ボクなんかがあのときはどうだったかとか言うても始まらないのだけれど。 とりあえず、地震が起こった時、とある事情でその時刻まで起きていて、直前に地響きのような音が聞こえたのを覚えている。次の瞬間に激しく揺れて、隣で寝ていたキャサリンにキャーと抱きつかれて、首筋を爪でひっかかれた。大慌てで本棚を支えに行ったんだけど、いま考えたらバカだな。本が何冊か飛び出していた。猫たちは腰を低くしておろおろかけずり回っていた。 あのときもボクなんかが、ああだこうだと論じたところで始まらないという感が強かったのだが、とにかく1週間ほどして、ようやく落ち着いてから、ボランティアにも行った。カメラはよう持っていかんかった。きのうtwitterで、《@me_sou: 違和感を感じたのは「傷ついている人たちにカメラを向けるなんて暴力的なことできない(意訳)」みたいなところ。写真ってのは相手が健康だろうと何だろうと本来そういう容赦のないものだろう。と思った…》これは然り。だが、このことでもそうなのだが、自分が記録しても始まらないし、記録すべき誰かが記録すればいいという思いの方が強かった。だから4月になって初めてカメラを持ち込んで、撮った時の元気になったおっちゃんの顔は今でも覚えている。その写真とネガはどこに行ったやらわからんけど。それと「長いことありがとう。神戸の春は釘煮で始まる。」ともらった釘煮は今でも一番美味しい釘煮だった。 瓦礫の中から連れ帰ったバタコはうちで10年ほど暮らして死んだ。あすからの「ローファイ写真展」にわざわざバタコの写真をセレクトしたわけでもないのに奇しくも展示しているのも何かの縁かもしれない。