トップ «前の日(05-15) 最新 次の日(05-17)» 追記

うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

1998年
5月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
1997|09|10|11|12|
1998|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1999|07|08|09|11|12|
2000|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2001|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2002|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|09|10|
2006|01|04|06|07|08|12|
2007|06|07|10|
2009|12|
2010|01|02|04|09|10|12|
2014|05|
2016|08|

■1998/05/16 Sat■ 

夜になって雨がすごい。どしゃぶり。
昼間どこにでかけるというのでもなくて、Canaのスケッチブックの絵をスキャナでとりこんでやって、勢いでそれをwebにのせれるようにhtml化して、をーいできたぞって電話したのにいない。ところがそのほとんど直後にCanaから電話入って、いま天下茶屋のおばあちゃんとこにいるって。なんちゅうタイミングよ。
天下茶屋まで車で迎えに行ってやる。ほんまどしゃぶり。
Canaをひろってから、あ、2年目なんだなってふと思う。別にCanaとどうとかこうとかいう関係じゃないけど(笑)、どうとかこうとかいう関係だなんやったら、ここには書けないでしょ(爆) それに首絞められるやろね(笑) ああ、そうじゃくて2年目になって、こういうふうにつきあえるようになったんだなって思ったんだなってそう思った。考えてみたらボクの関係で女がうちの家に来るなんてことなかったもんね。
うん、でも自分がもうできないなって思ってるからなんかな、クリエイティブに生きてる人間のバックアップするのって、まるで自分がやってるようで楽しいというか、うれしいよな。
あ、そうそうきのう、UAの「ミルクティ」をmp3ファイルにしてた。それで何度も聞いてたら、「ミルクティ」のBサイドというか、Cっだから2曲目だけどせつないよなぁ、きのうだからというのでもなくて
踊りましょう
子どものように
時を忘れて 夢をあずけて

■2001/05/16 Wed■ 

Faye Wong
胡思亂想
 あーもう最低。昼から一発だけ仕事してそのあと空いてたんだよなぁ。しめしめと、たばこ部屋で『鱗姫』読もうとしてたら、「パラフィンとワックスはどない違うか知ってる?」「そんなもん知るけぇー」とか、「をい、何読んでんねん」ってうるせぇーんだよぉ。ボクはひたすら乙女になろうとしてんのにさ。乙女が何読んでようとほっちっちぃ〜。だから、休憩室に逃げ出した。したら、おっちやんが「暴れん坊将軍」見てやんの。あぁ、もうボクに安息の地はないんかい。って、仕事しなさい。仕方がないのでベッドに寝転がって、読書を始めたら、ものの数ページ読まないうちに寝てもうたやないの。しゃあないです。きのう寝たの4時だもんなぁ。まともに仕事のこと考えろよな>自分。
 寝始めたのが、2時半過ぎてたかな。がぁーーっと寝て4時。そろそろ起きるかなと思うても起きれない。今週はね、ちょいと早く出れるので、久々にS村エアロ行こうと思うてたんよね。次にはっと目が覚めたら、5時40分だ。S村エアロは6時20分から、いまならまだなんとか間に合うと飛び起きてバイクでばばばばーっと走ってはみたものの、家の近くまで来て、どう考えたって間に合わない。あぁーもうやめた、やめた。なっ、さいてぇー。ちゃんとまともな時間に寝なさいよ。
 あ、そうそうきょう昼にK夫と8と飯食いに行ったんよねぇ。なんかお気楽でしょ。昼寝はするわ、ゆっくり飯食いに出るわ。一生懸命仕事してる人、ごめんなさい。
K夫いわく、「この頃、晩ごはん食べたあと、ごろんと寝転がったらそのまま寝てしまうんですわ。ほっと緊張から開放されるんでしょう。」
ボクと8、同時に声をそろえて「どこが緊張しとんねん!」.
 んで、きょうのボクはっていうと、晩飯食ったあと、久しぶりにトマソンを更新。看板屋も3つか4つあったんだけど、それはまた後回しにして、ほんとは音ネタ行きたいんだけど、最近まともに聞いとらんもんなぁ。なんか、いいのない?って、こっちが聞きたいよ。きょうはほんと内容無いねぇ。毎日あってたまるか、しんどいだろ。
 あ、そうそう、(←これ、ばっか)午前中のの仕事中だ、突然ドラクエが鳴ったんだよなぁ。仕事中はバイブにして音出ないようにしてんのに、今朝二度寝したろと、イージータイマーかけるのに、音出るようにしてたの忘れてた。ちなみにアラーム音はドラクエの戦闘シーンです。女からのメールはFFのアイズ・オン・ミーです。ヲタクか、キミは。で、ドラクエが鳴ったんだよ、突然。ちっと焦ったんだけど、あ、メールかってほっとくつもりだったのに、まわりが騒がしいからつい誰からメールやろと見たんだよなぁ。そしたらまた回りがうるさい。「誰からメールやぁ?」とうるせえんだよ。だから「ミヤコからメールだ」って口からでまかせ言うたら、また「ミヤコって誰やぁ〜?」とうるさいんだよ、チミら。ほっとってよ、叩けばなんぼでもホコリ出るんだから。なんてことしてたら、ちょっと動揺が来て、どないしまんねんな(;^_^Aアセアセ・・・


■2002/05/16 Thu■  ポケットの石

Rolling Stones
Stripped
 きのうに続いて、また『徘徊老人の夏』からなんだけれど、「何でもない石の話」という文字通り石についての短いエッセイ。つげの『無能の人』にも通じたりするような話。
 その中で松山嚴『銀ヤンマ、匂いガラス』というエッセイ集から引用してるのだが、

 「海岸や川原で拾ってきた小石を掌のなかで握りしめると気持ちが楽になる」

 うんうん、しばらく着なかった服などをひさしぶりに着てみたら、思いきりしょうむないものが入ってたりする。ときには映画の半券だったりもするけれど、たいがいはこんなものどこで拾ってきたんだというようなのもの。たいていの場合、それをどこでどういうつもりで手にし、ポケットに入れたのか、はっきりとしない。たぶん、そのとき、掌の中でころがしていたのを何気なくポケットにしまいこんだにすぎない。特別の思い入れなんかまったくなくて、そりゃたまには思い入れたっぷりのものもあったりするけれど。
 全然、話が変わってしまうんだけれど、ラブホのライターとか、ふつうは持って帰ったりせんよねぇ。それがどこでどう転がって発覚する危険性ありというオトナの算段が働いてふつうは持って帰らない。ところがこれやってしまうんだよなぁ、困ったことに。これもほとんど無意識でふいとポケットに入れてしまって、あとで、うーむぅってことになって、でもよく見たら、電話番号なんか書いてなくて、ホテルのホの字も書いてなくて、ただ《おひるねラッコ》なんて書いてるだけだから平気じゃんって。。。。りゃあああああ大阪の人間だったらわかるっちゅうねん。(注:《おひるねラッコ》入ったことありません。マジ)
 話を本筋に戻して、いや、一度それた話はなかなか修正がきかないもので、昔に家族旅行の途中で一家でラブホに泊ったことある。ヘタなビジホ泊るより風呂がでっかくていいし、設備はいいし、安いし、どこかで晩ごはん食べて、どうせ晩遅くまで外で遊んで(こりゃ子連れで晩遅くまで遊ぶなっ!)るわけだから便利よ。ところが、次の日車に乗ってから、娘が「これ」と差し出したのは、イチゴの絵が描かれたコンドーム。この親にしてこの子ありってところか。いや、なんでもふっと持って帰ってしまうのがね。別に要らないんです。ただそこにあったから。
 ようやく話が戻ってきて、要するに、ポケットの中にしっかり入れてしまうのはコイン空間の住人と同様に「概して子供そのものか子供っぽい人間に限られる」ってことだよね。そして種村季弘もしみじみ書いていることだけれど、「掌のなかで握りしめると気持ちが楽になる」というのは激しく同意してしまう。そのときの掌がリアルに想像できるよ。そしてそれが「海岸や川原で拾ってきた」からこそ大事なんだね。これが、どこそこの何々というようなものならその興味が失われたときに、海岸や川原の小石以下の価値しかもたなくなってしまってたりするもの。この3ページほどの短いエッセイを、石を女に置き換えて読み直してもみたりした。
 ボクの車の中に20cmほどもある石がずっと転がっている。捨てるに捨てられないで、ずっとずっと転がっている。どこで拾った石なのか記憶にない。


■2004/05/16 Sun■  ツッコミ

こういう日(どういう日なのかとツッコマないように)はルーチンワークに限る。なぁ〜んも考えないでひたすら、maggot-p.comに書き換える。
このまごまご日記はtDiarの売りのツッコミ、要するに読む側と書く側のコミュニケーションツールってわけで、これは標準仕様になってるのだが、自分勝手、自己中なボクのことですから、「ひとの日記にごちゃごちゃ抜かすな、なんで人の日記に横から落書きされなアカンのや」とこのツッコミを表示しないように設定していた。だからツッコミの表示はしないんだけれど、単日表示にすると、ツッコミ用のフォームが現れる。このフォームが外せないんだよねぇ。そうして書き込まれたツッコミは、表向き表示はされないんだけれど、adminとして編集ページに入ると、これこれのツッコミがございました、という仕組みになってるのだ。あんまり詳しいこと言うてもわかりませんよねぇ。
さて、ルーチンワークをしていると、《まごまご日記2003/04/18 Fri 「町と街、道と路」》に、中澤正信さんという全然知らない人から2004/03/11に
寺山修司の偉大なキャッチコピー「書を捨ててまちに出よ」の「まち」が町と街のどちらだったか分からなくて調べていたら、あなたのホームページに行き当たり、疑問が氷解しただけでなく、主張にも同感できて大笑いしてしまいました。私の感覚でも「町に出る」のは1960年代か70年代ぐらいに都会の喧噪にあこがれ、都会の生活を夢見ている「田舎青年」です。そうですか、寺山修司ともあろう人がねえ。しかし、考えてみたら、60年代や70年代前半あたりに「街」という言葉が市民権を得ていたのかどうか。ひょっとしたら、その後に定着して「町」から別れたのかもしれません。調べてみます。多謝。
というツッコミがあったのを発見。退屈なルーチンワークでもしていないと気づかないところだった。本文からツッコミまで1年近く経ってるしね。
なんにしろ、ありがたいことです。こういうツッコミって、書いていてうれしいもんだよ。しょもないツッコミもあるんだけど、をっしゃ、また書いたろやんけと奮い勃たせてくれる。(こりゃ、わざと漢字まちがうな)
いちおうツッコミがあったら、その内容がメールするように設定してあったんだけど、それもいつの間にかメール送信しないになってた。いちおうメールフォームつけてんだけど、ほとんど無いしな、ツッコミもほとんど無いしな。これを機にメールフォーム外したろかとも思うてんけど、本文末からヘッダー部分に移して残すことにした。

なんか書いてこいよ。いへ、何か書いてください。


 


メールでツッコミ

1997|09|10|11|12|
1998|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1999|07|08|09|11|12|
2000|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2001|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2002|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|09|10|
2006|01|04|06|07|08|12|
2007|06|07|10|
2009|12|
2010|01|02|04|09|10|12|
2014|05|
2016|08|
トップ «前の日(05-15) 最新 次の日(05-17)» 追記
まごアン