と、こんなことを、たらふく蟹を喰らった頭で考えていた。
人の褌で相撲とる(意味) 相撲をとるには褌はなくてはならぬものである。自分が褌をもっていなかったらやめればよいのに、人の物を使って相撲をとる。自分の物は使わないで、出すほうは人に出させてそれを使って仕事をし、自分だけうまいことをする。世の中には人に便乗して自分の目的を果たそうとするずるい者が多い。(集英社刊・ことわざ辞典から)
『唇のやわらかい女』って新創刊の雑誌の吊り下がり広告に書いてあった・・・。やわらかい唇ねえ・・・って、あんた、唇のかたい女っているかぁ?
言論の自由の最大の敵は身内である。見つけられるのが早いか、サイトが終了するのが早いか…。きっと最後は開き直るか見なかった事にしておくかだな。
最初に書いたように、わたくし本日は休みで、あしたは天ちゃんのお誕生日で休みで、個人的に三連休なのだよ。ところが世間様も3連休だとばかり勘違いして、プロレタリアートのみなさん、お仕事ご苦労。を、いま気がついたが、プロレタリアートなんて横文字職業があったんだね。しかもアートじゃないの。なっ、このようなアホ書いてるから、話は長くなる。 で、3連休の中日ということで、きのう日曜になんとか体力も回復させて、本日は京都まで藤原新也の写真展を見に繰り出したのですよ。もちろんひとりです。いちおうこっそり誘ったのですが、すげなくふられてしまったのですよ。ところがですねぇ、♪〜なのにあなたは京都へ行くの…って、先に言うといてくれよ。本日月曜は何必館きゅ〜〜くゎぁぁんんん。世間様は3連休じゃないのだ。そして世間様はクリスマス気分にインドでメメントモリもあったもんじゃない。をーダビデの星よ、クリスマスはメメントモリより強かった。 と、いうわけで、すげなくわたしは飛びだして、カマラ片手に京の道、とぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼ(←四谷シモン風に) つまりです、閉まってるものは仕方がないので、かねてから腹案だった五番町夕霧楼再訪。あん、五番町って、どこにあるか知っとるけ? 千中だよ、千中、千本中立売。現在地が祇園八坂下だ。♪〜どうすりゃいいのさ思案橋って歌うてる場合じゃなくて、いちお、阪急と地下鉄と考えてみた。が、どちらも中途半端。四条河原町まで戻って阪急で大宮、そこからバス。はたまた三条まで上がって、東西線でどこまで行きゃいいのだ? ああ、めんどくせ、ようは歩きゃいいのだろ歩けば、とばかり歩き出した。とぼとぼとぼとぼかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼかしゃっかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼ。やっと《からすまるまるふとるまち》 をー、そうそう、ここまで来たら、日曜休みの入山とうふ買うて帰ろう。その前に麩嘉で麩饅頭も買おうと夢と希望と食欲に満ちあふれ、てくとこてくとこ。ところが麩嘉、月曜休みぃ〜。世の中、月曜休みは散髪屋だけじゃないのだ。麩嘉と何必館は月曜休みじゃ。メモっとけ。さすがに入山とうふは、昨日日曜に休んだばかりで開いておった。ひろうすがむちゃくちゃに美味そうなのだ。見ただけで、生唾液ごっくんものよ。無事、豆腐2丁とひろうす3ケお買い上げ。 西陣を抜け、西陣京極にちょいと回り道までして、はぁーやっとたどりついたは五番町夕霧楼。今年の春先、小雨の中をおっさん5人ほどでぞろぞろ歩きはしたものの、情報不足のため、夕霧楼は見つからなかったのだった。きょうは『赤線跡を歩く2』なる虎の巻も手にしてるのだ。 中立売通りから、食堂とびたのところで入っていく。そのまま行くと、石梅楼跡があるはず……なんだがなぁ。結論から言いますと、旧石梅楼は跡形もなく消え去っていました。今年の春先の時点でもうすでに消え去っていたのです。もちろん大和屋も美人座もいまはもうない。が、ちょこちょことそれと思しきたたずまいの家がちらほらと。でもステンドグラスもタイルも丸アーチもなく、よっぽど注意してないとわからないだろうな。五番町のど真ん中、西陣日活が妖しげな雰囲気を漂わせている。思わず、500円につられて入ってしまいそうになったのだ。 これも時代の流れというもの。このご時世にあっちにもこっちにもトビタが残っているわけないのだ。夕霧楼の夕子も、石内都のお袖婆さんももうとうに亡くなってしまっているのだ。さっ、帰って湯豆腐食おう! って、どうして、千本中立売から四条大宮まで歩いてしまうのですか? ははは、三条大宮のすぐきは美味ぇぇ〜〜!!
この何必館で開かれた藤原新也の写真展は、1971のインドから1973のアイルランドまで、1991の門司も含めて、点数としてはさほど多くはないのだが、いちおうあらかたのところが展示されていた。アメリカ1989の展示のところには《アジア。その熱い実存から、明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》と記されていて、やっとのことで、その熱い実存の重圧感から解放されたのだった。まぁいい意味だか、よくないんだか、いいようにとっとかないとしんどいワ。 以前から、ボクにインドへ行こうと誘うとんのがおるんだけどね、まだ20そこそこの頃はインドに行きたくて仕方なかったけれど、行ったら行ったでヤバイなと感じてた。今は本当にヤバイなと思う。そのことについてはまたいつか書くことにしよ。 ただね、藤原新也の写真はできすぎてんだよね。撮っているもの、そのものから来る重圧感と同じくらいに完成されたものとしての息苦しさがあるんだよ。荒木経惟なんかの息の抜けがないの。例えば、門司のフェリーの子どもの後ろ姿のように、完成されている分、がしっとイメージを押付けられてるわけではないんだけれど、打ち込まれてる感じがして、イメージを自由に展開できないってところがある。だからコテッとしたものを食べたあとの胃の重さのように残ってしまったのだ。そしていまも胃のあたりが重苦しく感じられる。 ふーーっと一息、向いのスタバで休憩して、そうそう、冬至はきのう?きょう? 日が暮れてしまうのがもっとも早いわけで、あーっという間に夕方の光が暮れていく。そうたいして時間があったわけでもないので、きょうは円山公園のほうをぐるっと回って、粟田口から裏道人生、三条まで歩いてみた。《明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》ってね、それは裏表なんだろうけれど、《滅びのイメージ》って、まだまだ煩悩だらけらしくっていいじゃない。ボク自身もそんな煩悩にしがみついていたい。
20:30 天王寺公園集合。そこからシャトルバスで新大阪に着いたのが、21:00頃。新大阪駅裏の空き地にたてられた仮設テントの受付けには、バイトらしき若いのが2,3人、ツアー受付けが21:30からと言う。ここで30分というのは別にかまわない。まぁこの時点で、なんで30分も待たされなアカンのじゃと思ってはいたが、これは配付された文書に記されていたことだから仕方がない。あちこちからのシャトルバスの到着時間のゆとりとみてやろう。 21:20を過ぎてやっと、社員らしき人物がやってきて、受付けの準備を開始。21:30をちょっと過ぎて受付開始。さてここからだ。信越・志賀高原行きの受付けを先にして白馬はそれが終わってからだという。わしらはその受付けの横にはじかれて、信越方面の受付けが終わるのをおとなしく待つ。が、受付けにどっと並んだスキー客に対して、白馬は信越が終わったあとからするというアナウンスはほとんどなし。並んで待たされてやっと受付けにたどりついたところで、初めて白馬はあとになると聞かされる。 22時を回ってまだ信越方面の受付けは終わらない。それもそのはずで、受付けには3,4人ほどのアルバイトが当っているだけで、社員はその後ろでしきりに携帯をかけている。 すでに何もない寒空の下に待たされること1時間。先に渡されていた書面には出発は22:00となっているのに、まだ受付けすら済んでいない。 ところでこの受付けたるもの、いったいいまは昭和30年代かと思えるような非効率的な方法で、アルバイトの受付けには、乗客の名簿が渡されていて、どうもそれには、誰それは何号車と、あといくらかの情報が記されているだけで、アルバイトの受付けは何枚もある名簿を繰って、乗客の名前をさがしだす。この名簿からさがしだけの作業でおおかたの時間を食っているのだ。そのシステムの内情はわからないが、よくもまぁこんなのでチェック洩れがないのか不思議だ。
22:30になってようやく白馬方面の受付けが始まる。が、しかし、名前のチェックだけで、バスが何号車で、座席すら知らせない。しつこくどのバスだと聞くと、やっと3号車だけれど、まだバスは入って来てないとアルバイトの受付けが言う。 ここで見えてきた。さっきからずっと受付けの後ろで携帯をしている社員はバスの手配をしていたのだ。あとからわかったことだが、バスは別の駐車場に21時から待機していた。そしてどういうキューかわからないが、バスを誘導してくる。その時点まで、例えば白馬行きの3号車はどの会社のどのバスが当てられるか決まっていないのだ。そしてそれが決まってから、大慌てで現場で、座席表を作成する。下の写真がその現場だ!
23:20 すでに天王寺集合から3時間を経過。この新大阪駅裏のなんら暖房も照明も、もちろん椅子もない、ふだんはただの下は舗装すらされていない砂利の空き地に屋根もない寒空の下に待たされること2時間。いや、言葉を変えよう。
寒空の下に客を待たせること2時間。
23時となったころから、わしらおっさん4人はぶち切れてきた。社員をつかまえて恫喝を入れようが、社員は、申し訳ありませんと誤るばかりで、いつバスが入ってくるか、入れることができるのか言えない。
仮に誠意のかけらくらいある会社ならば、「本日は非常に混みあっていて申し訳ありません。何時何分くらいにはバスを配車できますので、何時何分にこの場にもう一度お集まりいただけますか」とくらい言えるはずだ。そうすれば、喫茶店にでも入って、寒さをしのぐことはできるだろうに。
実のところ、彼らにもわからないのだ。はっきり言える事は、新大阪の現場のスタッフではさばききれないのだ。
さばききれないだけの客をとるだけとって、寒空の下に客を待たせても平気なのがサンシャインツアーなのだ。
23:30 ようやくバスが来た。が、大慌てで作った座席表は左右が逆になっている。もうあきれはてて、ものも言えない。