ところでつい最近、熊野が世界遺産などという得体のしれないものに登録された。登録されたことで紀伊半島のとんでもない森林伐採に歯止めがかかってくれるのならいざ知らず、登録されたからどうなんだとボク自身は冷ややかに眺めていた。確かにこれまで、熊野?それどこ?って人までかつて熊野詣という歴史事実を知るようになり、これまで開発によって寸断された熊野古道が保存されるようになるというのはいいことだ。だけどもそれはあくまで保存であっていい。保存するための開発などはいらない。例えば、伏拝王子に、世界遺産にかこつけてなのか、それともド腐れNHKの『ほんまもん』の中に出てきたかで、ひどく立派な休憩所ができている。伏拝王子など、世界遺産であろうが『ほんまもん』であろうが、何がきっかけでもよい、熊野古道に興味を持った人が静かに訪れればいいわけで、王子に至る伏拝の集落と《『ほんまもん』ロケ地》と大書された休憩所のアンバランスさに奇異なものを感じてしまった。あと何年か経って、その休憩所が朽ち果てるべく朽ち果ててしまう姿が見える。そのとき何を思うのか。和泉式部は供養塔のもとで眉を顰めてくすくす笑ってるような気がする。