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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/02/08 Sun■  ケツの重い男と尻軽女 [長年日記]

  んがぁーっ、しくった。ふと思いついて、以前の日記をこのtDiaryに移動させたんよね。というのはこのtDiaryは全文検索できるから、あれ確かどこかに書いたはずなのにってときに便利だから。他に意味ないです。
 このページのトップ2002|08|09|10|11|12|となってるでしょ、だからとりあえず、2002/07から順に遡って移して行こうと思うたんよ。それでhttp://www.jcss.ne.jp/~maggot/maggot/diary/diary.htmlに入って、ふっとクリックしたのがJun....アホだな、2002/07つまり7月はJulyだからJulクリックせなアカンでしょ。しかも2002年のはずが2001年をクリックしてやがんの。どこまでもアホだ。
 それに気づかずにかなり機械的に作業してたんだけど、この2001/06ってのは、な、なんと毎日書いてるじゃないの。ヒマだ。しかも濃密、そしてかなりヤバい。さぁ読みましょって言うてんじゃないから、あー読まなくていいです。しかしページトップにぽこっと抜き出てるの気になるなぁ。さっさと他の月も埋め尽くさないかん。目立たないように。
 それにしても、あれだね、ってどれやねん(..;) 以前はほんとまめに日記アップしてたよなぁ。それに引き換え最近のまご日記なんて、日記じゃなくて週記だとこの前から書いてるくらいに、ぽつっぽつっとしか書いてない。ひとつには、うらまごの存在。ささっとそっちに書いてしまうから、あらためて書こうって気が起らない。ふつーの生活部分なんてうらまごに書いてしまうもんね。そしてふつーの生活部分しかない。非日常、それもそれで日常になってしまうのだが、そういう生活がほとんどない。坦々と過ぎていくのみ。恋することひとつできないまま、過ぎていく。きょう日曜もふらっとどこか出歩いていてもよさそうなのに、こうしてマックの前に座り込んでしまってるのだ。嗚呼。
 そそ、つい最近のことだけど、「フットワークの悪い男はダメ、ケツが重いって言うやん」ってね。「女はいいの、フットワークが悪くても。反対に尻軽女なんて言うやろ」って、若い女の子(ヒ・ミ・ツ)とどきどきしながらお喋りしてたところだった(^_^ゞ



■2004/02/10 Tue■  過去ログ移動 [長年日記]

 瓢箪から駒っていうか、出たとこ勝負っていうか、成り行きまかせっていうか、やってしまったのはしょうがないってか、要するに、このページのトップを見ればわかるでしょ。8日の続きで過去ログを2000年からこのtDiaryに移動させたってわけです。あ〜めんどくさかった。簡単なように思えて、けっこうな労力と時間がかかるんだよ。とくにtDiaryは日付が変わる前後で重くなるから、その時間を外して作業しなければならないのです。

 過去は過去でばっさり切り捨ててしまえばいいんだけどね、悪く言えばいつまでも過去をひきずってるわけ。でも考え方を変えれば、過去の上に今の自分も成り立っているのだから、過去をばっさり切り捨ててしまうと今の自分も大事にできないんじゃないのかって思ってみる。
 非常に機械的に作業を進めてはいたんだけれど、ときどきマジに読んでしまったりするんだよね。大部分のところかなり大汗もんです。《うらまご》を始める以前のだから、実につまらない日常瑣末事項も満載だし、ゑっ、こんな文章誰が書いたんだってくらい我ながら惚れ惚れしてしまうのまであったのだよ。どうするべか。
 いちおう2000年の1月からはWEB上にしっかりリンクして消さずにおいてあった。実はそれ以前のもWEB上にはおくにはおいてあるけれど、さすがにもっと大汗、冷汗モンなだけにリンクはずして隠してる。そしてとりあえず今回は2001年、つまり21世紀になってからの分だけでも、あらためて移動してリンクしなおしたってことは、いったい何なんしょね。だからって、別にあらためて読まなくてもいいからね(-_-) 読もうなんてのは、ボクに対してラブ入ってるか、さもなければよっぽどの物好きです。はっきりしてます。あくまでも8日にも書いたけれど、tDiaryの全文検索使いたかったからなので、ホント他意はないですよ。

 ところで、その前20040131にちらっと書いたけどさ、毎日来てたメールがふっと止まったりすると、なんでだろ?とか、いま何してるんだろ?とか、気になって仕方ないことないですか? って、誰に聞いてんだ(^_^ゞ




■2004/02/11 Wed■  邪心は写神に見放され [長年日記]

 ♪〜きのうはクルマのぉ中で寝た

 ウソです。きのうは5時半起きにつき眠くて仕方がないはずなのに、逆に神経ビリビリで寝れそうになく、かといって、何やら生産的なことをする意欲もおきず、こういうときはルーチンワークに限るとばかりに、日記の過去ログをtDiaryのほうに引越しさせていたら、意地になってしまって気がつけばもう5時近く。とんでもない。
 この分ではきょうも午後起きになりかねないところ、どういうわけかいちおう午前中に目が開いたので、そのまま頑張って起きる。ヒットポイントかなり低下しておるにかかわらず、きょうもまた家でごろごろし始めると、マジックポイントまで底をつきそうで、ここはケアルガ、ベホマズン。春まだきながらぽかぽか陽気に外に出ていく。

 前から気になる『幻の光』の現場。といっても特定できてるわけでなく、阪神尼崎線沿いに歩こうというだけ。ただし、その出発点となるは西九条につき、どうも行きづらい。たかだか一度乗り換えるだけなのに。とどのつまりにクルマで現地まで行って、ポイントだけ攻めようという軟弱。
 とりあえず出るには出たのだ。そしてだらんだらんと伝法まで走って、うまい具合に伝法川跡の碑のところに駐車。といっても超外道此花署のテリトリーだけに気は許せないのだが。このあたりは阪神大震災で液状化現象を引き起こし、かなり被害が出たらしいのだが。そのせいなのか、工場の跡地なのか、伝法団地などという高層住宅がひしめいている。それらに囲まれるように古い家やら文化住宅やらが残っていて、それなりのアンビバレンツなところがいい。
 う〜む、『幻の光』で江角が出ていった駅は伝法駅なのか。とにかくこの尼崎線も地震でかなりやられたらしく、あの映画は93年、地震以前だったから、地震によってかなり変わってしまっていると聞いてたしね。ひょっとすれば、その次の出来島駅かもしれないと思いつつ、出来島は後回しにして尼崎へ。
 100円Pに入れて、まずは寺町のたこ焼屋で300円21個。すると、P代の小銭がなくなって、どうにか万券をくずしておかねばならない。ぶらぶら歩くと、尼崎駅周辺はピンサロ、風俗が多いのな。

《熟女系 じらしが得意》

 それにつられて...入ってへん、入ってへん。入ってたら書かへんワ(^_^ゞ でもな、オトナはじらしが得意なのかぁ....φ(..)メモメモ ってな、写真するモチベーションが低下してきて、いまいち指先に気合いが入らない。どうもピピーンとこないのだ。サンマルコでチョコクロ休憩。これで小銭ができた。
 43号線を引き返す。中島から、をっここヒゲが自爆ったとこねと思いつつ、出来島の駅に向かうと、駅まわりは高層住宅ばかり。適当にクルマを駐めるところもなくて通りすぎ、神崎川を渡る。本線の姫島駅のほうに行ってみるかとクルマを走らせてはみたものの、ここらあたりもピピンと来るところがなくて走りすぎたら2号線に出てしまった。

 うーむ、やっぱりクルマで徘徊しようなんて邪心は写神に見放されるだけなんだな。






■2004/02/12 Thu■  怪しげな日本語に蝕まれたアメリカ人DJ [長年日記]

 をっ、ちょっと頑張ってるじゃない。これで3日連続よ。でも三日坊主ですからね。あしたはきっとカット、あ、キットカットで思いだした。
 キットカット→きっと勝つと
 キシリトール→きっちり通る
 カール→うかーる
 なんともオヤジギャグなお受験グッズ、お受験お守り。こんなんで通ってたまるか。オレのお受験お守りは、どこぞの天満宮のお守りとハイライトだった。ハイライトにオヤジギャグ的意味はなし。とにかく休憩時間に参考書を必死に見てるやつにケムリふきかけてバカにしてた。

 さて本題ですが、帰りのクルマは気分を換えてFM。802はジャリJポップばっかりなもんで、だいたいやねぇ、FMっての音質売りで出てきたってのにシャベクリが多すぎるのだ。だもんで、FMコッコロー。大阪以外の人に説明しておくと、大阪で10年近く前に何とかいう国際会議のようなものがあったときにできたFM局でインドやらトルコ(タルカぁ〜ン)やら耳慣れない言語、そして摩訶不思議な音楽が流れてくる。もちろんアメリカやおフランスやスペインなんてのもあるのだが。
 そんで、きょうの夕方はアメリカだったのだが、アメリカ人のDJ、こいつが結構、日本語をしゃべれるらしく、英語しゃべらんと、ほとんど日本語なんよな。ま、それでも、日本人のDJの耳障りな英語よりはなんぼかマシかって、そのまま聞いてたら、こないだのグラミーの話なんてんもやってるの。グラミーではその前のスーパーボウルでのジャネットおっぱいがあったばかりで5秒間のディレイかけて放映したんだとか。しゃべってる内容はそこそこにおもしろいんだけどね、こいつどこで日本語覚えてきたんだか、語尾強調しまくり。つまり
「なんとビヨンセは5部門でグラミー獲得したの_デス
「リクエストどしどし送ってくだ_サイ。お待ちしており_マス
この語尾強調しゃべりっての実に耳障りなのだよ。しかもデスサイの直前に半角スペースくらいの間が入る。こんなのが公共の放送の中で15秒に1回出てくると、うりゃ、マスかいて寝とれ、ボケぇー(-_-)
 耳障りと言えば、語尾引伸。つまり
「きのぉー、家に帰ったらぁー、新聞屋がやってきてぇー、新聞とってくれ言うんだけどぉー、けぇーひんちらつかせやがってえー
 ばぁーか( ^ _________ ^ )




■2004/02/14 Sat■  バレンタインデー [長年日記]

  ♪〜ことばにつまるようじゃ 恋も終わりね

 突然ですが『いとしのエリー』なんてものを歌ってみたりしてね。話が途切れ途切れになってしまって、頭の中は寝ることばかり。クルマの中では

 ♪〜そうね、もし、この世にことばなんて
   なければ
   わたしたち ずっと一緒にいられたのに

エンドレスに流れて、結局クルマはラバーシートを撥ねあげて駐車場に吸い込まれて行く。
「あのころからカラダしか求めてなかったのかなぁー」
「それはそれでよかったと思うの」
「何も言えなくなって、カラダで伝えられるとばかり思って気がする」

 年に一度のバレンタインデーであります。今年も手作りのケーキやクッキーをお嬢様たちからいただきました(^_^)


■2004/02/15 Sun■  欲望 [長年日記]

勝一郎は草のにおいがした。勝一郎の唇がフサのツンと固く張った小さな乳首に触れ、手が太ももの奥に触れ、フサは体が熱くほてったまま勝一郎が自分を呑みつくす潮のように思い、勝一郎の固い体に身を擦りよせた。

 中上健次の『鳳仙花』を読んでいて欲情を催した。しなくてもいい日記の整理をしていて、欲情はさらに昂じてしまった。仕方がないので、誰もいない日曜の昼下がり、独りでエロビデオを見たが、欲情は昂まるばかりで解消されることがなかった。うずうずとした感覚が下半身に沈積してしまう。夜になってアントニオーニを見ているとますます増殖膨大するばかり。




■2004/02/17 Tue■  「声が唾液のように吸われ」るキス [長年日記]

 やっときのうで今年度の早朝出勤も打ち止め。やぁ、眠いのなんの。朝5時半起きなんてのは、ちょうど睡眠のかき入れ時にたたき起こされ、いや自分で起きてるんですけど。誰が起こしてくれるんや(-_-)
 そして朝早くから出勤しても仕事がびしーっと詰まってるわけでなく、ほとんどアリバイさえつくっておけばよろしい、あとは軟禁状態を甘受すればオッケーというわけ。軟禁につき、建前上はケールはご法度なんだけど、そこはわからぬようにって、ニャンニャンメールを飛ばしてるわけです。それだけで勤務時間がカバーできたらいいんだけど、そういうわけにもいかず、やっぱりこうした軟禁生活には読書と居眠りですね。
 というわけで、きょうも『鳳仙花』に欲情
 勝一郎は閉じたその眼に唇を当て、唇に唇をあわせ、勝一郎の手がフサの足を上げさせるのに羞ずかしいと言おうとして口をあけると、勝一郎の下が歯の間に割って入る。その舌のように足を立てさせたフサの間に勝一郎の性器が入り、フサは声をあげようとした。声が唾液のように吸われ、ただ喉の奥で呻くしかなかった。
 いいでしょー、って、ふつうこんなんで欲情せえへんわな。もっと露骨に卑猥語ぽんぽん出てこな。
 キスですね、キス。「声が唾液のように吸われ」ってどんなんやねん、濃い、濃すぎる。こんなキスってもう何年もしたことないぞ。いきなりキャサリンを押さえつけて、こんなキスしたら、なに考えてんのってあきれ返られるならまだしも、どつかれるかもしれへん。
 アンドレ・テシネの『深夜カフェのピエール』って、フランス映画は原題が"J'EMBRASSE PAS" つまり「キスはダメダメ」って、つまりですね、風俗行ったところで、本番オッケーであっても、キスはNG。本番抜きでエエからずっとディープキスさせてくれというたらさせてくれるかなぁ。それなら福沢さん、もう1枚!ってか(-.-;) というか、風俗でやっぱりキスはしたないよねぇ。
 キスしすぎて、「唇、痛くない?」なんて言い合ってたのって何年前のことだろう。気合い入ったキスしたいぞ。  と、このようなことを軟禁状態で考えていたのだった。さて、かの濱村龍造も登場し『鳳仙花』も佳境に。


 


■2004/02/21 Sat■  雛流しを待つ人形の [長年日記]

 そろそろ啓蟄でなかったか? でもこの数日の暖かさはmaggotが蠢き始める、まさに啓蟄だね。  ぽかぽか陽気続きにおびき出されて、テニスしまくりーのでぶっ疲れ、携帯の充電器を某家に忘れてみたり、携帯そのものを仕事場に置き忘れてみたり、単なる陽気ボケかいな。
 しかしまご的啓蟄なわけで、お嬢様テニスが思ったより早く終わって、急に思い立った。思い立ったら、即行動。フットワークですね。テニスはフットワークが命「ボールがある限り、足は動く」(c)エースをねらえ
 あ、またいけない悪癖。話が横にそれる。それたついでに、きょう午前中も読書。中上健次の『鳳仙花』を読了。これを読んでいたこの一週間、十分に欲情を催し、と同時にあまりのせつないなさにうるうる。こういうのも下敷きにあったのですが。な、横にそらしてるようで、きっちり伏線を引いているのだ。

 さて思い立ったのが、もう夕方の4時半。ひと頃とちがい、十分に明るい。日の入り時刻のサインカーブを思い描いてみると、今の時期は10月の20日頃と同じなんだね。ただ気分的にだいぶちがう。春の期待ってかね。
 なかなか前に進まんなぁ。いや行動はパパッと進んだんだけどね。念のため、ジモチーのKチャンに
「岬までどれくらいかかる?」
「今の時間だと、ちょっと混んでるかもしれへんけど、1時間はかからんくらいでしょ。湾岸走ってですけどね」
 ということは5時半ちょい過ぎにはなんとか。すると、ちょうどあやしげな刻だな、と。4時40分には湾岸に入ってた。それでも、尾崎、箱作といったあたりは、以前ほどのことはないけれどのろのろ。岬町の分岐で5時半。夕陽は下の方の雲間に沈みはしたけれど、まだ十分に明るい45分頃に淡島神社到着。そうです。3月3日の雛流しに向けて、津々浦々から淡島神社に集まってきた人形を見に来た、写真撮りに来たってわけ。
 赤い鳥居をくぐった先に《夜9時から翌朝まで関係者以外立ち入り禁止》と書かれたゲートがあった。夜9時まで、まだ十分すぎる時間がある。というか、とっぷり暮れて、真っ暗になった境内に一人入っていくのはちょっと怖いですよ。住吉っさんならまだしも、雛流しの古人形が集まった淡島神社に真夜中に行ったら、がさっごそっと古人形が動き出すのでないか。
 まだ十分に明るさが残っているとはいえ、境内はボク以外に誰もいない。そして本殿の朱の扉はもうすでに閉じられている。その大きな扉の両側、廻り廊下にびっしりと古人形が並べられているのはちょっと壮観。思わず古人形に近寄ってシャッターを切り始める。もちろんデジカメだけでなく、銀塩でもカシャッカシャッと。
 ボク自身は霊気など全く感じない人だからなんてことないんだけどな、それでも実際目の前にするよりデジカメの液晶に映しだされた画像のほうがちょっと怖かったりもする。たぶん霊気に敏感だとたまらないかもしれない。確かに日本人形がずらっと並んだ光景はちょっとおどろおどろしくもあるけれど、想像していたよりはずっと美しいというか、むしろ夜になってこの人形をこっそり持ち帰る輩がおったとしても不思議でない。それくらい整った顔立ちであったり衣装であったり、これを海に流してしまうのはもったいないと思えるような古人形たちが居並んでいる。おどろしいというと、塩尻の脇道で見つけた人形祠のほうが怖かったな。さすがにあそこは夜中に一人で行ったことない。行くチャンスは何度もあったのだが、やっぱり躊躇してしまってる。
 だいぶと暗くなり初めて、クルマに三脚を取りに戻って、もう一度三脚を据えて写す。シャッター速度1秒ではもう写りこまない。境内にはまったく灯もなくて、10秒、そして最長の15秒として、なんとか写りこんでくる。と、その画像を写しだす液晶はやっぱり怖い。人形たちの霊気のわずかでも吸い込めたか。
 ところで出る前にジモチーKからもうひとつ淡島神社の情報を聞いていたのだが、境内には《ここから先は5時以降立ち入り禁止》と柵が閉じられてある。跨いでその向こうへ入ることもできたのだが、ボクはどっかの無法者とはちがいますからね、そっちのほうはベタベタに明るい光の下で見たいので、あえて強引に侵入するなどということはやめにした。また来たら済むことだし。

 さて、淡島神社のある加太もそうだし、ここに至る往き帰りは、自分が埋めた地雷だらけなんだねぇ。その地雷こわさにこっちのほうには、あれ以来、ほとんど一人で来るなんてことはなかったんだけど、どういう心境の変化なんだろ。「戦後は終わった」なのか、自分が埋めた地雷は自分で掘りおこしとかなアカンでしょ。でもなぁ、地雷踏んでしまったかもなぁ。帰りのクルマではFM kokoroから、ラバーズコンチェルトという番組なのか、ラブバラードが流れ続け、"I'll never fall in love again"








■2004/02/23 Mon■  出会ったときから好きだったのだと [長年日記]

 あ、また中上の『鳳仙花』ネタで、申し訳ない。って、謝る必要なんかなかったのだ。
 あのですね、もうかれこれ10年ほど前になるかな、中上健次に萌えてしまって、だだだっと読み漁って、それでも『地の果て 至上の時』 にはその重さに押し潰されてしまってた。やっとのことで『地の果て 至上の時』は数年前に読み通すことができたんだけど、そのごつごつした重さにへとへとよ。中上健次という、まさにヘビー級チャンピオンにサンドバッグにされたって。
 だから、どうしても中上健次ってのは、ごつごつした男気ぷんぷんの世界、10年前に新宮の神倉神社に行ったときに会ったおいちゃんの「にいやん」っていうドスのこもった声がイメージとして焼き付けられてた。
 中上健次もいっぱい読んでたようで、よく考えたら、そうそう読んでるわけでもなくて、この『鳳仙花』だって、長いことツン読状態。だいたい積んだら読んだことあるような気になってネ、いけません。
 この『鳳仙花』は『岬』、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』 と続く秋幸三部作の傍系で、秋幸を私生児として生んだフサの半生を描く、言ってみれば中上健次版『女の一生』なんですねぇ。って、モーパッサンの『女の一生』も山本有三の『女の一生』も読んだことないんだけど。
 さて、まごぽんのほうに、けっこう長く引用してしまったので、ここではしないけれど、鳳仙花の赤い花弁で爪を染めるなんていう情景はね、ずしっとくるわけですよ。これはね、ごつごつした重苦しい男気の世界じゃなくて、色彩の豊かで細やかな女の情感だよね。ここで愕然というか、ヘビー級チャンピオンの中上健次の中でどうしてこんな女の情感を紡ぎだせるのか、これにはもう感心するばかり、なんてのもはるかに越えてしまってるな。まるで女が同居してるんじゃないかって、しかもあの体躯にだよ。なんで?なんでこういうふうに書けるの?って。
 そして『鳳仙花』の後半になると、かの浜村龍造が現れて、あ、やっぱり引用したろ。長いぞ(^_^ゞ
「フサさんを見たときから、俺も、色の白い手じゃねと思たんじゃ」
 男がそう言ったのではなくフサが眼にしたその川と森がフサの耳そばで物を言ったようで、男の熱い手がフサの手をつかみ、草の葉の手ざわりを確かめるように男の石のように硬い指が掌をこするのを感じる度に、呼吸がひとつずつ苦しく狭まってくる。
 あの龍造がフサを呼ぶのに「フサさん」とさん付けしてる。あ、これ何となくわかる。龍造にしたところで、女の前に出た男にしか過ぎなかったんだなと。それで、「川と森がフサの耳そばで物を言った」って、もうゾクゾクしてくるんだもんね。多分にボク自身女が入ってしまってるから、そのように耳そばで物を言われたら行ってしまうだろうなって、もうその時点で濡れてくる、って、えーっとこうしていま書いてるときにも前立腺あたりがむずむずしてきてる・そして「男の石のように硬い指が掌をこする」とね、たぶんいまもしボクが女だったら、その硬い指が濡れた柔らかい肉を分け入ってくるのを感じて、もうだめだめ...... 続いて
 フサの胸元をはだけにかかった男の手が服の上からあたる度に、硬くなった乳首を男に知られてしまうようで羞かしかったし、男の荒い息が耳にあたるのが苦しくて眼に涙さえあふれてしまうのだった。はだけられた胸に手がさしのべられ、乳房が男の熱い手の中にすっぽりつつまれるので息が出来ず、フサは抗いでもするように濃い息をたて、男の胸に救けてくれと言うように顔をよせて、坐ったままでいる事が出来ず崩れた。
 男がフサの体を支えて唇を吸いながら畳に横たえた。
 長い間、そんな硬い体に、よりどころない風に吹かれてしまうようなフサを押えつけてしっかりと力をこめて抱きとめてほしいと思っていたような気がし、なにもかも見せてやるというように素裸になった男を見つめた。男はその体そのものが業苦だというように「ほれ」と背中の刺青を見せ、昏い眼のままフサの体を抱き起こすようにしてのしかかる。
 男の体は火のように熱く、男の手がフサの足を起こし、フサの唇いっぱいに差し込まれる舌のように男が入って来ただけで体が急激にほてり、ちりちりと火を噴き出し、フサは男の背につめを立てた。息が詰まり、声をあげる事も出来ず、男が腹の筋肉をこすりつけるようにゆっくり動きはじめるのをやめてほしいと思いながら、体中が一気に裂けてしまう。男の背にたてたつめに力をこめた。
 男は力が抜けてしまったそのフサの顔を見て笑みを浮かべ、それからまた舌をフサに吸えというように唇をこすりつける。男が動く度にフサは声を荒げた。男の呼吸の音に誘われるように、フサの体の中にいまもう一人、男に合わせて身を動かしている柔らかい色の白い女が息づきはじめている気になりながら、男にきかせるように声をたてた。
 男は果てる事がないように体そのものが苦しいようにフサを愛撫した。
 長い事、素裸のまま抱き合っていたのは自分にもその男への恋慕があったからだと、男がまだ裸のまま板戸をあけて「食い物を持って来てくれ」と頼んでからフサは思った。十五の齢で勝一郎を知ってから、勝一郎以外の男を体に受け入れるとは思いもつかなかったので、刺青の背中に汗をかき素裸のままかまわず酒を飲みはじめた男を、出会ったときから好きだったのだと思い込んだ。
 行った?
 このあとも繁蔵と龍造の間で揺れる女の情感が描き出されていて、中上健次の重要なアイテムの夏芙蓉であったり、草のにおいであったり、その情景にからめとられて行くのだけど、それはまたいつか。
何だか、きょうは欲情させてやろうって、誰をだ?





■2004/02/24 Tue■  『路地へ?中上健次の残したフィルム』 [長年日記]

 こないだから中上健次ネタばかり。さしあたり第2次中上萌えってところか(-.-;)
 それであまりにもタイムリーにケーブルの日本映画専門チャンネルで『路地へ?中上健次の残したフィルム』というドキュメンタリーが放映されてた。青山真治監督。聞いたことあるような、ないような。
 さて最初、クルマでぐるぐる走りまわってるの、あれ、これどこだろうって思ってたら、三重県の松阪。つまり紀州出身の映画作家=井土紀州が、松坂をスタートして、なんで松坂かわかりませんのですが、しばし42号線を南下して新宮を目指して走るのが続く。
 う〜んとですね、この最初の10分ほど、非常に違和感があるんですがね。同じなら和歌山スタートで枯木灘を映してほしいんですよ。そして古座。そうでないと《紀州サーガ》にゃならんでしょ。確かにね、秋幸の姉=芳子が名古屋に出ていくときに木ノ本(熊野)まで鉄道で行って、矢の川(やのこ)峠をバスで越えて行ったというくだりがあるんだけど、その矢の川峠のトンネルを抜けるのを、まんま延々と映してんだけど、これは絶対に違う。新宮というのはそれほどに遠いのだと言いたかったのだろうか。
 実はボク自身、1967年(昭和42年)に紀伊半島を自転車で一周している。そのとき木ノ本と尾鷲の間の矢の川峠を延々自転車を押して上がった。もちろん舗装などしてなくて、トンネルもなかった。芳子を乗せたバスが走った道はそのような道で、決して今のようにしゅーっと走り抜けられるんじゃなかった。 ついでに1967年当時で国道42号線は、和歌山-白浜、新宮-熊野以外はほとんど未舗装で、ちょうど太地あたりでは、雨だったので、走れないくらい自転車のタイヤが泥に埋まったのだ。
 たまたま須野まで乗せて欲しいという若い男がいたのだろうか、その須野まで乗せてやって、そこから先に道がないという。この矢の川峠の下の海岸線に沿った道は長い間貫通してなかったんだけれど、いま現在できちゃってるよ。撮影は1999年だそうで、その時は確かに道の果てなんだけど。
 どうも新宮=『地の果て』なのだということを言いたかったのかね。『地の果て 至上の時』と中上が書いた『地の果て』というのは確かに空間的な地の果てという意味も込められてはいただろうけれど、それ以上に時間的な地の果てだったんじゃないか。確かに東京の人間からすると、名古屋、大阪からも4,5時間もかかる地の果てという印象があるんだろうけど、ボクのように大阪の人間から見るとさほど地の果てという感はないんだよ。
 須野に至る新鹿(あたしか)は中上が一時移り住んだことある地なんだよね。このドキュメントではなんもなかったです。しかもね、松阪から熊野までやってきて須野に寄り道するんだったらね、なんで有馬をすっ飛ばすんだよって。有馬、古座というのは紀州サーガにとって、秋幸にとって、父の地、母の地なのにね。最初の10分ほどはほんと余計だね。
 さて、いよいよ新宮。新宮の町を、歩きながら例えば神倉神社や、巨木の下で『地の果て 至上の時』の一節を朗読する。廃校の中で朗読するなんてちょっと考えものだな。そこに、中上健次自身が16mmで撮影したフィルムが挿入される。なるほど臥龍山はこういうふうに新宮の町を分け、切通というのはこうだったのだと。そして路地、その井戸。そしてまた人たち。。。
 その16mmのパートよかった、なんて言うと元も子もないんだけれど。このドキュメンタリーが撮影された1999年というと、すでに路地も臥龍山もきれいになくなってしまってる。ボクの第1次中上萌えの1994年だったか、そのときにもすでになくなってしまっていた。それはいいことだったのか、どうなんだか。その『地の果て』に『至上の時』がおとずれたのだろうか。なんだか、このドキュメンタリー全体がセンチメンタリズムにすっぽり包み込まれているようでね、結局、最初から最後まで、どこかボクがイメージする中上の世界とは違っていた。
 1967年に新宮に行ったときに、もちろん中上健次の「な」の字も知らないで、泊っていたYHがどのあたりにあったのかさえ、もう覚えてはいないけれど、ただやみくもに歩いて新宮の浜まで出た。いま考えてみると、路地のあたりもわけのわからなまま歩いていたのかもしれない。その新宮の浜は、ボクの記憶のどこかに荒れた光景としてかすかに残っている。


■2004/02/28 Sat■  安倍晴明と葛葉 [長年日記]

 久しぶりに4人そろってお徒歩。といっても、本来の目的はそうじゃないんだけど、ちょうど時間があるのでぶらぶら歩いていこうかと、そういうことならすぐ決まる。が、その行き先ってのが、ボク個人的にはちょいときつい。だからどこをどう歩いたなんてのは伏せておきましょ。知ってる人は知っている。
 それでね、先週の土曜にも地雷掃除したことだから、別になんてこともなかったし、これが一人で歩いてたんなら、またぞろ、あふぉなところに陥ってしまったかもしれないけれど。そしてね、カシャカシャとデジカメってたわけだから、センチメンタル(c)荒木経惟に耽ってる隙間なんてなかったえ。
 で、他3名は蘊蓄を傾けるのに余念がなかったんだけど、ボクはっていうと、すごく春先のええ光でね、ほんとデジカメるばかりよ。それでやね、ちゃんとおうちに帰ってから調べてみるってところがA型の血なんですよ。詳しくはここ

 恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉

と歌を残して消え去っていったかの葛の葉の白狐と安倍保名との間にできた子が、をー、なんといまをときめく安倍晴明だったとは。しかし陰陽師・安倍晴明のフランチャイズであるところの京都の晴明神社がかくのごとくに繁栄というべきか、ミーハー化しているのに関わらず、この葛の葉神社の静かなことよのぉ。陰陽師と騒ぐお姉ちゃんたちよ、京都の晴明神社できゃひ〜んと騒いでるだけで終わってしまうのね。陰陽師・安倍晴明というサイトには、きっちり大阪の安倍晴明神社も葛葉神社も記されてたけど、そこまで調べてやってくる女の子ってのはかなりコアな人なんでしょね。ほとんどが映画の『陰陽師』で騒いでるだけでしょ。ボクはほとんど興味ないです。別に今に始まったことでなく不思議でも何でもないですけど。でも晴明神社の喧騒も去年あたりで終わってしまってんじゃないの。いまや、陰陽師やなくて、細木和子やドクターコパの時代ですものねぇ。ちなみにこの葛の葉の白狐の伝説には部落差別が関わってます。
 そしてずんずん歩いてボク的にコアな地域にさしかかって、う〜んと、そうここでは『後ろ姿』という話を書きかけたんだとか、いろいろあったのだが、はい、過去の話です。小雪が舞っていたのも過去の話で、きょうはぽかぽかあったかい。
 で、2時間近く、本来の目的のことがあって、帰りは帰りでまたてくとこてくとこ。実際に歩いてたのは2時間ほど。早春の一日。

 夜はアカレコ・ニャー様のシークレットライブって感じ。が、まんちゃんのギターのせんせは来るわ、にゃー姫のボーカルの先生は来るわ、もう大変で、あれ緊張するなと言うても緊張するわいなぁ。いつもとちがって、あとどこでもドアでやってきたと言うトニーヤングの3人でのアコースティックライブ。アレンジなんかもちょっと違ったりしていて、そそ、『ウバタマの夜』ん?タイトルこれでよかったのか? まぁいいや、あの途中で歌詞がぎちぎちに詰まったとこあるんだよな、そこんとこニャー様のカツゼツの良さったら。ちゅうわけでたっぷり1時間の2人にとっては大汗ライブ終了。
 が、ここからが大変。そのあとがカジャさんですよ。しかもギターがまんちゃんのギターの先生、Yah-Do!の道祖先生。「うりゃああああ、まんしろ、ギターとはこないに弾くのじゃああああ」ってな調子。テクニックちゅうかね、そう専門的なことわかりませんですがね、高いとこを弾いてる分にはごまかしが効くってもんよ、派手だから。そっから低音に移ったときの音の響きがすげーっての。ちょ、ちょっとびびりまくり。プラス、ヴァイオリンのQちゃんに、通しで出ずっぱりのトニーヤングの4人でこんだけの音出すかって。とにかく音が厚いの。
 アカレコ様には悪いが、それは彼らも認めたはるやろけど、インディーズとプロの差ってこれくらいあるかってものでつ。
 あ、そうそう、ニャー様のボーカルのHiroco先生(よう考えたら、先生2人のユニットがYah-Do!なんやワ)も途中で2曲ほど飛び入りで入って、「をらをら、しゃべってるときより、歌うてるときのほうがでかい声出せよ!」ってなパワフルなボーカル。で、そこにふっと哀愁がこもった響きが入ってね、わたくし、去年の夏にスペイン行ったときにフラメンコの女の人のボーカルをふっと思いだしてたのね。そのことを帰り際にHiroco先生に話したら、「フラメンコのボーカルはむちゃくちゃエネルギーが要って、とてもとても」  いやぁー、今回のライブはお得。ときどきライダーキャットとか、気に入ったバンドが出てきたりするけど、だいたいにおいてアカレコだけで1500円みたいなもんでしょ。今回はアカレコはタダみたいなもん。じっくりカジャさん聞けて、それにボブ・マーリーでいっちゃん好きな『No Woman, Nop Cry』まで聞くことができて、たったの2500円。

 外に出ると、春の雨が。一雨ごとに暖かくなっていく。
 と、後半はアカレコの誰かさんのコラム用ですワ。










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まごアン