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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1998/06/16 Tue■ 

やっぱりアートリンゼイを聞きながら寝るとどうもおかしい。マクラをぎゅううっと抱いて寝てるのになかば覚醒状態になっている。
あれはやっぱり変態の音楽だ。あれを根ながら聞いてるなんてどう考えたって変態である。

だもんで、きょうも眠くてたらまん。空いてる時間にしっかり爆睡こいて行ったのに、頭の中で変態が交流して、「愛はブイに比べるとπ/3遅れている」「あ、ちょっと待ってや、ヴイのほうが進んでるのか、え゜なんやった、あ、さっき描いたグラフ、愛とヴィ反対や、あ、ちょっと待ってや、そんでええんかぁ、う、反対、いや愛のほうが先だから...ぐああああああああ」 しかたがないので昼飯を食ったあと、サクラを聞きながらまた机で昼寝した。

■2000/06/16 Fri■  壷坂観音霊験記

 きのうは夜に歯をがぁがぁうぃーんやられたおかげですっかり頭から飛んでしまってたけど、文楽観に行ったんだよねぇ。
 盲目の沢市と結婚して3年間、毎日、壷坂寺の観音さんに目が開きますようにと願かけに行くけなげな嫁さん・お里の話ね。話の筋はおいといて、壷坂寺への山道を上がって、崖の上から身投げをやらかすんだけど、そんもシーンで人形をどうするんだろ、と、ちょっとはらはらした。まさか太夫が人形持って飛び降りるはずないしねぇ、第一20cmくらいの高ゲタ履いてんだぜ。厚底なんて目じゃないくらいの高下駄履いて飛び降りれるわけないし、それに人形使い3人が、わっと飛び降りれるわけない。ん?太夫と黒子の3人がでやぁ〜っと人形持ったまま飛び降りるってのもインパクトが強くていいか(^_^;) 実際には人形だけを投げたんだけど、ちゃんと下には黒子が隠れていて、人形を受けてるんだけど、タダの人形やないからね、仕掛けがあったりして大丈夫なんかいと思うけど、大丈夫なんだろ、毎日毎日投げ下ろしてるんだから。
 沢市が身投げしたあと、お里も後追い身投げやるのね。つまりお里の人形も投げ下ろされるんだけど、その直後、舞台装置がぱっと変って、谷底に身を投げた沢市とお里の死骸が横たわってる。この場面転換は瞬間的ね、そのほんのちょっとした間に、太夫が高下駄履いてだぁーっと駆け降りて、その駆け降りてるのは見えないんだよ、でもその直後に黒子2人を従えて板に着いてる、ってのは、をーーっ、プロぉーってもんだな。
 そんなんとか、沢市が三味線を弾くというシーンがあるんだけど、その三味線の左手が、義太夫三味線の手とばっちりシンクロしてたり、とにかくこの浄瑠璃はスペクタル的にずいぶん楽しませてくれた。
 で、その感想
 「お里、ええ女やなぁ」
 「あんな嫁さん...(絶句) うちやったら瞬間的に保険なんぼおりるか勘定しよるで」
 と、ここまではごくふつーの感想ですね。あの人とあの人とあの人ですね、そう言うたのは。
 「女ってこわいなぁ」「死んでまで追いかけられたらたまらんよ」
 と、さすがの感想を漏らすのは誰だい(^_^;) あ、ボクではないです。
 で、ボクの感想ですが、ほんま男というのは情けない。どうしようもないくらい情けない。
 というのはね、お里が毎日こっそり一人で願かけに行ってるわけですわ。それを「おまえ、わしの目が見えへんのをええことに、どこぞに男作っとんのとちゃうか」と言い寄ってみたり、そのあと二人で壷坂寺のある山に上って、観音さんに願かけるんだけど、お里のおらん間に、さっさと身投げやらかして、それも、わしみたいなんがおったら、お里の足手まといや、わしがおらんかったら、お里はまだ若いねんから、ええ男と一緒になれるやろなんて甘ちゃんなことのたもうてからに、黙って身投げせんかい。あぁほんまオトコはどうしようもないねぇって話だったな。
 しかし、ボクもあんなお里みたいな嫁さんが欲しい〜!!って思うわけないやろ(自爆)

■2001/06/16 Sat■ 

 
浅川マキ
浅川マキ・ライブ
 ミイラの人さし指だけには包帯が巻かれていない。雨の日に少女がミイラから盗って行ったのは、包帯ではなくて、千年の夢だと。
 あの人はこういう手のこんだことするの好きだからね、でもまさか、あそこをああいうふうに書き直してるなんて、知ってる人にはわかる、知らない人にはなんのこっちゃらわからない。ごくごく不親切、って何よ?
 ところでいっつも思うんだけど、日記なんてのは極私的でしょ。それが時は移ろいて、WEB日記がこんだけ拡がって、うちなんてアクセス数が少ないから、ときにはやばいことも書いても平気、平気とタカくくってんだけど。そうでもないか。こないだも「をい、読んだで、まぁ本名出てへんかったからエエけど、書いてくれてるじゃないの」うをーっ、やば、やば、あいつ見にくることないよなぁと思うて、書いたのに、でもしっかりその続編は見落としてくれてたからラッキー。あの続編、あいつに読まれた日にはしばかれる(^_^ゞ
 でも●●のことだけは絶対に書かないね。??(←すいませんね、Macの機種依存文字)のことは書いても、誰だかわかるわきゃねえずらよ、と、書いてしもたりして。
 日記が極私的だとすれば、戀文は極対的(勝手に造語)なわけで、ときにWEB戀文だったりもするわけで、あ、ボクの戀文はそんなんです。あんまり「愛してる」とか書いてなくて、言うてみれば、極私的日記を相手の迷惑も省みず無理やり読ませている。ボクの??なら我慢しろぉーと、WEBには書けないようなこと書いてたり、揚げ句の果てには、逆に戀文から勝手にここに引用したりして、もう二人だけの秘密のはずじゃない、なんで二人だけの話をそう簡単にあっちこっちでべらべらとしゃべれんのよぉ、なんて、次の日、口もきいてもらえなくて、やっぱやばかったかなぁ、と一人反省すれど学習せず。ちょっとくらい学習はしてます。だから今晩のことは書かないの。ゑっ、アップしてる時間がこんな時間。今まで何してたんだぁって聞いても答えません。と、もう半分書いてるじゃないの、仕方がない人ね、でも大好きだから許してあげる。なんて書いて、その実、誰のことだか、けっこうバレてたりして。ヤバいなぁ。まぁ、いっかぁー、いずれ公然化してやらぁ。
 そうこうしているうちに愛の迷路に迷い込んで、愛の亡霊となって彷徨い続けましょ、千年先まで。それは難解ね。永遠の処女の考えることは油断が出来ないよ。

■2003/06/16 Mon■  りかへのレス

写真撮るときってさ あー この場面とっておきたいー とか 無意識に撮るじゃん で それを張り付けるってのにはロマンティストと言うかナルトシストと言うか そーゆー関係があるとは思うのね けどさ まごっちがファインダー覗いている時って なんかもうひとつ違う事考えていそうでね 笑(← いやいや皮肉とかじゃなく なんつーかこう哲学的な…) だからなんで写真好きなのって聞いたのは貼るときの気持ちより 撮ってる時の気持ちってどんなんなのかなぁ〜と 思ったわけ 笑
スペースの都合で改行はずしました
 だいたいボクはモノを集めるのが好きです。それが切手であったり(笑)、レコードであったり、本であったり、女であったり(汁)するわけですが、だいたいにおいて貧乏性なので捨てるに捨てられず、もったいないおばけが出るぞぉーとイワンのバカ(←あ、この駄ジャレ通じないか)。
例えばデジカメ画像なんてのも、一般的にはデジタルであるからつまらない写真や撮りそこねた写真はどんどん削除できていい、それがデジカメが急速に浸透してきた理由なんだろうけれど、そのデジカメのデータさえ削除できないで、そこらに転がっている。いちおう日付でリネームして日付ごとにフォルダーに分けて整理しているのはA型の血がなせるわざなんだけどね。でも見ようによっては撮りそこねた写真というのも非常にinterestingだったりするんだよなぁ。
 それがブツである場合は粗大ごみとして放出したり、程度さえ良ければオークションで売り飛ばしてしまうこともできるのだけれど、ことその収集癖というか、捨てられない症候群というか、集めて所有していたいというのがコトであると、どんどん澱のように蓄積されていく。これは困る。困りはするけれど、50年からつきあってる習癖なのでどうにもならない。

 荒木経惟の『写真の旅』の中で、アマチュア・カメラマンのカメラクラブに招かれて、彼らの撮った写真を見ての感想に《「見せる」ことばかり考えて「見る」ことに怠慢だ》と言う話が出てくる。だいたいイベントや景色的によろしいところなんぞに行くとよく出くわすアマチュア・カメラマン(長いなぁ、アマカメと略す)という一群って気持ち悪くて、一種のゲームヲタにも似てるぜ。決まってニコンだのライカだのと喚いている。これはシャッター速度なんぼで撮ったのだとか、レンズは何だとか。まぁ、いいや。
 本題に戻って、ファインダーを覗いているときって、なんかもうひとつ違う事考えてませんですよ(笑) 考えてるとすると、その目に見えたコトをブツとして所有してたいという収集癖という悪い病癖。じゃ、どんなコトを所有したいかというと、そこに潜在的にセンチメンタルという心象が作用する。なんちゃてね、てれちゃうよ(笑) 写真友だちでもあり娘の元彼でもあるハカヤはセンチメンタルじゃいけないなんてことを言うのだけれど、確実にシャッターを押すのはセンチメンタルだね。「センチメンタル」ってのも荒木経惟からの借り物のことばなんだけれど、他に説明しようがないからセンチメンタル。まぁずばり言ってしまったら、いまそこの目の前に見えたものに何かを感じてしまった自分へのナルシシズムがシャッターを押させてしまう。そんなところかな。
 先のアラーキーがアマカメを評してるのに、《他人事の写真ばかりで、なんですぐ近くにこんな被写体があるのに撮らないのか》というのもあるんだけれど、これって本当に核心をついている。カメラの性能や自分の技量を見せるための写真なんて撮りたくないな。そこにはナルシシズムじゃなくて、そうしたブツを持ってますよという単なる自己顕示欲しか写りこまないもん。

 







 


■2004/06/16 Wed■  浄閑寺

路地裏猫日誌を見ていたら東京・三輪の浄閑寺のことが書かれてあった(04/06/03(Thu))。この路地裏猫日誌の作者のなるさんって人が、その浄閑寺の近くに住んでいるらしくて、浄閑寺の境内から猫を拾ってきたらしい。その浄閑寺の記事はもう10日以上も前のことで、そうそうボクも浄閑寺へ行ったときのことを書かなければと思いつつ、ほたらかし。書こうという気分にならなかったのも事実だったのだが。

路地裏猫日誌にも書かれているように、浄閑寺は吉原遊女の投込み寺で、ここには吉原総霊塔というその遊女の慰霊碑がある。その慰霊碑の向いに永井荷風の文学碑もある。そしてこの浄閑寺の正面に荒木経惟のにんべん屋下駄店があった。路地裏猫日誌によると、荒木経惟の名付け親はなんと浄閑寺の住職だったそうで、道理で経惟なんて抹香臭い名前だったわけだ。そんなことはたぶん荒木経惟自身がどこかに書いてんだろうけど、読んでない。ちなみに経惟なんて読めません。ボクはいまだに「ケイツイ」って読んでるし、中平卓馬はなんと「きょうかたびら」と読んでいた。
さて、去年あたりから、ボクはカメラ持って、旧赤線跡を歩き回っていて、去年の春に東京に行ったときは、吉原、玉ノ井、鳩の街、小岩井と歩いてた。吉原に行ったときは、ついでだからにんべん屋下駄店のあった跡も探したれなんて、三輪にまで車を走らせていたのに、ちゃんと調べてなかったから、どこかわからず。浄閑寺の存在も知ってはいたけど、駐車できる場所を探して走ってるうちに離れてしまった。そのかわり樋口一葉博物館に行った。
今年はアラーキーの写真を仔細に見て、あら、浄閑寺の真ん前じゃないのってことがわかっていたから、まっすぐ地下鉄の何線だかで三輪まで行って、さっさと見つけた。にんべん屋下駄店はもうとっくになくなって、ただの駐車場になっていて、近くの商店のトラックが駐まっていただけ。別にボクにとってなんてこともなかった。そりゃそうだな、荒木経惟にとっては私写真だけど、ボクにはそこまでの思い入れなんかないんだから。あ〜、あの写真はこのアングルだなと想像してにやついてただけ。
とは言っても、今年のテーマは唐十郎・荒木経惟だったから、それはそれでよかったの。唐十郎の下谷万年町も行ったし、見事にはずされたけどな。当たり前。だからある意味で、その時撮った写真はボクにとっての私写真となりうるんだよね。
それよりも

    われは明治の兒ならずや
    去りし明治の兒ならずや
と刻まれた文学碑に、ぐっと来てしまってね、ちょうどその日4月2日は朝から小雨が降ったりやんだりで、歩くのには困るほどの雨ではなかったけれど、その文学碑の御影石が濡れていて、ますます気分にさせられてしまったのだった。

 →浄閑寺と永井荷風



 


■2007/06/16 Sat■  お好み焼きのソースは断然ヒシウメ!

とミクシに書き込んだ瞬間にカマさんからコメントが入った。

  いいや! ばらソース!

ソースほど地域密着型の食品はないと思うんですよ、醤油とかよりもっともっとローカル。だからソースってのは地元の味が原体験としてしみ込んでいる。ボクにとってはヒシウメのタマリソースがそれなんだねぇ。ちなみに大阪市西成や生野といったディープな地域でのヒシウメのシェアはかなりのもんだったらしい。
ところが時は流れて、スーパーの時代になると、そうした零細企業は押しやられ、カゴメやブルドックや、最近ではオタフクが並ぶようになった。だが、考えてみ、カゴメは名古屋でしょ、ブルドックは東京?、オタフクは広島。そんなソースが大阪のお好み焼きにベストマッチするわけあらへんでしょ。というわけで、ヒシウメや、カマさんのばらソースを守っていかないとアカンなあと思うのですよ。

話を元に戻しますが、このヒシウメソースを西成の小っこいスーパーとかずっとさがしてた。それがきょうチャリ転がしてたら目の前にヒシウメの看板が。うはぁ〜〜、やっぱりこんなとこにあったんやぁと。すぐ工場みたいなとこに入って1本買ったけど、おっちゃん曰く、カナートとかイズミヤにも卸してるでと。

もちろん今晩の晩ご飯はお好み焼きでしたが、美味ぇ〜〜っ! キャサリンに話すと「玉出の酒屋でも売ってたで」と知ってたんやったら、なんで買うて来ぇへんのや。

いま調べたら、NIKKEIプラス1のおすすめのソースランキング1位だってね。それに楽天でも買えるんや。http://www.rakuten.co.jp/kubosake/133921/129826/ 今晩はお好み焼き!


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