写真撮るときってさ あー この場面とっておきたいー とか 無意識に撮るじゃん で それを張り付けるってのにはロマンティストと言うかナルトシストと言うか そーゆー関係があるとは思うのね けどさ まごっちがファインダー覗いている時って なんかもうひとつ違う事考えていそうでね 笑(← いやいや皮肉とかじゃなく なんつーかこう哲学的な…) だからなんで写真好きなのって聞いたのは貼るときの気持ちより 撮ってる時の気持ちってどんなんなのかなぁ〜と 思ったわけ 笑スペースの都合で改行はずしました
荒木経惟の『写真の旅』の中で、アマチュア・カメラマンのカメラクラブに招かれて、彼らの撮った写真を見ての感想に《「見せる」ことばかり考えて「見る」ことに怠慢だ》と言う話が出てくる。だいたいイベントや景色的によろしいところなんぞに行くとよく出くわすアマチュア・カメラマン(長いなぁ、アマカメと略す)という一群って気持ち悪くて、一種のゲームヲタにも似てるぜ。決まってニコンだのライカだのと喚いている。これはシャッター速度なんぼで撮ったのだとか、レンズは何だとか。まぁ、いいや。 本題に戻って、ファインダーを覗いているときって、なんかもうひとつ違う事考えてませんですよ(笑) 考えてるとすると、その目に見えたコトをブツとして所有してたいという収集癖という悪い病癖。じゃ、どんなコトを所有したいかというと、そこに潜在的にセンチメンタルという心象が作用する。なんちゃてね、てれちゃうよ(笑) 写真友だちでもあり娘の元彼でもあるハカヤはセンチメンタルじゃいけないなんてことを言うのだけれど、確実にシャッターを押すのはセンチメンタルだね。「センチメンタル」ってのも荒木経惟からの借り物のことばなんだけれど、他に説明しようがないからセンチメンタル。まぁずばり言ってしまったら、いまそこの目の前に見えたものに何かを感じてしまった自分へのナルシシズムがシャッターを押させてしまう。そんなところかな。 先のアラーキーがアマカメを評してるのに、《他人事の写真ばかりで、なんですぐ近くにこんな被写体があるのに撮らないのか》というのもあるんだけれど、これって本当に核心をついている。カメラの性能や自分の技量を見せるための写真なんて撮りたくないな。そこにはナルシシズムじゃなくて、そうしたブツを持ってますよという単なる自己顕示欲しか写りこまないもん。