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■2009/12/11 Fri■ 復活 まごまご日記 [長年日記] 長らくご無沙汰しておりました。テキ庵10周年記念復活祭でございます(笑)ってか。ちょいとこの日記、うらまごの本日分とかぶりますが、悪しからず。 どっちがミラーってことないです。 ■2009/12/13 Sun■ 《わたくしは文章が書きたいのです。読みたいのです。》 [長年日記] 十年一昔とか、十年一日のごとしとかいうが、10年というと長いようで、短い。短いようで、長い。ネットで日記を書き始めたのはもうちょっと遡って、1996年くらいからだったか。このまごまご日記は97年。その前からも書いていたのだが、例の一件でばっさり消してしまったから、ない。あれ、どうしたんだったっけかなぁ。ばっさりサイトごと消したんだっけ。そのときにnackがまご日記だけでも復活させてよとメールをよこしたこともあった。その自爆からも97年夏のツーリングでなんとかけりをつけて、いや、そのあとになってもまだ引きずっておったよなぁ。ようやっと97/9/13〜15ので、ORP全国オフ〜NAGARA DAYから、まごまご日記を復活させることができたってわけ。で、97〜98年にかけてはまごぱらで、今度は爆裂してしまって(笑)、そのころ日記書くのも楽しかった。ちょうどその頃、テキストばやりだったから、あちこちに無料で日記を書けるサイトが立ち上がった。日記猿人とか日記才人とかの日記テキストのリンクサイトもできてきた。そうこうしてたら、知らん間にnackがテキスト庵を立ち上げていて、ちゃんと、これこれつくったから登録してよとメールして来いよな>nack。あ、99年というと、また自爆してたんだっけ(笑) よく見たら、99年の上半期のまごまご日記が消えてらぁ。はははは、それはHitMeToo....。テキスト庵に登録したの、いつだろ?テキスト庵の登録番号が1064だから、だいぶ遅れて登録したのかもしれぬ。日記猿人とかも登録した。 みなさんのお陰です。 あはは、やっぱりテキストという非常にシンプルな形式なのと、やっぱり文章を書きたいという人間の欲求がまだ根強く残ってるからじゃないかと、そう思うのですよ。そして、きのうこのまごまご日記を復活させるべく、遡っていたら、《■2004/12/04 Sat■ ことこ《わたくしは文章が書きたいのです。読みたいのです。》へのトラックバック》なる一文を見つけた。その通りだなぁと、それから5年経ってるのだけれど改めて感じる。で、そのリンクをたどってみると、そのことこさんも今もずっと書き続けている。MIXIだのtwitterなど流行は流行でいい。それにのっかるもまたよろし。でもやっぱりずっと、《わたくしは文章が書きたいのです。読みたいのです。》なんだと思う。 きのうのオフ会はほとんど初対面の人ばかりだったけれど、あ、おとなしくしてました。10年前と同じように暴れてたらアフォだろ。そしてずっとテキストを書き続けている人たちに会って、何かまたひとつのステップになった気がする。なんだかんだでnackに感謝。 ■2009/12/16 Wed■ 『同棲時代』と『関東平野』 [長年日記]まずtumblrで拾ってきた山形浩生 実体としての本、情報としての本(白水社の PR 誌。2008年3月頃)からの引用 そうは言いつつも、ぼくはずいぶんたくさんの本をためこんできた。ジャック・アタリはかつて、人がそうやって一生かかっても読めないほどの本をためこむのは、そうするだけの時間がいつか自分にできるという幻想を維持するための手段であり、ある意味でそれは時間をため込む行為なのだ、と指摘していた。でも、40歳を過ぎたあたりで、もうこの先絶対に読まないことが明らかな本が山ほど出てきた。いつかきちんと勉強しなおそうと思ってとってあった、大学時代の構造力学の教科書は……もうやらないよ、どう考えても。かつて少し買ってあったポストモダン系の哲学書も、もはや自分にとって意味がないことが明らかになってきた。そういうものをとっておいても、もはや時間をため込めているという幻想が成り立たなくなってきている。 「もうこの先絶対に読まないことが明らかな本が山ほど出てきた」というのは、ここ何年か前からずっと感じていた。例えば大学時代にノーマン・メイラーの『裸者と死者』とかに夢中になって、AランチをBランチにしてでも全集で揃えたのに、たぶんきっともう読むことはないだろうな。だろうな、じゃなくて、読むことはないにちがいない。ブクオフで100円だからとバカスカ買い込んだのにしても半分以上は読むことはないにちがいない。だからヤフオクで300円で売り飛ばす。をい。でも、なんとなくたぶん読むことはないだろうけど、愛おしくて手放すことができない本もある。例えば、ジャン・ジュネ。つまり時間をためこんだ証しとしてなくてはならない。同じ作者であっても、例えば上村一夫の『同棲時代』と『関東平野』では、前者はその証しとなるが、過ぎ去ったあとに出された『関東平野』はボクにとって意味がない。あるとすれば上村一夫というだけであって、それとてさしてこれから意味をもちそうにない。だからヤフオクに出品した。途端に売れた。それで何かが変わりうる人のところに行くべきだ。17,8のころに、いや50を過ぎても、とにかく手当たり次第、「その情報が何かを変え」うるのを捜していた。今もそうだけれども、でもやっぱりその期待ばかりを溜め込んでもどうにもならないなということに気がついてきたのか。ぅ〜ん、うまく言えないのだけれど、最終的に自分の時間を確認できる本だけが手元に残るのかな。ああ、なんかもうすぐ死んでしまうみたいだ。期待して溜め込んだものでも、それが何の意味ももたないのが明らかなら、さっさと手放しちゃえ、ってだけです。といっても人間てのは期待する生きものだから。ところが若い頃とちがって、何の意味もないことに賭けてみる時間がなくなってきたなあと、ちょっと寂しいんだけど、つくづくそう思う。でも若いのなら、まだ十分時間があると思えるのなら、意味なんか考えないで、どんどん賭けてみるべきだと、あ、オジンくさい説教になってきてる。 ■2009/12/26 Sat■ ワタクシの2000 - 2009年 [長年日記]誰も興味ないでしょうが、ワタクシの10年を振り返ってみます(笑)。てか、ネタもないので、よし棒のネタのパクリであいすまそ。...
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2004年 あ〜、無理無理。一気に10年間はまとめられない(笑) あとはまたいつか。 ■2009/12/31 Thu■ 続・ワタクシの2000 - 2009年 [長年日記]こういうのは年越しちゃ、シャレにもならんでしょから(笑) 別にいいんですけどね
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