「知的生活」とは自分で作らずに「消費」して楽しむ人の生活なのである。
人より少しばかり本を読み、「**講座」に出席し、「知的」な会話を交わせば、それをしない人より「高級な」生活をしていることになるわけではないのである。
をー、この6年ほどは過激だねぇ。01年の夏は某所に潜伏して^_^; 02年はヤモと東京徘徊しただけ。去年はキャサリンとヨーロッパを歩き回ったから、ちょっとは派手だけれど、何だか21世紀になってからしみちょびれとるね。とにかく「ひとりで」というのがないのが辛いワ。ひとりじゃなくてもひとりで動き回ってたのに。ひとりになったら、ひとりで動き回れなくなった。わけのわからんこと書いてるなぁ^_^; あのですね、基本的に「ひとり」というのが好き。でも....でもなんなんだよ、と言いましたね。
というわけで、きょうから8月。先週1週間はテニス漬けでくたばったせいで、きょう久々のオフは、ちょっと昼にタバコを買いに出たら、あまりにジリジリと照りつける太陽におそれをなして、家でくたーっとしながら、金本701試合フルイニング出場を祝ってたのだ。 まぁ、こういう夏もある。友だちん家に遊びに行ってもいなくて、暑い中をとぼとぼ歩いてた高校生だった夏を思い出す。
区役所行ったついでに、かつての場所でも撮り歩こうと思ったんだが、そうそう写真にできるもんじゃなくて、ほんと別に個人的以外になにもない場所って撮るの難しいや。5月に東京行ったときも、いっぺん豪徳寺歩いてみたれと、でもよく豪徳寺の裏通りなんか写真にできるな。あ、知らない人のために解説しておくと、豪徳寺ってのは荒木経惟の家があるとこな。そして写真集にも何枚も豪徳寺の裏通りが収められている。私写真ね。
もうすぐ話が横道にそれてしまう。得意技ね、実際に歩いてるときも。それで区役所の近くっていうと、ボクの母校があるわけですね。あそこはクルマでよく通り抜けるものの、歩いて行ったことない。そのすぐ近くを幾度も歩いてはいるのに、何故か、避けてるように行ったことがないというのも不思議。 ここ10年ほどの間に府立高校はほとんど建て替えられて、そう、正門の位置もまるっきり変ってしまってた。そして正門から、こっそり入ってったんだけど、あは、入るのに許可というか面通しが必要なのは小学校か。何のチェックもなくすっと入れたんだけど、まるっきり変ってしまっていて、これと言った感慨が浮かぶわけもなく、だからシャッター切ろうなどという気にもさらさらなれず、さっさと退散。同窓会云々でなんじゃかんじゃってガラでもないにしろ、もう少しセンチメンタルな気分にしてくれよ。 母校の周辺だから土地勘は十分にあるわけだけど、そりゃ30数年も経てばいろんなものが変ってしまってる。歩いてるうちに、一時つきあってた女の家の近くに来てたので、どこだったか探してみたけどわからんのな。彼女とは特にどうこうということもないうちに、去る者日々に疎しとなってしまったから、これもその家が見つからなかったからといって感慨はなし。ま、こっちのほうが少しだけセンチメンタルにはなったか。くそっ、あんときやっときゃよかったとか(^◇^;)
結局、2時間ほどクソ炎天下の大阪の町を歩き回って、何もなしかというと、うはは、ひょっとして何かが始まるかもしれないのだ。だってもう8月だもんね。