まずはカサ・ボティンの子豚の丸焼き。あんなもの、でぇ〜んと出てきたら食いきれるはずがないし、鯛や平目の姿造りは慣れというもので平気だが、豚のつぶらな瞳が恨めしげにこっちを見てるというのは耐えられない。ところがうまくしたもので、そのような人のために子豚の丸焼きを切り分けたものというのがメニューにあって、これなら何とかなると、ガーリックスープのあとに、サラダと一緒に注文。それも用心して一人前だけ。さてやって来ました、子豚の丸焼き。さすがに有名店カサ・ボティン、心得たもので、一人前をさらに2つの皿に取り分けてもってきてくれた。どこが頭だか、鼻だか、お尻だかわかりません。いざ、と食し始めると、皮はぱりっとしていて、脂はしっかり焼き込んでいるせいで落ちていてなかなか淡泊、美味。北京ダックよりずっと美味しい。が、北京ダックは一人あたりスライスにして2,3枚という程度であるのに、子豚の丸焼きは、切り分けて、さらに取り分けたところで、まだ肉の塊という趣を十分に残しているのだ。ボクらはサラダも注文してたからいいものの、少し離れたテーブルの退屈そうな日本人二人は、食えども食えども減らない単調な美味にいやけがさしてますます退屈そう。ボクらとて途中から飽きてきた。それにいくら脂をこんがりと焼いて落としてしまっているとはいえ、さすがに豚の皮下脂肪で口の中はべっとり。それでも残したらもったいないと、マーニャの分もたいらげたのだった。帰ってから聞いた話では、あれは一人前を3,4人で分けたらちょうどよかったと。じゃあ、二人ならどうすりゃいいのだよっ。もっと量を減らしてくれい。 次の日、その豚の丸焼きがまだ胃の中に残っているような状態で、当然お昼は抜き。プラドー見るのに忙しかったせいもあるんだけどね。パエリアはもうわかってしまっているから、どっかバールでちょちょっと下戸の肴荒しでもやろうと思っていたんだけど、適当なバールを探すのもめんどくさかったので、これも30年前のマドリッドで食ったパエリア専門のバラッカへ。30年前の時は何のパエリアを食ったんだろう。貧乏旅行のわりには贅沢したもんだ。決して高い店ではないけれど、安い店というわけでもない。その頃に比べると少しは金持ちになっているので、いきおい《王妃のパエリア》なんぞを注文。直径30cmはあるだろうパエリア鍋にでぇ〜んと3種類の海老にムール貝ものって、もちろんアサリも。一見、豪華であります。ところが、これも半分過ぎたあたりから飽きてきた。オリーブオイルでこてこてだしね、シーフードの味ばかり単調。一瞬、ニューヨークの恐怖のシーフードパスタが甦ってきた。あれに匹敵するくらい、食っても食っても減らないという感じ。それでもさすがにおこげをへつりはしたけれど、約1/3残してギブアップ。これも帰ってから聞いた話では、家族4人でちょうどよかったとか、マーニャと二人ではボクの負担がきついのだよ。あー、それとやっぱり30年前に比べれば、年のせいでぐっと小食になったんかもな。しかし、大阪のスペ飯屋のパエリアは、高い金とるくせに、ゑぅ、もうないの?ってくらいがちょうどいいのかもしれません。この2晩続きのこてこてでダウン。その次の日から2日ほど食欲なし。 マドリッドには店にハムの塊をぶらさげたバールともカフェともつかないような店があって、マドリッド一日目にたまたまその店にコーヒーを飲みに入った。カウンターで飲んでいると、安くてけっこう美味しかった。そのときカウンターに、日本の寿司屋のようなガラス張りのウィンドーがあって、そこにバケットを薄くスライスした上に生ハムが一切れ乗せられているのがびっしり並べられていた。ビールやワインのあてにちょうどいいんだろうな。 ところでパエリアで胃がくたばった次の日、すっきり生ジュースを飲みたいと、その店に行った。このオレンジをしぼって生ジュースをつくるマシンのたいそうなこと。なんで?と思うほど。とにかくその店に行ったら、カウンターがいっぱいで、上にホールがあるから、そっちに上がれという。言われるままに上に上がってオレンジジュースを注文。するとハムはいらんか、美味しいんだぞと、壁に貼られたでっかい写真入りのメニューを指さす。生ハム一切れ乗せたバケットのスライスなら1つくらい食べたかったんだけど、その写真と値段を見ていると、どうもやばそうなので断った。これが正解。あとから来たスペイン人の注文したのを見ると、直径20cmくらいの皿にびっしり生ハムが敷き詰められていた。あれだけの生ハムを日本で食うとひどく高くとられるんだけど、ものには加減ってものがあるんだよなぁ。ましてや、弱った胃にはあの生ハムの量は参るって。 パリではもうマドリッドの量に懲りてたから、極力さけたけどね、隣のテーブルなんかを見ていたら、300gくらいのステーキに、それとは別にじゃがいものチーズ焼きのようなのがついてたりして、連中の大喰らいにはあきれ返るばかり。