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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1998/02/23 Mon■ 

あーちゃんが西高に合格。別に心配はしてへんかったけど、そらそやんなぁ、入試の当日、朝帰りしてる親やねんから(ーー;) それでも1月頃は結構ナーバスなっとったから、そんなもん通るのにきまってるわいといちおうパパらしいことはしてんねんぞ。
一方トントンはもののみごとにアウトできのうにさっさと大阪帰ってきよった。ちょっとは世の中そんな甘ないということでもわかったかいな。一番甘見てるのはボクかもしれへんけど(笑)←笑うてる場合か(ーー;) namico、kiyomi、それにうでぃやん、みんなに応援してもうてたのにね、申し訳ないm(..)m とボクが謝ってもしゃあないよなぁ。いちおう親らしく来年こそ頑張らせます!とでも言うておこう。
というわけであーちゃんの合格祝いに吉富にステーキ食いに行った。ひさしぶりにまともなステーキ食うたらうまかった。
それで、あーちゃんは早速バイトするというて、ボクにしてもええかというので、どうぞと言うたら、そんなん親かという。ふつうはまだバイトはアカンというもんなんか。ええやんか。それもまた人生よ。

■2000/02/23 Wed■  穴師

 きのうの紀州街道散歩でひーさんに火をつけてしまったのか、きょうも昼から蘊蓄つき散歩。てくとこてくとこ歩いて穴師神社まで。穴師神社には渡らへん橋があるねんでぇって、行って見たら、トマソンそのもやんか。
 せやなぁトマソンのページさっぱり更新しとらへんのだよ。だいぶたまったから一挙にどっとアップできるんだけど、晩になったらぼーっとしてる。なんで?
 蘊蓄によると、穴師というのは棹師というのと対の神様で〜〜、ウソウソ、しかし穴師神社というのがあるのは知ってて、そら、やっぱり穴師ということばにはいちおう反応してしまうわけだからしてね、穴師神社も行くことができてよかった、よかった。

■2002/02/23 Sat■ 

Cameo
Knights of the Sound Table
 なんかちょっと日記書くのも面倒くさくなってきた。人のところを見てたら、そいうのってよくある話で、ボクにしたって1年前まではこうも毎日書いてなかったから、無理に書くこともない。と、言いながら書いているわけです。
 そういえば、大ボケな話で、2月の10日過ぎにテキマニが新サーバーに移転したのに気がつかないで、あれ、止まってしまってると1週間近くも。ちゃんと《textmania2は新サーバーに移行します》と書いたぁるちゅうねん。それでlistもご丁寧に引越しできたのはいいのだけれど、ボクの場合、おーえすてんと9.2の併用してるからクッキーが違うのね。テキマニの引越しはおーえすてんはうまく引っ越せたんだけれど、9.2のほうはどういうわけか引っ越せないで、しこしこと検索しては登録のしなおしやらなアカンかった。茶川さんとこにはWWWDなんての紹介されてたけど、WWWDはウィンだしなぁ。

 もう1年近く前になるけど、スペインのおみやげにとサフランもろたんよね。「パエリア作るだろうから、これやるよ」と。そう言われてもろたはいいものの、パエリアの作り方はおぼろげにしかわかってなくて、かといって、いちいちレシピ探してというのも面倒でずっと冷蔵庫の中でほったらかしにしてた。で、きょうは久しぶりにボクがコックよ。だいたい飯作るのうるさいの、いるわけね。君だ、君。それからそこの鼻くそほじってる君。何はどうでないといかんとか、とにかく男の料理はごたくが多すぎる。オリーブオイルはベルトーリのバージンエクストラやないといかんとか。適当にそれらしく作ればいいのだよ。で、きょうもレシピ探すの面倒だったから、ネットで《パエリア》と検索して、上から2つほど適当にクリックして、てきとーに見て、うんうんわかった。魚貝をてきとーに酒蒸しにしてそれぶちこんだらええわけね。生米をオリーブオイルでちゃらちゃらと炒めるのは、それは昔から知っておる。うんうん、サフランはぬるま湯にしばしつけとけばいいわけね。ん?ホットプレートで作ったらよろしだって、をっ、これはエエこと書いてるじゃないかと、しゃかしゃかしゃかと冷蔵庫にあるものを漁って、足らん分は下のスーパーに買いに行って、下ごしらえ終わるまでに全部で30分。ホットプレートにぶちまけてぬる火で、その間にバルサミコのサラダを作って、あとは寝ころんでビデオ。
 ばっちり! 適度のおこげもできて、ヘタなスペ飯屋のパエリアなんて食えませんよ。なんでこんなに簡単にできるんだろ。もう部屋中サフランの香りで気分はセルバンテス。まぁちょっとした失敗といえば、赤のパブリカにしたってこと。これはトマトが入るわけだから黄色の方が彩りもよろし。もち、バルサミコサラダ、入ってるのはパエリアとほぼ同じ(笑)、にも黄パブリカのほうがよかったな。


--------------昨日の食事
朝 トースト1、コーヒー1
昼@300円弁当 唐揚げ、白身魚フライ
夕 ピザ、チーズフォンデュ
--------------本日の食事
朝昼 トースト1、コーヒー1
遅昼 チーズトースト
夕 パエリア、バルサミコサラダ
-----------------------

■2003/02/23 Sun■  だって天才まごぼん

 「他人に読まれるかもしれない日誌は、朝、目覚めたときにもうできているもの。」とは『一葉裏日誌』
 なるほどそれは言えてると、きょうの分はさっさと書いてしまおう、なんて目論んではみたものの、昼から天気もだいぶ回復したこともあって、そそと家を出る。
 難波スタートに歩き始める。どこかからヨシモトを観に大阪に来た爺ちゃん婆ちゃんヨシモト前はえらい人だらけ。ちょこちょこと隠し撮りして、そうそう今朝はコーヒー飲んでなかった、コーヒー飲まないと調子が出やんのだと、スタバ。いちおう歩き始めるときには適当にラインを思い描いてはいたけれど、いきなりのスタバでわけわからなくてきとーに法善寺を抜けて千日前、大劇裏。
 をっと、アジェだとふと見たら同じようなのがおるんだねぇ。1枚目の写真の右前にカメラ構えてるのおるでしょ。しかもボクなんかにくらべてずっと真面目くさい。ボクなんかふんとにテキトー。こんなのでいいのかと思うくらいてきとーに狙いをつけて、手ブレ?ありありの蟻の戸渡り。が、関係ない通行人の人は何があるんだと思うとんのだろうな。
 こないだハカヤから聞いた話。この前に大阪城ホール行ったときに、なんとも言えずいい色の壁があったので壁を写してたら、係員がやってきて、「ホール内は撮影禁止ですので」と。ところがハカヤのカメラが向いてるのがただの壁でしょ。怪訝に思った係員は「ところで何を写したはるんですか?」とハカヤに尋ねた。「この壁です」と答えるハカヤに、あきれ返ったのか「それじゃいいです」
 日東住宅へ向かう。阪神高速西側の部分はもうすでに壊されてしまって跡形もなく、その跡地は高い波塀に囲まれてしまって、内部も覗けなくなっている。もっとどこかから覗けるところがないか努力すべきだったか。東側部分はまだ取り壊されてはいなかったけれど、半分以上が出てしまって、窓にベニヤ板が貼り付けられてあった。
 日本橋商店街に出て、はっと思いだした。きょうは空堀に例の風呂屋跡を見に行くつもりだったのだ。ちょっと南に下がりすぎた。ここからまた歩いて空堀というのもしんどいものがあるので、さっさと恵美須町から地下鉄で長堀まで。だいたい空堀の情報をもってきたのはBで、空堀のどこなん?と聞いてもさっぱり要領を得ない。てきとーに裏側を歩いてたらぽこっと目の前にあった。小玉湯。ここはすごいよ。表がタイル貼りで、2階部分の窓はステンドグラスがはまってる。そしてこれが丸ごと駐車場になってんだから。内部はまだタイルが残ってるし、男湯、女湯への入り口はアーチ形になっていて、敷居の溝まで残ってる。あっ、しまった、敷居の溝の写してくるの忘れたって。
 こうして歩いてて気がついたんだけどお地蔵さんや小さな祠って意外と多い。露地のほんの奥まったところに、その家に食い込むようにあったり、そこらにマンションが建ってもその敷地内にきっちり再建されたりする。土着的信仰なわけ。
 あとは疲れたから谷六から地下鉄でささっと帰りました。目線が変わってしまったのか、トマソン1つしか見つからない。が、それでいいのだ、だって天才まごぼんなのだから(*^_^*)
 


オレがアジェなんだって(^_^ゞ


大劇裏市場


日東住宅


小玉湯



 


■2004/02/23 Mon■  出会ったときから好きだったのだと

 あ、また中上の『鳳仙花』ネタで、申し訳ない。って、謝る必要なんかなかったのだ。
 あのですね、もうかれこれ10年ほど前になるかな、中上健次に萌えてしまって、だだだっと読み漁って、それでも『地の果て 至上の時』 にはその重さに押し潰されてしまってた。やっとのことで『地の果て 至上の時』は数年前に読み通すことができたんだけど、そのごつごつした重さにへとへとよ。中上健次という、まさにヘビー級チャンピオンにサンドバッグにされたって。
 だから、どうしても中上健次ってのは、ごつごつした男気ぷんぷんの世界、10年前に新宮の神倉神社に行ったときに会ったおいちゃんの「にいやん」っていうドスのこもった声がイメージとして焼き付けられてた。
 中上健次もいっぱい読んでたようで、よく考えたら、そうそう読んでるわけでもなくて、この『鳳仙花』だって、長いことツン読状態。だいたい積んだら読んだことあるような気になってネ、いけません。
 この『鳳仙花』は『岬』、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』 と続く秋幸三部作の傍系で、秋幸を私生児として生んだフサの半生を描く、言ってみれば中上健次版『女の一生』なんですねぇ。って、モーパッサンの『女の一生』も山本有三の『女の一生』も読んだことないんだけど。
 さて、まごぽんのほうに、けっこう長く引用してしまったので、ここではしないけれど、鳳仙花の赤い花弁で爪を染めるなんていう情景はね、ずしっとくるわけですよ。これはね、ごつごつした重苦しい男気の世界じゃなくて、色彩の豊かで細やかな女の情感だよね。ここで愕然というか、ヘビー級チャンピオンの中上健次の中でどうしてこんな女の情感を紡ぎだせるのか、これにはもう感心するばかり、なんてのもはるかに越えてしまってるな。まるで女が同居してるんじゃないかって、しかもあの体躯にだよ。なんで?なんでこういうふうに書けるの?って。
 そして『鳳仙花』の後半になると、かの浜村龍造が現れて、あ、やっぱり引用したろ。長いぞ(^_^ゞ
「フサさんを見たときから、俺も、色の白い手じゃねと思たんじゃ」
 男がそう言ったのではなくフサが眼にしたその川と森がフサの耳そばで物を言ったようで、男の熱い手がフサの手をつかみ、草の葉の手ざわりを確かめるように男の石のように硬い指が掌をこするのを感じる度に、呼吸がひとつずつ苦しく狭まってくる。
 あの龍造がフサを呼ぶのに「フサさん」とさん付けしてる。あ、これ何となくわかる。龍造にしたところで、女の前に出た男にしか過ぎなかったんだなと。それで、「川と森がフサの耳そばで物を言った」って、もうゾクゾクしてくるんだもんね。多分にボク自身女が入ってしまってるから、そのように耳そばで物を言われたら行ってしまうだろうなって、もうその時点で濡れてくる、って、えーっとこうしていま書いてるときにも前立腺あたりがむずむずしてきてる・そして「男の石のように硬い指が掌をこする」とね、たぶんいまもしボクが女だったら、その硬い指が濡れた柔らかい肉を分け入ってくるのを感じて、もうだめだめ...... 続いて
 フサの胸元をはだけにかかった男の手が服の上からあたる度に、硬くなった乳首を男に知られてしまうようで羞かしかったし、男の荒い息が耳にあたるのが苦しくて眼に涙さえあふれてしまうのだった。はだけられた胸に手がさしのべられ、乳房が男の熱い手の中にすっぽりつつまれるので息が出来ず、フサは抗いでもするように濃い息をたて、男の胸に救けてくれと言うように顔をよせて、坐ったままでいる事が出来ず崩れた。
 男がフサの体を支えて唇を吸いながら畳に横たえた。
 長い間、そんな硬い体に、よりどころない風に吹かれてしまうようなフサを押えつけてしっかりと力をこめて抱きとめてほしいと思っていたような気がし、なにもかも見せてやるというように素裸になった男を見つめた。男はその体そのものが業苦だというように「ほれ」と背中の刺青を見せ、昏い眼のままフサの体を抱き起こすようにしてのしかかる。
 男の体は火のように熱く、男の手がフサの足を起こし、フサの唇いっぱいに差し込まれる舌のように男が入って来ただけで体が急激にほてり、ちりちりと火を噴き出し、フサは男の背につめを立てた。息が詰まり、声をあげる事も出来ず、男が腹の筋肉をこすりつけるようにゆっくり動きはじめるのをやめてほしいと思いながら、体中が一気に裂けてしまう。男の背にたてたつめに力をこめた。
 男は力が抜けてしまったそのフサの顔を見て笑みを浮かべ、それからまた舌をフサに吸えというように唇をこすりつける。男が動く度にフサは声を荒げた。男の呼吸の音に誘われるように、フサの体の中にいまもう一人、男に合わせて身を動かしている柔らかい色の白い女が息づきはじめている気になりながら、男にきかせるように声をたてた。
 男は果てる事がないように体そのものが苦しいようにフサを愛撫した。
 長い事、素裸のまま抱き合っていたのは自分にもその男への恋慕があったからだと、男がまだ裸のまま板戸をあけて「食い物を持って来てくれ」と頼んでからフサは思った。十五の齢で勝一郎を知ってから、勝一郎以外の男を体に受け入れるとは思いもつかなかったので、刺青の背中に汗をかき素裸のままかまわず酒を飲みはじめた男を、出会ったときから好きだったのだと思い込んだ。
 行った?
 このあとも繁蔵と龍造の間で揺れる女の情感が描き出されていて、中上健次の重要なアイテムの夏芙蓉であったり、草のにおいであったり、その情景にからめとられて行くのだけど、それはまたいつか。
何だか、きょうは欲情させてやろうって、誰をだ?





■2005/02/23 Wed■  a fried bean curd in the kite

 それまでのまるで梅雨みたいな天気が嘘のようにきょうで3日連続ドピーカン。うまい具合にきのうはちょうど休みだったので、町に飛びだして行った。書なんてとっくに捨てたぜ(笑
 いやぁ、光がこんなにうれしいものだとは思いもよらなかった。何を写しても、絵になるような気がして、カシャカシャ、シャッター切りまくり。ほんと、鬱々としてたから一気に来たーーーって感じだね。中之島じゃ、おっちゃんたちがこの陽射しの中、ベンチでごろごろ寝てるし、ほんと光ってのはいいもんだ。
 そう、そう、昔にパリに行ったとき、3月の中旬だと鬱陶しくて、まさに『パリの憂鬱』そのものだなと、それに耐えきれなく光を求めて、さっさとスペインに行ってしまった。それから2週間ほどして、4月の頭にパリに戻ってきたら、全然違うのな。しまった、パリって、こんなにいいんだと思ったのは帰りのフライトの前日だったって。
 天気が良かったからか、中央公会堂のところでは、着物姿のモデルをプロが撮影してた。あゝ、プロって大変だなぁ。たいそうに三脚構えて、こんなに光いっぱいなのにさらに光飛ばして、助手もスタイリストも連れてんだもん。あー、でもその角度はないんじゃないの。それにもっときっちりロケハンしろよ。中央公会堂なんて安易すぎるでしょー、と冷ややかに横目で見ながら、横っちょから、ちゃっちゃと写したら、モデルの子に通じたのか、こっちを振り向いてくれて、バッチシよ。その瞬間に勝ったと思ったね。まさに"a fried bean curd in the kite"とはこのことだ。
 をっと、そういう言い回し、わからんから、エキサイトの翻訳コンニャクで調べたんだよ。ふぅーん、英語でも "凧が飛んでる豆に”って、あのですね、「飛んでる」はflyingでしょ、「凧」はkyteでしょ。ごるぁぁぁ〜〜〜、直訳も直訳、まんまやんけ、エキサイトめが。でもそれに気がついたのはきょうになってから、どうするよって、あまりにアホくさいので、もちろんそのままにしときます。ゑっ、"a fried bean curd in the kite"って何だって? 自分でエキサイトで翻訳させてみなさいよ。
 というわけで、きのうは一日乗車券で、中之島-天満、空堀、京橋-鴫野の3カ所を、歩き回って疲れ果てて、きょうの快晴はひたすら居眠っておったのであった。

a fried bean curd in the kite.


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