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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2001/08/30 Thu■ 

 
Bijork
Vespertine
 げっ、もう夜中の2時まわってやがんの。何してたんだい?>自分
 あ、別にお店閉めるの待ってたわけじゃないですぅ〜(爆) 考えてみたら、ここしばらく病気してましたから、ビデオなんて見てなかった。きょうは久しぶりに、蔦屋さまで借りてきて『バートン・フィンク』ね。あ、『バートン・ファンク』じゃないです(^_^;アハハ… それ見てたんだよ。あぁ、おもろかったぁ〜。
 それで、最近さっぱり音盤買ってねぇだもんで、音盤レビューのページはもう半年以上ほったらかしだしねぇ、どうもぴきぃ〜んと来るのがないんだもん。だからそのページはつぶして、音盤だけじゃなしに、いろいろレビューを書いたろやないかと、エンピツ日記借りて、別に自前のCGIぶちこんでもよかったんだけど、なんとなくエンピツ日記はすっきりしてたからね、そこに書きだめようかと思いたったは吉日。仕事しろよな>自分
 を、この上の1段落、読点だらけだねぇ。ちょっと野坂昭如やってます?(笑)
 全然、話は変わらないんだけど、病気の話に戻って、明野照葉っておもろいって教えてもらってね、帰りに(新刊)本屋に寄ったんだけど、通勤途中にロクな本屋ないなぁ。あんな本屋だったら、BOOKOFFや正統古本屋のほうが500倍おもしろい。思うに文化不毛じゃなかろか、あの一帯は。本屋というよりももう雑誌屋になってしもてるね。本に限ったことでもなくて、音盤もそうだけれど、何だかねぇ、結局欲しいものは、大阪市内まで行かないと手に入らない。明野照葉だったらあってもよさそうなものなのに。
 というわけで、大都市から離れて暮すことなんてとうていできないな。


■2002/08/30 Fri■  ご冥福を

Curtis Mayfield
Roots
 お葬式とかお通夜とか義理で参列することもあるのです。そのときに義理を通すべき当人が亡くなったのと、その当人の近親が亡くなったときではどうかと。
 つまり当人が亡くなったとき、その当人には参列したかどうかわからないし、その当人の配偶者や縁者などには面識がないのであまり参列をしても意味がないというわけ。逆に当人の縁故者が亡くなったとき、その当人とは面識があるので、当人を慰めてやれると、むしろ後者の方が意味があるだろうという。
 そんなもん、ボクに言わせれば、どっちも同じや。義理は義理。義理だけで参列するわけだから、ボクが仮にその当人になったとしても義理で参列してくれた人には義理以上のものなど感じないね。だから義理で参列するのはできるだけ控えてしまう、できるかぎり冠婚葬祭は参列しないようにしてる。それでも村二分のうちの一分なのである程度は参列するようにはしてるけれど。。。。

 さて、ボクがまだ30代で、今だにキカン坊なんだけど、ほんとキカン坊だった頃のこと、きのう亡くなったK先生はちょうどボクの父と同じ年でもあり、まるで父親に甘えるようにむちゃなことを言っては我が道を突っ走ってはK先生を困らせていた。K先生も反対にボクを息子のように可愛がってくれて、時としてオーバーランしてしまうのを制止するのでなく、ボクのやりたいようにやらせてくれて、黙って後始末だけしてくれていた。そんなのがボクだけではなくて「困った息子さん」は何人もいた。だからこそ、なのだという想いは強い。
「困った息子さん」が何人もいたからこそやって来れたという自負がある。そしてその「困った息子さんたち」にやりたいようにやらせてくれたことがすごくうれしかったし、感謝している。
 きっちりその「困った息子さんたち」がそろってきょうのお通夜に駆けつけて、口をそろえて「あのときはほんま困らせたよなぁ」と。その「困った息子さんたち」もみな一様に年を食った。
 いまボクの周りの30代の人たちには、ボクらが持つことができたK先生のような「父親」となりうる人物がいない。ときに暴走もすることもあるだろうけれど、暴走されては困るとでも言わんばかりの逃げ腰な連中ばかり。それどころか恫喝までしかねない。そのことにとても気の毒な気がする。
 もちろんボクのその当時だって、ボクに恫喝をかけてきたのもいる。が、それでも我が道を突っ走ることができたのはK先生という「父親」の存在があったからだとしみじみ思ってしまう。
 最近、噂でもう歩くことができないでずっと家にいるという話を伝え聞いていたのに、結局一度たりと見舞いに行くこともせずに最期の最期まで「困った息子」だったなと、祭壇の先生の写真を見て思わず目頭が熱くなってしまってた。

 ありがとうございました。ご冥福を


■2003/08/30 Sat■  欧羅巴食慾綺譚 (3)

 あっちの連中ってのはなんであんなに大食いなんだろう。そのことにあきれ返るばかり。日本のいわゆるめし屋と言われる、おかずを2,3品とってごはんにみそ汁というパターンは存在しないのか。確かにデリというのはあるけれど。
 今回の旅行でも1週間はなんとかもった。それでもスペインに移ってからは、朝はビュッフェ形式で食べ放題だから、ついつい貧乏くさくあれもこれもと食ってしまう。まずコーヒーは3杯、それにジュース、シリアル、もちろんパン。スペインのバケットはあまり美味しくなかったから食パン。それからハム、チーズ。チーズはクリームチーズに、それから何チーズかわからないチーズ。ホテルによって違ったのだけれど、日本のチーズじゃないから、つい喜んで食う。ボクはあの日本のプロセスチーズってのあまり好きじゃないから。かと言って、カマンベールにしたって、日本じゃ高いからなぁ。ここぞとばかりにチーズは必須。ハムもホテルによってちがったけれど、何種類かあって、だいたいあの日本のハム、つまり肉を集積したような、日本ハムとかプリマハムとかってのあまり好きじゃないから。それにあの類のハムは日本じゃ高いからなぁ。ここぞとばかりにハムも必須。
 だいたい日頃、朝は一人で起きてコーヒー淹れて、そそとトースト焼いて、という生活をしているから、ゆっくり30分もかけて、あれやこれやと朝食、というのは実に至福のときなのです。一通り食べ終ったあとにも、ゆっくりタバコをすいながらコーヒーを飲むなんてのは夢のような。そんな調子で朝食べているから、お昼はおなかが空かない。ちなみにホテルの朝食は決まって朝7時半から11時。ところがヨーロッパはサマータイムで、夜の8時になってやっと日が沈むしね、9時頃まで明るい。だいたい感覚的に2時間ずらして考えたほうがいい。そんなんでお昼を食べるタイミングというのが難しい。というわけで、後半のマドリッド、パリでは1日2食。
 ついでにパリの朝食は、バケット1/2、クロワッサン、デニッシュ、ヨーグルト、クリームチーズ、ジュース、コーヒーで、ハムや玉子はなし。そしてパリあたりではすっかり胃が弱っていたから、朝も食いきれない。ところが残すのはもったいないので、ビンボくさい話、バケットは朝に食べないで、間にバターを塗ってお昼に公園とかでおやつがわりに食べてた。これがまた美味しいんだわ。確か、あっちの習慣ではカフェにもちこみは可だったはず。というか、カフェというのはパブリックな場なので注文などしなくても座っていてもよいなんてことをどこかで読んだけれど、ボクたち気の弱い日本人にはそんなことはできません。だから公園とか、スズメや鳩にパンくずやりながら食べたのだ。もちろん飲み物は水。をー、ビンボくさっ。
 飲み物が水になるのにはひとつ理由があって、そうそうジュ−スばかり飲みたくなるわけでなく、いや、むしろジュースは飲みたくない。しかし連中はコーラや炭酸系好きだよ、あきれるくらい。ところが、炭酸系やジュース、それから水以外の飲み物というのは食料品店においてない。日本じゃ牛乳の500mlパックとかもよくあるのに、牛乳の消費量がぐんと多いはずなのに牛乳がおいてないというのはどういうことなんだろ。マドリッドで入った店で、ミルク、レチェと言って、ちゃんと通じているのに、粉のスキムミルクしかないという始末。パリでは、やっとスーパーで牛乳見つけたけれど、表示がもちろんフラ語だったので、えいっと選んで買ったのがスキムミルクで不味かったなぁ。
 ミルクの話になったのでついでにぼやいておくと、30年前、ヨーロッパのコーヒーは美味しいと思った。それはエスプレッソでシュバっと淹れるのが新鮮だったから。今度の旅行でもコーヒーは楽しみにしてたんだけれど、どうも期待ほどのことはなかった。エスプレッソは今年になって自分ちでも淹れてるしね、カプチーノとかはボクのつくるほうが絶対美味い。その原因は牛乳。どうもオーレにしろ、カフェコンレチェにしろ、フォーム(泡立てた牛乳)作るのは雑だし、何よりも使ってるのがどうやらスキムミルクなのだ。牛乳自体が美味しくないのだ。とくにホテルの朝のコーヒーは美味しくはなかったな。
 一度、ローマの石だらけの遺跡で暑くてたまらなかったので、入ったカフェでメニューを見てたら、「カフェシェーク」というのがあって、これだ!と注文したら、なんとコーヒーをシェーカーでシェークしてカクテルグラスに入れたのが出てきたのにはたまげた。いっこも冷たいこともあらへん。マックシェークじゃないんだって(笑) 元来アイスコーヒーという概念は連中にはないみたい。ただどこだったか、アイスドカフェと注文したら、これでいいかと、コーヒーとは別に、氷を入れたグラスを出してくれて、自分で熱いコーヒーをどどと氷に注ぐ仕組み。それに味をしめて、そのあと2,3度、コーヒーとそれから氷をくれと注文した。でもやっぱり夏でもコーヒーは熱いほうがいい。コーヒーついでに書いておくと、アイスコーヒーというのは、かなり特別なので、缶コーヒーなんてのはありません。もちろんコーヒー牛乳も。

 話がはじめ考えていたのとどんどん逸れて行って、つぎは水の話になります。いくら空気が乾燥していて日本のように暑く感じなかったといっても、やっぱり夏だから水は必需品。とくにボクなんかビール好きちゃうしね、ワインを水替わりになんてとんでもないことなので、水だけはいつも持ち歩いてた。実際、スペイン人はワインを水替わりに飲むなんて、ありゃウソです。それは食事時の話、あるいはバールでちょいと一杯なんてことは日常のようだけれど、水替わりにワインを持ち歩いていたらアル中でしょ。やっぱり、水やなんらかの飲み物を持ち歩いている。あとつくづく日本人でよかったなぁと思ったのはお茶だね。冷たいお茶。冷たくなくてもいい、持ち歩くの、水よりお茶のほうがなんぼいいか。
 ローマでは水に困らなかったです。はじめはペットボトルの水を買ってたんだけれど、スペイン広場の前の泉なんかでは、みんな水をペットボトルに入れてるのを見て、水なんか買う必要ないな、ペットボトルさえあれば、いつでも水はたんまりある。さすがにトレビの泉なんかは無理だけれど、蜂の噴水だとか、バブイーノ通りの泉とか、町のあちこちに飲める水が湧き出ていて、その量は郡上八幡どころじゃない。ただ日本の水とはちがって、かなり硬くて慣れないと辛いけど、冷たくて美味しかった。だいたいヨソで水にやられるから生水はやめたほうがいいというけれど、ローマは別だね。湧き水なんだから大丈夫に決まってる。水道水のほうが信用できないでしょ。
 だからスペイン、パリでは水に困った。昼間はまだいいんだよ。そこらの店で1.5リットルのエビアンが1ユーロくらいで売ってるから。安いからといって、これを大量に持ち歩くわけにいかない。あ、そっか、いま思いついた。ホテルの近くのスーパーで昼間に買って、部屋においとけばいいのだ。ところだ、そういう店はサマータイムであろうが7時か8時に閉まる。感覚的に5時6時に閉まってしまう。そうすると、かの地にはコンビニがない! 日頃、日本にいてあまりのコンビニの多さに辟易してるけれど、これほどコンビニというのが便利だと思い知らされるとは。コンビニの是非については、いまはおいとくけど、9時,10時となると、開いているのはカフェやバールばかり。確かにそこでも水は買えるけれど高いでしょ。たまらずにサンジェルマン・デュプレのクレープ屋台でエビアン買ったけど、0.5リットルが2ユーロ、ざっと6倍だ!
 日本で辟易するもうひとつの代表は自動販売機。これもほとんど全くといってなかったな。あったのはパリのメトロのホーム。もちろんタバコの自販機は1台も見なかった。タバコの自販機がないというのはエエことですが、夜にタバコ切れたらどうしてんだろ。アメリカでは少なくともコンビニがあって、もちろんコンビニ店内に入れなくて、小さな窓口で欲しいものを言って売ってもらうというシステム。そう考えたら、日本って国は、能天気に安全でコンビニ(便利)だとつくづく思った。ただ自販機とコンビニが町の景観を支配してしまっているのも否定できないけれど。

 大食いの話を書くつもりだったのに。それはまたあしたにでも。

(つづく)
 










■2004/08/30 Mon■  ラブホの空間を妄想してみる

藤沢周の『箱崎ジャンクション』読んでいて気になったこと。
何十階あるのか分からないが、こんな冷え込む朝を最上階で迎える住民が、トーストをくわえ、あるいは味噌汁を啜り、あるいは、便器に跨がっている姿を想像し、それだけで、人が勝手に生きている明朗さというのか、鈍さというのか、こっちが神妙な顔をしているのがおかしくなる。
この部分を読みながら、いつも高層のマンションなどが新しく建つのを見て思う。それまではその空間には何もなかったのに、鉄骨とコンクリートによっていきなり区切られてしまった。いま仮にその鉄骨とコンクリートを取っ払ってしまうと、空中でいろんな人たちが、トーストをくわえていたり、あるいは味噌汁を啜っていたり、あるいは、便器に跨がっていたり、そしてあるいはセックスの真っ最中だったりする。これって何だか可笑しくないか。
高層マンションだったらまだしも、それがラブホだったりすると、何組も何組もの男と女、ひょっとしたら男と男の場合もあるかもしれないけど、ハダカになっていろんな体位で絡まりあっている。たかが鉛直方向に数メートル離れた空中で腰を振りあっている。ラブホでなくて、ロイヤルホテルでであっても似たりよったりでしょ。まさに「こっちが神妙な顔をしているのがおかしくなる」。
これって考えすぎかい。そんなことを考えながら読んでるから遅々として進まない。けっこうおもしろいのに。だから、一度図書館に返却に行って、再度借り出さないといけない羽目に陥るのだった。
台風16号がやってきた。それでも飛行機は飛ぶ。飛行機のジュラルミンを取っ払って、人間だけを想像してみるのも悪くない。さすがにセックスはしてないだろうけれど、みなが同じ方向を向いて、ひきつった顔をしているのだろう。



■2016/08/30 Tue■ 

_ 迷走台風

これは2年前ジュンクとやった展示《Stranger in Paradise 》の一枚。震災の夏にジュンクが花巻〜遠野〜吉里吉里と歩いた、その頭がさがる蛮行に敬意を感じて、ジュンクが歩いたのとは逆に大槌から車で上がっていった。知ってる人は知ってるだろうけれど、ジュンクが遠野から峠を越えてたどり着いたラーメン屋のラーメンは美味かったとどこかに記してる。そのラーメン屋に行きたかったのだ。もちろん彼はそのラーメン屋でも一枚撮っている。いや、何枚か撮ったうちの一枚を見たのだ。その彼の写真のラーメン屋の女将さんに是非会ってみたかった。と、そのような理由で大槌から上がっていったのだが、ジュンクのもう一枚、この栗林で撮ったものもあった。栗林は大槌から10km近く入ったところ。ラーメン屋橋野食堂はさらに10kmほど。彼がこの栗林で撮った写真の現場近くに車を駐め、周囲を歩いてみた。すると河川敷に震災の仮設住宅が建てられていたのだ。なんでこんなところに、というのが一番の印象。なんでなんだという疑問というか、憤りに似た気持ちがシャッターを切らせた。
あれから3年。ひょっとしてこの仮設も急遽仮の土地に設けられたのかもしれない。それにしても震災から2年半なのだが、どこか別の土地に移っていてくれることを希う。
どうか無事でありますように。そしてこの谷も。

釜石市栗林町第20地割
39° 20' 43.56" N 141° 50' 1.01" E


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