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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2000/07/01 Sat■  夢遊病

 7月になった。クソほど暑い。暑い、暑い....多分まだマシなんだろうな。思考力がなくなってしまうような暑さがいずれ来るんだろう。しかし、しかしだ、木、金、土と3日も続けて人並みに働いたら、さすがにきのうの夜は脱力状態。ぼーーっとするままで、をーあしたは休みやんかぁーなどと喜んでられる状態でもなくて、それでも1時過ぎまで、ぼーっとして、とにかくもうこりゃアカンと寝たのだった。
 それから寝ては覚め、寝ては覚めだ。まさに1時間おきに暑くて息苦しくなって起きてる。起きて何するわけでもない。冷蔵庫で牛乳を一口、口飲みしたら安心して寝た。
 さて問題は、もう朝だ、と、を、こりゃ起きないかんと、もそもそ起きだして、そういえば冷蔵庫にチーズがあったな、あれでチーズトースト作ろと、寝ぼけ眼で食パンの上にチーズを丁寧に乗せて、オーブントースターにほりこんで、一息、ふっと顔をあげた目の前に時計が4時をさしてるではないか。
 な、なんだぁ〜、なんで夜中の4時にチーズトーストなんてものを作ってるんだぁと、山田詠美風に樋口可南子にいわせれば、「焼き上がったチーズトーストはどうするの?」だ。こんな夜中にチーズトーストなんてハイカロリーな食い物を食うていいはずが無い。
 しかし食うたがな(-"-) 食うには食うたよ。食いながらほとんど目は開いてなかった。眠りながらもくもくとチーズトーストを食う姿...をー{{ (<>_<) }}ブルブル
 このようにしてボクの7月は始まった。なんだか今年は夏の匂いがするぞ。

■2003/07/01 Tue■  廃墟ブームなんて

 廃墟、廃屋は好きだ。廃れ行くものへの哀切とでもいうか、美しさというと違う気がするが、別種の美しさを感じてしまう。石内都が『モノクローム』に書いていたのだが、皴の入った肉体をとらえて醜さを美しいと感じたのと同じように、生活の皴をとらえてみたいとボクも思う。  ところでいま廃墟が隠れたブームなのだ。ネットの中でも《廃墟》をメインにするサイトがずいぶある。例えばたぶん老舗だろう《Ruin Japan》、ここはうちのリンク集《浮気者》からもうずいぶん前にリンクしている。をっと、いま確認したら、いつの間にか.comとってあるじゃないですか。ボクにとっては、《廃墟》は《トマソン》の延長上にあったりもする。ある意味でおもしろい。
 10年ほど前にバイクで走り回っていたときに、京都の亀岡の奥の日吉ダムに水没する直前の廃校にたまたま行き着いたことがある。たまたまという偶然性がたまらなくおもしろい。割れた窓ガラスを踏んで中に立ち入ったときに、子どもたちの文集や図画が散乱しているのに、なんとも言えない気持ちになった。一方でダムによって水没を余儀なくされた憤りもあった。しかし、たぶんにそれはセンチメンタリズムに支配される感情だったにちがいない。
 一方で、ボク自身はいま赤線跡を追いかけている。ついおとついもまた京都の五條楽園に足を運んだばかりだ。これも一種のセンチメンタリズムと言えるかもしれない。と、同時に踏み入ることのできない疎外感を自分自身に感じてしまうこと、一種のマゾヒズムであったりもする。
 なんでこんなことを急に書きだしたかというと、きのうの朝、テレ朝の「スーパーモーニング」で、こともあろうに、『廃墟を行く』などというシリーズが放送されていた。きのうは東京の奥多摩の廃村だった。レポーターが大袈裟に恐怖感を煽り立てながら、あらかじめ見つけ出されている廃屋に向かっていく。と、そこのにあったのは、明らかにあらかじめセットされた人形が映しだされたのだ。そしてずかずかと廃屋に踏み入って抽出しを開け、中から髪の毛の束を引っ張り出す。アラーキーの言葉を借りると、「もう我慢できません」 そして示される映像は『ローマの休日』の広告が掲載された古新聞。「こうでてくる風景が嘘っぱちじゃ、我慢できません」
 なんと下品なメディアなのか。なんと傲慢なメディアなのか。
 その一方で『廃墟の歩き方』などという本まで出版されている。テレビという下品なメディアは、そのような流れに安易にのっかってしまってるにすぎないじゃないか。このようにして、《廃墟》というひとつのテーマ、《廃墟》を求めてしまう衝動をさえ踏みにじっていく。はたしてこのようなブームになってしまっていいのか。これまで《廃墟》を追い求めてきた人たちにとって、このブームは満足なのか? ボクは疑問に思いさえする。
 






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