なのに歯だけが、折れたり虫歯になったり削ったりしたら、二度と元に戻らない。
俳句は余技だの末技だのと云ふ事ではない。俳句は立派な文学であり、藝術とは即ち表現である。風の如き感興が一つの形を得て、一瞬の韻律に纏まった時に、初めて詩と呼ばれる。それまでが大切な契機であり、そこから先はどうでもいいのではないかと考へる。自分の詠嘆を記憶しようとするのは、さもしく、繰り返さうと思ふのは、しつこい。個性などと云ふ物は、個性のない者から見れば尊いかも知れないが、その本人には無意味であるべき筈である。句集の補遺を編んで、どうしようとするのかと考へながら、もとのままの暖昧な気持で句稿をめくってゐたら、大きな欠伸が出て、涙が止まらなかった。