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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2001/11/10 Sat■ 

Fatback Band
Gigolo
 エロい夢を見た。それもまともにセックスしてる夢だもんなぁ。夢うつつの中で何か、あはぁ〜なんて声まで出したような気がして、ふっと目が覚めた。ビンビンらでぃん状態で、かなり具体的だった。ヤバい、ヤバい。ヤバいよぉと思いながらもどうしてもその続きが見たくて、当然目が覚めたといっても寝ぼけてるから、すぐにまた眠りについたけれど、続きはない。なんでなんだ。蛇の生殺しってもんだろ。むぅ、しかし蛇の生殺しパターンというのがなぁ。これって意外と尾を引くんだよなぁ。
 これまでにも何度もその類の夢は見たことあるけれど、たどりついたことなんか一度もない。必ず、エエところでふっと目が覚めて、必ず続きを見ようとしてすぐに寝るのだけれど、続き見れたためしが無い。したがって夢精童貞だって(^_^ゞ ところがまわりにはいるんだよなぁ、エエ年こいて、(;゜゜)ウッ!とね、はててくれるおっちゃんが。羨ましいぞ。しかもきっちりその相手が誰だったか覚えてて、次に会ったとき思いだしたら困ったという。はい、はい。よろしおすなぁ。その夢の相手が彼女だったというのでもなくて、それ以後、彼女になったというのでもない。幸か不幸か、儚い夢まぼろしとなって消え去ったらしい。

 友達がこうこうやねんけど、というのがある。ところが聞いてたら、その話は実はその当の本人だってことようある話でしょ。前にも、
「わたしの友達なんだけどさぁ、●●●とやっちゃってさぁ・・・」
「その友達って■■って名前とちゃうん」

 だからって上の夢精おっさんは断じてボクじゃないです。あくまで夢精童貞なんだから。。。。気持いいんだってねぇ(溜息)
 白状しておきますが、ボクの場合は正夢になったことあるんだから。で、きのうの夢の相手・・・ひみつ


--------------本日の食事
朝 トースト1,コーヒー1
昼 焼きそば
夕 湯豆腐、牡蛎雑炊
--------------本日の買物
@BOOKOFF金岡
金井美恵子『軽いめまい』
蓮實重彦『オペラ・オペラシオネル』
坂東眞砂子『蛇鏡』


■2002/11/10 Sun■  善人なおもて往生をとぐ

Bootsy Collins
Play with Bootsy
 「お疲れの出ませんように」とはよく言ったもので、きっちり「お疲れ」が出てしまって、おまけに11月に入ってから、1ヶ月間違うとんのとちゃうかというくらい、12月のような寒さできっちり風邪っぴき。人間なんてのは、けったいなもんで、寒かったら寒いなりの格好をすればいいものを、まだ11月やのに真冬の格好してたら、いざ真冬になったらどうすんだという意識が働いてしまって、きのう、おとといと結構薄着してたら寒くてたまらんかった。それとやっぱり、先月まではどこか気が張りつめていたのかもしれない。気持ち的にホッと一息、というのもなんだか不謹慎なようだけれど、やっぱり楽になった。その分、風邪ひいたりもするのかな。
 とか、なんとか言いながら、お葬式終わって、ほんとは先週の日曜なんかはゆっくりしてればいいのに、さてちょっと気分転換にでもと、アンドレ・ケステル写真展を見に行ったりしてる。それはそれでいいわけだけれど、何だかんだと、後回しにしてたことがいっぱいあって、ホレ、まだせなアカンことがあるでしょ(苦笑) と、これ読んで、「おっさん、先にすることやってぇぇな」と苛ついてるの約1名。ごめんねぇ。
 いや、ほんとにこの1週間、気分的には楽になったものの、役所関係であるとか、いろいろございますの。何遍、長ったらしい住所書かされたことやら。それでも義理の関係だから、まだ楽なんよね。これが実の関係になったら、もっと大変なんだろうな。義姉さん、大変そうでした(・・;)
 それと身辺整理ね。ほっとくわけにもいかないので、残された者が、いろいろと引出しを開けてみるわけです。すると、出てくるわ、出てくるわ、何じゃ、これ?というのが山ほど。義父さんのことだから、さしてやばいのがでてくるわけじゃないんだけれど、はてさて、それをわが身に照らして考えてみると、おちおち死ぬことができないなと。そんなことより、アホなものは、自分でさっさと整理しておくことだな。

 遺言として残しておきますが、いま使うてるマックね、ごちゃごちゃ言うてんと、さっと初期化してください。くれぐれもあっちゃこっちゃ覗かないように。ボクとしても善人として消えていきたいからね(^_^ゞ


■2004/11/10 Wed■  It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry *

 先週に潮岬までツーリングに行った話になって、さらに話が新宮になると、中上健次に話が移り、さらには文学、読書の話になった。
 本を読むのにある程度の経験、年齢が必要だという。確かに川端の『雪国』なんかは中学生のころに文学史や、名作として紹介されるのだが、あんなものは中学生の時に読んでもまったくおもしろくもなんともない。
 例えば、『雪国』に「指だけが知っていた」という表現が出てくるのだが、中学生、少なくともボクの中学時代に指がその感触を知っていたなんてまったくないわけで、その表現が何を意味するのかさえわからなかった。わからないままに読んで、やっぱりおもしろくもなんともなかった。いくら最近の中学生はヤリまくってるとはいえ、わかるわけがない。ところが、つい1年ほど前になって読み直してみると、何というものを中学生に読ませるんだと、赤面(大げさ)してしまったのだった。あの情感というのはわからんですよ。
 そこで、《本を読むのにある程度の経験、年齢が必要》ということになるんだけれど、その経験値(年齢、経験などひっくるめて)に応じた捉え方が許されてもいいんじゃないか。確かに、本を読み続けていると、若いころに読んで、そういうふうにしか捉えることができなかった表現が、経験値が上がることによって見えてくるというのもある。だけど、そう読み取ることができなかったからといって、経験値が低いことを責めるわけにはいかないだろ。経験値なんて、定昇と同じようにほっといても上がっていく、つまらないもんだしね。その経験値の低さなりに読み、感じることを認めるべきじゃないか。

 そのことは自分自身の経験値が低かったころにやってきたこと、感じてきたことを認めることになるんじゃないのかな。それらを認めてこそ、これから先を見出していくことができる。いくら、そのことどもが否定してしまいたい、消し去りたいことであっても、認めざるをえない、ほんとは認めたいんだよ。だからこそ、キミは自分に対して誠実でしごくまともなのだ。そして、ボクはそういうふうにしてきたし、これからもそうして行くよ。




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