妊娠検査薬というのは、1コ入りと2コ入りがあるそうで、ヤバいなと思ってるときは2コ入りを買うてしまうらしい。そういうときに限って、1コ目でアウトになってしまって、ヤバぁ〜と思いながらも、ひょっとしてという一縷の望みで2コ目を試してみる。そういう人間の心理をついて2コ買わせる。うまくできてる。そんなときに限って2コ目もきっちりアウトなんだけどね。
実際に試してやろうかと、トイレから持ってでてきたのを、目の前に置かれた。さすがにしばらくじっとすき間のところを見つめてしまってた。しかしいつまで経っても赤紫色のラインが出てこなかった。ホッとしたような、なんか緊張したの損したような妙な気分。だいたい1コだけで試したげよか、なんてのは確信犯に決まってる。
やっと読みきったよ、『♂♀』。。。きょうもまだ読みきってないというのも癪だからいま読んだの、ラストの30ページ。
それは論理のための論理、中学生時分によく行った、時分の口走った屁理屈を正当化するためにさらに無様な屁理屈を重ねるのによく似ている。 中学生の頃というのは自分の能力が伸長していく昂奮を抑制できずに、つまり思春期ならではの悪性の知恵熱に冒されてしまい、理屈を弄ぶのがなによりも面白く、止まらないものだ。 もちろんたいがいの者は成長過程において論理のための論理の不毛さに気づいて、ある瞬間から口を噤むようになるだが、中学生的論理の快感の罠から抜け出せぬままに歳をとってしまった絶望的な者もいる。
時々、これまでに書いた日記をばさっと削除してしまう人がいるが、私には信じられない。そうやってリセットをかけて新たな一歩を踏み出せる人もいるのだろうが、私にとって過去を否定するのは未来を否定することであり、自分自身を否定することだ。
ずっとこの日記を見てくれてる人ならわかるだろうけれど、このtDiaryに移ったの、あれ?いつだったかな、まだ1年になっていないはず。それまでは自前のcgiに書きつないでた。そして、ここしばらく2000年1月からこっちしか、日記はWEB上で公開してなかった。 ほんとに古くからボクのことを知っててくれる人は、internetのアカウントをとってすぐくらいの1996年の夏くらいからWEB日記書いてたし、メガ日記(うをー、なつかし)のほうにも転載してた。残念ながら男なもんでね、そうそうどっと読みに来てくれるわけでもなかったけど。97〜99年の日記は、先にも書いたようにばっさり削除なんかできるわけがなくて、こっそりリンクだけは外してWEB上においたままっだったのさ。つい最近になって、とち狂ったように、97〜99年もこのtDiaryに移して曝してしまった。再び曝したのにそう意味があってのことじゃない。単に突発的行動であります。 そうなると、いっそ96〜97年あたりもアップしたろかと。が、さすがに、この時期は知る人ぞ知るってわけで、劇症心炎のせいで、ばさっと削除したのだよ。ただしWEB上だけな。HDのどっかにおいたはずだと探したけれど、ふははは、FDに記憶させて、HDからは削除してしまってたのだ。いまくらいのHDの容量があったら、HDにも残ってたんだろうけどな、FDだとこのまま消え去るかもな。
なんか、初めに書こうと思っていたこととずいぶんずれてきております。 「過去を否定するのは未来を否定することであり、自分自身を否定すること」などとそこまでマジに考えてるわけでなく、未来なんてどうなるかわからない、あした突然死んでしまうかもしれず、そんな未来のことを思いはかって過去を大切にとっておくなんてできない。そうそうPちゃんとの初デートの時、Pちゃんが「10年先のことを考えたことある?」だったな、もちろん「ない」。長田弘の『猫に未来はない』というほどに未来を考える脳の部分が欠落してるんでしょう。どっちかというと、猫型人間だしね。 ところがね、未来を考えることはできなくても、現在の自分自身はそうした過去の上に成り立っているのは事実で、Pちゃんを愛していたボクだから、いま君のことを愛してしまったし、君がかつて彼を愛していて、そして今でも尊敬している、そういう君だからこそ、そしてそういうすべてを含めた君を愛してるよ。