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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2001/10/28 Sun■ 

Public Enemy
Yo! Bum Rush the Show
 日曜の朝、といっても10時過ぎだけれど、何が楽しみって、ゆっくりくたぁーっと朝のコーヒーを飲めるってこと。こないだ見た『ショートカッツ』で、シリアルにバナナをスライスして入れてるのを真似してみた。
 昼から久しぶりにご飯を作る。カレー。むしょうにフツーのカレーが食いたかったのだ。
 まずは下のスーパーで3パック1000円の輸入シチュー肉、牛肉だ。狂牛病がこわくて生きてられっか。世の中、狂牛病より怖いものがいっぱいあるだろ。たとえば、ダイオキシン土壌で育った野菜であるとか。で、ふっとスーパーにおいてあったカレールーが3割引なので、それにして、あとでよく見たら、牛肉エキス入りだ! (;゜゜)ウッ! 狂牛病。。。 でもいくら騒いでも、焼肉なんてめったに食わないもんね、あんまり関係ない。人間なんて死ぬときに死ぬ。うん?何だったかな。死ぬ直前まで死ぬということはわかってなくて・・・云々かんぬん、あれ、ほんと何に書いてたんだっけ? 不死がどうとかこうとか。。。。
 あ、カレーの話に戻って、そういうあむない材料で、玉葱を大きいのを丸ごと2個、ぶった切って、ニンニクとオリーブオイルで、くだんの輸入牛肉と玉葱炒めて、水ぶちこんで、あとは知らねぇ〜。寝転がってビデオ見てた。
 日曜の昼下がり、女二人がいないのをいいことに、まずはウスケシ。しっかしねぇー、欲情しないねぇ。もうすでに枯れ果てたのか。赤い玉が出てしまったのか。ウスケシったって、局部が見えるだけで顔見たらブスだしなぁ。もうちょっと恥じらいってもんがないんか。ちょっと古いけど、城麻美が好きです。で、『実録阿部定』を見始めて、局部が見えるわけでもなく、実際に挿入してるわけでもないけど、やっぱりこっちのほうが来るもんが来ますって。でも抜いてません(爆)
 それで『実録阿部定』の間に、肉の塊も煮くずれるまでになって、玉葱はほぼとろとろにとけてしまってた。じゃがいもを半分に切ってまるごとぶちこんでニンジンもぶちこんで、はい、出来上がり! というようなカレーをこないだから食べたかったのだ。当然、仕上げはガラム・マサラですね。


--------------本日の食事
朝 トースト1.5、コーヒー2、シリアル
昼 野菜餃子、焼きそば
夕 カレーライス


■2002/10/28 Mon■  「つぎはいつだろ」

Erick Sermon
Double or Nothing
 東京からTon2も帰ってきていたので、きのうの夜はめずらしくも一家4人揃って家での夕食。この前にみんなそろっていたのはいつだったか、たぶん正月か。お正月は特別だから、それを抜いたら、いつのことだったか、思い出せない。
 友人に、家族そろって晩ごはんを食べることは家族の基本だからと、その子どもたちに塾にも行かせなかったのがいるけれど、うちはそういうポリシーなんてもちあわせていなくて、一人ひとりが家族という枠に縛られてるより好きなことをしてるほうがいいという理由で、みんな揃って晩ごはんなどというのはとんとなかった。別にそれはそれでよかった。だからって家族の仲が悪かったというわけでないし、むしろ仲よかったと思ってる。きのうだって、ご飯を食べながら「みんな揃ってるのなんていつのことだぁ、つぎはいつだろ」なんて言い合っていた。

 さてこういうことは、ここで書くべきじゃないかもしれないが、きょうは別の親子4人がそろって晩ごはんをしていた。「つぎはいつだろ」とは誰も言えないで。たぶん親子4人揃った食事はこれが最後だということはわかっていても、絶対にそのことは口に出すことはしないで。それを第三者として近いところで見ているのは辛かった。


■2004/10/28 Thu■  『私の絵日記』を書いた藤原マキ

 ブクオフでふっと、藤原マキ『私の絵日記』という文庫を見つけた。パッと手にとって、あら、作風が全然変ったなって思いながら、ページを開いてみると、つげ義春を可愛くしたような絵が並ぶ。そこで、佐々木マキと間違えてるのに気がついた。
 じゃっ、藤原マキって誰なんだ? なんか聞いたことあるぞと、あとがきを見ると、げっ、あの藤原マキじゃないか。状況劇場初期のヒロイン藤原マキだったのだ。初代腰巻お仙だったのだ。残念なことにこのごく初期(1960年代)の状況劇場というのは『新宿泥棒日記』の中でしか知らない。李礼仙にばかり目が行ってしまって藤原マキのことはすっかり忘れてた。
 な、なんと、つげ義春の奥さんになっていたのだ。うわーっ、びっくりだよぉ。つげの『貧困旅行記』─これはすごく好きで、一度読んだ後も何度も拾い読みしていたというのに、つげ義春の奥さんが藤原マキとつながってなかった。そう言えば、どこかで聞いたことがあった気もするけど。やっぱりそのつながりはきれいに抜け落ちている。
 ふぅーん、そうだったのか。腰巻お仙を李礼仙に替えられて、公演直前に無断で状況劇場を辞めたのだった。なるほどね。それはともかくとして、過去に話としてだけ知っていた人物が、別のところで、これも話の上だけれど、繋がってしまうのって妙なもんだよ。ところがその当の藤原マキは1999年、5年前に亡くなってしまっていたのだ。
 少し違うけれど、ある女性─Fさんがちょうど5年ほど前に亡くなった。『私の絵日記』を読んで(見て)いると、そのFさんと藤原マキとかぶってくる。Fさんのプライベートなところまでボクがよく知っていたわけじゃないのだが。つい最近、ある人とひょんなところから、お互い、Fさんのことを知っていることがわかって、しばらくFさんの話をしていたところだったのだ。
 こんなふうに、Fさんの話や、藤原マキの話が出てくると、ボク自身の20〜30年前をくすぐって妙にせつない。あのときに、藤原マキもFさんも、そしてFさんの話をしていた人も、ボクの一歩前を歩いていて、出会うこともなかったけれど、同じ時代の空気を吸ってきた。20〜30年と経ち、藤原マキもFさんもいまはもういない。そしてボクはもう50を越えた。ボク自身のルーツになったあの時代をもう一度見つめ直してみる。懐かしんでなんかいない。それをルーツにして何ができるかだ。



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