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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1998/05/15 Fri■ 

誰の上にも月日なんて流れてくよ。
そういえばこないだぴなこだったっけ、矢野顕子の「ごはんができたよ」で「いい人にも悪い人にも」というのが好きと書いてあったの、まぁあんまり関係ないか。まぁ泣いても笑っても1年経ってしまったんだから、なんとかならないとね。
でも1年経っても2年経っても10年経っても死ぬまで好きなものは好き。大事なものは大事。好きなん女と同じ生活、別に一緒に暮らす、結婚するのでなくても、同じものを見て、同じものを聞いて、同じように感じていたいけれど、別に同じ生活してる必要もないかなとふと思う。好きでないのに同じ生活をしてるのっていくらでもあるわけだし。生活がすべてじゃないなんて...韜晦。
出たらどうしようかなんて思いながらどきどきしてる自分が可愛い。せんせぇは自分のことが可愛いと思える人って言うてたよなぁ。留守電いれてたら泣けてきた。どうしようもないなぁ。どうしようもないけど、どうもしないということでいい。
ちょっとパニクったままきよみに電話する。ごめんなぁ、駆け込み寺にしてしもてる。きよみと話してたら落ち着いてきた。さぁ2年目を始めようっと、そんでいいんだよね。

■2001/05/15 Tue■ 

GANG STARR
DAILY OPERATION
 ふーっ、なんかきょう一日は早い。そんな日もあるんだなぁ。しみじみ。起きたのが昼前だったし、そうそうきのうはくたばってけっこう早い時間から寝てたから、ほんとひさしぶりの爆睡かも。きのうの夜中に、あのボード(うちじゃないです)のちんカス対策やるつもりだったのに、それがきょうに延びてしまって、せっかくまた陽光燦々の中で『鱗姫』読もうと思うてたのになぁ。と、丸尾の興奮がまだ続いてて一気に丸尾を my favoritesにアップなんかしてたら一日がもう過ぎてる。ほんま早いなぁ。
 あ、そうそう最近の話だがね、どっかのページだ、もう忘れてしまったし、チェックもしてないな。まぁどこでもいいんだけど。川端康成の『眠れる美女』を評して、エロ爺のどったらこったらとか、クソミソに書いてたんよね。そして「びろーど」なんだったっかなぁ、いま手もとにその『眠れる美女』がないからわからんのだけど、「びろーど」とかのひら仮名遣いだけが勉強になったとか。そんなもんなんかねぇ、ちょっとがっかりした。ボクなんか、あれ中学の時に、読んだんだよなぁ。さっぱりわからんかった。あたり前だ。そのころは「良い子」だったから。ところがあのように否定的でもなくて、それから何年か後、えっち全開のころには、わざと彼女が寝入ってしまうのを待ってたもん。またその彼女もよくしたもので、きっちり『眠れる美女』を演じてくれたんだよなぁ、っと、何を書きだすのだ(汁) いやぁ、そうでなくて、理解不能なもんは理解不能なんで、それは1年ほど前に『雪国』を読んだときにつくづく思ったんだけど、理解不能なのはそれで仕方ないわけで、もうちょっと知ったかぶりぶりっ子ちゃんでもええんでないかと。
 その頃、そう20ちょっと過ぎたころには、みんなで見栄でもなんでもいいから、思いきり背伸びしてたよなって話してたところ。『眠れる美女』が彼(彼女?)にはあれで終わってしまうんだと思うと、なんかさみしいなぁ、と思っただっけ。
なぁんて思ってたら、別に検索かけたわけでもないのに『ゲンセンカン』に、ぽこぽこと行き当たってみたりで、やっぱりちゃんと世の中にはそういう変態は変態で育ってるんだと思うとうれしくなるのね。さてとぉー、野ばら読んで寝よ。


■2002/05/15 Wed■  徘徊老人見習い

Modern Jazz Quartet
DJANGO
 図書館で借りてきた種村季弘の『徘徊老人の夏』を朝に持って出ようと用意してたら、Bが笑いよる。なんでやねん(@_@)
 『徘徊老人の夏』ってタイトルがなんともいいのだ。それにもましてこの表紙の写真エエでしょう。あこがれる。まだデジカメ持ってうろちょろしてるようでは青いんでしょうな。
 そしてバリウムの便意に耐えながら、読んでいると、「コイン空間」なる言葉が出てくる。つまり「コイン空間にはおおむね千円以下の、玩具っぽい、ぺらぺらちゃらちゃらした安物の物品のみが集積され」「一度味をしめると病みつきになりかねない」。さらに「コイン空間の住人は、概して子供そのものか子供っぽい人間に限られる」と。
 然り。また「万札のデパート、千円・五千円札のスーパー、コインのコンビニ」というのも正しいかもしれない。が、しかし、コインの原点は市場・商店街にあるというのは信じて疑わない。孟母三遷の教えすら知らなかった愚かな母は、いや、オカンはボクや弟が市場で育ってしまうことから遠ざけようとしなかった。だからいまだに市場・商店街文化、すなわち種村季弘のいう「コイン空間」から抜け出せないでいる。セーユーではだめなのだ。ジャスコではだめなのだ。コロッケを道々食い歩くことのできないのは耐えられない。
 思うに市場の鶏屋の奥は非常に怪しい空間であった。水を流せるように床はコンクリを打ちっ放しのうす暗い空間であった。ついこないだ九条の商店街をひとり徘徊しているとき、そのうす暗い怪しい空間を見い出して心が震えた。そこでは人が生きるための営みを代行してくれていたのだ。
 市場を歩かずして、なのだとつくづく思うのだった。


■2004/05/15 Sat■  5月15日は木曜日

夜になってまた雨。甲子園じゃ延長12回、雨の中のサヨナラ勝ち。
なんであれ、いつかは、誰かが決着をつけないことには始まらない。次のゲームも始められない。
いつもこの時期の夜になると思い出すのは札幌にいた頃のある夜のこと。別に好きな女と一緒だったわけでもなくて、ジョー・パスが好きだという友だちの家にいて、ひょっとすると、彼のジョー・パスのレコードが回っていたかもしれない。何のためにそこにいて、何をしていたかも忘れ去っている。ただ夜風の気持ちよさだけが30年経っても残っている。ただそれだけ。ほんとに何でもない時間だったけれど、不思議な思い出になってしまっている。そしていま、開け放った窓からは雨のにおいと夜風。

 《空を見上げて、違う雲が見える昼があれば、同じ月を見る夜だってある》

キミはこの雨をどう感じるんだろう。




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