今は、僕が自然体で書いたものを、自然体で受け止めてくれる人だけが読みに来てくれるような感じ。
たとえば私はとある日記を初めて読んだ時に、書かれていたのは「私の書くものは難解だ。わからない人はわからなければいい。理解できる人だけわかってくれればいい。」と突き放したようなものだった。なかなか傲慢ではある。だが、そこから私が感じたのは「もっと私を見て。私をわかって。私を好きになって。」という書き手の悲痛な叫びのようなものだった。そんなことは一言も書かれていなかったのだが、私はそう感じた。以下、「私が感じた」その日記について。
以前に書いた携帯のメールで愛なんか語れない、という話、あくまで「愛を語る」であって、じゃれついてる分には携帯メールというのは非常に便利でよろしい。PCのメールなんかでじゃれつけなかったもん。まして手紙なんかじゃとてもとても。ところが、逆にじっくり愛を語ることができた。携帯メールは、利便性のために語ることを失いつつあるんじゃないか。まるで人魚姫のように。 そのことと同じなんだと思うんだね、いまのblogっていうのは。タグなんか知らなくても、ホームページ作成ソフトを使わなくても、フォームにタッタッタと打ち込むだけでホームページができる。ヘタなホームページよりずっとすっきりまとまったページができ上がる。しかもほとんどがタダで。まさかblogに書くのに、テキストエディターで下書きしてる人はいないでしょ。ちなみにボクはこのまご日記はクロバーダイアリーという日記ソフトに下書きして、<br>や<blockquote>などのタグをつけて、テンプレートに流し込んでから、フォームの窓にコピペしているのだが、うらまごになるとフォームの窓に直接書き込んでしまってる。 これって、また携帯のメールと比較してしまうけれど、携帯の液晶の大きさと、PCメールを書くときのモニターの大きさの差に似ている。つまりその大きさの中で収束してしまっている。要するにblogじゃ、携帯メールのようにじゃれあうことしかできない。もちろん、じゃれあってるだけでも勃起はするもんですが。いまさらって話になるけれど、Pちゃんとも携帯を持つようになって、愛を語ることがどんどん希薄になって、という気が、今でもする。
ついでなので書いておくと、例えばきょう12/5一日のページビュー数は678、ユニークユーザー数369で、一人当たりのページビューは1.89。リンク元サイトはhttp://search.yahoo.co.jp/が204でトップ。リピーター割合が9%。早い話が見に来てくれる人の大半が一回こっきりの一見さんだね。まぁ言うなればタチの悪い風俗店ってとこでしょか、うちのサイトは。ほらほら、扇情的なタイトルで気を引こうとしてるでしょ、きょうも。そういう一見さんを邪険にしてはいけないのだが、「うらびでお」で検索(どうして「裏ビデオ」でなく「うらびでお」なのか、訝しいったらありゃしない)してやってくる人なんか相手にしてられない。そんなのでアクセス数が増えたって少しもうれしくもない。うらまごなんて、「相手の気持ち、立場、他人の迷惑などには無関心」な室宿の星のボクが自分のためのメモにしてるだけのこと。あわよくば、そこから興味でももってくれたらいいというくらいにしか考えてない。
なんだか、話が宙に浮いたままで着陸点が見つからない。うーんとですね、 文章を書きたい、文章を読みたいってことです。あっちこっちにケンカ売りまくっておくと、例えば花村萬月なんて、いまや文章書けなくなった人だね。すこすこ。もういっぺん初心に戻れや、と。をっと、変なところに不時着してしまったようで、おやすみなさい。