腐2丁とひろうす3ケお買い上げ。
 西陣を抜け、西陣京極にちょいと回り道までして、はぁーやっとたどりついたは五番町夕霧楼。今年の春先、小雨の中をおっさん5人ほどでぞろぞろ歩きはしたものの、情報不足のため、夕霧楼は見つからなかったのだった。きょうは『赤線跡を歩く2』なる虎の巻も手にしてるのだ。
 中立売通りから、食堂とびたのところで入っていく。そのまま行くと、石梅楼跡があるはず……なんだがなぁ。結論から言いますと、旧石梅楼は跡形もなく消え去っていました。今年の春先の時点でもうすでに消え去っていたのです。もちろん大和屋も美人座もいまはもうない。が、ちょこちょことそれと思しきたたずまいの家がちらほらと。でもステンドグラスもタイルも丸アーチもなく、よっぽど注意してないとわからないだろうな。五番町のど真ん中、西陣日活が妖しげな雰囲気を漂わせている。思わず、500円につられて入ってしまいそうになったのだ。
 これも時代の流れというもの。このご時世にあっちにもこっちにもトビタが残っているわけないのだ。夕霧楼の夕子も、石内都のお袖婆さんももうとうに亡くなってしまっているのだ。さっ、帰って湯豆腐食おう! って、どうして、千本中立売から四条大宮まで歩いてしまうのですか? ははは、三条大宮のすぐきは美味ぇぇ〜〜!!

 










■2003/12/23 Tue■  メメント・モリ [長年日記]

 世間のメリー・クリスマスにめげず、再びメメント・モリ……誕生ではなく死想するのね。
 藤原新也はもう10年ほど前だったか、『印度放浪』で知って、かの犬が死人を喰らっている写真に少なからずショックを受けた。結局、その重圧で『印度放浪』は最後まで読み通すことはできないまま。きょうそのオリジナルプリントを見たよ。重いというべきか、やっぱり重圧感に息が苦しくなる。人間の死体が荼毘にふされるのを目の当たりにして、それにカメラを向けられるか、シャッターを切ることができるか。めらめらと燃え上がる炎の中、真っ黒い太い木の向こうに、真っ黒に炭化したかつて人間であったかたちが見える。にもおかまいなく、炎は蠢いて見える。ほんとうに動いて見えたのだ。《人間は犬に食われるほど自由だ》犬が死を喰らう写真を目の前にして、自由であることの意味を噛みしめる。

 この何必館で開かれた藤原新也の写真展は、1971のインドから1973のアイルランドまで、1991の門司も含めて、点数としてはさほど多くはないのだが、いちおうあらかたのところが展示されていた。アメリカ1989の展示のところには《アジア。その熱い実存から、明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》と記されていて、やっとのことで、その熱い実存の重圧感から解放されたのだった。まぁいい意味だか、よくないんだか、いいようにとっとかないとしんどいワ。
 以前から、ボクにインドへ行こうと誘うとんのがおるんだけどね、まだ20そこそこの頃はインドに行きたくて仕方なかったけれど、行ったら行ったでヤバイなと感じてた。今は本当にヤバイなと思う。そのことについてはまたいつか書くことにしよ。
 ただね、藤原新也の写真はできすぎてんだよね。撮っているもの、そのものから来る重圧感と同じくらいに完成されたものとしての息苦しさがあるんだよ。荒木経惟なんかの息の抜けがないの。例えば、門司のフェリーの子どもの後ろ姿のように、完成されている分、がしっとイメージを押付けられてるわけではないんだけれど、打ち込まれてる感じがして、イメージを自由に展開できないってところがある。だからコテッとしたものを食べたあとの胃の重さのように残ってしまったのだ。そしていまも胃のあたりが重苦しく感じられる。
 ふーーっと一息、向いのスタバで休憩して、そうそう、冬至はきのう?きょう? 日が暮れてしまうのがもっとも早いわけで、あーっという間に夕方の光が暮れていく。そうたいして時間があったわけでもないので、きょうは円山公園のほうをぐるっと回って、粟田口から裏道人生、三条まで歩いてみた。《明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》ってね、それは裏表なんだろうけれど、《滅びのイメージ》って、まだまだ煩悩だらけらしくっていいじゃない。ボク自身もそんな煩悩にしがみついていたい。

 




■2003/12/26 Fri■  サンシャイン・ツアーを告発する [長年日記]

(「うらまご」にも書いたが、あえてここにも再録)

 20:30 天王寺公園集合。そこからシャトルバスで新大阪に着いたのが、21:00頃。新大阪駅裏の空き地にたてられた仮設テントの受付けには、バイトらしき若いのが2,3人、ツアー受付けが21:30からと言う。ここで30分というのは別にかまわない。まぁこの時点で、なんで30分も待たされなアカンのじゃと思ってはいたが、これは配付された文書に記されていたことだから仕方がない。あちこちからのシャトルバスの到着時間のゆとりとみてやろう。
 21:20を過ぎてやっと、社員らしき人物がやってきて、受付けの準備を開始。21:30をちょっと過ぎて受付開始。さてここからだ。信越・志賀高原行きの受付けを先にして白馬はそれが終わってからだという。わしらはその受付けの横にはじかれて、信越方面の受付けが終わるのをおとなしく待つ。が、受付けにどっと並んだスキー客に対して、白馬は信越が終わったあとからするというアナウンスはほとんどなし。並んで待たされてやっと受付けにたどりついたところで、初めて白馬はあとになると聞かされる。
 22時を回ってまだ信越方面の受付けは終わらない。それもそのはずで、受付けには3,4人ほどのアルバイトが当っているだけで、社員はその後ろでしきりに携帯をかけている。
 すでに何もない寒空の下に待たされること1時間。先に渡されていた書面には出発は22:00となっているのに、まだ受付けすら済んでいない。
 ところでこの受付けたるもの、いったいいまは昭和30年代かと思えるような非効率的な方法で、アルバイトの受付けには、乗客の名簿が渡されていて、どうもそれには、誰それは何号車と、あといくらかの情報が記されているだけで、アルバイトの受付けは何枚もある名簿を繰って、乗客の名前をさがしだす。この名簿からさがしだけの作業でおおかたの時間を食っているのだ。そのシステムの内情はわからないが、よくもまぁこんなのでチェック洩れがないのか不思議だ。
 

 22:30になってようやく白馬方面の受付けが始まる。が、しかし、名前のチェックだけで、バスが何号車で、座席すら知らせない。しつこくどのバスだと聞くと、やっと3号車だけれど、まだバスは入って来てないとアルバイトの受付けが言う。
 ここで見えてきた。さっきからずっと受付けの後ろで携帯をしている社員はバスの手配をしていたのだ。あとからわかったことだが、バスは別の駐車場に21時から待機していた。そしてどういうキューかわからないが、バスを誘導してくる。その時点まで、例えば白馬行きの3号車はどの会社のどのバスが当てられるか決まっていないのだ。そしてそれが決まってから、大慌てで現場で、座席表を作成する。下の写真がその現場だ!
 

 23:20 すでに天王寺集合から3時間を経過。この新大阪駅裏のなんら暖房も照明も、もちろん椅子もない、ふだんはただの下は舗装すらされていない砂利の空き地に屋根もない寒空の下に待たされること2時間。いや、言葉を変えよう。

寒空の下に客を待たせること2時間。

 23時となったころから、わしらおっさん4人はぶち切れてきた。社員をつかまえて恫喝を入れようが、社員は、申し訳ありませんと誤るばかりで、いつバスが入ってくるか、入れることができるのか言えない。

 仮に誠意のかけらくらいある会社ならば、「本日は非常に混みあっていて申し訳ありません。何時何分くらいにはバスを配車できますので、何時何分にこの場にもう一度お集まりいただけますか」とくらい言えるはずだ。そうすれば、喫茶店にでも入って、寒さをしのぐことはできるだろうに。

 実のところ、彼らにもわからないのだ。はっきり言える事は、新大阪の現場のスタッフではさばききれないのだ。

さばききれないだけの客をとるだけとって、寒空の下に客を待たせても平気なのがサンシャインツアーなのだ。

 23:30 ようやくバスが来た。が、大慌てで作った座席表は左右が逆になっている。もうあきれはてて、ものも言えない。

 

 


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まごアン