踊りましょう 子どものように 時を忘れて 夢をあずけて
きのうに続いて、また『徘徊老人の夏』からなんだけれど、「何でもない石の話」という文字通り石についての短いエッセイ。つげの『無能の人』にも通じたりするような話。 その中で松山嚴『銀ヤンマ、匂いガラス』というエッセイ集から引用してるのだが、 「海岸や川原で拾ってきた小石を掌のなかで握りしめると気持ちが楽になる」 うんうん、しばらく着なかった服などをひさしぶりに着てみたら、思いきりしょうむないものが入ってたりする。ときには映画の半券だったりもするけれど、たいがいはこんなものどこで拾ってきたんだというようなのもの。たいていの場合、それをどこでどういうつもりで手にし、ポケットに入れたのか、はっきりとしない。たぶん、そのとき、掌の中でころがしていたのを何気なくポケットにしまいこんだにすぎない。特別の思い入れなんかまったくなくて、そりゃたまには思い入れたっぷりのものもあったりするけれど。 全然、話が変わってしまうんだけれど、ラブホのライターとか、ふつうは持って帰ったりせんよねぇ。それがどこでどう転がって発覚する危険性ありというオトナの算段が働いてふつうは持って帰らない。ところがこれやってしまうんだよなぁ、困ったことに。これもほとんど無意識でふいとポケットに入れてしまって、あとで、うーむぅってことになって、でもよく見たら、電話番号なんか書いてなくて、ホテルのホの字も書いてなくて、ただ《おひるねラッコ》なんて書いてるだけだから平気じゃんって。。。。りゃあああああ大阪の人間だったらわかるっちゅうねん。(注:《おひるねラッコ》入ったことありません。マジ) 話を本筋に戻して、いや、一度それた話はなかなか修正がきかないもので、昔に家族旅行の途中で一家でラブホに泊ったことある。ヘタなビジホ泊るより風呂がでっかくていいし、設備はいいし、安いし、どこかで晩ごはん食べて、どうせ晩遅くまで外で遊んで(こりゃ子連れで晩遅くまで遊ぶなっ!)るわけだから便利よ。ところが、次の日車に乗ってから、娘が「これ」と差し出したのは、イチゴの絵が描かれたコンドーム。この親にしてこの子ありってところか。いや、なんでもふっと持って帰ってしまうのがね。別に要らないんです。ただそこにあったから。 ようやく話が戻ってきて、要するに、ポケットの中にしっかり入れてしまうのはコイン空間の住人と同様に「概して子供そのものか子供っぽい人間に限られる」ってことだよね。そして種村季弘もしみじみ書いていることだけれど、「掌のなかで握りしめると気持ちが楽になる」というのは激しく同意してしまう。そのときの掌がリアルに想像できるよ。そしてそれが「海岸や川原で拾ってきた」からこそ大事なんだね。これが、どこそこの何々というようなものならその興味が失われたときに、海岸や川原の小石以下の価値しかもたなくなってしまってたりするもの。この3ページほどの短いエッセイを、石を女に置き換えて読み直してもみたりした。 ボクの車の中に20cmほどもある石がずっと転がっている。捨てるに捨てられないで、ずっとずっと転がっている。どこで拾った石なのか記憶にない。
寺山修司の偉大なキャッチコピー「書を捨ててまちに出よ」の「まち」が町と街のどちらだったか分からなくて調べていたら、あなたのホームページに行き当たり、疑問が氷解しただけでなく、主張にも同感できて大笑いしてしまいました。私の感覚でも「町に出る」のは1960年代か70年代ぐらいに都会の喧噪にあこがれ、都会の生活を夢見ている「田舎青年」です。そうですか、寺山修司ともあろう人がねえ。しかし、考えてみたら、60年代や70年代前半あたりに「街」という言葉が市民権を得ていたのかどうか。ひょっとしたら、その後に定着して「町」から別れたのかもしれません。調べてみます。多謝。
なんか書いてこいよ。いへ、何か書いてください。