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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2003/02/02 Sun■  リニューアル [長年日記]

 ちょっとリニューアルしました。たいして変わってへんけどね、まる3年続いたかな、レコードのジャケットはもうヤメたのね。それだけ。その代わりというたらアレだけど、できるだけ写真をアップしたろかと、そんだなもんでクリック、クリック、クリクリクリクリ、ウヰスキーはトリス!

 「ボクら、夫婦とちがうン?」
 とは、これまた盗み聞きシリーズなんですが、ヤモとメイプルソープ展行ったあとのスタバで隣り合わせた二人の会話。ボクのほうからは男と斜に向きあった位置で女の方はちゃんと見えなかったんだけどね、そのような会話が聞こえてきた場合、理由もなく女の方がどんなんかなぁと見るわけにいかないじゃないですか。でも気になる。見たからってどうってことないのはわかっていても見たくなる。それで座る姿勢を変えて、自然に女の方を見てみたけれど、やっぱりどうってことなかった。
 きっと修羅場なんでしょねぇ。やっとのことでミナミで男が女を捕まえたけれど、女の方は一所に帰りたくないと言う。とにかく一度家には帰るから、一人でタクシーで帰るとか、嗚呼、きっといま時分は修羅場の真っ最中。同じようにボソボソと男が
「キミがそう思うのは、キミの甘えなんんとちゃうん」
とか言って、そこからしばし女の沈黙。そういうときには風邪をひいてるでもないのに鼻水をじゅじゅっとすすり上げ、そうして、目の前45度あたりには何か食い物が乗っていたような汚れた血、うわうわ、レオス・カラックス、汚れた皿の横にビールの空き缶が3個......くわぁ〜〜〜っ、見てきたようなウソばっかり(^_^ゞ
 人の不幸で遊んじゃあきませんね。が、ボクの不幸でさんざん遊んだやつもおることだから、因果応報、お愛子様ぁ〜女王さまぁぁ〜

 


 


■2003/02/07 Fri■  『蒲団』のにおい [長年日記]

 アラーキーが田山花袋の『蒲団』のことをどこかにちらっと書いていたのを読んで、をーをーそうそうボクも読んでおかにゃなるまいと。単純でしょ。ボクの読書傾向というのは。その程度のものなのですワ。
 アラーキーが書いているということで、あ、そかそか、『蒲団』というのはおふとんのことで、おふとんの上でくんずほぐれつ……そうだよなぁ、だいたい学校時代に出てきた文学史なんてものは、高校生や中学生が読んだらいいです、なんてわけでないのだ。
 例えば『雪国』ね、あんなものは中学生の時に読んで、何がこんなものおもしろいのだと思った。我慢大会。文学史に出てくるのだから、それは名作なんだろう。ならば、文学少年たるには是非とも読んでおかねばなるめい。わかりません。だいたい純情可憐な良い子、しかも童貞のボクちゃんに「指がおぼえていた」などという表現がわかってたまるかい。
 で、『蒲団』であります。いざ、『蒲団』を読もうとしても、これがなかなか見つからない。試しに近くの本屋に行って、「田山花袋の『蒲団』ありますか?」と聞いてみ。あるわけないから。「なに、それ?」と言われるのが落ち。しからばBOOKOFF、と。ここはもうひとつ田山花袋、文学史などとは無縁の世界。谷崎潤一郎、三島由紀夫ですら見つけるに能わず。内田春菊なら腐るほどあります。が、ボクが行ったBOOKOFFには『田舎教師』が数冊並んでいたのだ。どうも読書感想文の課題とかになっているらしい。世の中には粋狂な国語の教師もおるものだ。この時代に高校生に『田舎教師』など読ませるかい。だから文学嫌い、本離れが起こるのだよ。まして『死霊』(埴谷)なんてもってのほかでしょ。あんなものはヒマでどうにもならん大学生が読めばいい。ボクも大学生六年もやっててヒマだったから読むには読んだけど(^_^ゞ
 あ、それでやね、ボクはハタと気がついた。BOOKOFFになくても、町の本屋になくても、青空文庫にあるじゃないか。しかもタダ。青空文庫さんありがとう、金沢文子さんHくさい。さっそくパームにぶちこんで、テーブルに足上げて読み始めてはみたけれど、どうも気分が出ない。しょせん、ボクも古い人間なんですね。やっぱり本でなきゃ。いくらジョグダイアルをくりっくり回せてもなんです。
 というわけで必死のパッチで、BOOKOFFをさがしたら、ありました。日本文学全集《国木田独歩、岩野泡鳴、伊藤左千夫、田山花袋、近松秋江、正宗白鳥》錚々たる名前が並んでおるねぃ。をー、『野菊の墓』じゃんか、二度と読みたくない。でも、いいじゃん、いいじゃん、『牛肉と馬鈴薯』ありーの、ん?『牛部屋の臭い』ってなんだんねん。でもいいじゃん、いいじゃん、100円だもん。

 「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿馬鹿しくなる。けれど……けれど……」

 をー、こりゃ、不倫の話じゃんかよ。なるほど、三十六の妻子持ちの男が、若い女に「せん、せんせ」と言わせて、おふとんの上で....なるほど文学史というものはエロいのだ。すべからく文学史に登場する作品というのはエロいのだ。ふむふむ、なになに、□□□□□で○○○して□□□□□□□□□だから○○○○○○になって、△△△△の□□□が○○○○○○○となるから□□□ をー、そういうわけで『蒲団』なのね、若い女の匂いがする、くんくんくんと嗅ぎまくった男、知っております。キミだよ、キミ。ボクではありません。
 やっぱり上手いねぇ、文章。いまのどこぞの売文屋みたく、すこすこでなくみっちりつまって、しかも小さい活字で上下二段。ぎゃふん。

 「時雄の其の夜の煩悶は非常であった。欺かれたと思うと、業が煮えて為方がない。否、芳子の霊と肉?其の全部を一書生に奪われながら、兎に角其の恋に就いて真面目に尽したかと思うと腹が立つ」

 いいねぇ、このねちねちした文体。有無を言わせないんだよなぁ。されど文学史なのであった。

 


 


■2003/02/08 Sat■  白い家 [長年日記]

 久しぶりにふっと白い家に寄ったら、お客さんは他に誰もいなくて、泰孝氏としばししゃべる。
 紫文が結婚するとか。そりゃそうだろうな、もう紫文も30なんだから。いちおうこの紫文の名付け親はボクなのであります。「正衛」などという立派な名前が決まっていたのに、「そんなもん、自衛隊は正しいみたいだろ」と、ねじ曲げてやったのね。お父ちゃんの名前が「正策」だったから、ますます「自衛隊は正しい」と認めるようでアカンだろうと。そこから、ああでもない、こうでもないと、ふつうは人の名前には使わんようなのがエエんちゃうかと「無」だとか、まだ生まれてもきてないときに迷惑な話だナ。で、そのときたまたまかかっていたのが、ニーナ・シモンの "Here Comes The Sun" で、いっそシモンにしたらエエんちゃうというボクの一言で決まり。「紫文」という漢字をあてたのは正策父ちゃんであります。ディープパープルでエエやんかぁ。
 その後「正衛」クンだったら、どういう人生を送ることになったか、知るよしもないけれど、ほんま人の名前なんてこんなふうに無責任につけられてるわけなんですね。ボクなんて画数がよくなるようにオヤジは方程式を立てたというんだけど、ボクにしてみりゃ迷惑な名前。イヤでイヤで、だいたい男の名前なんか、親の期待を込めすぎでしょう。恥ずかしくなるような名前ばかり。そう考えると「紫文」のように無責任なほうがずっといいでしょ。本人はどう思ってるか知りませんが。
 で、紫文が30になって結婚するようになったということは、こっちも同じだけ年を食ってるわけで、泰孝氏はすでに還暦を過ぎてしまって、「さすがに60を越えるとなぁ…」と、ちょいと斜め上方のあらぬ方に視線が飛んでいってしまう。泰孝氏(珍しく実名)は知ってる人は知ってるように、いろいろやって来てて、ボク自身、高校時代から彼に少なからず影響を受けてしまってる。考えてみれば、ボクが影響を受けてしまう世代というのは、ちょうどボクより10上ほどの世代で、唐十郎しかり、Bob Dylanしかり、George Clintonしかり、また最近では、荒木経惟、森山大道しかり、みんなボクより10ほど上なんだよね。それがみな一様に「さすがに60を越えるとなぁ…」とどこかで思いながらも、いまなお現役、というのがすごいやね。そして歳とればとったで、年相応にかっこよくなってくのだから、結局ボクにとってはずっと偶像なんだろな。
 白い家の姫松店のほうは近いうちに閉めてしまうそう。ちょっと寂しくなるな。
 


Nina Simone
Here Comes The Sun

 


■2003/02/11 Tue■  メイプルソープ [長年日記]

 遅ればせながら、先週メイプルソープを見に行ったことなどを、と、こう紋切り型に書き始めると、全然前に進まないのだった。
 メイプルソープがボクのアンテナに引っ掛かってきたのは、ありきたりなところでPatti Smith。Patti Smith"Radio Ethiopia" たぶん、1977年頃のことだから、一番へっぽこだった頃だね。結婚したてで、どうへっこむねんと思えるだろうけれど、結婚したらいい加減マトモな格好して、つまりケツが半分出るようなジーパン履かんと、スラックス(←をーきしょいきしょい(..;))履けだとか、靴にしたって、スニーカーのかかと踏んでつっかけてたらアカンだとか、ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんうるさいのがいたんだよ。あ〜、ほんとあの頃は一番へこんでたなぁ。そこからどう脱却したかは、いまはおいといて、だいたい話がまともに進んだためしがない。どこがメイプルソープやねん。
 世間はロックからパンクの時代に移りつつあって、Sex PistolsやらClashだったのに、どういうわけだか、まず最初に引っ掛かってきたのが、"Radio Ethiopia"だったというのも不思議だね。別に不思議でもないか。ジャケ買いですよ。をー、このジャケットカッコええやんかぁと、もちろん"London Calling"も、かっこいいんだけど、あ、そのときには"London Calling"はまだ出てなかったか。
 ところでこの"Radio Ethiopia"のジャケ写真はメイプルソープじゃなくて、Judy Linnなんだよね。かのメイプルソープのジャケの"Horses"も出てたのに、とにかくそのときは"Radio Ethiopia"のほうをジャケ買いしてしまったのだった。この"Radio Ethiopia"はかっこいいよぉ。ボクのロックのフェイバリット10に絶対入る。でも長いこと聞いてない。今もこれを書きながらかけようと探したんだけど、どこにあるかわからん(^_^ゞ ぐっちゃぐちゃに並んでしまってんだよ。
 というわけで、なんかようわかりませんが(笑)、Patti Smithからメイプルソープになって、でもボクの中でメイプルソープとはっきり意識されるのは、彼がエイズで死んでしまって、世間で騒がれるようになってから。あ、なんだ、Patti Smithのジャケ写してたんじゃないか、あ、Patti Smithの愛人だったんじゃないかと、遅れてますあぁ。"Radio Ethiopia"からきっちり追っかけとけよ。そしたらもっとメイプルソープ通になれてたのに(笑)
 というわけで、なんかようわかりませんが(笑)、メイプルソープがボクに入ってきたのは、年代もばらんばらん。"Flowers"や"Lisa Lyon"がごっちゃまぜで入ってきたわけ。正直なところ、ボクにしてみれば、"Lisa Lyon"の刺激的なのに比べれば"Flowers"の静かさというのはいまひとつピンと来なかったんだよ。はぁ、やっと本論。
 メイプルソープのプリントを見たのは、今回初めて。制作年代順に並べられていて、ボクにとって馴染んでいるメイプルソープがいきなりざざざっと並んでいる。4枚並べられた"JOE"にしばしふーっと息を大きく吐く。そこから"Lisa Lyon"になり、そして"Flowers"。なんで"Flowers"なのかとやっとわかったよ。平板な上に焼き付けられた映像ががつーんと浮き上がってくる。それはすごいすごい。写真集やネットで見ててもピンと来ないわけだ。一枚の葉っぱがある、その葉脈がくっきりと、そして葉がバックの漆黒から、どーんと出てくるのだ。それでいて、ある種の宗教画、それも東洋的な曼荼羅、仏画に通じる静かさ、月並みだけれど、エイズで自分の余生を知ってしまった人間の底から沸き上がってくる凄みに圧倒されてしまってたのでした。
 


Patti Smith
Radio Ethiopia

Lucy Ferry, 1986

 


■2003/02/15 Sat■  きのうはバレンタインデー [長年日記]

 朝早く、いつもの時間にテレビが爆音を発している。隣で寝ているBに「起きろ」と揺すってテレビの音を小さくさせて、そのまままた寝る。
 つぎに目覚めれば11時過ぎ。いつの間にBが出ていったか、知らない。きのうの晩に、「あしたまた朝起こしてね」「あした、やすみ」とそのままジーパンはいたままでばたっと寝てしまった。そう、休みの日はうれしい。ゆっくり本を読みながらコーヒー飲む。とくにきょうはバレンタインデーにもらった手作りのクッキーやケーキをぼそぼそつまみながら。
 なんでもジャニーズ事務所とかには大量にバレンタインのチョコレートが送られてくるらしい。事務所の人間だけでは処理しきれない量らしくて、それでもめぼしい高級なのはきっちり確保するんだろうけど、ほとんどは施設などに送られてしまうという。ところが手作りのクッキーなどは、何をやかしてるかわからない、つまりでき上がったクッキーなど一度舐めたり、生地に唾液をまぜたりもしてるらしく、手作りのものはすべて棄てさられる。憐れ、乙女たちよ。ボクはちゃんと食べたげるからネ。来年もいっそう腕を磨いて美味しいのちょうだいよ(笑)
 唾液を混ぜるで思いだしたけど、山田詠美の『蝶々の纏足』だったか、アイスクリームに唾液を垂らしてぐちゅぐちゅと混ぜたのを「食べなさい」とさしだす話、あれはよかったなぁ。唾液というのはエロいのだよ。同じものであっても涎になると滑稽だけれど、とにかく唾液はエロい。正常位で女の子に大きく口を開かせて男が唾液を垂らす、そういうAVがあったけれど、その監督さんよくわかってらっしゃる。ボクもわざと舌で唾液を送り込むようにキスしてるときってありますです、ハイ。
 さて、やっと話が元に戻って、コーヒー飲みながら、きのう着いた荒木経惟の『センチメンタルな旅・冬の旅』をながめる。以前に図書館で借りてこれはきっと持っていたいと思った。自分のものにしてしみじみ見る。
 荒木の新婚旅行のときの写真をそのまま自家出版した『センチメンタルな旅』? これなんて高くて手に入らないヨ ? 、それに陽子さんが子宮肉腫で亡くなる前後の『冬の旅』をくっつけて一冊にしたのがこの『センチメンタルな旅・冬の旅』
もう我慢できません。私が慢性ゲリバラ中耳炎だからではありません。たまたまファッション写真が氾濫しているのにすぎないのですが、こうでてくる顔、でてくる裸、でてくる私生活、でてくる風景が嘘っぱちじゃ、我慢できません。
 と、扉に下手っくそな荒木自身の手で書かれた一文が。この一文は『センチメンタルな旅』のときのだけれど、それから30年ほど経っても嘘っぱちばかり、むしろ嘘っぱちが大手振って横行してる。さすがにセンシティブな荒木経惟ならずとも、ボクでさえ我慢できない。
 この『センチメンタルな旅・冬の旅』をあらてめて見ていると、きゅんきゅん伝わってくる。一枚、一枚を見てると、何、これ? プロの写真家が撮った写真なの?と思えるかもしれないけれど。ちょちょっと涙がうるうるしてしまうヨ。
 例えば、「病院への近道の階段をこぶしの花を抱きかかえてのぼった。」という写真。陽子さんが危篤状態になったと知らせを受けて病院に向かうときの一枚だけれど、ふつうそういう火急のときに暢気に写真を撮ってる場合でもなかろうとも思える。だけど、だけどね、そういうとき何かことばにありえないまでも表現したいという衝動が沸き上がってくる。それがたまたま荒木経惟が写真家だったから写真という形で残しておきたい、残さずにはいられない、これってむしろ人間の正常な行動なんだと思う。

 にゃー様と萬志郎の結婚パーティーの案内状が届いてた。バレンタインデーに合わせて送りつけてくるなんて奴ららしい。コーヒーを飲みながら「ご出席」の「ご」の字を消した。

 


荒木経惟
『冬の旅』より

 


■2003/02/16 Sun■  ミセス・ジョーンズ [長年日記]

 ちょっとやってみたかったこと。別にたいしたことなのではないのだが、アメリカという国はどうもファミリーという意識が強い気がする。アメリカに限ったことではないのかもしれないが、たとえばメディチ家などというのがあったけれど、それは特定の階級の家などの話で、一般的な市民レベルでどうとか、あまり感じない。
 それとアメリカ映画で、ボクは好きじゃないけれど、家族・ファミリーを中心に描いている映画って多くないか? そんなんだったら、日本でも小津なんかその典型なんかもしれないけれど、アメリカの家族意識ってすごく気になる。
 というのは、もうずいぶん前、ネットを始めたころに、わけがわからないままにどこかの、まさにホームページに繋がっていて、そこに一枚の家族の写真がアップされていた。それをどういうつもりだったのか、わざわざ保存したことがある。それからちょっと経って、HDを整理してるときにその画像が出てきて、まったくanonymousな人間の集まりというのも見ていて不思議な気がしたのを覚えている。もちろんその画像はもう手許には残ってない。
 アメリカの個人サイトを回ってみるとけっこう家族の写真がアップされている。もちろん日本でもアップされてるのはあるけれど、少なくともボクは自分の家族というふうに紹介などしたくもない。たまにちょこちょこ日記には出したりするけれど。
 もうひとつ、中学生や高校生がよく持ってるプリクラ帳、さもなければ筆箱などにびっしりとプリクラをアットランダムに貼り付けてある。あれって非常に過激というか、おもしろいんぢょなぁ。一枚一枚の写真の出来なんておかまいなしに、べたべたべたとべたに貼り付けてあるのって一種壮観なんだよ。
 というわけでヒマにあかせてやってみた。《Jones》で検索かけてみて出てきた家族の写真を手当たり次第に貼り付けてみた。なんで、《Jones》かというと、そら、Me and Mrs. Jonesですよ。この平和そうに見えるファミリーで、母ちゃん、つまりMrs. Jonesは不倫してんじゃないかと。
 


 


■2003/02/22 Sat■  アクティビティー [長年日記]

 どうも最近は仕事場にスポイルされてしょうがない。仕事場にね、仕事にスポイルされてるじゃないところがミソなんだけれど、とにかくアクティビティー指数が低下しているのは事実。ほれ、このまご日記にしても平日には全然書く元気がない。もちろんさしあたり書くこともないから余計そうなんだが、書くことがないということはそれだけ低下しておるということでもある。
 が、周囲を見渡してみると、ボクの場合は断トツに何じゃかんじゃとやってるわけで、例えば先週の土曜日の深夜にはハカヤとドライブ。ドライブとは言え、中山製鋼所や加美の廃線跡を夜中に見て回ってる、つまり撮影ポイント巡り。中山製鋼所なんて凄いね。真夜中にでも炉に火が入っていて時折噴き上げる様はちょっとした火山。よく考えてみれば、溶鉱炉なんてのは、はい就業時間終わりましたから火を落としましょう、これではやっと溶けかけた鉄もまた固まってしまうのだ。周囲が真っ暗に静まりかえってる中で噴き上げる炎はちょっとした見ものだった。というふうに、ふつうなら酒をかっくらって寝てる時間に何やってんのってもんです。しかも娘の元彼と遊び歩いてるオヤジ。かと思えば、水曜はテニスのコーチが就職するので辞めるという、そのご苦労さん会。いま入ってるクラスはおばちゃんたちばかりで、このおばちゃんたちが侮れない。そりゃそうでしょ、真夏にでもなれば、白装束に身を包み自転車でコートからコートへ走り回ってるおばちゃんたちで、そこらの大学のサークルで「ナイスサーブでぇ〜〜す」などとうち興じてるお兄ちゃん、お姉ちゃんとは違って、根性が座っている。だから宴会やったって、飲むは飲むは、食うは食うは、しゃべるは、しゃべるはで、ボクが小さくおとなしくなってんだから。彼女たちから見れば、コーチなんて可愛い〜〜ンなんでしょ。
 そんなふうに動いてるのにダウン気味に感じてしまう。なんかさぁ、仕事場に半ば拘束されてる時間というのが無駄な気もする。が、これもよく考えてみれば、この拘束されている時間というのは、ボクにとっては貴重な読書の時間で、睡眠の時間でもあるのだから有効なんでしょう。申し訳ない。こんなんで給料もらって(爆)
 あぁ、でもこう書いてても、自分でも全然楽しく書けてないから、テンションが下がるんだろうな。申し訳ない、わざわざ読みに来てくれた人m(__)m
 


 


■2003/02/23 Sun■  だって天才まごぼん [長年日記]

 「他人に読まれるかもしれない日誌は、朝、目覚めたときにもうできているもの。」とは『一葉裏日誌』
 なるほどそれは言えてると、きょうの分はさっさと書いてしまおう、なんて目論んではみたものの、昼から天気もだいぶ回復したこともあって、そそと家を出る。
 難波スタートに歩き始める。どこかからヨシモトを観に大阪に来た爺ちゃん婆ちゃんヨシモト前はえらい人だらけ。ちょこちょこと隠し撮りして、そうそう今朝はコーヒー飲んでなかった、コーヒー飲まないと調子が出やんのだと、スタバ。いちおう歩き始めるときには適当にラインを思い描いてはいたけれど、いきなりのスタバでわけわからなくてきとーに法善寺を抜けて千日前、大劇裏。
 をっと、アジェだとふと見たら同じようなのがおるんだねぇ。1枚目の写真の右前にカメラ構えてるのおるでしょ。しかもボクなんかにくらべてずっと真面目くさい。ボクなんかふんとにテキトー。こんなのでいいのかと思うくらいてきとーに狙いをつけて、手ブレ?ありありの蟻の戸渡り。が、関係ない通行人の人は何があるんだと思うとんのだろうな。
 こないだハカヤから聞いた話。この前に大阪城ホール行ったときに、なんとも言えずいい色の壁があったので壁を写してたら、係員がやってきて、「ホール内は撮影禁止ですので」と。ところがハカヤのカメラが向いてるのがただの壁でしょ。怪訝に思った係員は「ところで何を写したはるんですか?」とハカヤに尋ねた。「この壁です」と答えるハカヤに、あきれ返ったのか「それじゃいいです」
 日東住宅へ向かう。阪神高速西側の部分はもうすでに壊されてしまって跡形もなく、その跡地は高い波塀に囲まれてしまって、内部も覗けなくなっている。もっとどこかから覗けるところがないか努力すべきだったか。東側部分はまだ取り壊されてはいなかったけれど、半分以上が出てしまって、窓にベニヤ板が貼り付けられてあった。
 日本橋商店街に出て、はっと思いだした。きょうは空堀に例の風呂屋跡を見に行くつもりだったのだ。ちょっと南に下がりすぎた。ここからまた歩いて空堀というのもしんどいものがあるので、さっさと恵美須町から地下鉄で長堀まで。だいたい空堀の情報をもってきたのはBで、空堀のどこなん?と聞いてもさっぱり要領を得ない。てきとーに裏側を歩いてたらぽこっと目の前にあった。小玉湯。ここはすごいよ。表がタイル貼りで、2階部分の窓はステンドグラスがはまってる。そしてこれが丸ごと駐車場になってんだから。内部はまだタイルが残ってるし、男湯、女湯への入り口はアーチ形になっていて、敷居の溝まで残ってる。あっ、しまった、敷居の溝の写してくるの忘れたって。
 こうして歩いてて気がついたんだけどお地蔵さんや小さな祠って意外と多い。露地のほんの奥まったところに、その家に食い込むようにあったり、そこらにマンションが建ってもその敷地内にきっちり再建されたりする。土着的信仰なわけ。
 あとは疲れたから谷六から地下鉄でささっと帰りました。目線が変わってしまったのか、トマソン1つしか見つからない。が、それでいいのだ、だって天才まごぼんなのだから(*^_^*)
 


オレがアジェなんだって(^_^ゞ


大劇裏市場


日東住宅


小玉湯



 


■2003/02/26 Wed■  大阪は、春 [長年日記]

 朝、ンコしながら(注:ゲリバラではない)、『東京は、秋』をぱらぱらと。これはいいねぇ。なんぼ見ても見飽きることがない。そしてわかっていてもついアラーキー夫婦の会話を読んでしまう。例えば
妻■これなんかは意識して?
夫■これ日比谷公園で落ちてたんだよ。
妻■これ置いて撮ったんじゃない?
銀杏の葉っぱが落ちているところに岸恵子の映画『雪国』のパンフレットが落ちてる写真なんだけれど、ほら、よくあるじゃないですか、公園に濡れたエロ本なんかが落ちていて、ご幼少のみぎりにえっちなの見たさに傘の先で突っついてページめくったりなんかしたの。これはきっとアラーキーがわざわざ持っていって置いたのに決まってます(笑) そんな『雪国』なんてもん落ちてるわけないだろ。あ、でも『雪国』なんて読みようによったらエロ本だよ。それで
妻■こういう写真が一番そういう姿が思いうかべられるね。写真自体より、それを撮ってるときの格好みたいなのが浮かび上がってくる。
 そうそう、こういうときって悪戯っ子みたいに嬉々としてやっちゃってるんだよな。そして自分の一番好きなところ、岸恵子に後ろから池部良が抱きついてるカットをわざわざ開いて。それでまた別のページをくってると
夫■生活感とかいうよりディティールとか物の魅力で撮っちゃうんだよね。
 それでふっと思いだした。こないだ空堀歩いてるときに、昔臭いうどん屋があったので、パシっと写してたんだけど、これって昔臭さという感覚で撮ってしまってるわけ。そうすると別におもしろくもないわけね。あとで見て、わっ、こんなうどん屋がまだあるんやねとか、このうどん屋まだ商売やってんねんやろかと、まぁええとこその程度でおしまい。まだ商売やってる証拠に、製麺所からうどんを運んでくるへぎが店の前に積まれてあった。ををーっと、なんでそういう物をきっちり写して来なかったんだ。少なくともそのときにきっちりへぎがあったのわかってたんだからさ。懐かしさというだけで写してしまってたなぁ、まだまだ修業が足らんよなぁとちょい反省。これじゃ淺井愼平じゃないですか。
 ところがその写真をよく見てみると、しっかりそのへぎもとらえてるので、まぁ自分としては許す。さらに店の前に洗濯機がおいてあって、その洗濯機にはビニールのカバーがかかってる。さらにはクーラーの室外機にもきっちりとカバーが被せられていて、ここんちのおばちゃんはきっとA型なんじゃないかと。さらにさらに植木に水をやるための如雨露が二つもきっちり並べておかれてあって、ますますこのおばちゃんはAOじゃなくてAAなんじゃないか。そのわりには万年青が枯れかかって、どこが万年 青いのかと。それからにょろっと伸びるクーラーのパイプが自己主張しておるなぁ。
 それと写真の中に文字が写り込んでいるとついつい読んでしまうじゃないですか。  《募集 ヌードモデル嬢 アルバイト可》なんてね。あ、内容がじゃなくて、この読んでしまうという行為はついスケベ心からなんだよね。《谷町六丁目12》って読んだでしょ。今度、行って見ようかとも思うたでしょ(笑)
 


 


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