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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1998/04/26 Sun■ 

そう、久しぶりによく寝て、起きたら、まさに春全開ってところ、すがすがしいって感じ。ぷらぷらと歩いて裏の、えっ、何だった?農業試験場だっけ?そこへ散歩。こういうふうに健康的でないとね(笑)
ドンパの家を出て、こちょこちょと23号走って、蒲郡へ(笑)
ちょうどええ時間ね。MAXに着いたらこないだも会ったナントカ君がいて、「じゅんこさんはいま2階ですけどもうすぐ下りてくると思います」と査定しにきたフリでもしときますかとノリがいい。それでそのフリして店に座ってなんやアンケート用紙を冗談で書いてたら横にJUNKOがいた。わっ、向こうもびっくりしたやろけど、こっちもびっくりしてんで。音もなく横におってんから。そんでもあせったやろなぁ、まさかやもんなぁ。はい、そうです。ボクは義理がたいから名古屋まで来てて知らんフリして帰りません!(爆)
JUNKOはあせってMIKOに電話を入れてる。何ぃ〜っ出てこられへん。ええ、日曜やのに、仕事ぉ〜っ、ボクが大阪からわざわざMIKOに会いに来てるちゅうのに、んん、ボクと仕事のどっちが大事なん、ええ、どっちや言うてみぃ(爆)
JUNKOと二人で昼下がりの鰻屋の小上がりでしっぽりと。うははは、でもはじめてJUNKOとゆっくりオトナの会話したなぁ。かなのこととか(笑) はぁJUNKOはまぁオトナですね。経験者だし(爆) えっ、何の?

JUNKOも仕事だし、鰻食べたあとすんなりとひきあげる。ははぁオトナですから。ふぅしかしさっさと東名に乗ったらよかったなぁ。23号の名阪まわりで帰ったら、時間かかったぁ。
JUNKOと会うたとき話てたんだけど、きょうあたりカウンター10000行くだろうなと思うてたら、自分でゲットしてしもたで(笑) わはは、賞品はなしね。いまから考えたら777がチキンで、7777がとよちゅん。はぁちょうど1年半かかってんねぇ。でも見にきてくれたみんなありがとう。これからもがんばるよ。

■2002/04/26 Fri■ 

Arto Lindsay
Mundo Civilizado

 ふくちゃんは可愛い。
 この冬は、寒風の吹きすさぶ高架の下で、座布団にちょこんと座ってたらしい。

 どこかの飼い猫だったのが迷い猫になったようで、すごくおとなしくて、お行儀がよろし。うちのほかの猫どもの行儀の悪さ、人を人とも思わない立ち居振る舞いとは大違い。
 野良だったときに誰か男にいじめられたのかもしれなくて、「ふくちゅわぁ〜ん」と呼んでもそそと逃げて行ってた。このごろはだいぶなれてきたようで、たまになでなでしてやったら目を細めている。
 きょうなんかは、エミ公にするようにしっぽの付け根をなでてやったら、ぴーんとしっぽをつきあげてうっとり。やっぱり女の子だからなのか。そのうち、ごろーんとひっくり返ったので、おなかをなでてやると、「ふくちゃんおなかダンス」をやりだした。

 うらまごに書いたけど、きょうのデジャビュにはちょっとびっくりした。駐車場の横を歩きながら、ふっと自分の車をみたら、一つだけ窓の様子が違う。あれ?って思ったら助手席の窓が全開。その前にカスオ(仮名)を乗せてたからなぁ。それでも30分ほどだったから無事なにごともなくてよかった。ちょっと前に見た夢は朝から夕方まで運転席の窓が開きっぱなしで、となりにも車がずっと入ってたから、何も盗られたり荒らされたりしてなくてよかったよかったとホッとする夢だった。
 こんな具体的なデジャビュというのも珍しいけれど、確かこの光景は見たことあるな、夢だったか、ずっと忘れてしまうくらい前のことだったか、と、その次に起こる光景が予想できて、実際その通りになることって、ほんと何度かあった。なんだか落ち着かない気持になってしまったって記憶だけが残ってる。

■2004/04/26 Mon■  LAYLAもしくはケメ子の唄

携帯の着メロがLAYLAを奏でる。携帯に飛びつく。
「はぁ〜〜いン」
が、受話器の向こうから流れてきた低い野太い声。
「うちの女房と別れてもらえませんか」
な、なんなんだ。LAYLAは彼女専用の着メロのはず、ちょ、ちょっと待て、ジョージ・ハリスンはエリック・クラプトンに、そんな電話なんか入れなかったぞ、なんて、これはあとからの脚色。ここはつとめて冷静な声にチェンジしなければ、
「あ、あの、失礼ですが、あなたは?」
「お、オレか? おまえ、バカか、うちの女房と別れろ!つうてんのがわからんのか」
「ちょ、ちょっと待ってください。うちの女房、うちの女房って言われましてもですね」
「あのなぁ、おまえこれ、誰の携帯からかかってきたのか、わかってんだろ」
「・・・」
「全部、白状しよったよ。おまえとできてるってな。だから、このアホにかけさせたんだよ。そんなことぐらいわからんのか」
「ちょっ、ちょっと待ってください。じゃ、そ、そこにいるんですか?」
「誰がじゃ」
「彼女です。ケメ子さんですよ。ちょっとケメ子さんに替わってもらえませんか」
「おまえ、ぶっ殺したろか。ええな、別れんねんぞ」ぶちっ

ほな、おやすみ




■2005/04/26 Tue■  Dr.スランプ

 なにかに取り憑かれたように撮りまくっているわけですが、ここ最近ちょっとスランプ気味。きちゃないものしか撮れない。もっと光を!ってね。

 さきにおとといのこと行っときましょか。きのうの尼崎の事故ですっかりぶっ飛んでしまった感がなきにしもあらずなんだが。あ、その前の土曜の夕方、ちょっとだけよって、クルマで高砂に行って、すっかりハイになってしまったもんだから、おとといの日曜もクルマで出かけたのだった。
まずは以前に夜中に撮りに行った平林の団地。うーん、あそこは夜の方が素敵かも、などと思いながらも、コンタックスもひっぱり出してカシャカシャと。ふっと見ると、コンタックスのカバーがフェンスのきわに落ちてるじゃないの。あらら、いつの間に落としたんやろ。
 さてちょこっと走ったら柴谷にドラム缶が積まれていて光り輝く。さらには廃マイクロバスがもう朽ち果ててしまったところに、まっ黄っきのアブラナがまぶしい。あとは不法投棄のクルマ、無残にも火つけられとったんかいな。木津大橋を越えて中山製鋼所。中山製鋼所のくすんだパイプには心ときめくものがあったのだが、この日はほとんど感じないまま、周辺をちょこっと写して、大阪製鋼所に移動。ここは2月に失敗したのを撮りなおす目的あり。まぁまぁかな、もっと強烈になるかとも思ったけれど。
 次どこ行こうと、思いをめぐらせど、錆色の大正はちょっと気分じゃない。もっと蜷川実花色にしたいのよ。って、腹も減った。なんかちょっと食いたし。と、そこで尼崎までたこ焼を食いに行こうという結論に達するのがだいたい変ですね。大正だぞ。尼崎は市外局番が06とはいえ、いちおう兵庫県。ふつうはそうナランハはスペインのオレンジ。
 43の此花極悪移動オービス(殺意)に注意しつつも早くも尼崎寺町。あ〜、腹へった、腹へった、たこ焼、たこ焼と、サイフだけもってクルマを降りようとしたところ、ない!サイフがない!どういうことなんだ。出る前にテニスのバッグからサイフを取り出したぢゃあないか。がちょーん、ないものはない。クルマの中のジャラ銭をさがす。と5円玉1枚と1円玉8枚。合計13円でどうしてたこ焼が食えるのだ。いくら7箇100円とはいえど、1箇14円。1円足りないのだ!開け放った窓からはたこ焼のにおいが。
 ああ、かくして一文なしの身になりはててはこのまま進むこともならず、すごすご家まで戻る。と、サイフさがしてポーチの中をごそごそしていて気がついた。コンタックスのカバーもない。あのとき気がついて拾ったじゃないか。なのにない。ないものはない。シートを上げてみたものの、あるはほこりばかり。
 30分足らずで帰ってきました。机の上にサイフはしっかりありました。ああ大ボケ。テニスバッグから出しただけなんて。やおら再び出かけて、まずはコンタックスのカバー。ありました。誰かご親切に拾ってフェンスにかけておいてくれてあった。人の温かみを知る。そしてすっかり頭はたこ焼。また尼崎までたこ焼を食いに走るボクってやっぱり変ですか。
 無事、たこ焼21個300円食べました。さてどこ行こうかと、アテもなくクルマを西向けて走らせる。今津まで走って、ちょっと今津港のほうに寄り道。ああ、だめだ。全然ビビビッとくるものがない。戻ろ。
 兵庫県から大阪府に、ぎゃは、たいそうな^_^; をー、そうそう中島って43走ってたら知ってるけど行ったことないやね、曲がろと右折。だだだーっと走っていると、な、なんと、ここはスクラップ島じゃねえか。あちこちスクラップだらけの、不法投棄だらけ。その不法投棄にビビビビッときてしまうボクはやっぱり変ですよねぃ。が、あまりのスクラップ加減に圧倒されてしまう。これね、休みの日にきたからええもんの、休みちゃう日に来たら、だいぶやばいで。「ニイチャン、あんた何撮っとんや」と。そうそうに引き上げて、わけわからず走ったら、西淀川福町。淀川河川敷でホッと一息。こうなりゃ湾岸巡りよ。川向いの夢の島は東京か、なんでしたかいな、大阪オリンピックやりそこねよったところ、あ、舞島か。なんか大阪市のけったいなんあったなぁ。あんなん造るのに税金ぶん取りやがって(殴) むかつくから舞島の野外活動センターだか、バンガローのあるところで、クソしてきてやったぜ。ああ、だんだんしみちょびれる。USJが見えたって、なぁーんも感じず、桜島の駅の変りように唖然とし、さっさと飯食って帰ろうと、100円ラーメンに直行したら、道端の置き石をバンパーの底でひきずるし、あ〜もうイヤ。

 と、ここまではおとといの話。要するにスランプなのよ。そりゃ開幕からぶっとばしたら、やっぱり疲れも出てくるじゃない。こういうときはじっと沈思黙考しておればいいのに、こんなにいい天気にじっとしとられませんと出かけようとしたら、キャサリンが夕方天王寺行ってむにゃむにゃむにゃって言うもんだから、じゃあクルマで行くわと、全くといっていいほど、電磁波を感じないままにきょうもきょうとて、クルマをころがす。これがいけない。
 中島のスクラップがボデーブローとなって、清く明るい情景を撮りたいものよと、あてもなく東に向けて走り出したものの、やっぱりクルマで写真写そうなんてのは邪道だわ。クルマに乗っているのと歩いているのではまったく視点が異るんよねえ。あ、と思っても、まだ湾岸地帯ならクルマを止めてともなるのだが、八尾なんてなると、まずクルマを止めるところをさがさないとダメ。そうすると、どんどんテンションは下る。ああ、だめだ、ダメだと吉牛で牛鍋食って帰る春の日であった。




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