水産放浪歌富貴名門の女性に恋するを純情の恋と誰がいうぞ。暗鬼紅灯の巷に彷徨う女性に恋するを不情の恋と誰がいうぞ。雨降らば雨降るもよし風吹かば風吹くもよし月下の酒場にて媚を売る女性にも純情可憐なる者あれ。女の膝枕にて一夜の快楽を共に過さずんば人生夢もなければ恋もなし。響く雷鳴 握る舵輪 睨むコンパス六分儀吾等海行く鴎鳥 さらば歌わん哉吾らが水産放浪歌心猛くも鬼神ならず男と生れて情はあれど母を見捨てて浪越えてゆく友よ兄等よ何時また会わん朝日夕日をデッキに浴びて続く海原一筋道を大和男子が心に秘めて行くや万里の荒波越えて波の彼方の南氷洋は男多恨の身の捨てどころ胸に秘めたる大願あれど行きて帰らじ望みは待たじ きのう、ねこさんとこに、「富貴名門の乙女に恋することが真の恋であって 裏町の陋屋に住める娘に恋することが真の恋でないと 誰が言えようか 」と、これはどうも長崎大水産学部の『長崎丸出航の歌』らしい。「富貴名門の乙女に」ですぐわかったよ。たぶんちがうバージョンのがあちこちの大学にあるんだろうな。でも「裏町の陋屋に住める娘に〜〜」より、「暗鬼紅灯の巷に彷徨う女性に恋するを不情の恋と誰がいうぞ」のほうが百倍もカッコいいと思うし、ボクにとっては絶対に「暗鬼紅灯の巷に〜〜」でないとダメ。 何度も歌ったな。いつもいつも飲んだときには、寮出身の奴を引っ張り出して、まこの前口上からうならせた。そしてボクはっていうと、べろんべろんに酔っぱらっていたからいつまでたってもその前口上は完全に覚えることができなくて、「よーーーーしっ!」とがなっていただけなのに。 状況劇場が『二都物語』でやってきたときにもその打ち上げでみんなでがなった。唐なんて、「これいいねぇ」とニヤッと笑ってたし、不破もまともに覚えられないのか、ボクらが何とがなっているかわからなかったのか、「おにょおにょおにょぉぉぉーーー!」とがなってた。 そんなことがついこないだのことのように思いだされてきて、せいしゅん。。。 いまからでもがんばって覚えよかな、前口上
そのように愛する、 自由な雲雀は 歌と高みを、 朝の花は空の香りを、
そしてわたしはきみを 湧きたぎる血で。 青春と喜びと 勇気とを、
新しい歌と舞踏とを、 わたしにあたえてくれるきみ! 永遠に幸福なれ、 きみの愛とともに。
いきなり、すんまそん。五月なんもんでね、やっぱり華々しくギョエテの『五月の歌』……こんなんやったか? あら、『五月の歌』ってリルケやなかったか?と、ネットで検索かけたら出てきたのが、このゲーテのだから、たぶんそうだったんでしょ。 考えてみれば、『五月の歌』を贈るよ、なんて、まぁなんて気障な手紙を書いたもんだわ。手紙だぞ、手紙、メールとちゃうぞ。ゑゐ、へんかぁ〜ん、じゃなくて、机のそこらにほりだしてあったゲーテの詩集から、万年筆で、一字一句書き写したんだよ。そして君に贈った。 いつの頃からか、詩なんてのも読まなくなった。五月の光から逃げるように、ジャズ喫茶の暗がりでむさぼるようにことばをさがし続けていたのに
5月に もう期待するのはよそう
と詠んだのは、白石かずこだった.... Dive to the sheets