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■2004/10/18 Mon■  リーラン=李礼仙と寝た夢

 きのう唐組の物販で『ジャパン・アヴァンギャルド』という60年代後半から70年代の、いわゆるアングラ演劇と呼ばれた芝居のポスター集を買った。状況劇場、天井桟敷、68/71(黒テント)といったところを中心に集められているのだが、それらのポスターに関わっている人間のすごいこと。書き出したらきりがないので書かない。とにかくすごい。

 昔から言われてることに演劇は一回性だと。そのことは了解してるから、あまり舞台を撮ったビデオを観ようという気にはなれない。第一、視点をビデオを撮った人に押し付けられるのがイヤだ。あ、話が逸れるから元に戻す。唐組・状況劇場についてです。一回性ということで、悔しいなぁと思うのは、四谷シモンの芝居を観てないこと。それを言い出すときりがない。いま唐組を観に来る若い子たちは李麗仙も観たことないんだし。観たくても観れない。それを言い出すと、いまとなっては唐十郎を観ることはできても、昭和元禄美少年と言われたころの唐十郎は観たくても観れない。そのことなんだけど、着実に舞台の上の役者はいくら「特権的肉体」を持っていようが確実に老いていく。ここ数年、ふっくらとした丸顔だった唐の顔が痩せてくるのを見ると、しみじみそう思ってしまう。もちろんボク自身も、だけれど。
 そうして、いくら写真として残されようが、「そうしてあんたは俺からキスをしぼりとっていくがいい」とソフトを目深にかぶって現れた春日野=李礼仙は記憶のかなたにおぼろげになるだけ。が、それはそれでいい。
 それに対して映画は辛い。同じ芝居であっても、やり直しがきく。そしてまた編集によってどうとでも誤魔化してしまえる。辛いというのはそんなことではない。ほんとうに辛いのは、スクリーンに映し出された原節子はいつまでも原節子だ。本人がどう変ろうが、『東京物語』の原節子なのだということ。記憶の彼方でおぼろに微笑んでくれるのでなく、スクリーンの上でくっきりと微笑みかけてくる。何度も、何度も。
 が、それもそれでいい。そのことを認めた上にいまが存在するんだと、この頃、つくづく思う。

 目の前のスクリーンでくっきり映し出された目よりも、おぼろな彼方に過ぎ去った目にうなされて、いまも射精しそうになることだってある。
 答えになってますか。




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