「いまあんたは俺にどんな残酷な仕打ちをしてきたかを自分から教えるんだね。いくらでも泣くがいい、そして、俺のキスと涙をしぼりとるがいい。それをするだけ、あんたは傷つくんだよ。あんたは呪われるんだよ。あんたは俺を愛してたんだ。とすればどんな道理で俺を捨てたんだ!? どんな道理があって・・・・みじめさや堕落や死やそんな神か悪魔の仕業が俺たちを離したんじゃない。あんたなんだ!! あんた自身の意志がそれをやったんだ。自分で自分のを破ったから、そのために、俺のも引き裂かれたんだ。この先にどんな生きる意味があるんだいっ」
ところで年末にスキーに行ったときに、そろそろ死んだときにどうするか、いやどうしてもらうのか、そろそろ決めておこうということになって、とにかく坊主の世話にはなりたくない。もちろん戒名などというくだらんものは絶対に要らないということになった。今は法律が変わって、骨は墓に入れなくてもよくなったので、それならどこに撒いてもらおうかって話にまでなって、とあるふとどきものは、阪堺線の大和川鉄橋に架かる鉄橋の枕木の上に骨壷を置いておくと、チン電の振動で川に落ちるから、そんでいいと。また別のふとどきものは江の川に濁川が流れ込む合流点、つまり10年ほど前に鴨鍋宴会をやった河原から川に流してほしい。ボクは津軽海峡でぽっちゃんというのも考えたんだけど、そこまで持ってってもらうのもたいそうだから、大阪で生れた男やさかい、中之島の剣先公園のへんで撒いてくれたらそんでよろし。ところで一番のふとどきものは、嫁さんのしたいようにしたらええ、なんて何考えてんだ。
ね、なかなかお正月にふさわしい素敵な話題でしょ。まるで一休さんみたい。要は、年が変わろうが、何であれ、好き勝手に生きていこうって、ただそれだけ。