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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2001/04/27 Fri■ 

ARETHA FRANKLIN
ROSE IS STILL A ROSE
 とりあえずは無難な話で山登り。うるさい連中は追いやって、いっちゃん後ろからゆっくり登って行ったら気持ち良かった。天気もばりよかったしね。てっぺんで酔狂と示し合わせてた通りカップラ作ってたら、うるさいのがわさわさよってくる。がはは、恐れ入ったか(笑) あんなところではカップラも美味しいもんだわ。そんでいつもコーヒーもゆっくり飲んで、好きなようにやってお金をもらえるんだから。ちゃんとそういうところを勉強するんだぞ(爆)
 帰ってからちょこっとテニス。ようやるよぉー。でもテニスは3年ほどやってなかったからなかなか戻ってこない。なんか変。同じように打ってるつもりだったのに。それで上手いのんをちょっと観察してたら、わかった。ボールを押してる時間が長いのだ。いや、時間じゃないか、ボールを押している距離が長いのだ。力積じゃなくて仕事が大きいのだ。そっか、そっかと、こういうふうに上手い人間を観察して学習する、学習するあたり、我ながら偉い! で、そのこと頭においてしてみたら、をぅをぅ、ちゃんと球飛んでくじゃないの。
 さすがにさすがでくたばってしまった。飯、食ったらポテQ。エエ気持ちで人が寝てるのを起こさないで欲しい(-_-;)

 と、いちおう無難にまとめておいて、実はぁ、いろいろあるんだよねぇ。直接ボクがどうこうという話じゃなくて、間接的にどうこうって話なので、ここには書けないけど、ひとつは、やっぱり日常の問題。ボクでもあれはやだもん。日頃からあんなんだからちこっとしたことでも針小棒大。世の中相手によったら、快感になることでも、不快にしかならないことくらい知っとけよな。で、快感になるようにつきあっとけばエエのでしょ。ボクとしては自爆してくれるの待ってます(^^;)ズルゥー
 で、もういっちょは、フラレ男のパニック。あ、ボクが寝取ったってか、あんた、それは考え過ぎってモンでしょ。でもやつから見たらそう見えるんかいね。そう見えるんならそう見とけや、ガキんちょ。でもボクに直接どうだこうだってよう来やへんのもなっさけないねぇ。それで新しい女(?)にすりすりして、その女の前で、前の女(?)のこと、くそみそに言うてるなんてサイテェー。いっぺん地獄でも覗いて来なさい。


■2002/04/27 Sat■ 

Q-Tip
Kamaal: The Abstract

 ちょっとまだ興奮しております。なんか全然ちがう意味でね。あ、興奮してるというのは、ほんと久しぶりに唐組の芝居を観に行ったこと。芝居そのものの感想のようなのはまごれびゅのほうに書いたからもういいんだけど、芝居だけぢゃなくていろいろとね。
 ボクが唐を最初に知ったのは大島渚の『新宿泥棒日記』、初めて状況劇場の芝居を観たのが1970年のことだから、もう32年前のこと。そうすると、きょう出ていた若い役者たちはまだ生れてもなかったんだな。
 昼にヤモと整理券を取りに行ったとき、ちょうど唐がテントの裏手でイスに座っていたのでちょっと挨拶。わりと最近、テレビで唐を見たとき、あ、老けたなと思ったけれど、現実に目の前にしてもやっぱり老けた。そりゃそうだ、『新宿泥棒日記』で昭和元禄美少年と言われた唐もあれから30年。当然、ボクも老けてんだけどね。でも憧れの人はいつまで経っても憧れで、ははぁ〜なんてったって、唐は憧れですよ。たぶんそんなことはないけれど、『新宿泥棒日記』さえ見なければ、あの日大学の中に紅テントが立ってなかったら、いまごろはきっちりネクタイ締めてたかも。あ〜、でもタラの話だから、そうでなくてもP-Funkにどたま叩きのめされて、いまのようになってたかも。なんか話、ぐちゃぐちゃだね。あぁ、とにかく、何年ぶりかで恋人と再会したような。。。変な興奮。唐はボクのことなんか覚えてはないだろうけれど、でもどっかでふっと覚えてるかもしれなくて「●●でやったときの□□(ボクの本名)です」と言うと「いまはこっちにお住まいですか」なんて、こりゃ住ノ江で『新二都物語』を演ったときも挨拶に行っただろうが。
 それでも舞台の上の唐は、もう還暦過ぎてんだぞ、なのにぐいぐい引っ張って、確かに舞台直下から眺めると首筋なんかは、結構皺が入ってきてて、まぁそれはボクもいい加減皺が来てるんだけれど、それでもあのがんがん突っ走る姿を見ているとね。。。やっぱりボクが惚れただけあると。
 だから終わったあとでも玉一で石焼きビビンバ食いながら、ウッディートリオでしゃべるのは、怪我してもわからん…(^・^;)などと年食った話になるけれど、やっぱり出てくるのは遊ぶ話ばかりなり。きっちりアホな計画まで立ててみたりして。
 だいたい中学生や高校生の親たちは自分が楽しんでないから、子どもも楽しめないでいるんだと、これには3人揃って、うんだうんだと頷くことしきり。親たちは子どもがゲームばかりして遊んでいると嘆くけれど、TVゲームを楽しんでいるんじゃなくて、ゲームに逃げ込んでいるだけなんだよ。自分たちが楽しまないでどうする。
 というわけで、きょうはまる一日楽しかった。

■2003/04/27 Sun■  古都徘徊

 まずは京阪の五条からスタート。高瀬川に沿ってちょっと南に下がる。ここらあたりは静か。高瀬川の水にカメラを向けるちょっと知ったかの観光客もちらほら。川べりではいかにも京都のお婆さん相手に、自分がそこら一帯を撮った写真を見せているのはほんとに長閑な風景。ちらっと見えた写真も鴨川と広い空を写しこんでいて美しい。ところがその高瀬川から一本裏に入ったら五條楽園。かつての遊廓。ひょっとするといまでもまだ営業してる家もあるのかも。京都というところは古いままにのこっていたりするから、簡単にかつての赤線跡らしき家が見つかる。早速みながデジカメ持ちだして構え始めたから、ちょっとあせる。やっぱりこいうところは一人で人目しのんでささっと写してあるかないと。仮にクレームつけられたところで一人ならなんとでも言い訳が着けられる。写った写真に「申し訳ない」感が写りこんでしまうのがおもしろいんだけれど。これって半ば観光客然としてるから写せるんだよなぁ。それでもボクもさっと目につくところだけはカシャカシャと写しては見たけれど、いまひとつインパクトに欠けるのはそんなせいかもしれない。歩くスピードも速いしさ。そうしていると前の方にちょっとヤバイ目のお兄様たちが何人かたむろしていた。その横を通り過ぎて、はっと見えたビルの入り口に《会●●鉄会》の金看板。さすがにこの金看板を見ると、高瀬川のせせらぎをいかにも楽しんでます100%観光客ですよぉーという顔になってしまう。
 退散しながらも裏鬼門を見つけると、ほんまの鬼門はどうなってんだという探求心がむくむくとわき起こってはくるのだけれど、その鬼門の方に回るところでキャッチボールをしていたお兄様の半そでからもんもんがちらっと見えるとそそとしてしまう小市民たち。でもなんだかんだって言いながら、任天堂の旧い社屋を見つけるとまた喜んでんですが、とにかく正面橋で鴨川を渡ってしまうまで緊張した。これに懲りずにまたこっそり一人で出かけてみようと思ってる。
 正面通りの突き当たりが豊国神社。かつてはこの正面通りがメインになるはずだった。家康のヤクザそこぬけのいんねんつけさえなければ。とにかくでかい鐘だった。が、その鐘よりもその鐘楼の天井画のほうがおもしろかった。どうも最近は歴史的な因縁話にはあまり興味がわかない。興味がわかないから、その鐘の写真も一枚も撮らないで、よこの崩れた壁や水たまりを写してる。
 ここから少しずつ北に上がって六波羅探題の六波羅蜜寺。入ったところに口からびーーっと仏さんを伸ばしている空也上人の教科書でゆーめーな像があると記されていたけれど、もちろん金払ってまで見ようとする連中ではない。タダなら見ます。六波羅ということはここら辺りが六道の辻と言われたとこだなと思っていたら、六道珍皇寺がった。小野篁(EgBridgeエライ!「おののたかむら」一発変換)が夜毎、古井戸に潜って地獄に行き、閻魔大王になり変わっていたというところ。ヒゲに言わせると、ここらは夜に歩いたらしんと静まり返っていてホンマに怖いところらしい。しかしこんだけ家があるんだから怖いことないと思うけどな。第一ここに住んでる人はどうなんねん。とは言え、ここから先はかつて平安時代には鳥辺野と言われて屍体を捨て鳥に食わせていたところだからな。あまりに歴史的因縁に興味ないなどと言いながらよう知ってるでしょ。梅原猛で勉強したもん(笑)
 東山通りの鐘園亭で餃子とビール。ここの餃子は1人前5ヶ100円で小ぶりながらも美味しい。結局6人前食って、さらに水餃子も食った。水餃子は焼とはちがう皮を使ってたし(当然か(^_^ゞ)、タレも別のを用意するくらい。とにかくお薦め。
 腹いっぱいになったところで八坂の塔の方に上がっていくと、ヒゲが、「ここやで」とシバ漬け屋を指す。30年前に、ヒゲにそこのシバ漬けが美味いから買うてこいと言うたきり。そのあと自分で買いに行って見つけられず、もうなくなったのかと思っていた。実に30年ぶりのシバ漬けを買って、それから中谷の豆腐。この間、ほかの3人は何してたんでしょね。八坂の塔の下におったけど。
 さらに上がっていって産寧坂。思いきり観光客多し。こう人が多いのもおもしろくてボクは好きなんだけどなぁ。観光客の裏側をウオッチするのって楽しいんだけど。でもあまりエエ女はいなかった。しかし他の連中の歩くの速いこと。もっとゆっくりじっくり見ればいいのに。ささっと行ってしまって、まぁ待たせとけばいいんですが。円山公園で休憩。
 白川に沿って祇園へ。ここも観光客いっぱい。他の観光地と違って京都の場合は観光客を見る楽しみがあってよろし。偽舞妓に一生懸命カメラを向けてるし、偽舞妓を連れて写真撮影しているいっぱしのプロは、偽舞妓に、「そこから一歩さがったところでこっち見て」などとポーズつけさせている。しまいには「アマチュアの人が撮ったはるからもう少しそのままでいたげて」などとほざいちゃってからに、はいはい、あんたはプロですワ。しかしそのような決まりに決まっただけの写真なんか撮ってておもしろいんかね。絶対におもしろくはないと思うけどね。かつて舞子さんの撮影会に行って撮ってきた写真を四つ切りにして喜んでるのがいたけれど、ちらっと見たところ全然。「うあっぱりニコンは写りが違う」はいはい。やつらに言わせりゃボクの写真なんてゴミみたいなもんなんでしょ。実際、ゴミばっかし写してますが(苦笑)
 さて祇園の甲部のほうにも回って、いかにも京都というようなお母はんが一人でやってる喫茶店で休憩して、さて帰りました。なんてもったいない。時間はまだ5時過ぎ。抜群の西からの光が射してるのに、せっかく連休の日曜の雑踏があるんだしね、このまま帰れますかいな。もう一巡り。
 









 


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