前の、気合入れてテキスト書いてた時って、そういうナルシスな気分ってあったんだよね。自分の書いたテキストに酔ってしまうっていうか、
しーんと静まり返った図書室の中でとつぜん沸き上がってくる笑いを止めることさえできなくて、ふっと周囲を見やると、「おっさんアホか」と蔑みの視線がぐさっと突き刺さっては来たのだが、そんなことにはお構いなくさらに読み続けると、再度沸き上がってくる笑いの痙攣を禁じえない。「エエ加減にせんかい、ひとり本読んで笑いやがって」と、先ほど以上の、いや、この場合はさらなる蔑みの視線に、「せやけど、これおもろすぎるやん、文学やぞ、文学」と、君らな、もうちょっと文学というもんに親しみなさいよ、もはや晩秋、隣は升を描く人ぞなんて、なんて言うとるうちにいつの間にか、早、初冬ともいうべき季節になり、夫婦茶碗、この場合は織田作師匠に敬意を表して、ここは「みょうとぢゃわん」などと読んでんねやないで、「めおとぢゃわん」と読まんかいななんて言うてもこの連中にはわっからへんやろなとふっと溜息をひとつついて、再び目は一ページにびっしり刷り込まれた活字に落ちていく。この非段落文体全盛の折に、けっ渡辺淳一め、原稿料ばっかり稼ぐんやないで、世の中には、こんなふうにびっしり詰め込まれたのが当たり前じゃないのっていうのもあるんだからね、と思いながらも、一ページ読みきるのに、元来、読む速度の遅いボクにとっては、二分もかかるせいか、なかなかにページが進まなく、かといってこのテンポ、歯切れの良さにずんずん進んでいくのは不思議。かつての若かりしころの野坂昭如の『エロ事師』、『とむらい師』を彷彿とさせるも、ここはやっぱり織田作なんかいねえと頭は法善寺横丁辺りを彷徨えるのだが、いかんせん織田作、織田作と言われようが、同じ大阪出身でありながら、あ、ボクがね、まともに織田作を読み通したこともなく、いきなり嫁さんのサンダルをつっかけてぎーこぎーこと自転車こいで駆けていくのは、朝の五時かと思いきや、もうすでに夕陽が夕陽ケ丘に沈みます。はぁ、ひさしぶりにおもろい本を読んだのだった。君も読め。★★★★☆