罪に罪を重ね、愛という地獄の中に埋没していきましょう。私達は世界を敵にまわすのです。でもそのことはちっとも恐くありません。後悔なんてするものですか。私達は突き進む。たとえ誰が悲しもうとも。愛しています。愛しています!狂おしい程に。有難う、有難う。私は今、奇跡の中にいる。
きのうの日記で、ポケットの石のことを書いていたら、中原中也の詩に「月夜の浜辺でボタンがひとつ」とかっていうのありませんでした?というメールをもらった。うを〜、中原中也かぁ。 月夜の浜辺月夜の晩に、ボタンが一つ波打際に、落ちてゐた。それを拾って、役立てようと僕は思ったわけでもないが、なぜだかそれを捨てるに忍びず僕はそれを、袂に入れた。月夜の晩に、ボタンが一つ波打際に、落ちてゐた。それを拾って、役立てようと僕は思ったわけでもないが、 月に向かってそれは抛れず 浪に向かってそれは抛れず僕はそれを、袂に入れた。月夜の晩に、拾ったボタンは指先に沁み、心に沁みた。月夜の晩に、拾ったボタンはどうしてそれが、捨てられようか? うんうん、まさに、そう。「月に向かってそれは抛れず/ 浪に向かってそれは抛れず」 わざわざ、本箱の中をひっくり返して探しだしてきたんじゃなくて、ネットで検索。あったところにリンクしとこうかと思ったけど、消えてしまうともったいないもん。中也ぁ〜ちゅうたらこれっきゃないっていう写真もかっぱらってきた。そこらネットに落ちてるのはなんでももらっときます。 ふぅうん、「月夜の浜辺」が中学の国語の教科書に出てたんだ。いまの中学生、いや大学生にしても、詩なんて読むんだろうか。教科書に出てくる詩くらいで、自分で詩集を買ってまで読んだりしないんだろうな。そういえば、ボクにしてももう何年も詩集を買って読むなんてことはなくなってる。なんで? どこかで詩というのは青臭いもんだとかとらえてしまってんだろか。ちょっとしたことばの引っ掛かりからの拡がりは小説より詩の方がずっとずっと大きいのに。
月夜の浜辺月夜の晩に、ボタンが一つ波打際に、落ちてゐた。それを拾って、役立てようと僕は思ったわけでもないが、なぜだかそれを捨てるに忍びず僕はそれを、袂に入れた。月夜の晩に、ボタンが一つ波打際に、落ちてゐた。それを拾って、役立てようと僕は思ったわけでもないが、 月に向かってそれは抛れず 浪に向かってそれは抛れず僕はそれを、袂に入れた。月夜の晩に、拾ったボタンは指先に沁み、心に沁みた。月夜の晩に、拾ったボタンはどうしてそれが、捨てられようか?
きょうもアカ組事務所に遊びに行った帰りに、飛田のロータリー、このロータリーというのももうすでになくなって、阪堺線の踏切と連動の信号がついてしまって最悪よ。ちなみにこの踏切、『仁義なき闘い』でどこぞの親分が射殺されるシーンで登場。この踏切で現実にヤクザの抗争事件があってもおかしくない場所にある。あら?また話が脱線してるな。だいたい、話がストレートに進まないのは爺いの話の特徴でありますが、その踏切のすぐのところに「月光仮面」という名の中華屋があったのだが、これ、前から写そうと思ってたんだよ。中華屋に「月光仮面」というネーミングもたいがいなんだけど、そのようなVOW的、看板屋的興味以上になんともいえない雰囲気が漂っていた。ところがきょう通ったら、きれいに改装されて、同じく中華屋でありながら違う名前に変わってしまっていた。惜しいことしたなぁ。なくなってしまうと、なんとなく口惜しい。いつでも写せるとか思ってるのがいかんのよな。
きょうのうらまごにも書いた松本コウシさんという写真家のサイトを見ていると、
一見すると、旧き時代のものが壊れていく寂寞な感情が漂いそうだが、実際はひどく殺伐としたものだった。住民は喜んで「あべのベルタ」へと移り住んでいったし、街が壊されていくのを惜しむ人がいるようにも思えなかった。
壊れていく、壊されていく、だから撮っておきたいじゃなく、なんて説明すればいいんだろ。とにかく衝動的にシャッターを押させるだけの欲望のようなものを感じる。だけれど、その瞬間ののちに非常な粉砕機が待っているのも現実なのだ。