区役所行ったついでに、かつての場所でも撮り歩こうと思ったんだが、そうそう写真にできるもんじゃなくて、ほんと別に個人的以外になにもない場所って撮るの難しいや。5月に東京行ったときも、いっぺん豪徳寺歩いてみたれと、でもよく豪徳寺の裏通りなんか写真にできるな。あ、知らない人のために解説しておくと、豪徳寺ってのは荒木経惟の家があるとこな。そして写真集にも何枚も豪徳寺の裏通りが収められている。私写真ね。
もうすぐ話が横道にそれてしまう。得意技ね、実際に歩いてるときも。それで区役所の近くっていうと、ボクの母校があるわけですね。あそこはクルマでよく通り抜けるものの、歩いて行ったことない。そのすぐ近くを幾度も歩いてはいるのに、何故か、避けてるように行ったことがないというのも不思議。 ここ10年ほどの間に府立高校はほとんど建て替えられて、そう、正門の位置もまるっきり変ってしまってた。そして正門から、こっそり入ってったんだけど、あは、入るのに許可というか面通しが必要なのは小学校か。何のチェックもなくすっと入れたんだけど、まるっきり変ってしまっていて、これと言った感慨が浮かぶわけもなく、だからシャッター切ろうなどという気にもさらさらなれず、さっさと退散。同窓会云々でなんじゃかんじゃってガラでもないにしろ、もう少しセンチメンタルな気分にしてくれよ。 母校の周辺だから土地勘は十分にあるわけだけど、そりゃ30数年も経てばいろんなものが変ってしまってる。歩いてるうちに、一時つきあってた女の家の近くに来てたので、どこだったか探してみたけどわからんのな。彼女とは特にどうこうということもないうちに、去る者日々に疎しとなってしまったから、これもその家が見つからなかったからといって感慨はなし。ま、こっちのほうが少しだけセンチメンタルにはなったか。くそっ、あんときやっときゃよかったとか(^◇^;)
結局、2時間ほどクソ炎天下の大阪の町を歩き回って、何もなしかというと、うはは、ひょっとして何かが始まるかもしれないのだ。だってもう8月だもんね。
そう、その流れの中で55歳になりましたよ。誕生日や年齢はひとつの区切りだけれど、ガキんちょやくだらないヤツほど、いくつになったらもうダメだとかほざいている。そんなのがまわりにいたってロクでもないやね。ボクのまわりには 「50歳になって、わたし、いまが青春だよ」と言った女や、 「60歳になってまた新たに始めた父親、あの人はとうてい越えられそうにない。でもいつかはその父も越える。」って話してくれた女、をっとどっちも女だよ、ほんと女のほうがたくましいね。少なくともボクはそいう人たちに囲まれている。あ、たしかにくだらんのもおることはおるけど、そういうやつの言うことは聞いてへんもんなぁwで、上に書いた数年前に始まった大きなうねりというのはこのこと。数年前のたった二日、三日の間に立て続けに聞いたんだよ。一種、運命的な出会いというのも変だしね、そういうときは、女神がやってきて耳打ちしたんだろうね。その女神様の、その二人だけぢゃないのな、ほかにも天照大神のような女神様までいるし、それにボクのまわりには女ばかりじゃないんだけれど、とにかく女神様だよ。そういう女神様たちだらけ。そんな星の下に生まれてきたんだとつくづく思う。その女神様の耳打ち、ウィスパーが引鉄になって、いま、自分の生活じゃなしにね、自分の人生を楽しんでいる自分に出会っている。それって我ながらなんて幸せなんだろと思う。 何が始まるか。もうちょっとみんなには黙ってましょかw でもこんなときにこんなボクに関われるキミもラッキーなんだよ。