『戀』で検索かけてたらこんなの発見。なるほどね。
《Love is Just a Four-letter Word》これはDylanの曲のタイトルだけど、《愛なんてたかがおまんこ》なんて意気がってたのは遠い昔の話。「関西だと《a Three-letter Word》やんけ」などのおまけもつけてました。なっ、こんなことばっかり書くから「いやー、エロなのにびっくり」なんてメールを頂戴するわけですよ。エロいです。認めておきます。
でもね、ここ数日読んでいる『♂♀』(←さっさと読んでしまえよ、ったくぅ)に、ふむふむなるほどと思えるところがわりとよくあるんだよなぁ。そうすると、「エロい」を通り越して「変態」 『♂♀』に、「それはあなたの境界であって、わたしの境界じゃない」なんて話が出てきてたんだけれど、ボクの境界は?と読みながら考え込んでしまった。どっちかというと、「わたしの境界」より「あなたの境界」に近かったりする。う〜ん、「そんなこと考えるのおまえだけぢゃああ」とよう言われるよなぁ、困ったもんだ、こんな純情おっちゃんつかまえて。やっぱりやばいでしょうか?
きょうのところはこの程度でぼやかしておこ。
「町」と「街」に関連して、「道」と「路」。でも「みち」というときには「道」とはするけれど、あまり「路」とは書かないんだよなぁ。漢字の上ではあまり区別ははっきりできてないんだけれど、「道」はwayで「路」はroadというふうにイメージ的には区別は明確。どうもね、武士道とかの「道」と、はたまたシナトラの"My Way"であるとかディランの"Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine)"と"Way"とが重なって、路上観察とかの「路」は、road movieであるとか、ケルアックの"On the Road"と重なる。
ところがフェリーニの『道』は"La Strada"で英語の題は"The Road"、一方同じ「みち」と読ませるユルマズ・ギュネイ の『路』は原題はトルコ語で"Yol"、英語の題は"The Way"と来てるんだから、なんやようわからんようになってきた。La Stradaというイタリア語は英語にするとStreetなんじゃないかと。でもフェリーニの『道』がずっと先にあって、「みち」は素直には「道」だし、「通り」とするのも変だし、それに大道芸人なんだから。ああ、ややこし。
しかし森山大道が森山大路だったら、朱雀大路みたいで、これも変だしなぁ。