トップ «前の日(12-22) 最新 次の日(12-24)» 追記

うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

1997年
12月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
1997|09|10|11|12|
1998|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1999|07|08|09|11|12|
2000|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2001|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2002|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|09|10|
2006|01|04|06|07|08|12|
2007|06|07|10|
2009|12|
2010|01|02|04|09|10|12|
2014|05|
2016|08|

■2001/12/23 Sun■ 

Arto Lindsay
Subtle Body
 何十年ぶり、というより、初めてラグビーを花園に観に行った。全国大学選手権。同志社がなぁ。。。。あれじゃあ勝てないよなぁ。勝てるチャンスはあったのに、肝心なところでミス出たもんなぁ。あんだけタックルが高いと、どうにもならない。よく5トライで止まったってところ。今のラグビーだとほんとフォワード一辺倒では苦しいよ。それに対して2つめの慶応は、スピードがあって、ちょっとしたパスミスでもしっかりそれにフォローが入って、やっぱり慶応のラグビーって華麗だな。
 それにしても、やっぱり生がいい。特にきょうなんかはきのうとうって変わってポカポカと風もなく絶好のラグビー日和でラッキー。大学選手権となればほんとよく人が集まるもんなんだな。

 捨てる神あれば拾う神あり。《誰か、ギミーステーキ!》と書いたとたんに、一両で肉しこたま食ったよ。まずはサーロインのどかぁーんと塊を猛烈なピッチで施餓鬼となって肉にむしゃぶりつく。おもむろに塩タン。ここで一息ついてから、骨付きカルビに、塩ロースと、ぐふっ。仕上げは、サーロインもう一枚! おばちゃんが食べれんのかぁと言うのを、大丈夫、食べれる、食べれる! ぐふっ、うんめぇ〜〜、どびゅああっと口に拡がる肉汁にしあわせいっぱい。肉食獣はどどっと肉を食ったら、しばらくはもう肉食わなくてもいいのだ。あしたは藻ずくでも食っていよう。
 しかしこの狂牛病パニックの真っ最中に、一両はびっしり満員だ。あまりに忙しいのでおっさんは切れかけで、ロースの薄切り頼んでも、きょうは忙しいからダメだというくらいに忙しいのだ。ほんとに美味かったら狂牛病になったところで悔いはないぞ。やぁ、ほんとに美味しいんだって、君も行くべし。狂牛病がナンボのもんやねん。

 さて、シメはBOOKOFFであります。ちょっと金を持ったらバカバカ買ってしまうであるよ。と、いうのも、実はつい500円で1回のガラガラに惹かれただけ。まずは、白玉50円。次、ころんと出たのが赤い玉。むぅ、ついに打ち止めか。ボクの男としての命もこれまでか(^_^ゞ と、ふっと前を見ると、信じられない事態の特等2000円ではないか! ぼそっと出たというと、前にいた店員のねえちゃんがからんと鐘を鳴らしてくれた。をいをい、特等の2000円だぞ、もっと派手にがらんがらんがらんがらんがらんがらんがらんがらんと鐘を鳴らしてくれてもええじゃないか。そのねえちゃん、赤が特等だとわかってなかったぞ。とにかく本日のお買い物、すべてタダ同然よ。むははは、有意義な一日であった。



--------------本日の買物
@BOOKOFF上野芝
中上健次『十八歳、海へ』
横尾忠則『天と地は相似形』
辻仁成『ピアニシモ』
南Q太『あたしの女に手を出すな』
マルグリット・デュラス『青い眼、黒い髪』
山本直樹『はっぱ64』
吉田戦車『火星田マチ子』
フェデリコ・フェリーニ『8 1/2』
--------------本日の食事
朝 トースト1、コーヒー1
夕@一両 サーロインステーキ、塩タン、骨付きカルビ、塩ロース、サーロインステーキ


■2002/12/23 Mon■  Goin' Down Slow

Otis Spann
Walking the Blues
 あと残すところも1週間というところで、早くもまとめにかかっております。

 1/14大川心中天の網島を道行く
 2/11上町雪中上町断層上がったり下がったり
 3/16住吉街道蜘蛛籠かついで
 4/21京都御所の細道、鬼門の怪
 5/26生野コリアンタウンでキムチを盗み食う
 8/12-14東京灼熱の帝都彷徨
 8/31東大阪番外チャリンコ隊で一汗流しに
 9/29尼崎ルーツをたどって
10/27奈良
11/23伏見

 というふうに、今年の大きな収穫の1つが「お徒歩」で、なんとか継続的なイベントになってしまいました。なんか因縁をつけて路上観察やっちまおうという目論みがまんまとはまったというわけ。
 ボク個人としては、これ以外にも、ちょこちょことヒマにまかせて徘徊しておって、まさに種村季弘のいう「徘徊老人」の域に迫ろうかと(^_^ゞ 実際、トマソン=路上観察に端を発して、町を歩いていると、どんどん町の見方が変質してきて、赤瀬川先生から森山大道(この人、持って生れたような名前だ、もちろん本名)先生にシフトしつつある。だから10、11月のラスト2回は都合がつかなかったけれど、話を聞いていると、なんかボクが嗅ぎ回りたいのとちがうなという気がする。またこんなことを書くと、行かれへんかったからと何を負け惜しみ言うとんねんとメール来るんだろうな。来たら、うるさいので先に書いておきます(-_-)
 8月の熱射病のように東京を歩き回ったときに、深川でトマソンは見当たらない、お宿かわせみの匂いもない、という情景だったのに、あとになって、あの深川を歩いたのが一番印象にきつい。絶対にこんなもんはおもしろくも何ともないし、自分自身でもおもしろくなかったのだけれど、がつーんと残ってしまっている。それは、夏になる前に荒木経惟の『東京は、秋』を見て読んでいて、その中の《ベタ光線》として括られた3枚の写真とすごくオーバーラップして、ボク自身が突き動かされてしまってるから。

    陽子 これなんかすごいね。だって車が止まってるだけだよ。
    経惟 いいだろ、ゴーストタウンみたいで。外国のハイウェイの写真みたいだな。

 この荒木経惟の写真にしても、絶対におもしろくもなんともないヨ。誰にだって写そうと思えば写せる写真のように見える。ただ誰もあんなショットは狙わないだろうけどね。でもこうして突き動かしてしまえるというのが、天才アラーキーってところなんでしょうか。
 自分の中にある原風景の中にポツンとおかれた、いや連れ戻されたような気がする。真夏の日射しの中に自分一人取り残されて。そうした原風景を取り戻そうと、たぶん来年も歩き回ってるんだろうな。


■2003/12/23 Tue■  メメント・モリ

 世間のメリー・クリスマスにめげず、再びメメント・モリ……誕生ではなく死想するのね。
 藤原新也はもう10年ほど前だったか、『印度放浪』で知って、かの犬が死人を喰らっている写真に少なからずショックを受けた。結局、その重圧で『印度放浪』は最後まで読み通すことはできないまま。きょうそのオリジナルプリントを見たよ。重いというべきか、やっぱり重圧感に息が苦しくなる。人間の死体が荼毘にふされるのを目の当たりにして、それにカメラを向けられるか、シャッターを切ることができるか。めらめらと燃え上がる炎の中、真っ黒い太い木の向こうに、真っ黒に炭化したかつて人間であったかたちが見える。にもおかまいなく、炎は蠢いて見える。ほんとうに動いて見えたのだ。《人間は犬に食われるほど自由だ》犬が死を喰らう写真を目の前にして、自由であることの意味を噛みしめる。

 この何必館で開かれた藤原新也の写真展は、1971のインドから1973のアイルランドまで、1991の門司も含めて、点数としてはさほど多くはないのだが、いちおうあらかたのところが展示されていた。アメリカ1989の展示のところには《アジア。その熱い実存から、明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》と記されていて、やっとのことで、その熱い実存の重圧感から解放されたのだった。まぁいい意味だか、よくないんだか、いいようにとっとかないとしんどいワ。
 以前から、ボクにインドへ行こうと誘うとんのがおるんだけどね、まだ20そこそこの頃はインドに行きたくて仕方なかったけれど、行ったら行ったでヤバイなと感じてた。今は本当にヤバイなと思う。そのことについてはまたいつか書くことにしよ。
 ただね、藤原新也の写真はできすぎてんだよね。撮っているもの、そのものから来る重圧感と同じくらいに完成されたものとしての息苦しさがあるんだよ。荒木経惟なんかの息の抜けがないの。例えば、門司のフェリーの子どもの後ろ姿のように、完成されている分、がしっとイメージを押付けられてるわけではないんだけれど、打ち込まれてる感じがして、イメージを自由に展開できないってところがある。だからコテッとしたものを食べたあとの胃の重さのように残ってしまったのだ。そしていまも胃のあたりが重苦しく感じられる。
 ふーーっと一息、向いのスタバで休憩して、そうそう、冬至はきのう?きょう? 日が暮れてしまうのがもっとも早いわけで、あーっという間に夕方の光が暮れていく。そうたいして時間があったわけでもないので、きょうは円山公園のほうをぐるっと回って、粟田口から裏道人生、三条まで歩いてみた。《明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》ってね、それは裏表なんだろうけれど、《滅びのイメージ》って、まだまだ煩悩だらけらしくっていいじゃない。ボク自身もそんな煩悩にしがみついていたい。

 




メールでツッコミ

1997|09|10|11|12|
1998|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1999|07|08|09|11|12|
2000|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2001|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2002|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|09|10|
2006|01|04|06|07|08|12|
2007|06|07|10|
2009|12|
2010|01|02|04|09|10|12|
2014|05|
2016|08|
トップ «前の日(12-22) 最新 次の日(12-24)» 追記
まごアン