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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1998/08/17 Mon■ 

47回目の誕生日はチキやんのパンツの山に囲まれて迎えた(i_i)
昼近くまで寝てたけどね(笑)
チキやんは寝るときにクーラーをちゃんと切っておくきっちりした人なので暑くてたまらん。暑さで目が覚めて朝のパンを買いに表に出る。チキやんとこにはビールはあっても朝に食べるパンがない。一人ぽくぽくと東京の住宅街を歩く。不思議な気分。
チキやんも起きてきてぼぉーとしてる。買ってきたパンをかじっていたら、きくちゃんがやってきた。きくちゃん、できすぎぃ〜、ちゃんと誕生日のお祝いにケーキ買うてきてくれんねんもんなぁ、チキヤンにはできすぎた、あ、チキやんの嫁さんとはちゃうかぁ(爆)、さらにできすぎてんねんで、プレゼントというてスクラッチ買うてきてくれて、こんなもん当たるんかいなとごしごししたら、な、な、なんと1000円が2枚もぉ〜〜! きくちゃん、早よ、大阪来て、ボクのお世話係になってくれぇ〜
ところがですね、はっと気がつくと、なんぼなんでもレディーの前でちゃんとGパン履いとけよな>チキやんとボク
うんこしてたら携帯が鳴った、はにぃ〜〜〜〜! ふふふ、チキやんとキクちゃんはわかったかなぁ、ボクがトイレでらぶらぶ電話してたの、えっ、トイレの中でらぶらぶ電話すんなって(..;
2時過ぎにやっと重い腰があがった。東名、どない行ったらええんやろ、あ、すいません、聞く相手まちがってました、自分で看板見て走ります。
世の中はもうお盆も終わって元の世の中に戻ってんねんね、東名も空いてた。100で巡行してたら、なんや長良川の件で名古屋に泊まるのもバカくさくなってきた。さっさといっぺん家に帰って、またあした名古屋往復したほうが楽な気がしてきた。牧ノ原で休憩に入った瞬間にじゅんこから電話が入った。
「じゅんこ、きょう都合悪いちゅうし、しんどいからもうきょう大阪まで走ってまうわ」
「ごめんねぇ、まごぉ」
「ううん、ええでぇ、また今度ゆっくり行くしぃ」
うりゃ、おかげで関ヶ原で夕立におうたやんか(-"-) え、そんなん、じゅんこ様のせいではありませんです、はい。
大阪着いたの11時過ぎ。結局、東京着いたところで今度のツーリングは終わってたな。
全部で4800キロ、ふーっ、今年もよう走ったぁ。

■2000/08/17 Thu■  しじゅうくさい

 49回目の誕生日...よろこんでいいのか(^_^;)
 小さいときに2000年になったら、「49歳だなぁ、しじゅうくさい」なんて寒いことを考えてた。現実に49歳になってみて、男臭くないよなぁ。。。たぶんに女、入ってるところがあるなぁと思う。いちおう、おっさん臭くもないように日々努力はしてます(自爆) じゃあやっぱりおなら臭いのかもしれない(爆)
 ところで誕生日は久しぶりに大阪にいた。この5年ほどどこかの空の下、テントの中でひとりでしずかに過ごしてた、ろうそくの灯を見ながら。
ことしは、誕生日だからってわけでなくて、たまたまボクの誕生日に重なったというだけなんだけれど、だから、ことしはというよりか、きょうは、というほうが正しい。
 朝の11時天満の駅に集合して、路上観察in天満。天満って夜中に天五屋に鰻食べに行くぐらいで、昼間に天満に行ったことなんか、あ、一度だけあった、東洋ショー(自爆) 戦争で焼かれることもなく、戦前(古いねぇ、さすがしじゅうくさい)の建物が残ってる。天満市場なんかは戦前のままなんでなかろかという雰囲気。そこにごちゃまんと小さな店がより集まって、こんにゃく屋だったり、落花生屋だったり、弁当箱屋だったり、もちろん魚屋、八百屋だったりが、ほんとによりそうように集まってた。ボク自身は帝塚山市場の中で育ったような人だから、市場のある町がとてもうれしい。ジャスコやイトーヨーカ童の町にはよう住まん。

 ひとわたり天満市場の中を徘徊したあと、天神橋商店街から、天五中崎商店街を攻めた。蘊蓄斎はボクの薫陶のせいか、ちょこまかちょこまかと路地の奥に入って行く。K端とW田は、その間、身をもてあましてぼーっと路上に立ち尽くしていた(笑) 
 中崎商店街を抜けて梅田に出た。そこで、みんなはW田っちへ行って飲み会やるって言い出す。へっ、そんなん聞いてへんかったぞぉ。ボクはKズ呼んでたし、W田っちは家近いから夕方からでもゆっくり行けると、みんなと別れて、Kズと二人で路上観察の二次会と空堀に。
 まずは芝福でかき氷を食ってから空堀商店街に沿ってうろちょろ歩く。Kズは平野の街並み保存なんとかで市大の先生に講釈を受けたことがあるとかでよう知ってる。「軒の雨垂れが落ちてくるところまでが自分の土地だった」とか、そして「うちは築150年やから」なんてさらっと言ってのける。空堀から末吉橋を通って心斎橋へ。さらにナンバまで、ふぅよう歩いた。
 ナンバでKズと別れて、W田っちへ。再びおっさん連中と合流。蘊蓄斎などもうビール飲んで、歩いた疲れか、ソファでぐぁ〜っと寝入ってしまってる。そこからいつものうだうだうだうだ・・・「きょう誕生日やねんて? お祝いしよう」と仏さんのろうそくを一本立てて、はっぴばーすでー


■2001/08/17 Fri■ 

 
Jimi Hendrix
AXIS : Bold as Love
『五十にして天女を知る』

ちゃんときのうのうちに調べたんだから。なるほどね、っと妙に納得してしまうでしょ。うん、うん。そういうふうにちゃんと孔子も悟っていたのだ。改めて言われんでも、じゅうじゅう承知しております。いやというほど思い知らされております。いちおう念のために行っときますか。

 あ、そうそう、きのう「僕の前に道はない」なんて書いてたら、きょういきなりそのフレーズを聞いたので、びっくりしたんだよなぁ。あぁ、いじいじする。ボクだったら、もっと泣かせてやんだけどなぁと、泣きシーンつくらせるんだったらまかしとかんかいってな調子でいじじしておったのだよ。なんだかさぁ、ばんばんド派手なんはいいんだけどさ、気をもたせたわりには後半尻すぼみのような、あ、つかさんのお芝居の話です。でも
    「つくってくれたシチューがまずくって」
この台詞、いいよねぇ。そのわりには、この台詞が効いてないんだよねぇ。もっとこの台詞で泣かせてくれよね。内田有紀かっこよかったのに。
そう、オムライスつくってくれたよね、涙が出るくらい美味しかった。

■2002/08/17 Sat■  きっと町の中で死んで行く

Parliament
Up for the Down Stroke
 誕生日・・・・だからって、特別、何かがあったりするわけでなし、別にこれと言った抱負があるわけでもない。そんなイベントデーなんてのは二十歳台で終わってしまったよ。それでも毎年しっぽり彼女と二人で飲めないワインなんぞをしっぽり飲んで、くんずほぐれつで過ごしたいものだと思いはするけど、とんと縁がない。テントの中、シュラフの中で一人ろうそくの火がゆらめくのを見てたこともあったけどなぁ。なんかそれが自分に一番お似合いだと、思ってたときもあったなぁ。それはそれで自分自身ですごく楽しくて、そのときのことはよく覚えている。
 自分で自分にプレゼントとアラーキの写真集、そういや、去年もアラーキの写真集だったな、猥雑。『獅子座』の中でもピエールに「(パリは)なんて猥雑な街なのだ」と言わせてたな。
 猥雑なのって好き。疲れるといえばとても疲れるのだけれど、こないだも東京の最後に歌舞伎町をぐるり一回りして、なんと暑苦しいのかと思ったけれど、東京行ったからには、風俗で抜かないにしても、歌舞伎町を一度は目にしておかないと落ち着かないというのも困ったもんだ。ヤモには迷惑なことだったろうけれど。
 だからきのう天王寺村あたりを一人で徘徊していて取り壊された空地なんかにも猥雑なものを感じてしまって、妙な郷愁のような、これじゃ到底、町から出れそうにないな。きっと町の中で死んで行くんだろうな。
 ま、そのうち赤いチャンチャンコでも買うてくれや。

■2004/08/17 Tue■  田園に死す

夜中に寺山の『田園に死す』をケーブルで見て、やっぱりかっこいい。かっこいいという言い方は変だけれど、かっこいいとしか言い様がないので、かっこいい。
『田園に死す』の中で、私は20年前の少年に会いに出かける。20年前の私は、私が作り出しただけの私でしかない。実際の私は、20年前にすでにしっかりと腕時計をしていたのだった。この映画を撮った当時、寺山修司は40歳になるちょっと手前だったから、その20年間という時間は妥当な時間であったのだろう。

さて、きょうはボク自身の誕生日。いまのボク自身にとって、20年間という時間ではもう間に合わなくなって、さらに10年間をプラスしないと始まらなくなっている。30年前の自分に会いに行かねばならない、というところまで来てしまったのだ。
どこだったか、原体験はどうであるとか書かれているのを、つい最近読んだ。現在の自分にとって原体験のもつ意味はどうであると書かれていたのかさえすぐに忘れてしまうようになったいまのボクにとって、30年前、さらに遡って50年近く前の原体験などというのが意味をもつのだろうか。そうして、その日のボクは、『田園に死す』の私と同じように、いまのボクが作りだしただけのボクなのかもしれないじゃないか。

夜明けごろから久々に降り出した雨は、一日断続的に降り続き、今年の誕生日を祝った。



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