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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1999/08/29 Sun■  i-mode

 あの毛虫のせいで痒い、痒い。きょうだけちゃうんだけど、寝ててもたぶん痒くて眠りが浅いんやろ。ぼりぼり掻いてるはず。痒さで目が覚めてぼーっとしたまままた二度寝。  携帯のバッテリーがそろそろ寿命でやっと買い替えた。「i-modeの安いのんどれ?」と買うた。pなんちゃらはみんな持ってるからヤメにして、結局また三菱のD-501、あんまり小さなったという気がしない。まぁ別にそんでいい。   携帯の番号はそのまま引き継ぎで、i-modeやさかいに、090********@docomo.ne.jpでメールが取れる。みんな送ってきてや(笑)   新しい携帯をいぢってて一日がつぶれる。なぁ〜んもない幸せな一日

■2000/08/29 Tue■  路上観察in平野

Kズを誘い出して平野に路上観察。Kズの家自体が築150年というだけに、玄関先からおもしろいのがあったりする。Kズとこにばいくをおいて瑞興寺へ。暑い。ちょっと歩いてるだけで汗が噴きだしてくる。瑞興寺に行ったところで路上観察の何かがころがってるわけでなくてY川んちだよ。本堂に上がったら、をーちゃんと仏さんもあるのだ。当たり前か。本堂から見える空に真っ黒な雲が見える。「雨、来るんとちゃうやろか」「夕立、そんなもん降るかい、こないだから全然降らんやろ」と坊主。仏花ってのは坊主自らが生けるものなんだねぇ。家元で池坊とかいうのは元々お寺さんだったと初めて知った。Y川がせっせと花瓶に花をつっこんでいってる。なんやイメージがちゃうな。「ちゃんとこないして仕事してんだから写真載せといてくれよ」っていうので、はいアップしときました。
 平野の町づくりを考える会ってのがあって、要は街並み保存。「ひとつひとつの博物館は小さいけれど巡り歩いているとあちらこちらに歴史の面影と伝統が残っている。平野は町そのものが博物館だ。」とはいうけど、その会が出しているマップに、美容院の壁面のゴリラなんて載せたらアカンだろ。あんなんなんもおもろくもないじゃんか。それはそれとして、確かにKズ宅のような古い家があちこちに点在してるんだけれど、けれどなんだよ、歩きながらKズが「わぁここもつぶしてしもたぁ」というふうに、そういう古い家が、現代の安っぽい薄っぺらな建て売り住宅にどんどん変ってしまってる。しゃあないな、いくら古いものを残そうといったところで、現実にそこに住んでいる人間にとってはより快適な住環境が欲しいわけで、残せというのなら、それなりの税金であるとか、要は補助があってしかるべきなのに、お上の頭の中には鼻くそほどもそいう考えなどないんだから。どうせあんなくっだらねぇ、オリンピックやらユニバーサルスタジオだとかにはボコボコ金出すくせに。
 Kズ曰く「平野には色気が少ない」 ことばこそ違うけどボクが思うに「猥雑さがない」
 平野線の跡とかまで行って、そこから商店街に入った。腹が減ってたので、なんせ昼めし食ってなかったのね。なんか買い食いしようかなと、商店街の食いモン売ってるような店先をながめているが、あそこの商店街、いまいちないんよね。そいう買い食いできそうな店。やっとコロッケを買って、もらって(笑)、それ食いながら歩いてたら、全興寺のとこまで来たときに急にどしゃぶりの雨になった。どこのボーズや、雨なんか降るかぁと言うたのは。思いっきり降っとるじゃないの。こんなもん傘があってもアカンで。と、いうわけでアーケードの下で雨宿り。買い物のおばちゃんたちも雨宿り。30分ほどどしゃ降りが続いたかな。それにしても商店街のアーケード、よう雨が漏ってくる。
 博物館というのも、博物館を専門にやってるわけでなくて、街並み保存に賛同して片手間にやってるので、日曜しか開放してなくて、それもしかたがないな。
 期待したほどのこともなかったかなぁ。それでもうちの路上観察に10件ほど アップしたけど。

K山ちゃんのレッスン、きょうで終わりかぁ。月曜は行かれへんし、ちょっと淋しい。

■2001/08/29 Wed■ 

 
吉田日出子
上海バンスキング
 ちょいとお疲れ。午前中はぼーっとしてる。窓開けて寝たら寝冷えします。鼻ぐちゅぐちゅ。
 ぼーっとしてるから、あ、そうそう、忘れないうちに、書いておかないと、書きそびれるところだった。この前の日曜日にナイスフェローのライブに行ったんだよね。相変わらずの「年なんぼやねん」の調子であった。それでね、始まる直前にケイちゃんが「上海バンスキング」回してんだよねぇ。♪〜わたしのかれは〜っての、エエやん、エエやんと思ってたら、ぶちっと始まって、しっかし相変わらずヘタでした(爆) ぱっぱらぱぁ〜ぱっぱらぱぁ〜と自分で歌うないで下さい。いま、リンクでRealAudio聞いたけど。ほれちょっと前に絵なんかで流行ったでしょ、いわゆるヘタウマ。。。でもね、「黒猫のタンゴ」なんて歌う勇気に敬服します。そしてラスト、「リンゴの木の下」 あ、ちょっと吉田日出子に似てるかも。天然なところが。ほんまボロクソやなぁ。
♪〜 リンゴの木の下で あしたまた会いましょう
 ところで、このライブがあった関西汽船弁天埠頭からは70年頃まで四国行きの客船が出てた。いつの間にか、輸送がクルマ主体になってフェリーに客船が大型化されると、安治川を少し遡らなければならない弁天埠頭では受け入れられなくなったのだろう。弁天埠頭だけでなく大阪港も南港に移ってしまった。バブルの頃に大阪ウォーターフロントなどと、弁天町の駅すぐにパラジッソができたり、大阪港には海遊館ができたり、さらには阪神高速湾岸線がはるか頭上を駆け抜けて、確実に平成にはなってはいったけれど、それらはほとんどその新しく作られた空間内だけの進化で、弁天埠頭や地下鉄の大阪港駅の周囲は時間の流れが遅いような気がするのはボクだけだろうか。ヨソの地域ではどんどん変貌しているのにだ。
 そういえば、きのうぶらぶらとアベノの裏、松崎町界隈を歩いてたときもそうだったな。再開発なのか、妙な空地が目立って、こちらは弁天町なんかよりずっと進化はしているものの、相変わらず、《ご休憩》などと書かれたいわゆる「連れ込み旅館」が残ってたり、《バストイレ冷房完備》って、そんなもんわざわざ看板に書かんでも当たり前だろうがぁ・・・でもそんなのもあと数年で消えて行くんだろうな。
   


■2002/08/29 Thu■  こだわり=眉唾

JB's
Food For Funk
 最近、ゆっくり喫茶店でおいしいコーヒーを飲んだことないなとBと話す。そういえば、スタバとかばっかりで、かつてのコーヒー屋というのに入ったことないなぁと、よく考えたら、丸福とか、ついこないだも名前忘れたけど新世界のコーヒー屋でゆっくりコーヒー飲んだりしてるのだった。Bが言うのには、コーヒー一杯をていねいに淹れてくれる店でゆっくり飲みたいと。どこだったか、「こだわりのコーヒー」と称して、豆も厳選して仕入れて、だからそれなりい高いんだけれど、そういう喫茶店があるとテレビでやってたという。
 あー、パスパス。そのテレビでやってたというのが気に入らんし、だいたい「こだわって豆はどこそこの」というのが気に入らん。だいたいほんとにこだわってるなら、どこそこの食材とか、口に出して言わんよ。ましてテレビなんかを通して。
 と、そんなことを思っていたら、
人気ラーメン店の元祖、スープなど偽表示  グルメ向けの本などで人気の高いラーメン店「石川家」は、スープの原材料に「鹿児島産豚骨」「秋田比内鶏」、焼き豚に「霧島産黒豚」など、全国的に知られた食材を使っていることを表示していた。
 しかし、「食材が表示と違うのでは」という通報を受けた県が、食材の仕入れ先などを調べた結果、焼き豚には霧島産以外の国内や輸入肉が使われ、豚骨や鶏は、表示産地以外の物を使っていたことが分かった。
 同店の話では、1996年に同県岩槻市に第1号店を開店した当初は、店内の表示通りの食材を使っていたが、98年以降は店舗が増えて仕入れが難しくなり、徐々に表示と違う産地のものに切り替えたという。
 石川雅之社長は「表示した物と同じ味の出る物を探して使用していた。表示を変えなかったのは不注意だった」と話している。
 同店は、ラーメンブームに火をつけた「横浜家系」と呼ばれるラーメン店の一つ。岩槻市のほか、さいたま市や宇都宮市などに系列店13店舗がある。グルメ向けガイドブックの人気投票で埼玉県1位になったこともある。(読売新聞)
 な、こんなんばっかり。「表示を変えなかったのは不注意だった」なんて客をバカにしとらんか(-"-) 和歌山ラーメンの井出なんか、客の残したスープを濾して戻してたなどと鬼畜商売やっとったしね。まぁごちゃごちゃ言わんけどなんか間違うとるよ。
 話をコーヒーに戻すと、今まだあるのか知らないけれど、西田辺の裏にいわゆるコーヒー屋があって、それはそれは丁寧にコーヒーを一杯ずつ淹れてくれる店で、確かに美味しいことは美味しかったけれど、20年前の当時で1杯が700円もした。それと、あまりのこだわった淹れ方を見ていると、こだわりをおしつけられているようで、どうも居心地が悪くてさっさと飲んで出てしまいたかった。そこへ連れていってくれた友人の手前、おまけに700円も出してもらったし、我慢してたけれどどうもなぁ。たかがコーヒーやんか。
 こだわりを振りかざすのは思いっきりかっこが悪い。こだわりが見え見えなのも窮屈でイヤだ。さりげなく出されるのがいい。

■2003/08/29 Fri■  欧羅巴食慾綺譚 (2)

 英語はなんとかなっても、イタ語、スペ語、フラ語はどれもからっきしダメで、これって食い物注文するときに非常に困る。カサ・ボティンなどの観光客の多いところなんかでは英語のメニューが用意されてたりしてなんとかなるんだけれど、入ったレストランの大半は現地のことばでしかメニューが用意されてない。いちおうフィッシュ?ミート?とか聞けるけれど、その程度であとは、えい、やぁ〜っと何が出てくるかのお楽しみ。

 まずびっくらこいたのが、バルセロナのノウ・サリューというレストラン。ここは2回行ったのだけれど、はじめは金曜日だったのでその日の定食。適当にこれとこれ、などと注文したら、巨大生ハムメロン。スイカほどのメロンにべろんと生ハムが乗っていて、生ハムメロンは高級なオードブルだと思っていたのに、あんなものがお昼のメインになるとは。もっともメロンと言っても、日本のように高級なネットメロンじゃなくて、瓜のようなメロン。しかし生ハムメロンは生ハムメロンなので満足。生ハムメロンなんてのは日本に入って悪しき高級化してしまったんじゃなかろか。もうひとつの定食は、かつおのような魚をソテーしただけで、かすかすして、そっちは不味かった。
 2度目にノウ・サリューに行ったときは日曜で定食なし。無難にパエリアを選んだから問題なしだったけど、その日はデザート。アレだコレだと思案、推理した結果、出てきたのはクリームブリュレ。それはいいんだけれど、もうひとつのデザートが、ドライいちじくやナッツに甘い果実酒がついてきた。これには唖然。デザートというのは、いちおくケーキ系統を予想してるのに、これっておつまみじゃないの。しかしこれが意外と美味しかったというのも不思議。

 あせったのは、ローマの2日目に行ったテレシアーネ?(THERESIANE)。ピザの窯にごうごうと火が入っているレストラン。日本のようにごたごた乗ったんじゃなしにシンプルにバジルだけのようなピザがいいと思っていたのだが、はたして隣の席の家族連れを見ると、いかにもそのようなピザを食っていた。あれだ!と、店のおにいちゃんに、「隣で食ってるピザ」と注文。ところが出てきたのは、端切れのような、なんちゅうたらエエの?煎餅みたいなピザはピザ。いちおうピザのベースに、オリ−ブオイルにニンニクをなすりつけて焼いただけのワインのあてにしかならないようなピザで、丸い形ではなくて、やっぱりツマミにするのか、一口くらいの大きさにざくざくに切られてごちゃごちゃと乗って出てきた。実はこれも隣のテーブルに、たぶんあれは2人前分くらいだったか、どーんと乗っていて、他にもいろいろと注文していたようで、ほとんど手をつけないままに、しまいには下げてくれと言ってさげてもらってたのだった。失敗、失敗。確かにピザといえばピザだけど。あわてて、カプリチョーザ(ミックスピザ)を注文し直した。

 バスティーユのシェ・ポールというレストランは、るるぶなどにも載っていて、非常に客が多くて、座った席がちょうどウェートレスの子らが料理を運ぶのに行ったり来たりして落ち着かなかった。それと客がぎっしりいっぱいで、パリに限ったことではないが、あの連中は食ってるときも静かにならへん。まぁそれはそれでエエんでしょうが。向かい合わせに座ったら、日頃食いながらでかい声でしゃべらないと聞こえなくて。食事時の会話といえば、カサボティンでちょっと離れたテーブルに座っていた日本人親子、娘が20代後半、お母さんが60近くか、食事の間、もくもくと豚の丸焼きを食ってるの、見ていて全然美味しそうやないんよ。いかにもつまらなさそうに食事をしているという風情で、ああいう類のレストランではわいわい食べる方が楽しいのに。ポール・ボキューズで食ってんじゃないんだからさ。
 話が横にそれた。あとで書くけど、前の日のモンマルトルでは二人とも魚だったので、ひとつは魚、ひとつは肉を適当に注文。いちおうフィッシュ?ミート?ぐらいは通じるのだ。魚はいさぎのような魚を丸ごとソテーにしたもの。醤油がほしい。舌平目とおぼしきものもあったのに、舌平目のムニエルなら日本で食べれるだろうとパスしたのが間違い。丸ごと焼くのなら、やっぱり日本の焼き魚にしたほうが絶対に美味しい。そして、びっくりは肉料理。これもステーキだったらバカでかいからいやだなあとステーキはパスしていた(実際、隣のテーブルででっかいステ−キを食っていたのだ)。出てきたのは直径10cmほどにどんと盛られた極く荒く挽いた生肉の山。一瞬、肉とは思えなかった。こればかりは食ったことない。だからそれは正解なのだ。わけわからないものを注文して、食ったことのないものを食べようという趣旨だから。う〜ん、これは説明しにくい。日本で言うと、ネギトロとでも言うたらいいのか。食材が生肉だからユッヶと言うたらいいのか。どっちかというとネギトロに近い。ケッパーや、ハーブがぐちょぐちょに混ぜ込まれていて、なかばペースト状になっていて、バケットにつけて食うと非常に美味しい。ところがいかんせん量が多くて、摩訶不思議な美味も早々に飽きてしまった。ああいうのはちょっとだからいいんだよ。

 モンマルトルで入ったオゥトゥールデミディ?(Autour de Midi)。はじめモンマルトルの丘に上がっていくとき、美味しそうなレストランを見つけていて、そこに行ったらいっぱいで入れなかった。ところがそこはイタ飯だったのがわかって、入れなくてラッキー。フランスのパスタは茹で過ぎで美味しくないと聞いていたから。そこで勘だけで飛び込んだのがここ。この店はメニューがなくてその日のメニューが黒板に書かれていて、でぇーんとおねえちゃんが持ってくる。話は長くなるけれど、このおねえちゃんがどいうわけか切れていて、たぶん忙しくて、客がまだかまだかとか聞いたりして、厨房とケンカ状態。ただこのおねえちゃん、頭にスカーフを巻いていて、きりっとした顔立ちの美人。そこで勝手に《怒れるフェルメール》と命名。話戻して、その黒板のメニューをまたまたアレだコレだ、きっとこれはまたあの巨大生ハムメロンだろうとか、推理。一つは魚にして、一つは肉にしようかと、いちおう念のために、これは肉やんなぁとおそるおそる《怒れるフェルメール》に英語で尋ねた。それはポークで、足のとこだと、指で足をさしたから、ん?豚足、じゃあ、これにするとやばいなとパスして、また適当に別の魚料理を注文。でもあとで思ったんだけど、フランスで豚足使った料理なんかあったか?たぶんすね肉をどないかしたもんやったんとちゃうやろか。
 さて出てきたのはスズキのような魚を薄くスライスしたものをグリルで焼いてローズマリーかなんかの香辛料を効かせたオリーブオイルをからめたもの。もうひとつは同じ魚をクリームソースで味付けしたもの。どちらもきれいに放射状に魚の身、それにつけあわせの茄子、ズッキーニを並べて盛りつけてあって、さすがフランス。残念だったのは2皿とも同じ食材だったことくらい。ことばがもうちょっとわかってたらなぁ。ちょうど座っていた席から、おやっさんと日本に連れてきたらきっともてもてになるだろう兄ちゃんが厨房で作ってるのが見えて、帰りぎわにはマーニャは厨房の方に行って「美味しかったぁ」とわざわざ言いに行ってんの。《怒れるフェルメール》も、きんきんしてるのだけれど、目が合うたびにニコっとしてたら、ボクらのテーブルには非常に愛想が良くて、ことばも必要だけど、やっぱりスマイルが大事だね。

つづく
 






■2004/08/29 Sun■  女の又力と書いて努力

キャサリンと初めて連れ立ってアカレコのライブに行く。ちょ、ちょっとキャサリンが注目の的になり、これは喜んでいいことなのか。たぶん喜んでいていいことなのでしょう。
こないだも熊野に行ったクルマでニャーと、キャサリンの話題になり、人間は努力が大切だということになった。いつもキャサリンの努力を間近に見ていると、ほんとあの人の努力は生半可なもんじゃないというのがよくわかる。あの人の口から、もうこの年だから、こんなのはパスなんて言うのは聞いたこともない。それがいいと思ったら、年齢なんて関係なく、それにふさわしい努力をする。ただそれだけのこと。ニャーってのも努力の女だから好きだなぁ。
別にそれが女に限ったことでもなく、男でも同じだと思う。なんかね、生身のオレを知ってる人は、よほど「努力」などとは対極にいる人間だと思っているだろうけれど、もう少し知ってる人間だと、こんな努力の人はいないと、わはははは、自分で言うといたった。「ヲタ」なだけですよーだ。が、しかし、それも見透かして、「こんな要領のいい人はいない」と評したヤツがいて、これには笑うた、笑うた、苦笑うた。座右銘は「努力」ですよ、「忍耐」ですよ、そして「要領」ですよ。
スポ根物語になっていかんのだが、柔道3連覇の野村忠弘(いつまでもなんとかいう選手では申し訳ないので調べました)って、これまで金メダルのたびに、もう柔道はやめると言って、やっぱりやるワと、その間のブランクをはねのけての3連覇だってね。こういうのっていいなぁ。すっかり忘れていた福原愛ね、これもいま調べたんだが、ベスト8に入れずか。小さいころから騒ぎ続けられて可哀想。マスコミがよってたかってって気がしないでもない。そのこと思えば、やわらちゃんというのもすごいんだ。ところでマラソンの女子選手には生理がないってね。
努力する人間の影にはそれをサポートする人間が必ずいるわけで、努力などしないで互いに傷を舐めあってるようじゃおしまいじゃん。でもやっぱり「努力」なんてのは人に見せるもんじゃないです。





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まごアン