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■2003/08/28 Thu■  カルボーナーラ [長年日記]

 イタリア、スペイン、フランスときたら食う物に困る。アメリカだったら、食うもんなんかなんもないので、バーガーキングで十分なんて、言うてられるんだけれど、この3つの国となると、あれも食いたい、これも食いたいと、だから出る前には、太って帰るんじゃないかと心配だった。

 30年前に、ヨーロッパに旅行したとき、そのときはイギリス、フランス、スペイン、スイスを1ヶ月かけて旅行したんだけど、こんなに美味いクロワッサンがあったのかと驚嘆し、はたまたガーリックの味が忘れられなくて、夢よもう一度ってわけなのです。

 それは夢にまで見た(そ、そんな大袈裟な)、カサ・ボティンのガーリックスープが30年のときを経て目の前に出てきたときは、そりゃあ感激しましたです。少しどろっとしたスープにスプーンを入れて口に運んだとき、臭くはないニンニクの香りとともに口の中にひろがるまったりとしたこくには涙が出てきそうになった。が、感激したのは、そのガーリックスープの美味さにあったのでなくて、30年の時間を経てもう一度口にできたというほうに感動していたのだった。
 考えてみると、この30年間という時間は残酷ですよ。要するに涙を流すほどのガーリックスープでさえも、特別な味とは思えなくなってしまっていたのだ。

 この30年間の間にどれだけ日本の食が進んだか。例えば、スパゲッティは、いつの間にかパスタと呼ばれるようになり、スパゲッティといえば、ナポリタン(なんてのは現地には存在しないらしいのだが)という、良く茹で上げた18mmくらいのスパゲッティにハムとたまねぎ、あとピーマン、ひどいときにはニンジンなどが炒められ、トマトピューレじゃなくて、トマトケチャップで味付けされたイタリア風焼きそばだったのです。なのにアルデンテなんていう言葉まで一般に通用するようになって、日本のスパゲッティは変わってしまった。
 コーヒーしかり。コーヒーも30年前以前にはほとんど大半がネスのインスタント、それもフリーズドライの顆粒じゃなくて細かい粉(いまでも売っているが)をスプーンに一杯。それに今じゃ信じられないだろうが、イチゴにかける練乳を入れる、そんなコーヒーを日本人は飲んでいたのでした。インスタントでないコーヒーを飲みたかったら喫茶店に行けというようなありさまで、ようやくその30年前になって、家庭でもぼちぼちコーヒーをドリップで淹れるようになったころだったのです。だからエスプレッソでブシュっと抽出されたコーヒーが30年前のヨーロッパ旅行のときには、どれだけ新鮮で、美味く感じてしまったものか。

 結論を言ってしまえば、食い物に関しては、わざわざヨーロッパくんだりまで出かけなくても、日本で十分。日本のイタ飯がどんなに美味いか。イタ飯だけでなく、フランス、スペインもそう。
 なんで、こんな淋しい結論に達してしまうかというと、それにはいろんなファクターがあって、ボク自身でまだよくわからないことがある。毎朝、パリのホテルの朝食で出てくるクロワッサンもバケットも確かに美味しかった。それにバターは発酵バターだったしね。コンビニの袋詰めにされて5つほど入ったクロワッサンなんてクロワッサンじゃないけれど、パリで食ったクロワッサンなら日本でも探せば食えるんじゃないか。う〜ん、こうして書きながらも、まだどうなのかと迷ってる。
 我が家で作るヨー飯(面倒なのでイタリア、フランス、スペイン料理をまとめた。洋食とはちょっとちがう)で、カルボナーラ、これはかなり自信ありなんだけれど、本場、イタリアじゃどうなんだと、ローマ4日おる間に2回も食ったんだよ。で、我が家で作るカルバナーラと比べてどうだったというと、?が3つほどつくんだね。まず非常に塩辛い。しょっぱいのだよ。この一番大きな原因は食材の差。チーズが違う。だから、その分でいうと、本場イタリアのほうがもちろん本場の味なわけで、うちのカルボナーラはまちがっている、本ものとはちがう、ごまかした味になっている。が、あのしょっぱさはどうなのか。あれで良しなのか。それとぼそぼそとした食感。これもうちのカルボナーラは玉子を麺の余熱で固められない、つまりそれだけ手際よく作れないのが原因しているのかもしれない。が、そのぼそぼそとした食感と、滑らかなクリーミーな食感と比べると、クリーミーなほうが美味しいと感じてしまうのだ。
 ここでひとつの結論は、日本は、この30年の間に飛躍的にヨー飯に関して進化した。そして日本人の口に合うようにアレンジされてきた。しかも旧来のスパゲティナポリタンと差別化するためにより洗練させてきた。ところが、ヨーロッパでは、それが極く当たり前の食べ物なので、あたかも玉子焼きがそうであるように進化することはないわけだ。う〜ん、その差、エアポケットのようなところにはまってしまったような気がする。
 と、書いてみて、じゃあ、オムレツはどうなんだという疑問が湧いてきた。より早く日本に移入されたオムレットは、どんどん日本で進化して、もとのオムレットとはまったく別の食べ物に変化してしまった。もはや進化じゃなく変化。そうして洋食というひとつの日本料理になってしまった。もはや、オムレツとオムレットは比較できない。ということはカルボナーラも同じ轍を踏んでいくのか。さてイタリア人が日本に来て、カルボナーラは食べたときに、ボクらがヨーロッパで寿司を見て違和感を感じるのと同じことになっているのか。

(つづく)
カサ・ボティン ヘミングウェイが『日はまた昇る』の中でかいた。マドリッドの有名レストラン。高級店ではないので、30年前の貧乏旅行のときにもそこで食べることができた。
 






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